私が原発や放射能について多少なりとも知識を得
考えるきっかけになったのはもう十年以上前に読んだ
高村薫さんの小説「神の火」だった。
元原子力発電所の技術者で某国のスパイになった主人公が
チェルノブイリで事故にあって余命幾ばくもない青年に出会い
原子力に絡む様々な国の謀略や青年の死を契機に
やがてかつて自らが稼動させた原子力発電所を襲撃するという物語だ。
この物語の舞台は現存する柏崎音海原子力発電所。
「侵入できるならこの施設は安全ではない」という単純な命題を
証明するために原発テロを企てるというある意味過激なストーリーを
私は「安全安心」を歌い文句にして原発を推進する体制に対する
逆説的な警告の書として読んだ。
高村さんは原子力を人間が神から盗んだ火と表現されている。
確かに人間は優れた知能を持ち高度な科学や文明を発達させて
現在の繁栄する社会を築いてきたが
同時に有限の命を有する動物でもある。
動物であるからには本来は自分たちが生息する地球の天然自然との調和を
極端に崩さないようにすることが必要不可欠なのだと思う。
それはつまり自分たちの手にあまる、制御できないような領域に
やたらに踏み込まないということだ。
表向きは非核を唱えながら実は互いに核を保有することが
戦争の抑止力になっているという
大きな矛盾を抱えたこの世界はすでに人類のみならず
すべての生物の滅亡の危機と背中合わせの日常を生きている。
原子力もまた破滅と裏表のエネルギー資源であるという事実を
(原材料が同じものだからそれは当然のことなのだが)
今回の事故によって私たちは思い知らされた。
230キロ離れた東京都の汚泥から高濃度の放射生物質が検出されたらしい。
汚染された水も土壌も瓦礫もどこに持っていくこともできず
封印するにはまだまだ長い年月を必要とする壊れた原発から
放射能の拡散は静かにそして確実に日本のみならず世界に広がり続ける。
しかし脱原発を標榜したドイツでは産業界から反発が起きているという。
地震の直後に唐突に東電が仕掛けた計画停電は明らかに
原発が無くなればこうなるんだというほとんど恫喝ともいえるパフォーマンスで
原発反対の世論を押さえ込みたい意図があったように感じられたが
日本でも脱原発の空気が高まってくれば
電気代の大幅な値上げの影響をダイレクトに受ける分野からは
当然反対の声が起きてくるだろう。
今の政治と同じで「ああでもないこうでもない」と
際限のないどうどう巡りを繰り返したその果てにあるのは一体何なのか。
今まで一生懸命働いて真面目に生きてきたたくさんの人たちが
震災と津波そして原発事故によって
想像を絶する困窮に見舞われている現実を直視しなければならない。
この世界有数の地震国の狭い国土に、北から南までまんべんなく54基もの
原発がひしめいている状況を真剣に考える必要があると思う。
今東北で起きていることは決して他人事なんかではない。
次にまた大きな地震がおきれば明日はわが身なのだ。
何の根拠もなく「起きるはずがない」「起こらないかもしれない」と考えて
なんの対策も打たないような人たちにまかせておけるはずもない。
そして非常事態が起きた時に政治がどうなるかという、ほぼ絶望的な状況をも
私たちはこの3ヶ月で目の当たりにしてきた。
「神の火」にこういう一文がある。
「人間には理想というものがある。人間は理想を持つことのできる動物」
でありそれが人間に残された唯一の希望なのだと。
このサイトでリンクしている京大の小出先生は5月23日
参議院の行政監視委員会で原子力行政に対して
高速増殖炉もんじゅの計画の見直しなどを提言された際に
ガンジーの七つの社会的罪に言及された。即ち
「理念なき政治。労働なき富。良心なき快楽。人格なき知識。
道徳なき商業。人間性なき科学。献身なき崇拝」
今回の原発の事故は、まさに政治や大企業がこういう全ての理想を
捨てて拝金主義の暴走を続けた結果引き起こしたものだ。
そして彼らは自分たちが極力痛みを負うことなく
すべてのツケを税金や電気料
長期的には社会福祉や年金の縮小
被爆による健康や生命の不安という様々な形で最後は
国民の一人一人に負わせようとしているような気がするのだ。
*このサイトでリンクしている福島原発の現状に東電の福島原発
