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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

ゴジラ考

2016-10-08 11:35:46 | 社会・生活
夏に「シン・ゴジラ」を観て
映画の感想を書こうと思ったのだけど
映画好きさんの間では「ゴジラ」第1作(昭和29年)を観ずして
ゴジラを語るなかれ、みたいな空気がありました。
それではということで、おりしも「ゴジラ全作品DVDコレクション」が発売されて
初号が「ゴジラ」(昭和29年)で、しかも初号のみ大特価の890円
というので、買い込んでしまいました。
(「シン・ゴジラ」についての感想は映画ブログに書きましたが
あちらでは書き足りないことがあったので、改めてこっちに書くことにしました)

昭和29年といえば、私が生まれる1年前。
戦争が終わって、日本が復興に向けて歩き出した時期ですが
戦争の記憶は、まだほとんどの人の中に鮮明に残っていた
そういう時期に作られたこの「ゴジラ」は、水爆実験の落とし子で
人間が抗うことができない、圧倒的な暴力と破壊の象徴として描かれました。

今回の「シン・ゴジラ」は、この1作目の「ゴジラ」へのオマージュで
かつての戦争の脅威が、3.11の、震災と津波、原発事故の恐怖に置き換えられて
そういう極限の事態に、政治は、人間はどう向き合うかが描かれ
それでも日本は、日本人は復活する、不死鳥のようによみがえるという
「スクラップアンドビルド」で、締めくくられました。

けれど映画館で「シン・ゴジラ」を観ていて、私が感じた違和感は
「これは、子どもが観て面白いと思えるゴジラじゃないな」ということでした。
子どもの頃、私が映画館で観たのは「キングコング対ゴジラ」
「モスラ」そして「三大怪獣最大の決戦」です。
「三大怪獣最大の決戦」では、ずっと悪役だったゴジラが
宇宙からやってきた凶悪怪獣キングギドラと戦うために
モスラに説得されて、ラドンと一緒にキングギドラをやっつけるという
大人になって観ると、なかなかシュールで笑える展開ですが
なぜか正義の側になって、顔も少し優しいというか、おもろい顔になっています。
この映画でのゴジラは、ひたすら岩を抱え上げて、キングギドラにぶつけるという
筋肉バカみたいなキャラでしたが、私はこのゴジラが一番好きでした。

今思えば、昭和30年以降、日本は急速に復興が進んで
社会のムードもどんどん明るく、活気のあるものになっていく中で
怪獣映画は、ファミリー向けの娯楽映画の路線になっていました。
そして、そもそもこの時期怪獣映画が隆盛を極めた背景には
昭和28年から放送が開始されたテレビの電波に乗って
当時の子どもたちに大人気になった特撮ドラマの
ウルトラシリーズの存在がありました。

身近に小さな子どもがいないので、今の子どもたちにとって
ウルトラマンはどうなのか分かりませんでしたが
このところ長男のところの4才の孫を
熱を出したとかで、毎月1回くらいのペースで預かる羽目になりました。
この子が今まさに「ウルトラマン命」で
バックにウルトラマンや怪獣を何体も入れてやってきます。
ケーブルのオンデマンドで、昔のウルトラマンの映画やドラマをつけてやると
一生懸命観ながら、持ってきたおもちゃで真似をしています。
そばで見ていて、すっかりうれしくなりました。

アメリカでは「スーパーマン」や「バットマン」などのヒーロー文化が主流ですが
「ウルトラマン」に代表される、ユニークでデザイン性も高い
怪獣文化は日本が発祥で、日本で育まれ、ゴジラはその代表格です。
「ゴジラ」はアメリカでも映画化されましたが
アメリカ人というのは、変なところに生真面目で融通がきかないのか
「(日本のゴジラの)あの体型で、二足歩行はありえない」と
出来あがったゴジラは、巨大なイグアナというかトカゲというか
怪獣というより、恐竜に近い造形でした。
これに怒った東宝が、日本のゴジラ復活の悲願に燃えて作ったのが
今回の「シン・ゴジラ」だという説もありますが、真偽のほどはいかに。

