それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

さようなら、ラケル

2012-07-24 19:44:25 | イギリス生活事件簿
ラケルが今日のお昼頃、ロンドンへ行った。従妹が遊びに来ているのだという。

日曜日に帰ってくる。でも、その時僕はもうイギリスにはいない。



僕がお昼頃、例の録音を終えて(下の記事を参照)図書館に行こうとしたら、ラケルが叫んだ。

「マルコ、待って!一緒に行こう!」

彼女との別れが近づいていることをすっかり忘れていた僕は、一緒に図書館に行って勉強するのかなあ?とバカなことを考えていたのだが、駅まで行ってそこで別れの挨拶をするつもりだったのだ。

駅の改札で僕らは簡単なハグを交わし、別れた。

とてもシンプルなものだった。

次に会うのはきっとスペインだね、くらいしか言わなかった。

本当はもっと「ありがとう」とかなんとか言いたかったような気もする。

でも、分からない。

たぶん、これで良かったんだ。



ラケルとは何度もふたりでパブで飲んだ。沢山散歩にも行った。図書館で勉強もした。

ふたりで行動することが本当に多かった。

ラケルとは特別話がはずむわけではない。

お互いに共通の話題は、他の人と共有しにくい博士課程の悩みや博論の進度のこと。

そして共通の専門の話。

それからたまに、スペインの村の話。

ラケルは僕にスペインの村について何度も話してくれた。

自然のこと、村人のこと、祭りのこと、食べ物のこと。

彼女はとにかく一生懸命僕に説明する。

僕はありったけの想像力を駆使して理解しようとする(でも、実際に見なきゃ無理)。

初めて出来たスペイン人の友達。

彼女は必ずいつかスペインに来るようにと言ってくれている(友達でも彼女でも誰でも連れてきていいとも言ってくれている)。

彼女は社交辞令を言わない。本気だ。ちょっと怖いくらい。

僕はいつか彼女との約束を果たしたいと思っている。

バレンティーナみたいに、ビーチへ僕を引きずり回したりしないと言ってくれているし。



バレとアレックスが去ったあと、ラケルはバレについての不満をパーティで(全員帰った特に)ぶちまけていた。

よっぽど思うところがあったらしい。それはそうだろう。

彼女は唯一一階のリビングの隣の部屋に住んでいて、バレにかなり迷惑を被っていた。

怒っていて当然です・・・。



前にも書いたとおり、彼女の思想はとても分かりやすい。

ジェンダーフリー、環境保護派、政治的リベラル(反カソリック、思想信条の自由などなど)、人権派。

同時に彼女はカタロニア地方の村の娘。

パブロ・カザルスの「鳥の歌」をギターで以前弾いてあげたら、少し喜んでいた村の娘。

彼女の村に関するプライドは想像を絶する。

カタロニア地方についてもとてもこだわりがある。

彼女は自分が育った地域を愛している。本人にはそういう自覚はないのかもしれないのだが、とんでもなく強い愛情だ。

それが彼女の考え方にとても強く反映されている。

彼女は日本のことに理解を示してくれるのだが、基本的にそれは彼女の想像の範囲を超えている。

これはお互い様なのだが、彼女は日本がおそらくは想像の範囲内だと思っている節がある。

ここまで仲が良くても、ヨーロッパの人と分かり合うのはとてもとても大変なのだと、ラケルを通じて初めて知った。



彼女のスペイン・オムレツ(トルティーヤ)は絶品だった。

僕はいつかそれを日本のどこかで作りたいと思っている。

それが僕らの友情の証だ。

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