先々週、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんが旅立たれました。
乳がんが進行して、ステージ4の告知を受け
闘病されながら、愛する家族への思いを切々とブログにつづられたことで
多くの人たちの同情と共感を集められました。
若くして、幼いお子様たちを残して亡くなられたことは
どれほどか無念であったろうと、心からのお悔みを申し上げます。
私も麻央さんのブログは何度か拝見しました。
私自身は、あまり病気のことをていねいに書いてはいませんが
ブログ村の「乳がんステージ3・4」のカテゴリーには参加して
他に、全部のステージの方の「乳がん」のカテゴリーもありますから
たくさんの、乳がんで闘病中の方のブログを読ませていただいています。
麻央さんの病状や、亡くなられるまでの経過が
ブログを通じて、マスコミに取り上げられ
とても大々的に、そして詳細に繰り返し報道されたことで
「ああ、乳がんのステージ4ってこうなんだ」と
たくさんの人たちが思われたのではないかと思います。
けれど、自分が実際に乳がんになり、同病の方のブログを読むと
ステージ4の乳がんでも、病気の経過も、治療の方法も、日常の生活も
まさにケースバイケースで、同じという人はほとんどおられません。
抗がん剤治療を受けて、副作用に対応しながら
可能な範囲で、家事をやり
幼稚園児から高校、あるいは大学生までの子供さんの世話を
されている方もおられるし、お仕事をされている方もいる
自分の目標である、何かの活動や趣味を続けておられる方もあります。
そして、そういう方たちの闘病ブログは
日常の暮らしの話題と同時に
どういう検査をして、その結果がどうだったか
どういうお薬を使って治療していて、その副作用や効果はどうなのか
治療やお薬について、主治医の先生とどういうお話をしたか
などがとても丁寧につづられているものが多く
もしもですが、自分や家族が乳がんになった時に
どういう治療を受ければよいのか、また受けたいと思うかを
考えたり、決めたりするのに、とても有用なものが多いと思えます。
ですから、私は、小林麻央さんのブログも
そういう、たくさんの、乳がんで闘病をされている方たちの
ブログのひとつとして受け止めていました。
麻央さんの病歴が、ステージ4のすべてではありません。
初発で、ステージ4と診断されても、5年を超えて
6年7年、中には十年近く闘病されている方もおられます。
もしも、小林麻央さんのブログをきっかけに
乳がんに関心を持たれたり、乳がんについて知りたいという方が
おられましたら、何かの折に
そうした多くの闘病ブログに触れていただけたらと思います。
ブログに綴られているのは、ひとつひとつが貴重な実体験です。
何年も前から、乳がんの闘病ブログを書かれている方はたくさんおられ
自分で熱心に専門的な知識を収集されて発信されたり
新しい薬や治療にチャレンジされている方もあります。
無名の人が書いたから意味がない
価値がないというようなことはまったくありません。
麻央さんのブログに光があたったことを機に
こうした多くの闘病ブログも
取り上げられるといいなと思います。
そういう先ゆく人の経験談を知ることで
万が一、自分や家族が乳がんになった時に
現代の医学で可能な治療の現実をリアルに知ることができて
どうすべきなのか、あるいはどうしたいのかといった判断に
生かすことができるのではないかと思えるからです。
私自身は、ステージ4は治らないということを理解したので
経済的な面と、なにより一日でも長く
普通に生活をしたいという思いで
ホルモン剤治療プラス緩和ケアという選択をして現在に至っていますが
20代30代の若い方に発症する乳がんと
私のように、閉経した後で発症する乳がんとでは
ホルモンの働き方などがかなり違いますから
もっと個別に対応できる治療法などの研究が進むといいなと思っています。
などともっともらしいことを考えつつも
先日読んだ、高村薫さんの「土の記」にあった
「(人間は)生きている間は生きるだけのことだろうに」という一文を
これからの座右の銘にしようかなと企んでいます。
23年前「だからって、捨てるところもないのが人生だ。
どこかへ、自分を引きずっていかなきゃならないんだ」(黄金を抱いて翔べ)
という言葉に死ぬほど感動して、この言葉をなぞるように生きてきました。
その高村さんが今おられる場所が「土の記」の地点なら
アイルランドのアルスターに降りしきる春の雨(リヴィエラを撃て)から
奈良の大宇陀の山間に降る驟雨(土の記)まで
高村薫という小説家の思考の過程に寄り添ってきた一読者としては
「生きている間は生きるだけ」という言葉は
やはり、今の私には、まさにこれ以外にはないと思える
なんともどんぴしゃの境地ではあったわけです。
