思想家ハラミッタの面白ブログ

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多世界解釈

2019-12-20 13:56:40 | 思想、哲学、宇宙論

多世界解釈
この説明でいいのかな?

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https://eman-physics.net/quantum/many.html










私の学生の頃

 日本では古臭い「コペンハーゲン解釈」ばかりが主流として扱われているようだが、その他に「多世界解釈」というものもあるらしい。



 ネットの普及でようやく日本でも知れ渡るようになったが、私の学生の頃には、



「おい、コペンハーゲン解釈が主流なのは日本だけらしいぞ」
「え、じゃあ他に何があるっての?」
「多世界解釈って言ったかな・・・」
「なんだそれ?どんなの?」
「俺もシラネ」
「ふーん、まいっかー」




で話が終わっていた。今はネットでの解説や分かり易い教科書が増えていて、本当にありがたい。



 そんな難しい話ではないので、短く説明しよう。細かいことを説明し出すとキリがないのだが、あまり長い説明になると難しいものだと思われてしまうからな。



 実は前回の記事の「作り話」の中にも、多世界解釈っぽい考えがわずかに混ぜ込んであるのだった。




2つの解釈の違い

 波動関数の形は方程式に従って変化する。時間が経つごとに変化する。



 その変化した波動関数というのは人間から見ると、2 通り以上の相容れない状態が同時に重なった状態であったりする。しかし自然は人間の都合などお構いなしである。人間に分かってもらえなくとも、とにかくそのような状態で存在している。



 人間はこの状態をありのままには認識する事ができず、どれか一つの状態でいてくれないと納得できない。実際、人間がこれを観察すると、やはりどれか一つの状態のみを認めることになる。そこで人間は叫ぶ。



「観測の瞬間、状態はただ一つに定まった!!なぜだ!奇妙だ!波束の収縮だ!」



 こういうことを叫ぶのがコペンハーゲン解釈である。



 ところが別の解釈も可能である。人間を含めて、この世の全ては波動関数で表されている。観測の瞬間、別に変わったことが起きるのではない。ただ、A という状態を観測した人間と、B という状態を観測した人間とが重なり合って存在している状態を表す波動関数があるだけである。



 我々自身はその可能性の中の一つに過ぎないわけだ。この解釈は心情的に納得できるかどうかだけが問題であり、それ以外に矛盾などはなさそうだ。これが多世界解釈である。




注意が必要

 ここまでの話を聞いて、自分がすっきり理解できた事を大変喜んでいるということを相手に伝えようとして、



「要するに、パラレルワールドを認めるというわけですね?!」



なんて具合に話をうまくまとめたくなるわけだが、そんなことを言おうものなら、多世界解釈を擁護する専門家の多くは「そうではない!」と怒り出す。



 せっかく分かった気がしていたのに、全否定されてしまった。



 私もかつては彼らがなぜそんなに怒るのかの真意が理解できなくて、「・・・すると多世界解釈というのは本当はどんな意味なのだろう?考えていたよりもっと複雑な話に違いない・・・」などと悩み苦しみ抜いたものだが、彼らが怒る理由は実に些細なことだったのだ。要するに SF やアニメに出てくるパラレルワールドというのは、互いに行き来できたり、別世界の自分と会話できたりする。過去に戻って重大な選択をやり直して、歴史を変えてしまったりする。



 擁護派は「そんなことは在り得~ん!!」と怒っているのである。いや、「そんな子供っぽいことでいちいち怒るなよ、それくらいはちゃんと分かってるよ」と反発したくなるかも知れない。私がそうだった。しかし現実とアニメの違いをちゃんと分かっているのは、意外にも少数派であることを認めた方がいいのかも知れない。



 パラレルワールドなんて陳腐化された表現をされたら、またおかしな妄想を膨らませてあちこちでいい加減な理論を言いふらす連中が増えるだろう。これは現状を見ていれば十分予想がつくことだ。(ちょっと検索を掛けてみたが、いるわいるわ。)結果として、真面目な研究者でさえ妄想狂であるかのような誤解をされてしまうことになるはずだ。彼らに言わせれば、「頼むから軽はずみな例えを使うのはよしてくれ」というのである。