日本だけでも28作も作られたゴジラ映画の中では
ゴジラもお茶目になったり、凶悪になったり、何度も変遷しています。
けれど、今回の「シン・ゴジラ」では、主役はあくまでも人間で
人間中心にすべてが進んでいきました。
小さい子どもが観て、単純に「ゴジラすげぇ」と驚嘆するような
場面がほとんどありませんでした。
日本が誇る怪獣文化を、次世代に継承できる要素
最近よく聞く、いわゆるレガシーがあまりにも
少なかったことが、私としてはとても残念でした。
それくらい、ゴジラ映画である必然性が感じられなかったのです。

過去のゴジラになんの思い入れもなく
単純に怪獣が出てくるパニック映画として「シン・ゴジラ」を観た人や
監督が「エヴァンゲリオン」の庵野監督だったので
「エヴァ」や庵野監督の作品が好きな方には
違和感なく受け入れられたようですが。

ぶっちゃけ、改めてゴジラ28作を全部しっかり観て
ゴジラをちゃんと研究してみたいと思わなくもないですが
こうして、やりたいことがどんどん増えていくと
結局すべてが中途半端で、とっちらかるのが
私の最大の欠点でもあります。
なので、家族が誰も真剣に聞いてくれない
現時点までの、ゴジラ観をつらつらと書いてみました。
書くことが最大のストレス解消という性質は相変わらずです。


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終わった~(嬉)

2016-10-02 15:59:16 | 社会・生活
春先に、今住んでいる市営住宅の組長をという話が来た。
50世帯と規模が小さいので、自治会長さんがおらず
居住者が、半年づつ持ち回りで組長をやる。

ここで終わらせておけば、次に順番がくるのは
7、8年後とかになるはずで、半年だったら何とかいけるだろうと引き受けた。
主な仕事は、回覧板を回すのや共益費の集金
団地の清掃の時の道具出しとか、消えた蛍光灯の交換
あとは町内会から要請がある会議や夏祭りへの参加。

私の病気のことは、お隣のとても親切な奥さんと
今回一緒に組長をした奥さんの、二人だけしかカミングアウトしていないけれど
今のところ日常生活は、ゴミ出しでもなんでも普通にやっているので
特に困ったこともなく、お盆の頃までは、無事にやりおおせた。
あとひと月ちょっとで終わると、ホッとしたのだが。

明日からお盆という日の午後のこと。
ダンナが夜勤明けで、昼間寝ていたので
「チャイムを鳴らさないでください」とメモを貼っていた。
にも関わらず、どんどんとドアを叩く音がして、いきなりチャイムが鳴った。
飛び上がって、外に出ると、見たこともないオッサンが。
「あの、主人が夜勤明けで、寝てるものですから」というと
そのオッサン「私も寝とらんと。ずっと起きとるんやけん」

オッサンが怒鳴る話をまとめてみると
どうやらこのオッサン、タクシーの運転手で
明け方仕事から帰ってくると、住宅の駐車場に暴走族がいるのだという。
住宅の駐輪場に放置されたバイクが何台かあって
それで暴走族がたむろしているに違いない。
このままでは、どんどん人数が増えて手がつけられなくなる
お前組長なんだから何とかしろ
夜中の2時、3時に、金属バットでも持って見回りしろと言わんばかりだった。
(いや、確かに組長やけど、私山口組の組長とかやないし by心の声)

まずは「とにかく今日にでも警察に行け」という。
「あのお盆なので、お盆が終わってから」と、ごにょごにょ言ったら
「あ~ん、警察に盆も正月もなかろうもん」と凄まれた。
私は、これ以上うつむけないくらい下を向いた状態で
頭をフル回転させていた。

