思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

because-it-is-human

2019-04-21 15:27:38 | 思想、哲学、宇宙論
https://ascension21.com/because-it-is-human/


ここで大生命の宇宙開発計画に戻りますが、宇宙根源の光、大生命が、

自らを見るものとみられるものとに分け、宇宙空間を広げて恒星を作り、

星の大地に植物、微生物を作り、それを進化させて動物等を作り、

最後に自らの創造意志を託した人類を降ろし、

その星で生命の根源との繋がりをいったんは忘れさせて、

大地の上での開拓に勤しませ、地上界を開発させたのでした。

日本人を例にしますと、地球の兄星にあたる金星

いち早くアセンションをして霊化した世界 から円盤で飛来し、

自らの波動を荒くして肉体人間として、地球での生活を始めたのでした。
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注目の「アルミホイル指輪」 血糖値、肝機能改善効果も期待

2019-04-20 15:13:20 | 思想、哲学、宇宙論

人間だれしも健康になりたいと思い、様々な健康法を試行錯誤するが、雑誌『健康』の山浦恵子編集長が紹介するのが、「アルミホイル指輪」だ。


「鍼治療が幅広い病気や症状に効果があるのは知られていますが、それに準じた効果が期待できるのが『アルミホイル指輪』です」(山浦編集長)


 提唱者は、施術歴30年以上、治療実績10万人以上というベテラン鍼灸師の福辻鋭記氏。


 福辻氏によれば、鍼が病気や症状の改善に効果的な理由のひとつは、鍼の素材である金属が持つイオン化傾向(電子を放出してプラスのイオンになろうとする性質)だという。それが人体に流れる生体電気の乱れを改善する。そこで、アルミホイルを指先に巻くことで同様の効果を得ようというのが「アルミホイル指輪」だ。しかも、指先は“気”が流れる経路の始点でも終点でもあるので、指先に与えた刺激は全身に伝わるという。


 具体的には、アルミホイルを7センチ角程度に切り、7〜8ミリ程度の幅に折りたたむ。それを、病気や症状に応じて、両手両足の爪の付け根、指の付け根、第2関節などに指輪のように巻く。たとえば、血圧の高い人は左手の小指の爪の付け根に巻く。爪の付け根の外側に血圧を安定させるツボがあるからだ。血糖値を下げたり、肝機能を改善させたりしたいなら、足の親指の爪の付け根……といった具合だ。


 どこの家庭にもある材料を使い、自分ひとりで簡単に安全にできるのが利点だ。

■アルミホイル指輪を巻く位置

頭痛・・・左手の薬指の付け根(三焦経の刺激)
生理痛・・・右足の小指の爪の付け根(至陰の刺激)
肩こり・・・左手の人差し指の第二関節上(商陽の刺激)
腰痛・・・女性は右足、男性は左足の人差し指の付け根(内庭)
便秘・・・左手人差し指の付け根(商陽、大腸経)
冷え症・・・左手小指の爪の付け根(少沢、少衝)


※週刊ポスト2014年4月4・11日号


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真理の体現者ベビーメタル

2019-04-20 12:03:57 | 思想、哲学、宇宙論
ゆいちゃんが脱退して約半年が経ちます。

愛と意志と信念に貫かれたベビーメタルのパフォーマンスに

私は魂が揺さぶられると同時に、人間の持つ無限の可能性と創造性に感動しました。

彼女たちは、愛と意志と信念が人間の無限の可能性と創造性を

開花させることが出来るという大いなる真理を

ライブパフォーマンスで体現したのです。

愛と意志と信念によって無限の可能性と創造性を発揮し

宇宙の進化に貢献することが神の分身である人類の使命です。







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シリウス・プレアデス・ムーの流れ 龍蛇族直系の日本人

2019-04-17 15:06:29 | 思想、哲学、宇宙論





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古代の天皇は龍蛇族だった?!

2019-04-15 13:32:35 | 思想、哲学、宇宙論

古代の天皇は龍蛇族だった?!



https://ameblo.jp/333ahahaha333/entry-12111896953.htmlより

『シリウス・プレアデス・ムーの流れ
龍蛇族直系の日本人よ!
その超潜在パワーのすべてを解き放て』

(超☆わくわく) 単行本 – 2011/5/2
 浅川 嘉富 (著)

よりの抜粋です。


エエエ???
Σ(Д゚;/)/???
な衝撃的なお話ですよね

初めて読んだときは。



古代の天皇は
人間ではなかったのか?!

ちょっと
常識からは
ぶっ飛んだお話ですが~





○応神(おうじん)天皇(15代、在位AD270年~)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」という丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番(つが)えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最期まで抜け落ちることはありませんでした。

・第2章 神話に見る「龍と人類の混血」 神武天皇も龍のお姿をしていた!

