goo blog サービス終了のお知らせ 

癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

人間にできることとできないこと

2017-07-14 15:17:19 | 社会・生活
乳がんを告知された年の秋に
宮崎、熊本、そして福岡にいる子育て仲間4人で、原鶴温泉に行き
その時、朝倉の三連水車と周辺にある野菜や果物の直売所などを観光しました。
静かで、のどかで、実り豊かな朝倉の里。

先週、その朝倉市や東峰村、大分の日田市などを
記録的な豪雨が襲い、たくさんの人が亡くなられ、甚大な被害が出ました。
現在も、気温が35度を超える猛暑の中
避難生活を余儀なくされておられる方が多数おられ
心からお見舞いを申し上げます。

病気になるまでの15年間、露天の八百屋さんで働いていました。
一日に9時間近く戸外にいるので
天気の変わり方には嫌でも敏感になります。
ほとんどの商品を外に置いているので
特に雨には神経質にならざるをえません。

パラパラと降り始めたら、雨に濡らせない商品、切り花とか果物
袋詰めにしたじゃがいもとか玉ねぎなんかを
全力で、雨がかからないところに避難させなければなりません。
野菜や果物の入った段ボール箱も、濡らすと底が抜けますから
もう一人のパートさんと二人で
10キロ、20キロの箱を抱えて
何度も全力疾走するという、はたから見たら
ドタバタコントみたいな仕事でした。

そんな何ともアナログな仕事をしていた私が
気候の変化に気づいたのは、仕事を辞める7、8年前です。
「雨の降り方がなんか違う」というのが初めでした。
曇って、うだるような蒸し暑さが続いたと思うと
いきなり真っ黒い雲がわいて、ひやりとする風が吹きます。
するとほんの数分で、空の底が抜けたような
滝のような雨が降り出しました。

昔ながらの夕立だと、黒い雲がわいているほうを見て
あとどれくらいで降り出すか予測が立てられるのですが
この予測不能の雨には、何度も泣かされました。
商品だけでなく、避難する間に自分も全身ずぶぬれで
帰り道に、ぽたぽた雨を垂らしながらスーパーで買い物してると
なんとも悲しい気持ちになったものです。

その頃から「ゲリラ豪雨」という言葉が
天気予報にも登場するようになりました。
雨と同様に風の吹き方も変わりました。
これまた予測不能の突風が吹くようになりました。
直射日光に当てられない野菜や果物も多いので
簡易テントを3台建てていたのですが
重りをつけていても、テントが持っていかれるような
強風が吹くようにもなって、テントが飛ぶと危険なので
おかしな風が吹いたら、テントも即撤収。
最後の数年は、そんな具合で、なんともせわしない状況でした。

仕事の話は、過ぎてしまえば笑い話でもすみますが
こういう不可逆な天候の変化、気温の変化が
今回のような大きな災害の原因になっているのは間違いないようです。
人間の力、科学の力、どんなテクノロジーを駆使しても
人間にはできないことがまだまだとてもたくさんあると思います。
それは、依存症のような脳のメカニズムに関わる話でも
癌のような、完璧な治療法がみつかっていない病気も同じです。

そうしたことを、不可抗力だと言ってしまうのは簡単ですが
もしもその一因が、人間のやっていることにあるとしたら
やれオリンピックだ、経済成長だと
お金儲けだけを目指して、前のめりに爆走するよりも以前に
人間にできること、できないことは何なのか
やらなければいけないこと、やらないほうがいいことは何なのかを
そろそろ少し落ち着いて、じっくり考えなければいけない
そういう時期に来ているのではないかと思います。

ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村


乳がんステージ4

2017-07-02 16:28:01 | 癌のこと
先々週、市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんが旅立たれました。
乳がんが進行して、ステージ4の告知を受け
闘病されながら、愛する家族への思いを切々とブログにつづられたことで
多くの人たちの同情と共感を集められました。
若くして、幼いお子様たちを残して亡くなられたことは
どれほどか無念であったろうと、心からのお悔みを申し上げます。

私も麻央さんのブログは何度か拝見しました。
私自身は、あまり病気のことをていねいに書いてはいませんが
ブログ村の「乳がんステージ3・4」のカテゴリーには参加して
他に、全部のステージの方の「乳がん」のカテゴリーもありますから
たくさんの、乳がんで闘病中の方のブログを読ませていただいています。