 現にこの解釈は長い間誤解され、今も誤解され、研究者らは傷付いてきた。それだから、我々には些細に思えることでも彼らは憤怒する。いやいや、彼らに言わせれば私もまだ誤解して説明しているかも知れない。私は彼らを怒らせるのを本当に怖れているので、この解釈について説明するのをこれまでずっと避けてきた。




世界は無限に増えるのか

 「多世界解釈」という名称にはかなりのインパクトがあっていいのだが、この言葉自体が誤解の元になっているのも否めない。誰かが観測行為をするたびに、あるいは未来を変えるような選択をするたびに、際限なく世界が分裂し増えていくというような印象を与えてしまっている事が多いと思うのだ。



 しかしこの解釈を擁護する人が信じているのは、こんな風に増えすぎた世界を収める場所がなくなっていずれ破綻してしまいそうなイメージなんかではない。そうではなく、世界のあらゆる状況を記述できる十分に大きな波動関数が初めからたった一つだけあって、その形が変化していくのをただただ神の視点で見ているようなイメージである。「単一世界解釈」とでも呼んだ方がむしろいいくらいだ。



 この解釈はすっきりしていて好きなのだが、私には受け入れられない。人間の自由意志、選択の自由がどこにもない気がするからである。もちろん、コペンハーゲン解釈も確率による解釈であって、自由意志なんかどこにもなさそうなのだが、少なくとも次のような想像をしなくて済む。



 つまり、私が極悪人となって存在しているような世界が今も消えずにどこかにあるのではないだろうか。それを考えるのはとても気味が悪い。いや、「あらゆる可能性」が存在しているとは言っても、私の人生の開始条件からは、私が極悪人になってしまうような可能性は初めから一切なかったかも知れない。そうだとすれば、別の私が今もどこかで悪さをしているという罪悪感から少しは解放される。



 要するに心情の問題だけだというわけだ。信じるかどうかはどうでもいい。ただこういう考えもあるのだと知っておくのは、視野が広がってとてもいいと思うのだ。









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多世界解釈


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2013/6/22

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公開日 2002/2/18



多世界解釈かいしゃくとは量子力学の解釈かいしゃくの一つです。
この解釈かいしゃくによれば、この世界と異なるたくさんの世界が存在します。


コペンハーゲン解釈と多世界解釈

1. エヴェレットの多世界解釈かいしゃく

プリンストン大学の学生だったヒュー・エヴェレットは1957年に量子力学の新しい解釈かいしゃくを提唱しました。 その解釈かいしゃくはエヴェレットの多世界解釈かいしゃくと呼ばれています。

エヴェレットの論文の解説記事は次のページにあります。
• エヴェレットの多世界解釈の論文 [2019/2/11]
たとえば、箱の中に電子を入れます。量子力学によれば、電子は箱の中で波のように広がっています。 この波のことを波動関数といいます。 人間が箱の中を見れば、電子は箱の中の一点で見つかります。 これを波動関数の崩壊ほうかいといいます。

電子は、常に粒子で、その存在確率が波にしたがっているだけではないか? そのように考えるのは当然でしょう。しかし、その解釈かいしゃくは正しくありません。 アスペの実験が1982年にその解釈かいしゃくを否定しました。 観測する前の電子は、波のように広がっているのです。

この波動関数の崩壊ほうかいは、とても不思議な現象です。 たとえば箱の中を、二つの部屋に仕切ります。 すると、電子の波はそれぞれの部屋に存在します。 片方の部屋を見れば、そこには電子はあるかもしれませんし、 ないかもしれません。

箱の中の波動関数

電子がある場所で見つかれば、電子の波動関数はその場所に収縮します。一方、電子が見つからなければ、 電子の波動関数は隣の部屋へ収縮します。 電子を観測した時に、その電子の波動関数が崩壊ほうかいすることはとても不思議です。 しかし、電子を観測しなかった時にも、 その電子の波動関数が崩壊ほうかいするのはもっと不思議です。