(前略)

また、出雲の地で大国主神の家系を継いできたという富氏(とようじ)一族の伝承によると、彼ら出雲族には「龍蛇族」の末裔としての自覚があるという。これもまた、龍と人間の混血を示すものだといえるだろう。

驚くことに、古代中国の「宇宙創生論」には、昔は龍と人間は仲良く平和に暮らしており、種族を超えて結婚し、交配していたことが記されている。龍が人間と一緒に暮らすなどということがあるだろうか? と、疑問に思われる方もおられることと思うが、地上界で龍が人間と生活を共にするときは、人間形生命体に変身しているという点を忘れないでおいてほしい。

彼らは高次元の生命体であるがゆえに、容姿やその大きさを自由自在に変えられる。ゆえに龍の姿のままでいるわけではなく、3次元の地球で活躍しようとするときには、人間形生命体に変身することになるのである。陸地で動き回るのにはその方が都合がよいのであろう。

ただ、豊玉姫がお産の際にその姿を龍もしくはワニに変えたように、本来の姿に戻らねばならないときがあるので、人間はそれを垣間見て、その実体を知り驚くことになるのである。

以上の点から、私は太古において龍と人類の混血が行われ、それが神話として記録されたものが「山幸彦と豊玉姫の龍宮神話」ではないかと考えている。

この「龍」という存在については「龍神」と呼んでもいいし、「ドラゴン」と呼んでもいいが、本書では「龍蛇族」と呼ぶことにしたい。

・神武天皇の驚くべき容姿の意味

龍蛇族とはどういう存在か。私はそれを「龍神系宇宙人」だと考えるが、それについては次章で詳しく述べることにして、ここでは山幸彦と豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)の子である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)以降の系譜について説明を続けよう。

八尋和邇(やしろわに)としての姿を見られたことの恥ずかしさのために海底の綿津見神(わだつみ)の宮へ帰ってしまった豊玉毘売命は、妹の玉依毘売命(タマヨリビメノミコト)(通称・玉依姫(たまよりひめ))を陸に送り息子の養育をさせる。

その後、成長した鵜葺草葺不合命は、叔母にあたる玉依毘売命と結婚して子を授かることになり、そのうちの一人が神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、すなわち後の初代神武天皇であった。

・さて、ここで考えてみたいのが神武天皇の血統である。

天孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)の直系であるのはもちろんだが、父である鵜葺草葺不合命には豊玉姫を通じて龍蛇族の血が半分流れており、さらに、自身の母も龍蛇族ということになるのだから、実に四分の三が龍蛇族の血ということになってくる。

これを事実そのままととらえるなら、天皇家とは初代から相当長大な年月にわたって、龍蛇族の血が濃い家系だったと考えた方がよさそうである。

ところが、『古事記』や『日本書紀』における神武天皇以降の記録は、神話というよりは歴史書に近い史実として書かれているのにもかかわらず、そこには、神武天皇ばかりでなくそれ以降の天皇についても龍蛇族とのかかわりを示すような内容はいっさい出てこない。

本当に天皇が龍蛇族の血を引いているのなら、それを示す身体的特徴があってもいいよ
うなものだが、記紀文書にはそういったことはまったく書かれていないのである。

だが、正史と見なされない歴史書の中には、神武天皇に始まる初期の天皇が龍蛇族との混血であることを思わせる記述が存在しているのだ。

『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』という歴史書に見られる神武天皇の姿は「身長一丈五寸、身太一囲五寸、頭有両角、三寸週猶雪、尻有素龍尾、長六咫四寸、尾背有太鱗、数七十有二、年百十有五立為皇太子」となっており、これをそのまま現代文に訳すると、

「背の高さは約3メートル15センチ、胴回りは両手を伸ばして一抱えした長さに15センチほど足した長さ。頭には9センチほどの角が二本あり、それはまるで雪のような色をしている。背中には龍のような背びれがあり、その長さはIメートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が七十二枚ある。115歳の時に皇太子の位に就かれた」……となる。まさに龍蛇族と人間との混血そのものの姿である。

驚異的な寿命の長さにも驚かされる。即位された年齢が115歳であるのなら寿命は、400~500歳の長寿であったと考えても決しておかしくないはずだ。

これはちょうど、「ノアの洪水伝説」に登場するノアの年齢と同じであり、世界各地の伝承において太古の人類が並外れた長寿とされることにも関連しているように思える。その長寿は龍蛇族との混血の結果もたらされたものかもしれない。

『先代旧事本紀大成経』の説くところでは、天皇の寿命は代を重ねるほどに減少していくが、こうした長寿の傾向は少なくとも十六代以上にわたって続いたようだ。すると、龍蛇族のDNAを強く受け継いだと思われる応神天皇あたりまでの治世は、『古事記』や『日本書紀』の説くところとは異なり6000~7000年にわたって続いたと考えてよさそうである。

