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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

家族とは何か

2010-02-03 16:16:29 | 依存症
私はもともとテレビにあまり興味がない。
家にひとりで居る時はほとんどテレビをつけず
パソコンで音楽を流しながら家事をやる。

ダンナが帰ってきて食事をする間は
たいていスポーツ番組で
9時くらいからニュースに変わる。
前にも書いたがバラエティーやお笑い番組は
出演者の異常なテンションの高さと早口なしゃべり
絶え間のない笑い声が精神的にものすごく負荷がかかり
しばらく見ていると気分が悪くなるので
そこは状況を説明して避けてもらっている。
(スポーツ番組の歓声もそこそこ疲れるが
そこはお互い様で私が辛抱している)

この二、三日、単身者の孤独死の特集をあちこちで見た。
死んでもお骨の引取りを拒否され
無縁墓地に送られるという。
宅急便の送り状の品名は「陶器」と書かれていた。
どこかに家族や親類はいるのだろうが
死後に骨さえ引き取ってもらえない人生。
ホームレスの人の特集を見ていても思うのだが
家族のために一生懸命働いてきた人間が
仕事を失ったからといって家族の許へ帰れない
ということは考えにくい。

帰れないのには帰れないわけがある…のではないか。
しかし彼らが一人で生きていかなければならなくなった
本当の理由が語られるれることはまずない。
もちろん事業や商売に失敗して借金に追われ
家族に迷惑をかけないために
離婚してホームレスになる道を選択したという話も聞く。
しかしやはりギャンブルなど遊興で多額の借金を作り
家族の誰からも縁を切られたケースも多いのではないか。

依存者には十年後、二十年後というような未来を
シュミレーションするような能力はない。
そういうニュースを見ているダンナに
もしかしたらあれは将来の自分の姿だということが
どこまでわかっているのか。
こどもたちには「お母さんが出来る限りのことは全部やったのだから
それで駄目ならあんたたちがお父さんの面倒を見たりする必要はない」と
きっぱり言っている。
将来的にこどもに助けてもらえるような人間関係でありたければ
きちんとそれなりの努力をする、人間としてそれは当たり前のことなのだ。

血がつながっているから親子で
こどもは親の世話をして当たり前というような理屈は通らない。
お互いに相手のことを考えて行動する
そういう時間の積み重ねの中でしか
相手のことを思いやるという関係は生まれないのだと私は考える。


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