麻央さんの病状や、亡くなられるまでの経過が
ブログを通じて、マスコミに取り上げられ
とても大々的に、そして詳細に繰り返し報道されたことで
「ああ、乳がんのステージ4ってこうなんだ」と
たくさんの人たちが思われたのではないかと思います。

けれど、自分が実際に乳がんになり、同病の方のブログを読むと
ステージ4の乳がんでも、病気の経過も、治療の方法も、日常の生活も
まさにケースバイケースで、同じという人はほとんどおられません。
抗がん剤治療を受けて、副作用に対応しながら
可能な範囲で、家事をやり
幼稚園児から高校、あるいは大学生までの子供さんの世話を
されている方もおられるし、お仕事をされている方もいる
自分の目標である、何かの活動や趣味を続けておられる方もあります。

そして、そういう方たちの闘病ブログは
日常の暮らしの話題と同時に
どういう検査をして、その結果がどうだったか
どういうお薬を使って治療していて、その副作用や効果はどうなのか
治療やお薬について、主治医の先生とどういうお話をしたか
などがとても丁寧につづられているものが多く
もしもですが、自分や家族が乳がんになった時に
どういう治療を受ければよいのか、また受けたいと思うかを
考えたり、決めたりするのに、とても有用なものが多いと思えます。

ですから、私は、小林麻央さんのブログも
そういう、たくさんの、乳がんで闘病をされている方たちの
ブログのひとつとして受け止めていました。
麻央さんの病歴が、ステージ4のすべてではありません。
初発で、ステージ4と診断されても、5年を超えて
6年7年、中には十年近く闘病されている方もおられます。

もしも、小林麻央さんのブログをきっかけに
乳がんに関心を持たれたり、乳がんについて知りたいという方が
おられましたら、何かの折に
そうした多くの闘病ブログに触れていただけたらと思います。
ブログに綴られているのは、ひとつひとつが貴重な実体験です。
何年も前から、乳がんの闘病ブログを書かれている方はたくさんおられ
自分で熱心に専門的な知識を収集されて発信されたり
新しい薬や治療にチャレンジされている方もあります。
無名の人が書いたから意味がない
価値がないというようなことはまったくありません。
麻央さんのブログに光があたったことを機に
こうした多くの闘病ブログも
取り上げられるといいなと思います。

そういう先ゆく人の経験談を知ることで
万が一、自分や家族が乳がんになった時に
現代の医学で可能な治療の現実をリアルに知ることができて
どうすべきなのか、あるいはどうしたいのかといった判断に
生かすことができるのではないかと思えるからです。

私自身は、ステージ4は治らないということを理解したので
経済的な面と、なにより一日でも長く
普通に生活をしたいという思いで
ホルモン剤治療プラス緩和ケアという選択をして現在に至っていますが
20代30代の若い方に発症する乳がんと
私のように、閉経した後で発症する乳がんとでは
ホルモンの働き方などがかなり違いますから
もっと個別に対応できる治療法などの研究が進むといいなと思っています。

などともっともらしいことを考えつつも
先日読んだ、高村薫さんの「土の記」にあった
「(人間は)生きている間は生きるだけのことだろうに」という一文を
これからの座右の銘にしようかなと企んでいます。

23年前「だからって、捨てるところもないのが人生だ。
どこかへ、自分を引きずっていかなきゃならないんだ」(黄金を抱いて翔べ)
という言葉に死ぬほど感動して、この言葉をなぞるように生きてきました。

その高村さんが今おられる場所が「土の記」の地点なら
アイルランドのアルスターに降りしきる春の雨(リヴィエラを撃て)から
奈良の大宇陀の山間に降る驟雨(土の記)まで
高村薫という小説家の思考の過程に寄り添ってきた一読者としては
「生きている間は生きるだけ」という言葉は
やはり、今の私には、まさにこれ以外にはないと思える
なんともどんぴしゃの境地ではあったわけです。


ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村


「土の記」を読んで

2017-06-23 15:33:10 | 社会・生活
先日購入した高村薫さんの「土の記」を読了した。
実は、この作品の前の前に出版された「四人組がいた。」を読んだ時に
「ついに高村さんは、今の社会や世相に匙を投げたんじゃないか。
もう新しい作品は、書かないんじゃないか」と、心の底から心配していた。