さらにラルフークレイグ・カーペンター氏は五色神祭が6000年ぶりに開かれたと述べているが、もしもこれが応神天皇の「高天原の乱」からの年数であるとすると、ムー文明滅亡のあと新生・日本国が神武天皇によって新たなスタートを切ったのは、1万2000~1万3000年前ということになってくる。それは、私かこれまで『謎多き惑星地球(このほし)』(徳間書店刊)の中で述べてきた先史文明滅亡の時期と合致してくる。

その『先代旧事本紀大成経』に記されている歴代天皇の姿を現代文に訳したものが、カヴァーロ氏と私の対談を収めた『クラリオンからの伝言 超次元スターピープルの叡智』(徳間書店超知ライブラリー刊)に掲載されているので、それを次に引用しておく。神武天皇については先述した通りである。

在位期間については一般にいわれるところを記しているが、実際は今述べたように少なくとも十六代の仁徳天皇あたりまでは、歴史書に書かれているより遥かに太古の時代に在位していた可能性があると私は考えている。

なお、ここにある「神功(じんぐう)天皇」とは十四代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后のことを指す。一般には天皇とはされていないが、ここでは『先代旧事本紀大成経』の表記にならい天皇として記しておいた。

○綏靖(すいぜい)天皇(2代、在位BC581年~)
身長は3メートル、目は黄色に光り、まるで水星のよりな輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られるときにはそれか逆立ちました。その武術は人に勝るので軽々しくものを言えませんでした。

○孝霊(こうれい)天皇(7代、在位BC290年~)
生まれながらの御容姿は、ほかの方とは大きく異なり、お顔が長く龍のようですが、決して醜くはありません。耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗があります。胸にも9枚の鱗があり、その9つの隙間から気を放っておられます。俊敏で、どんな遠いところにも行かれます。

O崇神(すうじん)天皇(10代、在位BC97年~)
背の高さは1メートル90センチ、額に10センチほどの青い角が1本あります。下あごの歯は長く鋭く、上あごの歯は短く丸く、舌は長く鼻まで届きました。

○垂仁(すいにん)天皇(11代、在位BC29年~)
背の高さは約1メートル80センチ、髪は右回りに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いてとどまっていました。両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしておられました。

○神功(じんぐう)天皇(14代天皇の皇后、在位AD192年~)
ご容姿は非常にたおやかで美しく、その目には2つの瞳をお持ちでした。乳には9つの穴があり、力は強く建物の柱を揺るがすほどでした。

○応神(おうじん)天皇(15代、在位AD270年~)
背の高さは2メートル90センチ、肘には弓を射るときの「鞆(とも)」という丸い当て皮のような形がありました。顔の真ん中の角は天に向かってまるで弓に矢を番(つが)えたかのようでした。胸には72本の青い毛が牛の尾のように生えていました。その長さは馬の尻尾ほどで、とても強く根ざしていたので最期まで抜け落ちることはありませんでした。

○仁徳(にんとく)天皇(16代、在位AD313年~)
ご壮年のころで、背の高さは1メートル90センチほど、目には青と黄色の光があり、耳は眉毛の上ぐらいの位置から囗の下にまで垂れ下がり、足の指は長く、まるで手の指のよりでした。

こうした『先代旧事本紀大成経』の記述を読むと、神武天皇以降代を重ねるほどに身長は少しずつ低くなっていったようであるが、かなり後になっても龍蛇族を思わせる容姿と優れた身体能力は保ち続けていたことが分かる。

これが真実だとすれば、日本の君主は龍蛇族の末裔ということになり、また日本人自体も龍蛇族の血を何らかの形で継いだ民族である可能性が大きくなってくる。

シリウス・プレアデス・ムーの流れ 龍蛇族直系の日本人よ! その超潜在パワーのすべてを解き放て (超☆わくわく) 単行本 – 2011/5/2 浅川 嘉富 (著) 抜粋
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外界と内界

2019-04-14 15:34:55 | 思想、哲学、宇宙論
https://blogs.yahoo.co.jp/tsune173/40715070.htmlより



きょうは「外界」と「内界」について考えました。哲学では「外界」とは「意識から独立して外部に存在するすべてのもの」、そして「内界」とは「意識内部のすべての事象」と言われています。

ところで、あなたは今、いったいご自分のどこからが「内界」でどこからが「外界」であるのか線引き出来ますか?