<ヤバい。このオッサンは、絶対ヤバい。売り言葉に買い言葉で
こっちが言い返したりしたら、もし組長の当番が終わっても
この先事あるごとにイチャモンをつけてくるようなタイプだ。
何とかこのオッサンを、完全に撃退する方法はないか>

そこで、私の頭にひらめいたのが過呼吸。
私は過呼吸はないのだが、娘はストレスがかかると出ることがあって
お友達にも、過呼吸が持病という人がいる。
で、とっさに、胸を押さえ、自転車につかまろうとよろめいてみせた。
オッサンは慌てた。
「なんね。あんた、大丈夫ね」
肩を上下させながら、口をパクパクさせる私。
「あー、俺がなんかしたみたいやないね」
(したんだよ。お前がby心の声)
「あんた一人で、どうもならんやったら、呼びに来たらいつでも手伝うけん」
オッサンは、そう言い捨てると、そそくさと姿を消した。

二年前に引っ越した市営住宅は、終の棲家とは言っても
ダンナはともかく、私にとっては、5年後10年後も住んでいる可能性は低い。
だから残りの時間を、できる限り、トラブルを起こさず
なるべく誰の目にも止まらないで、ひっそりと暮らしていたい。
隣の奥さんにこの話をしたら(仮病使ったとこはふせました 笑)
あのオッサン夫婦は、以前から、何かと問題のある人たちだということだった。
よく分からないが、自分が抱えるうっぷんを
なるべく弱くて反論できなさそうな相手にぶつける、そういうタイプなのだろう。
イジメの加害者になる小中学生や、子どもを虐待する親的な。

翌日、もよりの交番のお巡りさんに来てもらい
暴走族のことや、放置バイクの話をすると
ヤンキーらしき子どもが、どの家の子か、お巡りさんは知っているようだった。
「何かあったら、すぐに110番してください」と言われて
そのやり取りを書いて、掲示板に貼りだした。
あれからオッサンは来ない。今度来たら倒れてやろうと思っている。

そして今日、校区の運動会の手伝いが最後の仕事だった。
運悪く、住宅の清掃草取りと、かちあってしまい
朝8時から掃除をして、その後小学校の運動場にお昼まで立っていた。
けれども、これで組長の仕事は、完全に終わった。
体が普通に動くうちに、終わらせておこうと思っていることが
ひとつづつ終わっていくのはよいことだ。

それでも、生きている限りは、何かしらやることはある。
今日一日、やらなければいけないこと、自分のためにできることややりたいこと
そして、たいして役には立たないけど
誰かのためになりそうなことがあるなら、それをやること。
もうあまり未来のことを考える必要はなくなったから
今日一日のことだけを考える、それでいいのだと思う。
<今日一日>それは、依存症から回復するための
唯一無二の、揺るがない真理でもある。

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ハードスケジュール

2016-09-25 10:40:01 | 社会・生活
20日は、娘から誘われていた映画「怒り」を観に行きました。
数年前に、娘に「悪人」の本を貸したら
吉田修一さんに激ハマリし「悪人」の映画も観て
二人で吉田修一さんの本を次々に読破しました。
そして一昨年の私の誕生祝いに「怒り」の上下卷を
新刊でプレゼントしてくれたので、これも回し読みしました。
珍しく娘と趣味が合う作家さんの一人なので、映画鑑賞も即決でした。

私が心酔する高村薫さんや伊藤計劃さんは
「ハーモニー」だったらいけるかなぁと貸してみましたが
「ごめん、これは無理みたい」と返品されました。
高村さんもダメでした。
それでもアニメ化された「屍者の帝国」や「ハーモニー」を
一緒に観にいってくれたのは、親孝行のつもりなんだと思います。

長男も、今野敏さんの警察小説なんかは親子で好みが合いますが
私のいち押しに関してはダメなようです。
映画や音楽も同様で、ぴったり趣味が合うということはほぼありませんが
部分的に共感できるというものはいくつかあります。
親子といい、夫婦といっても
一人ひとり違う人間ですから、それが当たり前で
それでいいのだと思います。