かつて「神の火」で、チェルノブイリの事故を踏まえて
逆説的な形で、原発の是非を問うたり
「レディ・ジョーカー」から
「晴子情歌」に始まる「福澤三部作」や「冷血」で
現代の政治、企業活動、恋愛、宗教、家族、犯罪と
書き手も読み手も、脳のシナプスがショートするくらい
幾千幾万の言葉を積み上げ、組み上げて
世の中に「人間とは何か」を問うてこられた高村薫さんの忍耐も
「太陽を曳く馬」のあたりで
そろそろつき始めているのではないかという予感があったからだ。

そして東日本大震災のあとに書かれたのが
初のユーモア小説と銘うった「四人組がいた。」と「空海」だった。
初期の作品にはしばしばキリスト教に関わる表現があったのが
「新リア王」以降は、仏教に対する親和性が感じられるようになって
その当たりが高村さんの到達点になるのだろうかと思っていたが
どうもそうではないようだ。

「土の記」は、奈良の大宇陀という山奥の集落に暮らす、72才の伊佐夫の物語。
タイトルも地味だけれども、舞台も登場人物も
そこで起こる事件も地味なことこの上ない。
けれども、こういう小説を世に出してくれる出版社がまだあることが嬉しい。

伊佐夫は、もとはシャープの社員だったが
大宇陀の旧家の婿養子になり
16年前に交通事故で植物状態になった妻を介護しながら
今は妻が担ってきた農家の仕事を継いで、日々を送っている。

野生の茶の木を育てて茶畑を作り
「伊佐夫さんのコメ作りは理科の実験」と言われるような独自のやり方で稲を作り
親戚や近所と付き合う日常の中で
多少認知症も出始めているのか、過去と現在の境界があいまいになっている。
「昭代(妻)のオムツを替えなければ」と思う端から
「そうか、昭代は年の初めに死んだのだ」という具合に。

精密に、詳細に描かれる大宇陀の自然、農業の手順
風や雨の音、蛙の声、珍しい植物の姿や名前。
そして東日本大震災が起き、その振動は遠く離れた奈良の地にも伝わる。

「どれだけの数に上るのか分からない死者たちが
一夜のうちに生き残った者の世界を一気に組み換え
一本の草もただの草ではなく、土も土ではなく、空も空ではない
三・五次元の位相が現れたのかもしれない」

本当にその通りだと思った。
あの時、私たちが向き合ったのは、自分たちがほとんど経験しなかった
むき出しの生と死の姿だった。
植物も動物も人も、命ある者は皆生きていて
けれどその生の裏側に、死は逃れられない真理として張り付いている。
生ある者の死を、自然の摂理として
それほど恐怖を感じずに受け入れられるようになるのは
60年、70年生きてきたからこそで
多くの、命ある者にとって、死はどこまでも残酷で理不尽なものだ。

それでも、老いるということは
そういう生と死の境界が、次第にあいまいになっていくということでもある。
伊佐夫の回りでも、妻の昭代が死に、実の兄が死に
妻をダンプではねた男が死に、昭代の妹の夫が死に、と何人もの人が死ぬ。
その中で、伊佐夫は次第に、生者と死者、さらには遠い昔の先祖の霊に至るまでが
混在する、現実と非現実の入り混じった世界に生きるようになっていく。

どんな山奥の暮らしであれ
それなりに、浮いたり沈んだりのある人間の日常ではあるのだが
「土の記」は、そうした世俗の諸々をきっちりと描きつつも
どこか夢幻的でとても美しい。
実はこの小説は、会話文に一つもかぎかっこが用いられていないのだが
そのことが、まるで古典文学を読んでいるような
不思議な心持ちにさせてくれるのだ。
自然と人間、過去と現在、そして生者と死者の全てを包み込んで
静寂の中に存在する、一種の宗教的とも言える
広範な奥行きを感じさせる、とても心地よい世界。

しかしながら、こういう生と死と、あらゆるものが混然となった世界を
語ることができるのは、やはりそろそろお迎えが来そうな年齢になればこそで
それを読んで心から感動できるというのもまた
自分がボーダーラインに近づいているからこそなのだろうと思う。