エヴェレットは、「波動関数は崩壊ほうかいしていない」と考えました。 電子を波動関数で表現するのであれば、人間も波動関数で表現すべきだ。 ある人間が電子を観測すると、人間は次のように分かれます。
(1) 場所xで電子をみつけた人間A
(2) 場所yで電子をみつけた人間B
(3) 場所zで電子をみつけた人間C

電子は波のように広がっています。一方、人間も波のように広がっているのです。

2. 多世界解釈かいしゃくとの出会い

私が多世界解釈かいしゃくに初めて触れたのは ブルーバックス「宇宙の運命」でした。 読んだのは10歳くらいのころでしょうか?その本から引用してみましょう。


しかし、SF作家がいうように、偶然が起こるたびに宇宙が二つに分かれると考えてみよう。 もしそれが事実ならたくさんの宇宙が存在しうる。 すこしちがった宇宙、かなり違った宇宙、思いつけるだけの宇宙が存在することになろう。

(中略)

こういう話は実に面白い。 科学理論には、こういう発想を認めるものはあるまいと読者は思うかもしれないが、実は、それがあるのだ。 量子力学の「多世界解釈かいしゃく」とよばれているものがそれだ。 アメリカの物理学者ヒュー・エベリット3世が、 1957年にプリンストン大学の博士論文でこのことを書いた。

(中略)

こんな、幻想的な考えに、反証するのは簡単だろうと思われるかもしれない。 しかし、実はそうではない。 エベリット理論は量子力学の標準的な考え方と、数学的に同じなので、 この二つの違いを見分ける実験は不可能である。

これを初めて読んだ時には、とてもありえそうにないと思いました。 しかし、その後、大学時代に もしかすると正しいかも、と考えるようになってきました。

きっかけは、「CP対称性の破れ」の講義での「K中間子ミキシング」の話でした。 このK中間子ミキシングでは、K中間子と反K中間子を重ね合わせた波動関数が出てくるのです。

コペンハーゲン解釈かいしゃくでは、物理系は測定されるまで明確な特性をもちません。 そのため、2種類の素粒子の重ね合わせは、測定されるまで明確な特性をもちません。

明らかに異なる2種類の素粒子の重ね合わせというものを理解するためには、 多世界解釈かいしゃくのような考え方がとても有効でした。

コペンハーゲン解釈と多世界解釈

そのようなきっかけで、多世界解釈かいしゃくは正しいかもしれないと考えるようになりました。

3. 多世界解釈かいしゃくに関する情報

多世界解釈かいしゃくに関する記述は ブルーバックス「量子の謎をとく」にもあります。 この本で著者はエヴェレットの平行宇宙解釈かいしゃくを紹介しょうかいしています。 また、デイヴィッド・ドイッチュの量子コンピューターも紹介しょうかいしています。 しかし、多世界解釈かいしゃくのことが書いてある教科書は全くありませんでした。

「やはり、パラレルワールドを認めるような解釈かいしゃくは、あやしい考え方だからだろうか?」

と考えていましたが、ある日、大学の本屋で多世界解釈かいしゃくに言及している 教科書「量子力学概論」をみつけました。 そこでは、多世界解釈かいしゃくに対して否定的な見解を述べていました。 しかし、私にとっては、教科書が言及したという意味において画期的なことでした。

その後、1994年に多世界解釈かいしゃくを全面的に支持する本、 ブルーバックス「量子力学が語る世界像」が出版されました。 私の知る限り、多世界解釈かいしゃくが極めて好意的に解説された最初の書籍だと思います。

量子力学には観測問題という未解決の問題があります。 これは「波動関数が崩壊ほうかいし、粒子は確率解釈かいしゃくにしたがい観測される」というものです。 多世界解釈かいしゃくでは波動関数は崩壊ほうかいしないため、この「波動関数の崩壊ほうかい」問題を解決できます。 そのため、多世界解釈かいしゃくは正しい可能性が高いと考えています。

しかし、現在の多世界解釈かいしゃくの定式化では確率解釈かいしゃくを導出できないため、 その定式化には問題があると考えています。 多世界解釈かいしゃくの定式化は量子力学の数学的構造に依存いぞんしているため、 もし多世界解釈かいしゃくを採用するのであれば、その数学的構造にも拡張が必要だと、私は考えています。