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社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

アイドルの恋愛禁止について今一度考える:本当に職業倫理に反するのか?

2017-06-18 08:29:48 | テレビとラジオ
 某アイドルグループのメンバーが、総選挙で結婚を発表して大きな話題になっている今日この頃。

 アイドルの恋愛禁止とは一体何なのかについて、少し長めに考えてみたい。



【法律上、禁止にするのは困難】

 アイドルが恋愛禁止である、というのは法律上は正当化できない。

 恋愛は人間にとって重要な自己決定権そのものである。

 日本の法律の体系上、自己決定権は非常に強い。それゆえ、簡単には禁止になどできない。

 恋愛禁止は、それをアイドルの契約に明記しているだけでなく、

 恋愛による損害の発生が明らかで、意図して事務所に損害を与えるような事例でないかぎり、責任は問えない。



【職業倫理違反なのか】

 けれども、アイドルの恋愛禁止は職業倫理に反する、という意見がある。

 まず、これに似た事例から考えてみよう。

 例えば、大学教員は学生と恋愛してはいけない。

 これは法律に明記してあるわけではない。18歳以上であるなら、本来、恋愛も結婚も自由だろう。

 しかし、これは職業倫理上問題があり、発覚すれば、大学から厳しく追及される。

 なぜだろう?

 大学が提供する教育サービスに、甚大な損害を与える可能性が高いからだ。

 教員と学生の関係は権力関係にある。

 制度上、教員は学生の単位付与の権限がある。

 また、教員は教壇に立ったり、指導者として接することで、学生に対して常に優位な立場であることを強制する存在だ。

 その権力関係を利用して恋愛することになれば、教育という本来の業務に大きな問題が生じる。

 それを許容してしまえば、教員と学生の信頼全体を根本から揺るがしかねない。

 また、学生へのハラスメントも増加する懸念がある。


 

【ファンに迷惑をかけているのか】

 では、アイドルの場合、誰に何の迷惑をかけているのだろうか?

 ここで対象毎に話を分けなければいけない。

 まず、最も重要なファンについて考えてみよう。



 ファンはアイドルのパフォーマンスにお金を出している(ここでは、お金を出している人たちだけを「ファン」と考えてみよう)。

 なぜ、お金を出しているのか?

 それは人によって異なるが、人によってはアイドルとの疑似恋愛にお金を出している。

 ファンは、応援しているアイドルのことが好きだ。

 お金を支払うことが、そのアイドルへの愛情表現だと考えてみよう。

 アイドルが誰かと交際している場合、それを知ってしまうと、そうしたファンは落胆するだろう。

 自分のものではないと落胆し、これまで支払ってきたお金が無駄になったと考えるだろう。

 もしアイドルの売っているものが疑似恋愛のみであるなら(それがアイドル本人にとっても、ファンにとっても明確である場合)、

 これは職業倫理上、問題になるかもしれない。



【アイドルが売っているのは何か】

 ここで大きな問題なのは、疑似恋愛のみがアイドルの売っている商品(提供しているサービス)なのかどうかである。

 アイドルは多くの場合、歌って踊っている。

 つまり、歌手であり、ダンサーである。

 場合によっては、バラエティ番組でのタレント活動もあるだろうし、

 グラビア撮影なんかで写真を提供すること、つまり、モデルでもあるだろう。

 歌手、ダンサー、モデル、タレントは、疑似恋愛を商品にしているとは言えない。

 星野源が誰かと交際していても、誰も職業倫理違反だとは言わないだろう。



 しかし、アイドルの場合、歌もダンスも未熟である。

 だから、アイドルなのである。

 アーティストではなく、アイドル。

 アイドルとは、いわば未完成であることが重要で、その意図して作られた幼稚さに魅力がある。

 未完成であるがゆえに、頑張っていることに価値が出る。

 プロの歌手がいくら「頑張ってます!」とアピールしても、歌が下手なら意味がない。

 アイドルはその逆で、未完成なパフォーマンスを売っている。

 未完成であるがゆえに「頑張っていること」を応援したくなる。

 その応援こそ、ファンが消費しているものだ。



【未完成なパフォーマンスと、恋愛】

 応援したくなる未完成なアイドルが恋愛をしていることをどう捉えるべきなのか?