この本を読んだあとに、珍しくしみじみとダンナに
「私ね。あなたと二人で、毎日こんなに穏やかに暮らしていられるのは
やっぱりがんになったからだと思う。もしもがんになってなかったら
あれだけ散々いろんなことがあって、子供たちもルナもいなくなって
ここまで穏やかに暮らすのは難しかったかもね」と言ってみました。
死と向き合うことで、見えてくるものもあるというのは
私の今の実感でもあるからです。
その真意がどこまでダンナに伝わったかはわかりません(笑)
でも、生きているうちに、またこういう本に出会えて本当によかったと思います。



ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村



天神でランチ そして通院日

2017-06-14 10:17:18 | 癌のこと
久しぶりに、子育て仲間の友達から電話があって
天神でランチすることに。
熊本と宮崎の友達は、わざわざ来てもらうのは大変なので
彼女たちが、福岡に来る予定がある時に
私たちが合流するのが一番無理がないということで、今回は二人で。

彼女は長い間天神で働いていた人なので、いやぁ、よく知ってるわ。
天神に行っても、喫煙できるし安いので
サイゼリアとか、スタバ、ドトールばっかりリピートしてた私とは大違い。
なので、完全におまかせで
彼女がチョイスしてくれた、西通りの無〇良品の中のカフェ。
お野菜たっぷりの、お腹に優しい、とってもおいしいランチでした。

二人でもおしゃべりしてると、すぐに2、3時間が過ぎ
彼女と別れて、ジュンク堂へ。
しばらく買うのを我慢していた、高村薫さんの「土の記」をゲットして
久しぶりの天神を満喫して、ルンルンで、帰宅しました。

前にも書きましたが、私以外の3人は、みんな親の介護を抱えています。
昔は、子育てが終わったら、のんびり自分の時間が持てると思ってたのが
現実は、全然そんなふうにはなりません。
年々楽になるどころか、親御さんに認知症などが出てくると
反対に、年々ちょっと遠出するのも難しくなりますから、本当に大変です。
そういう意味では楽をしている私が言うと、怒られそうですが。

そして昨日は通院日でした。今回もダンナ同伴。
腰と腸が落ち着いたと思ったら、背中に痛みが出ました。
昼間起きて動いている時は、ほとんど感じないのですが
夜寝た体勢になると、背中に押し付けるような鈍痛があって
寝返りする時や、トイレに立つ時は「うううぅぅ~」という感じでした。

それでも眠れないわけではないし、昼間は痛くないので
通院日を待って、先生に相談。
ギックリ腰でMRIをとった時に、明確な骨転移はなかったようなのですが
怪しいところがあるとは言われたので
「やっぱり骨転移でしょうか」とお聞きしたら「多分そうでしょうね」と。

で、ワントラムに追加して、タペンタという、わりと新しい麻薬性鎮痛剤を
処方していただきました。
夕べそれを飲んだら、いやぁ、本当に効くものなんですね。
痛み方が、なんとも微妙な痛みだったので半信半疑でしたが
7割がた痛みがなくなり、夕べは久しぶりに、すごく楽に寝ることができました。
やっぱり現代医学ってすごいと、少し見直してしまいました。(コラッ)

主治医の先生は、緩和ケアについてはプロってる感じで
どのお薬も最初は少量から、飲む回数が増えたら、お薬を変更されますが
絶対にこの量をこの回数飲んでくださいということではなく
痛み止めなんかは、自分の体の感じに合わせて調節していいと言われます。
だから「これとこれは、まだお薬が残ってます」というと
「ああ、じゃあ今月はそれはパスしましょう。
また無くなったら言ってくださいね」と。
今回痛み止めを追加したので、頓服のトラマールや
ロキソニンは飲んでも飲まなくてもいいですよということでした。

なので、今朝は朝バナナを一本食べて、ロキソニンと胃薬、酸化マグネシウムを飲み
昼ご飯の後に飲んでいたロキソニンはパスしてみようと思います。
それで夕方痛みが出ないようなら
夜ご飯を食べたあとに、ワントラムとタペンタ、それとホルモン剤のフェマーラで
これで大丈夫そうなら、しばらくこんな感じで行ってみようかなと思います。

血液検査の結果は、若干の変動があって
腫瘍マーカーのCEAが 6.6(0-5)
       CA15-3 97.8(<25.0)
マーカー値も、患部の広がり方や肝臓の腫瘍の増大、体のだるさとかに
おおむねリンクしていて
当然のことながら、そしてとてもゆっくり進行しているのだろうと思います。
けれど、取りあえずは、子供たちに手伝ってもらったりしなくても
何とか家のことはやれているので、これ以上を望むのは欲張りだと思いますし
いけるところまでこれでいいのではないかと思っています。



ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村



依存症と末期がん

2017-06-08 10:43:24 | ギャンブル依存症
ギャンブル依存症対策については
国の方針がこうと決まるまでは
何を言っても、推測の域を出ないのではありますが。

ただこれまで、ギャンブル依存症者や家族の回復は
長い間、ジャパンマックやGAやギヤマノンといった
12ステッププログラムに沿った回復施設や自助グループ
あるいはアルコール依存症の治療の実績がある
数少ない医療機関が担ってきました。


精神福祉センターや保健所に相談しても、そうした医療機関を紹介されるか
本人だったら「GAに行ってください」家族であれば「ギヤマノンへ」と
ほぼ丸投げされていたのが現実でした。
そして自助グループでは「ギャンブルをやめる」ことが大前提です。

国のギャンブル依存症対策の指針がどのようなものになるにせよ
これまで自助グループで回復に取り組んでこられた、本人や家族の人たち
セミナーなどでギャンブル依存症の回復について学んでこられた
援助職の人たちにとって、「ギャンブル依存症は自然治癒もある病気です。
必ずしもギャンブルを止めなくてもいいですよ」という
晴天の霹靂みたいな話が出てくると
とても困惑されるだろうし、混乱もされるのではないかと
いやホント、余計なおせっかいだということは百も承知で
「ギャンブル依存症について、こういう最新の学説
治療法が登場しています」という
情報を発信してみたわけです。

十年前の私が、このニュースを聞いたら
「こんなの絶対業者と医療界と厚労省の癒着だ!」と
頭から火を噴いていたかもしれません。
それが、今では「この話の根拠はなんなのか」を冷静に、客観的に
調べたり考えたりできるようになったので
ずいぶん大人にもなったし、丸くもなったと自画自賛しています。(嘘です)

この変化の根底には、自分ががんという病気になったことも大きく影響しています。
依存症もがんも、科学的なメカニズムは
まだ完全には解明されていません。
だから、がんであれば、新しい学説がでてきたら
新しい治療法やお薬が開発されて、実用化されますが
ステージ4の末期がんが治るというような治療は、まだほとんどありません。

ですから、あとは自分自身の選択になります。
エビデンスに基づいた標準治療
お金に糸目をつけなければ、最新の治療や新薬やオンコロジー
少量の抗がん剤治療や休眠療法
緩和ケアでの疼痛コントロールや放置療法に至るまで
どの治療が可能か、どういう治療を受けたいかを自分で決めるわけです。

依存症も同じで、特にギャンブル依存症の場合は
医学的な対処法(投薬、注射、化学療法など)がないことは
前出の河本先生も明言されているところで
心理学的アプローチでのいくつかの選択肢がある中から
自分はこの方法で回復しようと決めて回復に取り組むことが最善です。
ですから、たとえ最新の学説であっても
それも選択肢の一つととらえるほうが良いのではないかと思います。

ギャンブル依存症の勉強を始めた頃には
回復するためには、自助グループのミーティングに参加して
12ステッププログラムを実践することで
ギャンブルを止め続け、ギャンブルに依存しない生き方を見出す
それが唯一の正解だと思っていましたから
このブログでも、以前の記事ではそんなふうに書いています。

その後認知行動療法などの精神医療的なアプローチもあり
早期であれば、動機づけ面接なども有効
横浜のワンデーポートのような、独自のカリキュラムに基づく回復施設など
必ずしも12ステッププログラムによらない回復があることも知りました。
ですから、最近は、自分が心の底から回復したいと望むなら
どのやり方でも回復の可能性はあるのではないかと考えています。

けれど私にとって、依存症やその治療について学んだことや
12ステッププログラムとの出会い

例えば、ハンドブックの表紙に書かれた「ニーバーの祈り」の

「神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを
受け入れる落ち着きを!」という言葉や
「今日一日」という考え方は
生きていく上でも、がんと向き合う時にも
とても大きな意味を持ちました。

ですから、こうした従来からの考え方とは180度違う考え方が
「新しい学説」として出てきたとしても
そのために、これまでの考え方ややり方が否定されるべきではないし
どの方法でも回復の可能性はあるという
ゆるやかな認識が広がってくれたらいいなというふうに思っています。


ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村