あらためてお尋ねしても意識したことのない人のほうが圧倒的に多いと思います。




たとえば、イスはどうですか?デスクは?部屋は?扇風機は?・・・等々。こんなの絶対「外界」だと思いますよね。

では、「五感」や「喜怒哀楽」はいかがでしょうか。これは私も「内界」に軍配を上げたくなるところですが、賛成される方も多いかと思います。ただSF映画の「ターミネーター」のワンシーンで少年の「痛くないの?」と言う質問に傷だらけのターミネーターが「痛みとして分類される。」と答えていました。つまり、機械人間は、痛くないけれども痛く、見えないけれども見えることに分類され、そこには本当に何も無く、本当に誰もいないのです。




つまりターミネーターには「内界」が無いのです。

かたや私達は「内界」を持ち合わせています。そしてその「内界」を以って「外界」を便宜的に作り出したのではないでしょうか・・・。「神様」のごとく・・・・いいえ「神様」だからこそ。




だから「外界」とは「意識から独立している様に見え、外部と思っている「内界」に存在するすべてのもの」ということになるのではないかと私には思えてならないのです。
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キリスト教の世界観を変えたベビーメタル

2019-04-07 18:49:27 | 思想、哲学、宇宙論
ベビーメタルのライブパフォーマンスからは因果律を越えた超越性を感じます。

万物を動かす根源力が、ステージで渦巻いているような感じです。

たとえ人間であっても、愛と信念とたゆまぬ努力によって

奇跡を起こすことが出来ることを証明したのが彼女たちです。
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悪想念で汚染される地球。

2019-04-06 15:01:01 | 思想、哲学、宇宙論



https://katou-jyuku.jimdo.com/

悪想念で汚染される地球。




 情報通信の進歩は、私達の生活に多大な恩恵をもたらしましたが、一方人の心を腐らせる要因ともなっています。



 ●過剰な情報は、私達の心にネガティブな影を落としています。

 ●コマーシャルは、誤った概念を押し付け、人の欲望を掻き立てています。

 ●インターネットは、理性を打ち砕く要塞と化しています。

 ●携帯電話は、悪想念垂れ流しの温床となっています。



 今や地球は、黒い想念で汚染され窒息寸前です。近年多発している凶悪犯罪の殆どが、この黒い想念によって起きていることを知らねばなりません。物的公害による環境汚染も深刻ですが、心的公害による環境汚染は、もはや猶予できないところまできているのです。

 戦争も、病気も、事件も、事故も、異常気象も、地震も、すべて悪想念による人災です。人類一人ひとりの悪想念が堆積し、そのような災厄を招いているのです。

 人間は目に見える物で目に見える物を改善しようとしますが、目に見えない想念によって招いた災厄は、目に見えない想念で改善するしかないのです。結果で結果は改善できないということです。

 真の改善方法は、

  ●ポジティブな想いを持つことです。

  ●良い言葉を使うことです。

  ●良い行いをすることです。

  ●瞑想をすることです。

 さあ、世のため人のためになりたいなら、常に明るい想いを持ち、ポジティブな言葉を使い、良い行いをして下さい。さらにテレビを見る時間を少し割いて、瞑想する時間にあてて下さい。その方がボランティアをやるより、よほど世の為、人の為、地球の為になっているのです。




-112-






ネガティブな思いを持つな!。




 世の母親は、何かというと子供のことを心配します。   

   ●風邪を引かないだろうか?。

   ●怪我をしないだろうか?。

   ●事故に遭わないだろうか?。

 また、テレビでアナウンサーがこういいます。

   ●季節の変わり目ですので体調にお気を付け下さい・・・。

   ●寒くなりますのでお風邪を召しませんように・・・。

 大きなお世話だ!、と私はいいたいです。どうして想念をネガティブに使うのでしょうか?。

 世の人々は、心配してやることが良いことだと思っています。また心配される方も、それを望んでいます。でも、これすべて慈悲魔です。甘えです。偽善行為です。良く見られたいと思う自己顕示欲です。それも、悪い結果を招く呪いの思いです。

   ●思いを持つなら良い想いを持って下さい。

   ●人の力になりたいなら希望の言葉を口にして下さい。

   ●人に幸せを与えたいならポジティブな言葉で励ますことです。

 それができないなら、何も思わないことです。何もいわないことです。何もしないことです。

 あなたの思いが、すべからく世に影響を与えていることを知って下さい。




-113-






何に思いを向けるか?。




 何も思わないでいる人など、この世に一人もおりません。全員が全員、家族のこと、友達のこと、恋人のこと、仕事のことなど、日々様々な思いを持って生きています。それも、過去のことを悔んだり懐かしがったり、未来のことを憂いたり恐れたり、なるかどうか分からない事をくよくよ考えたりして心を痛めています。これでは幸せになれるはずがありません。幸せになりたかったら、自分の方から幸せを貰いに行くことです。貰いに行くという意味は、"想念を上手に使う、"という意味です。想念を上手に使えば、幸せは黙っていても向こうからやってきます。