さらに22日から24日まで
ダンナが、一年に一度あるかないかの3連休。
実は7月にもホークス戦に行こうかという話が出ましたが
チケットが取れず「残念やけど、また今度ね」と言ってたら
いつの間にか、9月22日の日本ハム戦のチケットをゲットしていました。

ダンナは、喜怒哀楽というものをほぼ表面に出しません。
だから、何が楽しいのか、どのくらい楽しいと思ってるのか
40数年一緒に暮らしていますが、いまだにさっぱり分かりません。
でも、自分からチケットを買ったということは
ホークス戦観戦は、かなり楽しかったのでしょう。
ただ、何にしても、一人でも行くということはなく
もれなく私が一緒に行くと確信しているふしがあって
そこが、どうしても観たい映画やライブだったら
一人でひょいひょい出かけて行く私としては、不可解ではあります。

今回の日本ハム戦は、天下分け目の首位決戦ということで
負けはしましたが、かなり切迫した好試合でした。
ちなみに私は、森福投手、細川捕手、そして今年の前半大活躍だった
城所選手を応援しています。
ヒーローインタビューなどにはほとんど登場しない
縁の下の力持ちだったり、下積みの苦労人タイプが好きです。

そして、スポーツだけでなく、作家さんやミュージシャン、俳優さんなんかでも
華やかに脚光を浴びるスーパーヒーローキャラが大嫌いです。
この歪んだ感情は、一生底辺で生きてきた人間の
恵まれたポジションで生きる人間に対する妬みでありひがみです。
けれど、こうした感情が自分自身にあるから
初期の高村薫作品や、「怒り」のような小説や映画が描く人間や世界に
理解も共感もできるような気がします。
試合は負けましたが、森福投手が満塁の大ピンチを
見事切り抜けるシーンが見れたので満足でした。

さらに23日は、お盆に行けなかった
佐賀のダンナの実家にお参りに行ってきました。
今回のホークス戦は昼の試合でしたが、それでも7時間以上外出し
連チャンで大丈夫かなとも思いましたが
一気に終わらせて、あとはゆっくりできるほうが気持ち的には楽な気がしたので
私にしては過密なスケジュールを強行しました。

若干の不安はあったのですが
やっぱり今日はがん細胞がかなり活性化しています。
「よ~し、いくぞぉ~」とやる気満々な空気が漂っています。
患部のふちのしこりが鮮やかなピンク色で
パキーンと張り切っていて、浸出液の量も増えています。
「今日からまた引きこもり生活に戻るんだからね。
おとなしくしてよね。めっ!」と叱っておきましたが
ちょっと体力が落ちると、すかさず勢力拡大を企みます。
まったく油断もすきもあったものではありません。

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女子会と通院日

2016-09-14 15:34:15 | 癌のこと
私が告知をされてから
毎年1回は女子会を企画してくれるようになった子育て仲間。
今年は宮崎にいる友だちが福岡に来る予定が入ったので
それに合わせて熊本の友だちも福岡に来てくれて
この前の日曜日に、4人で天神でランチをしました。

「女3人寄れば」何とかという通り
西通りのイタリアンのお店でお昼を食べて、そのあとはスイーツ。
実は4人のうち、私ともうひとりがんになっている友だちがいて
まさに「日本人のふたりにひとりはがん」という統計どおりなのですが
それでも半世紀以上、山あり谷ありの人生を生き抜いてきた
おばちゃんたちですから、全然暗い湿っぽい雰囲気なんかにはなりません。

仕事のこと、子どものこと、介護をしている親のこと
そして病気の話と、話のタネは尽きず
みんなからたっぷりパワーをもらった一日になりました。
告知をされた最初の年に、4人で原鶴温泉に行った時は
さすがに一年後の自分がどうなっているかを想定することができませんでした。

