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R&Bとジェンダー:なぜ日本ではR&Bが根付かないのか

2011-02-13 14:56:51 | コラム的な何か
私は長いこと、「何故、日本ではR&Bが根付かないのか」という問題について考えてきた。

日本でR&B寄りの最新ヒット曲と言えば、AKBの板野友美の「Dear J」だろう。

作曲は江上浩太郎。彼はR&Bを熟知した作曲家のようで、今までも多くのR&B系楽曲を色々なアーティストに提供してきた。

彼のR&Bテイストは、2000年前後のアメリカの楽曲と、日本のポップスを足したような感じ。ただし、「Dear J」は明確に「ガガ+安室」の方向で、それをヘタウマのアイドル用に修正したような感じだ。

これと似たような路線のアイドルと言えば韓国の少女時代だが、はっきり言って板野とのレベルはかなり違う。歌も踊りも少女時代の方がずっと上だ。さらに彼女たちの曲の方がよりアメリカのR&Bに近い。

しかし、板野が劣っているというのではない。

日本で求められるのは、ゴリゴリのR&Bではないからだ。

そして、よく言われることだが、日本で人気なのはヘタウマだからだ。



なぜ、ゴリゴリのR&Bはダメなのか。なぜ、歌と踊りがうまくてはいけないのか。

まだ結論はないのだが、思いついた仮説を書く。

私は次のように考えている。

欧米では、男と女の行動パターンがはっきりしている。

男は男らしく、女は女らしく、である。

すなわち、「マッチョな男&妖艶な女」像だ。

パーティでの行動もそれに沿ったものとなる。

だから、ソフトなアジア人はかわいそうに簡単に排除されてしまう。

歌もダンスも求愛の行動であり、はっきりとした性別分担が前提となる。

したがって、パフォーマンスが下手=性的アピールの失敗、と認識される。

R&Bの歌とダンスは、より誇張された「男性/女性」の性的アピールが主題である。

歌詞を見れば分かるが、R&Bは性愛のこと以外、ほとんど歌わない(例外はもちろんあるが、劇的に少ない)。ダンスも言うまでもなくセクシーだ。



対して、日本では

パフォーマンスが下手=幼くてかわいい=性的アピールの成功

となる。

そこにあるのは「マッチョな男&妖艶な女」ではない。その逆だ。

だから、ゴリゴリのR&Bは全くこの風土に合わない。

韓国はプロフェッショナルを重んじる社会であり、やはり「男/女」の性的アピールに対する意識も日本よりずっと欧米に近い(アジア的な役割分担だとしても)。

日本で本物のR&Bが根付くことはないだろう。

しかし、日本にソウルが根付かないわけではない。

戦後、占領時代を通じてジャズが根付き、90年代、サブカル・インテリから輸入されたヒップホップが根付いたのだ。

とはいえ、キリスト教徒が少なくゴスペルが根付きにくく、R&Bもここに書いたとおり。

ソウルは片手落ちのまま、日本で日本なりのスタイルとなり、発展していくのだろう。

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