乳がんが進行して、ステージ4の告知を受け
闘病されながら、愛する家族への思いを切々とブログにつづられたことで
多くの人たちの同情と共感を集められました。
若くして、幼いお子様たちを残して亡くなられたことは
どれほどか無念であったろうと、心からのお悔みを申し上げます。
私も麻央さんのブログは何度か拝見しました。
私自身は、あまり病気のことをていねいに書いてはいませんが
ブログ村の「乳がんステージ3・4」のカテゴリーには参加して
他に、全部のステージの方の「乳がん」のカテゴリーもありますから
たくさんの、乳がんで闘病中の方のブログを読ませていただいています。
麻央さんの病状や、亡くなられるまでの経過が
ブログを通じて、マスコミに取り上げられ
とても大々的に、そして詳細に繰り返し報道されたことで
「ああ、乳がんのステージ4ってこうなんだ」と
たくさんの人たちが思われたのではないかと思います。
けれど、自分が実際に乳がんになり、同病の方のブログを読むと
ステージ4の乳がんでも、病気の経過も、治療の方法も、日常の生活も
まさにケースバイケースで、同じという人はほとんどおられません。
抗がん剤治療を受けて、副作用に対応しながら
可能な範囲で、家事をやり
幼稚園児から高校、あるいは大学生までの子供さんの世話を
されている方もおられるし、お仕事をされている方もいる
自分の目標である、何かの活動や趣味を続けておられる方もあります。
そして、そういう方たちの闘病ブログは
日常の暮らしの話題と同時に
どういう検査をして、その結果がどうだったか
どういうお薬を使って治療していて、その副作用や効果はどうなのか
治療やお薬について、主治医の先生とどういうお話をしたか
などがとても丁寧につづられているものが多く
もしもですが、自分や家族が乳がんになった時に
どういう治療を受ければよいのか、また受けたいと思うかを
考えたり、決めたりするのに、とても有用なものが多いと思えます。
ですから、私は、小林麻央さんのブログも
そういう、たくさんの、乳がんで闘病をされている方たちの
ブログのひとつとして受け止めていました。
麻央さんの病歴が、ステージ4のすべてではありません。
初発で、ステージ4と診断されても、5年を超えて
6年7年、中には十年近く闘病されている方もおられます。
もしも、小林麻央さんのブログをきっかけに
乳がんに関心を持たれたり、乳がんについて知りたいという方が
おられましたら、何かの折に
そうした多くの闘病ブログに触れていただけたらと思います。
ブログに綴られているのは、ひとつひとつが貴重な実体験です。
何年も前から、乳がんの闘病ブログを書かれている方はたくさんおられ
自分で熱心に専門的な知識を収集されて発信されたり
新しい薬や治療にチャレンジされている方もあります。
無名の人が書いたから意味がない
価値がないというようなことはまったくありません。
麻央さんのブログに光があたったことを機に
こうした多くの闘病ブログも
取り上げられるといいなと思います。
そういう先ゆく人の経験談を知ることで
万が一、自分や家族が乳がんになった時に
現代の医学で可能な治療の現実をリアルに知ることができて
どうすべきなのか、あるいはどうしたいのかといった判断に
生かすことができるのではないかと思えるからです。
私自身は、ステージ4は治らないということを理解したので
経済的な面と、なにより一日でも長く
普通に生活をしたいという思いで
ホルモン剤治療プラス緩和ケアという選択をして現在に至っていますが
20代30代の若い方に発症する乳がんと
私のように、閉経した後で発症する乳がんとでは
ホルモンの働き方などがかなり違いますから
もっと個別に対応できる治療法などの研究が進むといいなと思っています。
などともっともらしいことを考えつつも
先日読んだ、高村薫さんの「土の記」にあった
「(人間は)生きている間は生きるだけのことだろうに」という一文を
これからの座右の銘にしようかなと企んでいます。
23年前「だからって、捨てるところもないのが人生だ。
どこかへ、自分を引きずっていかなきゃならないんだ」(黄金を抱いて翔べ)
という言葉に死ぬほど感動して、この言葉をなぞるように生きてきました。
その高村さんが今おられる場所が「土の記」の地点なら
アイルランドのアルスターに降りしきる春の雨(リヴィエラを撃て)から
奈良の大宇陀の山間に降る驟雨(土の記)まで
高村薫という小説家の思考の過程に寄り添ってきた一読者としては
「生きている間は生きるだけ」という言葉は
やはり、今の私には、まさにこれ以外にはないと思える
なんともどんぴしゃの境地ではあったわけです。
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