その年の5月に福島の友だちが来てくれた時もそうでしたが
頭のどこかに「これが最後かもしれない」という思いがありました。
それから細々と命をつないで2年半
とにかく今日一日無事に終われることが幸せで
こうして優しくしてくれる友だちがいてくれることに
心から感謝することができるような、素直な性格?になりました。
病気になるのも、悪いことばかりではありません。

そして昨日は恒例の通院日でした。
今回は特に検査などもなく、お薬をもらってくるだけなのですが
この前緊急で処方してもらったトラマールという鎮痛剤がいい仕事してくれてます。
朝はロキソニンを飲んで、夕方から少し強い痛みが出るので
痛くなる前にトラマールを飲んで、もし夜中に痛んだらもう一度というペースで
ほぼ一日痛みを感じずに元通りの生活ができるようになりました。

私はリサーチ魔なので、このトラマールというお薬の作用機序
(どういう仕組みで痛みが止まるのか)をネットで調べていたら
このお薬は、脳内にあるオピオイド受容体を刺激することで
強力な鎮痛効果を得られるのだそうです。

さらに詳しく言えば、脳内にある痛みを抑圧する神経物質
セロトニンとノルアドレナリンの量を増やす作用があるので
痛みを抑圧する神経が活性化するのだそうです。
こんなところで、セロトニンとかノルアドレナリンといった言葉が出てくるとは
思ってなかったので、少々驚きました。

ずっと依存症について勉強してきて
依存症だけでなく、多くの「心の病」と言われるものの原点は
人間の脳の働き方の問題で、特に脳内の神経伝達物質
(ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリン、セロトニンetc)
のバランスが重要なのだというあたりまでは、何となく理解していましたが
まさかそれが、がんの疼痛にも関係してくるとは。

何はともあれ痛みさえなければこっちのものです。
病院の帰り道に、いつものブックオフで
相場英雄という人の「震える牛」という本をゲットしました。
天神で女子会をした日に、天神のツタヤで同じ作者の「ガラパゴス」という
長編小説を買ったのですが、
これがエコカーを売りにしているハイブリット車の隠された実情を描いた
骨太の社会派ミステリーで、久々に大ヒットだったので
あと2、3冊読んでみたくなりました。
「震える牛」は食品偽装がテーマです。

相変わらず本の虫、映画の虫で、引きこもりのダメ人間ではありますが
それでも、たとえ本であれ、ネットであれ、映画であれ
知らないよりは、知ったほうがよいことはたくさんあります。
このところ、東京の豊洲市場に関する疑惑が、メディアをにぎわせていますが
こうして単発的にでてくるスキャンダルは氷山の一角で
依存症の問題も、各種の建設や流通業界も、
がん治療などが含まれる医療界も、はたまた原発行政も
それによって、どういう層が一番大きな利益を享受しているか
またどういう層が一番被害を被っているか
あるいは経済的な利益に結びつかないという理由で、誰が切り捨てられるかという
大枠のところでは、すべて共通し、つながっているように思います。
もとより小説はあくまでもフィクションですから
書かれていることがすべて現実とは言えないかもしれませんが
まあ、当たらずとも遠からずではあるように思います。


子育てをしていた頃に、子供たちに
「どんなことでも、知っていて損になるということはない。
今は何の役にも立たないようなことでも
いずれ、ああこんなところで役に立ったと思うことがあるかも知れないよ」と話していました。

ですから今でも、依存症について勉強したことや、がんやがん治療の知識なんかも
ダイジェストではありますが伝えています。
他にも最近勉強した、ゴジラ映画の変遷についてなども語りたいのですが
そのへんは「また始まった」とあまり相手にしてもらえないので寂しいです。

テストで何点を取ったとか、学年で何番とかいう話ではなく
「知識はどんなものでも、生きていくために必要で、どこかで役に立つ」
という考え方を持ってほしかったからです。
その頃は、私の言うことが受け入れられなかったとしても
長い人生のどこかで「ああ、お母さん、あんなこと言ってたな」と
思い出してもらえたら嬉しいのですが。