ふくいちライブカメラが追加されています。
考えるきっかけになったのはもう十年以上前に読んだ
高村薫さんの小説「神の火」だった。
元原子力発電所の技術者で某国のスパイになった主人公が
チェルノブイリで事故にあって余命幾ばくもない青年に出会い
原子力に絡む様々な国の謀略や青年の死を契機に
やがてかつて自らが稼動させた原子力発電所を襲撃するという物語だ。
この物語の舞台は現存する柏崎音海原子力発電所。
「侵入できるならこの施設は安全ではない」という単純な命題を
証明するために原発テロを企てるというある意味過激なストーリーを
私は「安全安心」を歌い文句にして原発を推進する体制に対する
逆説的な警告の書として読んだ。
高村さんは原子力を人間が神から盗んだ火と表現されている。
確かに人間は優れた知能を持ち高度な科学や文明を発達させて
現在の繁栄する社会を築いてきたが
同時に有限の命を有する動物でもある。
動物であるからには本来は自分たちが生息する地球の天然自然との調和を
極端に崩さないようにすることが必要不可欠なのだと思う。
それはつまり自分たちの手にあまる、制御できないような領域に
やたらに踏み込まないということだ。
表向きは非核を唱えながら実は互いに核を保有することが
戦争の抑止力になっているという
大きな矛盾を抱えたこの世界はすでに人類のみならず
すべての生物の滅亡の危機と背中合わせの日常を生きている。
原子力もまた破滅と裏表のエネルギー資源であるという事実を
(原材料が同じものだからそれは当然のことなのだが)
今回の事故によって私たちは思い知らされた。
230キロ離れた東京都の汚泥から高濃度の放射生物質が検出されたらしい。
汚染された水も土壌も瓦礫もどこに持っていくこともできず
封印するにはまだまだ長い年月を必要とする壊れた原発から
放射能の拡散は静かにそして確実に日本のみならず世界に広がり続ける。
しかし脱原発を標榜したドイツでは産業界から反発が起きているという。
地震の直後に唐突に東電が仕掛けた計画停電は明らかに
原発が無くなればこうなるんだというほとんど恫喝ともいえるパフォーマンスで
原発反対の世論を押さえ込みたい意図があったように感じられたが
日本でも脱原発の空気が高まってくれば
電気代の大幅な値上げの影響をダイレクトに受ける分野からは
当然反対の声が起きてくるだろう。
今の政治と同じで「ああでもないこうでもない」と
際限のないどうどう巡りを繰り返したその果てにあるのは一体何なのか。
今まで一生懸命働いて真面目に生きてきたたくさんの人たちが
震災と津波そして原発事故によって
想像を絶する困窮に見舞われている現実を直視しなければならない。
この世界有数の地震国の狭い国土に、北から南までまんべんなく54基もの
原発がひしめいている状況を真剣に考える必要があると思う。
今東北で起きていることは決して他人事なんかではない。
次にまた大きな地震がおきれば明日はわが身なのだ。
何の根拠もなく「起きるはずがない」「起こらないかもしれない」と考えて
なんの対策も打たないような人たちにまかせておけるはずもない。
そして非常事態が起きた時に政治がどうなるかという、ほぼ絶望的な状況をも
私たちはこの3ヶ月で目の当たりにしてきた。
「神の火」にこういう一文がある。
「人間には理想というものがある。人間は理想を持つことのできる動物」
でありそれが人間に残された唯一の希望なのだと。
このサイトでリンクしている京大の小出先生は5月23日
参議院の行政監視委員会で原子力行政に対して
高速増殖炉もんじゅの計画の見直しなどを提言された際に
ガンジーの七つの社会的罪に言及された。即ち
「理念なき政治。労働なき富。良心なき快楽。人格なき知識。
道徳なき商業。人間性なき科学。献身なき崇拝」
今回の原発の事故は、まさに政治や大企業がこういう全ての理想を
捨てて拝金主義の暴走を続けた結果引き起こしたものだ。
そして彼らは自分たちが極力痛みを負うことなく
すべてのツケを税金や電気料
長期的には社会福祉や年金の縮小
被爆による健康や生命の不安という様々な形で最後は
国民の一人一人に負わせようとしているような気がするのだ。
*このサイトでリンクしている福島原発の現状に東電の福島原発
ふくいちライブカメラが追加されています。