 誰も幸せは与えてくれません。誰も不幸は与えてくれません。与えるのは自分の想念です。ならば、想念を上手に使おうではありませんか?。

想念の上手な使い方とは、



 ●前向きな想念を持つことです。

 ●建設的な想念を持つことです。

 ●明るく楽しい想念を持つことです。

 ●希望あふれる想念を持つことです。



 一番大切なのは、どんなことが起きても決して悪く受け取らないことです。悪く思わないことです。そのためには、心の法則を熟知し信ずることです。信ずる心が強まれば強まるほど、幸せは身近に寄ってくるでしょう。


すべて想念が関係している。




 野球・サッカー・ゴルフなど、ボール競技真っ盛りの昨今ですが、勝負事は一体誰がやっているのでしょうか?。ボディーでしょうか?。想念でしょうか?。

想念と想念が闘っているのです。

  ●強い想念を持つ方が、弱い想念を持つ方を制するのです。

  ●良い想念(ポジティブ)を持つ方が、悪い想念(ネガティブ)を持つ方を制するのです。

 理由は、良い想念はエネルギーを強め、悪い想念はエネルギーを弱めるからです。(良い想念は光を呼び、悪い想念は闇を呼ぶ)

 光が強ければ幸運を呼び、闇が強ければ不運を呼ぶのです。これは宇宙の法則ですから、誰も逆らうことはできません。

 よくボール競技で見られることですが、勢いづくとボールは自分たちの都合の良い方へ転がり出し、劣勢になるとボールは自分たちの都合の悪い方へ転がり出します。イレギュラーする・デボットに入る・人のいないところに転がる・これみな光がボールを支配することによって起きる現象です。

 ボール競技だけではありません。どんな競技も、想念の持ち方が勝敗に大きく影響しているのです。勿論、スポーツ競技は相手あることですから、力(技術)が拮抗している場合という条件は付くでしょうが、想念が勝敗のゆくへに大きく影響していることは間違いないのです。

 人生における幸・不幸も同じです。そこに神も、仏も、奇跡も、偶然も、関係ありません。良い想念をどれだけ多く、どれだけ強く使うかで、幸不幸は決まるのです。ですから幸せになりたかったら、(勝負に勝ちたかったら)ポジティブな想念を多く、強く、使うことです。

 
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voice-of-brothers-534

2019-04-03 14:12:39 | 思想、哲学、宇宙論
https://ascension21.com/voice-of-brothers-534/


宇宙の始まりにおいて、大宇宙を創造した根源の意識エネルギーは、

御自身が己の姿を観るために自らの意識を人類意識として分け与えた。


人類に与えられた意思の自由というのは

その始まりから今日に至るまでの一貫した法則のようなものなんだよ。

だから、宇宙にあまねく存在するすべての人類が御自身の分心であり、

分身でありながら、その個々の選択、決断、実行に対しては、

一切干渉されることなく、ただただ、生命エネルギーを分け与えるのみなんだ。
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悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは TransTech Conferenceから

2019-04-02 14:34:42 | 思想、哲学、宇宙論
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/




「悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは TransTech Conferenceから



コラム

2018.12.18




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<悟りをひらいたとされる人たちをインタビューした結果、「自我の感覚の変化」「雑念の減少」など、彼らの経験には一定の共通点があった。科学的手法で解析した「悟り」とは。>






人類を進化させる技術TransTech Conference関連の記事4本目。前回の記事「マズローの欲求5段階説にはさらに上があった。人類が目指す自己超越とは TransTech Conferenceから」の記事では、ハングリー精神や欠乏感を持って自己実現を目指しても、結局幸福になれないという話をした。

自己実現した多くの人は、その先を目指し始めた。また社会的成功を目指す途中の人たちも、激化する競争に疲弊し始めている。欠乏感から解き放たれた幸福に向かって、人類は進み始めているのかもしれない。





同カンファレンスの共同創業者Jeffery Martin博士は、その幸福を「fundamental well-being(心のベースにある幸福感)」と呼ぶ。特にいい出来事が起こらなくとも、幸福で、満たされた状態のことを指している。宝くじが当たった、片思いの人に告白したら両思いになった、仲間と飲み会で盛り上がった、などという出来事をベースにした幸福感ではない。「たとえ離婚で苦しくても、心のベースにはこれでいいんだという幸福感がある。そんな状態をfundamental well-beingと呼んでいる」と同博士は語っている。

Martin博士は、宗教家など、「悟っている」「覚醒している」と言われる人たちの中に、そうした幸福感を持っている人が多いことに気づき、これらの人々に連絡を取って回った。インターネットや図書館で調べたり、人から紹介されたりして、12年間でこれまでに2500人以上にコンタクトを取ってきたという。悟った人は同様に悟った人との付き合いが多いらしく、数珠つなぎで紹介してもらった結果、被験者は宗教家というより、一般的な人が多くなったという。「悟りというと宗教家に限定されるイメージだが、一般的な人の間にも悟っている人が山のようにいることが分かった」と同博士は語っている