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なぜ子どもたちはこんなに生き辛いのか

2016-09-03 16:42:43 | 社会・生活
先日娘が猛プッシュして
芥川賞を取った「コンビニ人間」を貸してくれたと書きましたが
実はもう1冊抱き合わせで、同じ村田沙耶香さんの
「しろいろの街の、その骨の体温の」という本も置いていきました。

もはや還暦を過ぎた年で、中学生の女の子が主人公という小説に
どこまで感情移入できるか、共感できるかという不安はありましたが
あればなんでも読むという習性で、とにかく読んで見ました。

そして、今の学校における「スクールカースト」と言われる
クラス内での階級制度に悩む、子どもたちの感覚の一端が少し理解できました。
女の子の話ですから、選別の基準は主に容貌で
「上」のグループにいる子、容姿が醜いために一番「下」のグループにいる子
主人公は「下」から二番目の「大人しい女子」のグループに属していて
つねに「害のない存在」であろうとするが、「下層の人間」である彼女は
あることでクラスメートたちのいじめの標的になります。

もう十五年以上前ですが、私も子育てをしていますから
子どもたちの間にある、こうした階層や序列については多少理解はしています。
成績や運動神経、容貌や家庭環境
ありとあらゆる理由で、様々なパターンのヒエラルキー(階層)ができるのは
大人の社会も学校も同じです。
どういう階層に属することになるかは、なってみなければ分りません。
作者の村田さんは、現在30代の半ばで
実はうちの子どもたちよりも少し年長ですから
この小説に描かれた状況は、それほどかけ離れてはいないのでしょう。

現在学校に行けなくなっている子どもの数は
小学校で 約2万5千人、中学校で約10万人、高校では5~6万人
この数字は、ここ10年間ほとんど変わっていません。
もちろんその全てが、この小説で描かれた「スクールカースト」と名付けられた
学校や学級内での階層や序列が原因だとは思いません。
中学や高校に入れば、受験や進路の問題もあるし
生育環境や親子の問題もあるでしょう。
あるいはこの小説のもう一つの大きなテーマで
親には把握することが難しい性の問題もあります。
おそらく原因は、これとひとつに特定できるものではなく
いくつかの、あるいはすべての要因が複雑に関係していると思えます。

正直なところ、私のこの「しろいろの街の~」の読後感は
どうしようもないほどの息苦しさでした。
今の子どもたちの「空気が読めない」と思われることへの不安
「浮いた」存在や「ぼっち」になることへの恐怖
そうならないために神経をすり減らす日常。
一方の「コンビニ人間」では、幼い頃から人と違った言動が多く
そのために病気と思われた主人公の
社会で「普通」の人、「正常」な人と思われるようになるための戦いが
読み手の心をえぐるような、精緻な描写で描かれています。

娘は中学の終わりから不登校を経験し
その後通信制の高校を経て、その間好きだった絵を描き続けて
芸術系の大学に進学しました。
その頃の体験があるから、おそらく私の何倍も
この村田さんの小説に共感も感動もしたのだろうと思います。

私の仲のいい友達も、それぞれ子どもの不登校を経験しました。
対応の仕方はそれぞれ違いました。
カウンセリングを受けた人もいます。
現代の教育制度や不登校の問題について、勉強を続けた人もいます。
私はと言えば、ただひたすらご飯を作り続けて
子どもたちと、たくさん映画や文学、漫画や音楽の話をしました。
そこだけが思春期の子どもたちとの接点でした。
どれが正解ということではなく
みんなそれぞれに、自分にできることを試行錯誤しながら
精一杯やってきたという感じです。

もしも似ているところがあるとすれば
みんな、自分の子どもたちがなぜそうなったのかが少しわかった
つまり、親である自分たち自身にも
何かしら今の社会のあり方になじめない部分があり
だから何が何でも社会が要求する物差しに
自分の子どもを合わせなくてもよいと思えた
という点ではないかと思います。
まあそんな親だから、子どもがそうなるのだと言われてしまえば
そうなのかもしれませんが。

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