宇多田ヒカルのトリビュートアルバム「宇多田ヒカルのうた」が、ちまたで話題になっている。
参加アーティストの豪華さは、これまでの様々なトリビュートアルバムと比べると驚くばかりだ。
結果的に、どのアーティストによるカバーも、それぞれの個性的演奏を通じて、見事な宇多田作品の再解釈になっている。
驚くべきなのは、そのなかでも浜崎あゆみと吉井和哉(元イエローモンキー)によるカバーが群を抜いて評判が良いということである。
一体それは何故なのか。
宇多田ヒカルの歌をあまり聴いたことがない人がイメージするよりもずっと、宇多田ヒカルの作品は全体にトーンが暗い。
ダンサブルなナンバーでも、コード進行やメロディはなかなかのマイナー調であることが多い。
歌詞も曲同様、非常に洗練されているが、内容はきわめて内省的である。
宇多田ヒカルの歌唱は、その内省的でマイナーな曲調と絶妙に化学反応する、きわめて抑制されたものだ。
宇多田ヒカルの感情表現は徹底して抑えられていて、そのある種の無機質さが逆に艶っぽさにつながっている。
また楽曲、とりわけメロディがグル―ヴィに出来ているものだから、このトーンの暗さを絶妙に中和してみせている。
このように宇多田ヒカルの作品は、曲、歌詞、歌唱、グルーヴの4つのきわめて複雑かつ真似しがたいバランスで成立している。
(これらの点を正確に論じると、本一冊になるだろう。)
さて、件のカバーだが、まず浜崎あゆみによる楽曲から検討したい。
彼女がカバーしたのが、「Movin' on without you」である。
これは1999年の2ndシングルで、とりわけ初期の作品である。
この楽曲は非常にダンサブルなナンバーだ。
浜崎は見事にこの楽曲を解釈する。
一体どのように?
宇多田の原曲を聴いて気が付くのは、例によって、曲がやたらバウンシーだということだ。
分かり易く言うと、リズムが絶妙に粘ついている。
テンポが速いにもかかわらず、リズムが粘る。しかも、曲のパート毎に微妙にグルーヴが変化しているものだから、ものすごく歌うのが難しくなっている。
聴いている分には問題は何もないのだが、よくよく分析するとめちゃくちゃ複雑なのである。
浜崎はこの粘りを最小限に抑えている。
浜崎のバージョンでは、リズムの4つ打ちを強調しながらも、バウンシーな部分を残し、それを全体に分かり易く統一的に整理している。結果、トラック全体がいわゆるJポップのエレクトロ調に仕上がっている。
だから、とても聴きやすいのである。
つまり、乱暴に言えば、浜崎は宇多田の楽曲を良い意味でポップでキッチュなものにしたと言える。
また、浜崎の歌唱も素晴らしい。宇多田の歌詞の世界にまるで引っ張られていない。感情がこもり過ぎていない。
浜崎は90年代末の歌姫の人格で、見事にこの歌詞を歌いきっている。
これに対して、吉井和哉の解釈はその対極にある。
吉井は、宇多田の世界観にどこまでも付き合う。
吉井は、イエローモンキー解散後のソロプロジェクトの時の吉井ロビンソンのごとく、陰鬱な世界観でもって、宇多田の「Be My Last」を歌いきる。
(実際、この頃、吉井は宇多田の曲にインスパイアされた楽曲を制作していたことを明らかにしている。)
硬質な吉井の声が、無機質で悲しげなその表現力が、実のところ、宇多田ヒカルと同じ種類のそれだったことにリスナーは気づかざるを得ない。
この「Be My Last」は宇多田の2005年の14枚目のシングルだ。
宇多田の原曲は、とにかくリズムが抑えられている。
時代を下るほど、宇多田の曲はリズムが比較的シンプルになっていく(もちろん例外もある)。
逆に吉井は、この曲にがっちりとした8ビートを打ち込み、骨太のギターロックに仕上げている。
これによって、曲の輪郭線をはっきりさせ、メロディがうまく際立つようになっている。
リスナーはむしろ、楽曲のポテンシャルはギターロックを求めていたのではないかと思わざるを得ないのである。
以上のように、浜崎と吉井は、まったく別の方法論で見事に宇多田の楽曲のポテンシャルを引き出している。
ここから分かるのは、アーティストとしての浜崎と吉井さの凄まじさとともに、宇多田のコンポーザーとしてのモンスターぶりである。