Martin博士が「Clusters of Individual Experiences form a Continuum of Persistent Non-Symbolic Experiences in Adults(大人の継続的非記号体験のクラスタが作る連続体)」という論文を書いた時点では、連絡を取ったのが約500人。その中から50人を選別し、一人当たり6時間から12時間のインタビューを行い、計量心理学的手法、身体的計測や実験を繰り返した。その結果、「悟っている」人々の間には一定の共通点があることが分かったという。

ちなみに論文のタイトルにあるPersistent Non-Symbolic Experiences(PNSE、継続的非記号体験)とは、宗教家たちが言うところの「悟り」「覚醒」のことで、fundamental well-being(心のベースにある幸福感)を示す学術用語。「悟り」「覚醒」という表現は人によって定義が異なり議論が前に進まないので、あえてよく分からない表現を使うことにしたようだ。瞬間的な幸福感ではなく「継続的」であるということが重要で、この調査では「少なくとも1年間は、心のベースに幸福感が常にある状態」と定義して被験者候補を探したという。

インタビューした50人がどんな人だったのかというと、平均年齢53歳。PNSE(悟り、覚醒)を最初に体験した平均年齢は41歳だという。全員が白人で、男性が78%。いろいろな手を使って女性PNSE体験者にコンタクトを試みたが、うまくいかなかったらしい。またほとんどの人が米国在住で、英語のネイティブスピーカー。約半数が何らかの宗教を信じているが、残りの半数は信じていない。ほとんどの人が何らかの形の瞑想を実践しているが、14%の人は瞑想をしたことがないという。つまりインタビューされたのは、割と一般的な米国の白人男性が中心ということになる。熱心な宗教家ではない。

インタビューした結果、PNSEには初期段階から、より高度な段階まで、いろいろなレベルがあることが分かった。ただこの論文の中では「段階」「レベル」という表現は使われておらず、「ロケーション」という表現になっている。初期段階よりも高度な段階のほうが優れているというな印象を読者に与えたくないからだという。悟っている人が偉くて、そうでない人がダメだ、というわけではないということだ。ただ日本語では「ロケーション」とするより「段階」としたほうが分かりやすいと思うので、この記事の中ではあえて「段階」と呼ぶことにした。事実、PNSEの最終段階になれば、感情がほとんどなくなるので、それが本当に幸せな状態なのかどうかは意見が分かれるところ。Martin博士も「最終段階の直前くらいが、人間として一番幸せな状態かもしれない」と語っている。

さて傾向としては、通常の意識からだんだんと変化し、最終段階では自我の意識がなくなり、雑念や感情、自己効力感が消える方向に進んでいくという。自己効力感とは、自分には自分の人生をコントロールする力があると感じることで、一般的には自己効力感が高いほど幸福感を味わうと言われている。ところがPNSEの最終段階になると、自己効力感さえが消えていくという。人生はただ目の前を流れていくだけで、それをどうこうしようという思いがなくなっていくからだそうだ。

それではPNSE(悟り、覚醒)とは、具体的にはどういう意識の状態なのだろうか。インタビューを重ねるにつれ、PNSEに到達した人たちは、自我の感覚、思考、感情、認知、記憶に関して、普通の意識状態の人と大きく異なることが分かってきたという。1つ1つ詳しく見ていこう。







▲拡張する自我、消滅する自我

PNSEに到達した人の最も共通した体験は、自我の感覚の変化だという。通常の意識の人が感じる「自分」とはまったく「異なる自分」を感じるのだという。「異なる自分」は、どの宗教を信じるか、もしくは信じないかによって異なってくる。例えば仏教を信じる人は「自分」という感覚が「広い空間いっぱいに拡大した」という表現を使うことが多い。一方でキリスト教徒は「神との一体化」「イエスとの一体化」「精霊との一体化」などという表現を使うという。いずれにせよ、「自分」が自分の身体だけに収まっているのではなく、より大きな存在であるとい感覚なんだそうだ。

この自我の認識の変化は70%の人には突然訪れ、30%の人には数日間から数ヶ月間かけて段階的に訪れたという。宗教を持たない人の多くは、この突然の自我の認識の変化に戸惑い、何かの精神病にかかったのではないかと勘違いするらしい。実際に多くの人が精神科医を訪れたが問題解決にはならなかったとしている。

PNSEの段階によって自我の感覚は異なるようで、初期の段階では自我は拡張し、あらゆるものに繋がっている感覚だそうだ。一方でPNSEの最終段階になると、自我という感覚は完全に消滅するという。その途中の段階では、自我は残っており、ときどきその自我に引き戻されるらしい。

50人の被験者のうち、9人がこういった自我の感覚の段階的変化を感じたという。うち7人は時間をかけた変化を感じ、2人はあっと言う間に自我が拡大し消滅していくのを感じたという。