 未完成さと恋愛には、大きな緊張関係がある。

 未完成さ=幼稚さは、いわば処女性・童貞性の要求でもある。

 しっかり恋愛をしてしまうと、この構図が壊れる。

 恋愛を明らかにすることは、アイドル自身が売っているものを否定する可能性がある。

 だからこそ、多くのアイドルファンがアイドルの恋愛によって大混乱に陥るのである。

 もちろん、アイドルが未完成さを売っていない場合は問題ない。



 もし、アイドル自身がこの点(未完成を売っていること)を理解しているならば、

 売り手の倫理として、恋愛はオープンにすべきではない、と本人も判断するだろう。

 しかし、もしアイドル自身がそれを理解していなければ(それほど幼ければ)、

 恋愛を明らかにすることも問題がないと考えるかもしれない。



【なら買わなければいい、という議論】

 ならば、ファンはそうしたアイドル(恋愛が悪いとは思っていない)にお金を出さなければいい。

 そういう議論が出る。

 品質の悪い商品なら買わない。市場経済では、それが許される。

 大学の場合、授業料はまとめて払うのであり、教員毎に支払っているわけではない。だから、不買ができない。

 しかし、アイドルなら、それができる。



 この議論を受け入れるとしても、ひとつ問題だけがある。

 それは、どの時点で恋愛をオープンにするか、ということだ。

 商品を購入した直後にそれを言われてしまうと、それはもう買ってしまっている以上、取り返しがつかない。

 総選挙の時に結婚を明らかにしてしまうことは、一番お金を出した見返りがある瞬間に「恋愛してきました」と言っているわけである。

 言い換えれば、商品を使う瞬間に壊れたのと同じである。

 だから、ファンは怒っても仕方がない。



 しかし、ここまで言って、すべてをひっくり返すようで忍びないが、

 すべては曖昧な「職業倫理」の話しである。

 どこかに明文化されているわけでもないし、アイドル内部で明示的に教育されているわけでもなかろう(それをしているグループもあるだろうが・・・)。

 みんなが何となく思っているにすぎないこだ。

 時期や文脈によって、判断は変わってくる。

 それを無視して市場から退出したとしても、法的責任を問えるわけではない。

 

【他のメンバーとの関係はどうか】

 ここでファンとの関係ではなく、他のメンバーとの関係について考えてみよう。

 まず、ここでも類似の事例から考えると助けになるかもしれない。 



 ある時代の、ある場所で、プロレスはガチだと思っている格闘技ファンが大勢いたとする。

 ところがある日、プロレスラーのなかから「プロレスは八百長」と指摘するものが現れた。

 ファンは大混乱し、「プロレスは八百長で、見るに値しない」と言いだすものが出てきた。

 他のプロレスラーは大いに怒った。



 この場合、「プロレスは八百長」と指摘したプロレスラーに、職業倫理上の責任はないだろうか?

 おそらく見解が分かれるだろう。

 ひとつの立場は、「プロレスでは事前に結末が決まっている以上、そのことは明確にすべきであり、それがファンの信頼につながる」というものだ。

 もうひとつは、「プロレスはファンタジーであり、事前に結末が決まっているかどうか、どこまで決まっていないのか、などは明らかにすべきではない。

 それこそがファンにとってのプラスになる。」というものだ。

 さて、どちらが正しいだろうか。

 それは決めようがない。

 結局は、ファンが最終的にどちらに納得するかであり、それでもプロレスを見るのかどうか、にかかっている。



【アイドルとファンタジー】

 では、アイドルの場合はどうだろう?

 「アイドルは恋愛をしない。」これはガチか?それともファンタジーか?

 どう考えてほしいのかは、アイドルによって異なる。



 最も重要な問題は、「アイドルは恋愛をするものだ、当たり前だろ、人間なんだから」と主張する場合、

 同業者のファンタジーと強烈な緊張関係を生む、という点だ。

 同業者は怒るだろう。

 それでも、言った方が長期的に見て、アイドルにとってプラスになる、と考えるなら、その軋轢を乗り越えていくしかない。

 必ずや、一部のファンも応援し、その輪は広がっていくだろう。



 アイドルの恋愛が法律で禁止されていないのと同じように、

 同業者がそうした革命的なアイドルを批判し、言葉で攻撃することも禁止されていない。

 それはビジネス上の根本的な対立なのだから、致し方ない。



【結論】

 長々と考えてみた。

 結論は、アイドルが恋愛することは、場合によっては職業倫理に反する。そう考えることには、一定の合理性がある。

 ただし、倫理に反したからと言って、何もない。

 同業者から激しく叩かれるのは、仕方がない。

 なぜなら、ビジネスの邪魔をしているから。

 ということになった。

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