参加アーティストの豪華さは、これまでの様々なトリビュートアルバムと比べると驚くばかりだ。
結果的に、どのアーティストによるカバーも、それぞれの個性的演奏を通じて、見事な宇多田作品の再解釈になっている。
驚くべきなのは、そのなかでも浜崎あゆみと吉井和哉(元イエローモンキー)によるカバーが群を抜いて評判が良いということである。
一体それは何故なのか。
宇多田ヒカルの歌をあまり聴いたことがない人がイメージするよりもずっと、宇多田ヒカルの作品は全体にトーンが暗い。
ダンサブルなナンバーでも、コード進行やメロディはなかなかのマイナー調であることが多い。
歌詞も曲同様、非常に洗練されているが、内容はきわめて内省的である。
宇多田ヒカルの歌唱は、その内省的でマイナーな曲調と絶妙に化学反応する、きわめて抑制されたものだ。
宇多田ヒカルの感情表現は徹底して抑えられていて、そのある種の無機質さが逆に艶っぽさにつながっている。
また楽曲、とりわけメロディがグル―ヴィに出来ているものだから、このトーンの暗さを絶妙に中和してみせている。
このように宇多田ヒカルの作品は、曲、歌詞、歌唱、グルーヴの4つのきわめて複雑かつ真似しがたいバランスで成立している。
(これらの点を正確に論じると、本一冊になるだろう。)
さて、件のカバーだが、まず浜崎あゆみによる楽曲から検討したい。
彼女がカバーしたのが、「Movin' on without you」である。
これは1999年の2ndシングルで、とりわけ初期の作品である。
この楽曲は非常にダンサブルなナンバーだ。
浜崎は見事にこの楽曲を解釈する。
一体どのように?
宇多田の原曲を聴いて気が付くのは、例によって、曲がやたらバウンシーだということだ。
分かり易く言うと、リズムが絶妙に粘ついている。
テンポが速いにもかかわらず、リズムが粘る。しかも、曲のパート毎に微妙にグルーヴが変化しているものだから、ものすごく歌うのが難しくなっている。
聴いている分には問題は何もないのだが、よくよく分析するとめちゃくちゃ複雑なのである。
浜崎はこの粘りを最小限に抑えている。
浜崎のバージョンでは、リズムの4つ打ちを強調しながらも、バウンシーな部分を残し、それを全体に分かり易く統一的に整理している。結果、トラック全体がいわゆるJポップのエレクトロ調に仕上がっている。
だから、とても聴きやすいのである。
つまり、乱暴に言えば、浜崎は宇多田の楽曲を良い意味でポップでキッチュなものにしたと言える。
また、浜崎の歌唱も素晴らしい。宇多田の歌詞の世界にまるで引っ張られていない。感情がこもり過ぎていない。
浜崎は90年代末の歌姫の人格で、見事にこの歌詞を歌いきっている。
これに対して、吉井和哉の解釈はその対極にある。
吉井は、宇多田の世界観にどこまでも付き合う。
吉井は、イエローモンキー解散後のソロプロジェクトの時の吉井ロビンソンのごとく、陰鬱な世界観でもって、宇多田の「Be My Last」を歌いきる。
(実際、この頃、吉井は宇多田の曲にインスパイアされた楽曲を制作していたことを明らかにしている。)
硬質な吉井の声が、無機質で悲しげなその表現力が、実のところ、宇多田ヒカルと同じ種類のそれだったことにリスナーは気づかざるを得ない。
この「Be My Last」は宇多田の2005年の14枚目のシングルだ。
宇多田の原曲は、とにかくリズムが抑えられている。
時代を下るほど、宇多田の曲はリズムが比較的シンプルになっていく(もちろん例外もある)。
逆に吉井は、この曲にがっちりとした8ビートを打ち込み、骨太のギターロックに仕上げている。
これによって、曲の輪郭線をはっきりさせ、メロディがうまく際立つようになっている。
リスナーはむしろ、楽曲のポテンシャルはギターロックを求めていたのではないかと思わざるを得ないのである。
以上のように、浜崎と吉井は、まったく別の方法論で見事に宇多田の楽曲のポテンシャルを引き出している。
ここから分かるのは、アーティストとしての浜崎と吉井さの凄まじさとともに、宇多田のコンポーザーとしてのモンスターぶりである。
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