このPNSEの中での段階の変化に伴い、世界観にも変化が生じる。キリスト教徒の場合、PNSEの初期の段階では「神、イエス、精霊」といったものが中心の世界観が正しいという信念が強まるが、最後の段階に近づけば別の信念に移行するのだそうだ。宗教を持たないスピリチュアル系の人たちは、最初の段階では「神」ではなく「すべてとつながったエネルギー」「意識」などという表現をベースにした信念を持つが、段階が進むにつれ別の信念に移行する。

別の信念とは、どういうものなのだろうか。論文では「自分の経験の真実に、より確信を持つようになる」と表現している。どういう意味なのかはよくわからないが、「神」や「仏」「意識」「大いなるもの」などといった外部のものではなく、自分自身がそうしたものと融合してしまい、「神」や「仏」「意識」「おおいなるもの」という認識がなくなる、というような感覚なのかもしれない。



▲減少し、消滅する思考

自我の認識の変化に加え、PNSEに入った多くの人が気づくのが、思考の量の変化だ。ほとんどの人が、思考が大幅に減少したと答えている。思考が起こる場合でも、思考は目の前を流れていって、それにとらわれることが少なくなったという。

この場合の「思考」とは、自分自身に関する雑念のことで、通常の人生を送る上で必要な思考による問題解決能力が減少したわけではない。PNSEの被験者と話していても、通常の人と同様に会話が成立するという。事実、PNSEの被験者に聞くと、雑念が減少したことで大事な思考に集中できるので、問題解決能力はかえって増強されたと答えている。

PNSEの最初の段階では、ときどき雑念に引き込まれることがある。もちろん、気づくとまた雑然のない状態にすぐに戻ることができるという。ところがPNSEの段階が進めば、雑念に引き込まれる頻度は徐々に減少し、最終段階に入ると雑念は一切起こらなくなるという。



▲減少するネガティブな感情

感情も思考と同様にPNSEに入ると減少し、PNSEの段階が進めば進むほど減少していくという。

PNSEの初期の段階の人は、ポジティブな感情からネガティブな感情までを感じることがあると答えている。ただ感情を認識しても、その感情を引きずることは少ないという。

またPNSEの段階が進むにつれて、ネガティブな感情は減少し、ポジティブな感情だけが残るようになるようだ。

さらにPNSEの最終段階では、一切の感情を感じなくなるという。ただその直前の段階では、非常に強い「思いやり」「喜び」「愛情」が混ざったような1つの感情になるという。Martin博士が「最終段階の直前が人間にとって一番幸せでは」と語るのは、この感情に常に包まれている状態だからだ。

多くの人はPNSEの初期の段階から徐々にこの「一番幸せな段階」までに進むが、ごく一部の人は直接この段階に着地し、その後すぐに感情のない段階まで移行したと答えている。

PNSEに入った人は、感情を引きずらなくなるが、心の平穏を大きく乱す外部要因に遭遇し続けることがある。

何人かはこの心の平穏を乱す外部要因を排除しようとする。例えば配偶者が心の平穏を乱すことに気づき、離婚した人が何人かいた。

一方で、平穏を乱す要因を排除せずに、心が乱れなくなるまで、そのままの生活を続けた人もいる。心が乱れなくなるまでどれくらいの期間がかかったかをたずねたところ、一番短かったのが2週間。一番長かったのが7年間だった。心が乱れなくなるまでに時間がかかった人は、幾つもの外部要因が複雑に絡み合ったケースの場合が多く、1つ1つの要因を順番に乗り越えていくのに時間がかかるようだ。

また心を乱す外部要因を持ち続ける人もいる。PNSEの最終段階に到達した人でも外部要因を排除せずに持ち続けている人がいるが、そうした人には心の乱れはなく、わずかに身体的に違和感を感じる程度だという。

被験者50人の中には夫婦がそろってPNSEに入っているカップルが4組いた。1組の夫婦は、心を乱す外部要因があることで、かえってPNSEの先の段階にまで進めた、と答えている。ただ何年たってもその中心となる外部要因を乗り越えることができず、結局離婚したようだ。

また外部要因に何年も悩まされた結果、PNSEの状態から普通の意識状態に戻ったケースが2件あった。普通の状態に戻っても2週間から4週間でPNSEに戻ったが、また同じ外部要因の中に入ればPNSEから押し戻されたと答えている。



▲外部刺激に対する反応の変化

認知も、思考や感情同様にPNSEに入ると変化する。そして思考、感情同様にPNSEの段階を進むにつれさらに変化していくようだ。

PNSEに入った人とそうでない人の認知のあり方で、大きくことなるのは2点。1つは「今」への集中、もう1つは、外部刺激に対する心の反応の仕方だ。

PNSEに入ると、雑念が減少していくので、過去を思い出したり、未来を思い悩んだりしなくなり、その結果、今、目の前にある事象に集中するようになる。

雑念がない分、感覚が鋭くなり、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、皮膚感覚など5感を総動員して、今の目の前の事象を深く味わおうとするようになるという。

PNSEの初期段階では、その後の段階に比べて、過去や未来の思考に引きずり込まれることが多いらしい。後ろの段階になると、目の前の体験にしっかりと根付くようになり、最終段階では、ほぼ完全に「今」に没入し、3次元のものが2次元に見え、世界が止まったように感じるらしい。

認知に関するもう一つの大きな変化は、外部刺激に対する心の反応の変化だ。

自動車を運転中に、別の車が目の前で急にレーン変更してきたとき、PNSEの初期段階の人は一瞬イラっとして脊髄反射してしまうが、すぐに通常の平穏な心に戻るという。PNSEに入る前までは、イラッとした状態が長引いていた、と答えている。被験者に自己分析をしてもらうと、自我の感覚が拡大したため、ちょっとしたことで
バカにされたと傷つかなくなったからではないかと答えたという。

一方で、PNSEのより深い段階に達している人の外部刺激に対する反応は大きく異なる。穏やかな気候のときに大学のキャンパスでインタビューしているときのこと。何人かの女子学生が芝生の上で水着姿で日向ぼっこをしていた。被験者(男性)が水着姿の女子学生をちらっと見たので、Martin博士が、頭の中で何が起こっているのかを被験者にたずねた。そうすると被験者は、自分が女子学生の方向をときどき見ることは分かっているが、その後、心の中に何も変化がないと答えたという。自己分析してもらうと、女子学生を無意識に見るのは、生殖に関する深いレベルに組み込まれた反応ではないだろうかと答えたという。

PNSEの中間から後ろの段階の何人かの被験者は、こうした認知プロセスのレベルの1つ1つの反応を認識できると答えている。生殖に関する本能のような反応から、身体的、思考的、感情的な反応まで、認知のレベルを順に認識できて、自分の反応がどのレベルから来ているのかが分かるという。一方でPNSEの初期段階の被験者は、認知プロセスを細分化して認識できず、1つの反応として捉えているようだ。

またPNSEの段階が進めば進むほど、外部刺激に対する反応を自分でコントロールできるようになるという。そして最終段階になれば外部刺激に反応することがほとんどなくなるので、反応をコントロールする必要もなくなる。外部刺激にただ気づくという反応になるらしい。



▲減少する記憶

被験者全員が、過去の記憶はもはや重要ではなくなったと答えている。自分の過去の記憶に興味がなくなると同時に、ほかの人の過去のストーリーにも興味がなくなる。映画などの趣味も変わるという。

雑念が減少するに伴って、過去の出来事をふと思い出すことも少なくなるようだ。何人かは記憶障害になったのではないかと思うそうだが、実際に過去の出来事について質問すると、ほとんどの被験者は問題なく思い出せるようだ。

特にPNSEの最終段階では、短期、中期の記憶を思い出すのが困難になると語る被験者が多いという。



▲PNSEには誰でも入れる

さて悟った人の意識状態がどういうものなのかは分かった。Martin博士は次に、通常意識の人が何をすればPNSEに入ることができるのかを調べた。その結果、「一般的に思われているほどPNSEに入るのは難しくない。自分に合ったアクティビティさえ見つけることができれば、多くの人がPNSEに入れる」という結論になったという。「PNSEに入ることよりも、入ったあとで、新しい意識と自分の人生の折り合いをつけることの方が、よほど大変だ」と同博士は指摘する。

これは僕もそう思う。一般的には、臨死体験をするか、座禅や瞑想などの修行を長年繰り返さなければならない、と信じられている。でも僕がこれまで「この人はPNSEに入っているな」と思う人のほとんどは、臨死体験をしたわけでもなく、座禅の長年の実践者でもない。

ヨガやサーフィンの愛好者はもちろんのこと、水泳やランニングの愛好者の中にもPNSEの人がいる。また反対に、そうしたことを一切していない人でも、PNSEに入っている人もいる。

特に若い人の間には、欠乏の心ではなく、満たされた心で活動している人が増えてきているように思う。

どうせなら、満たされた心の人が増えてくれれば、世の中はより楽しくなるように思う。

Google社内で一番人気の課外プログラムはマインドフルネスで、そのプログラムを開発したChade Meng-Tan氏は、悟った人を100万人作りたい、と語っているという。またTransTech Conferenceの主催者たちは、テクノロジーを使えば2030年までに、心が満たされた人の数を10億人に増やせるはずだと語っている。

常に欠乏した意識から、常に幸福に満たされた意識へ。人類は今、大きな変化の扉の前に立っているのかもしれない。

次回の記事では、欠乏の意識の人をPNSEに移行させるための実験とその成果について見ていきたい。







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