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第2章 お金のいらない国
第1節 お金のいらない国とは
ここまでは資本主義社会の景気等について記してきましたが、お金のいらない国は、お金を払わなくても自由に商品を手に入れることができるため、究極に景気の良い世界であります。
そして商品と引き換えに金銭の授受をすることがないので、お金を得ることができなくなり所得格差が起きません。
ではどのようにしてお金のいらない世界を構築するのか、そして、それがどのような国なのか、その国の様子をご案内します。
「お金のいらない国」と聞くと、多くの人は、原始的な物々交換や時給自足、社会主義や共産主義的な暮らしや、共有財産制の下での共同生活及び質素な生活を思い浮かべるかもしれません。これらの生活は、決して我々の生活を豊かにするものではありませんので、そのような世界では資本主義の世界の生活を超えることはできません。本書で提案する「お金のいらない国」は、今よりもさらに快適な生活を手にすることができる経済を目指します。
そこで、商品の価格をゼロにして、「0円の商品を買う」 という発想がお金のいらない国です。商品の価格が0円であれば、何でもタダで手に入れることができます。
「お金のいらない」とは、商品の価格が0円なので「お金を使う(払う)必要がない」という意味です。ただし、お金(円)は、外国との貿易等に必要ですので、決してお金を廃止するわけではありません。
1,000円の商品を0円で売ると、1,000円の赤字ですが、価格0円の商品を0円で売るのであれば、販売者の損失は無く経営は破綻しません。店で販売されている商品が、0円であれば誰もが自由に購入できるので、不景気知らずで超好景気の世界が訪ずれます。ではどのように商品の価格をゼロにするか、次節で説明します。
第2節 商品の価格をゼロにする方法
商品の価格をゼロにする方法はとてもシンプルで、
「みんなが利益を放棄する」
(ここでは利益とは、賃金、会社の営業利益等、経済活動で得る利益を指します)
ことです。
次になぜ「みんなが利益を放棄する」と商品の価格がゼロになるか説明します。
商品がどのように作られているか辿っていき、その製造に係る経費を調べると全て、それに関わる人の利益で構成されていることがわかります。
例えば鍋(鍋にもいろいろな種類がありますので鉄鍋の場合)は、原料の砂鉄や鉄鉱石を溶鉱炉(たたら)で製鉄し、製鉄された鉄を溶かして砂で作った鉄鍋の型に流し込んで作られ、次の作業に関わる人の利益が、鉄鍋の価格を決定しています。
(1) 原料の砂鉄を採取する作業
(2) 砂鉄を溶かすための燃料(炭)を焼く作業
(3) 砂鉄を溶かす溶鉱炉(たたら)を作る作業
(4) 砂鉄を燃料(炭)を使用し、溶鉱炉(たたら)で溶かして製鉄する作業
(5) 砂で鍋の型を作る作業
(6) 製鉄を燃料(炭)を使用し溶かして鍋の型に流しこみ鉄鍋を完成させる作業
よって、これらの作業に関わる人たちが各自の利益を放棄するなら、鉄鍋の価格を0円にすることができます。
その他、とても複雑な工程を経て生産されるものがありますが、それぞれの工程を分解していくと、商品の価格はそれぞれの作業に関わる人の利益で構成されていることがわかります。
商品がどのように作られているのか辿りながら考えると物と物が複雑に絡み合っているためややこしくなりますが、視点を変えて、「人が何かをしなければ、そこには自然物以外何も存在しない」と考えれば、「物(商品)」は全て「人の手」によるものだとわかります。
そして、その「物」に対して、人が利益を要求するとそこには価格が存在し、利益を要求しなければすべての「物」の価格がゼロになります。例えば、石油は人知れず地中に埋蔵された状態では、価格はゼロですが、採掘するという人の手が加わり採掘者等が利益を要求することにより、価格が存在するようになります。
なお、石油等の外国からの輸入により調達する原料については、外国に経費を支払う必要があるため、いくら国内でみんなが利益を放棄しても原料の価格分を誰かが負担しなければならないため、商品の価格を0円にはできません。
このため物品等の輸出入については、経費の支払い方法を少し工夫する必要がありますので、「輸入の経費はすべて国が負担、輸出の利益はすべて国の収入(国の代わりに第三者機関でもかまいません)」とします。
これについては輸出入(貿易収支)に関わらずサービス収支や所得収支等、経常収支に関わるものは全てこのように取り扱うことにします。(ただし、個人的な輸入については、個人で支払うことにします。)
例えば鉄鉱石を商社が輸入するときは、調達費用の支払いを国が行い、商社は価格0円で製鉄会社へ引き渡します。製鉄会社は、鉄鉱石の調達費用がゼロになるため、これで外国から輸入した原料による商品も国内では価格0円で流通できます。
また、原料の鉄鉱石からの成果品のひとつである自動車を商社が輸出(輸出は市場の適正価格で行う)するときは、輸出による利益が発生しますが、「みんなが利益を放棄している」ので、商社もまたその利益を得ることはできないため、利益は国の収入とします。
ところで、利益を放棄しても、これまでに蓄えた資産を放棄する必要はありません。国内ではお金を使う必要がなくなりますが、国外ではお金が必要ですので、預貯金はそのまま銀行等に預けて置いて、海外旅行等外国でお金が必要な時に使うことができます。また、共有財産性を導入しないので、土地や建物の不動産については、所有権を失うことはありませんが、利益を放棄しているので手放すときは、0円で売ることになります。
「みんなが利益を放棄する」を、もっと噛み砕いた表現をすれば、「みんながボランティアで活動する」です。
商品の原料を始めとして、すべての商品が人の手から生み出されているので、それに関わる人全てがボランティアで活動すれば、商品の価格はゼロになります。
先ほどの鍋の例をボランティアという視点で説明してみます。(燃料については輸入品で価格0円とします)
鉄鍋の製作者がボランティアで鉄鍋を作りをそれを0円で売ると、製鉄の仕入れ経費分が、赤字になります。
そこで、製鉄業者が、ボランティアで砂鉄を製鉄して、それを鉄鍋の製作者に0円で売ると、鉄鍋の製作者の赤字はなくなりますが、製鉄業者の砂鉄の仕入れ経費分が、赤字になります。
もし、砂鉄の採取業者がボランティアで砂鉄を採取し、それを製鉄業者に0円で売ると、製鉄業者の赤字はなくなり、砂鉄から鉄鍋に至るまでの経費がすべてゼロになり、誰も損をすることなく鉄鍋を0円で売ることができます。
このように、「みんなが利益を放棄する」とすべての商品の価格がゼロになり、自由に商品を0円で買うことができます。
第3節 みんな既にお金のいらない国に住んでいる
実はお金のない国は身近なところに存在しています。家族がお金のいらない国の基礎となります。
例えば、食堂で食事をするとお金が必要ですが、家で食事をするとお金はいりません。旅館に泊まって眠るとお金が必要ですが、家で眠るとお金はいりません。すごく当然なことですが、ここにお金のいらない国を実現させる仕組みが隠されています。ではなぜ家ではお金がいらないのか、食事を作るためには、食材費、光熱費、及び調理する労働力等の調達費用が必要ですが…、それは単にお金を要求していないだけなんです。
つまり、家族内では無意識に、「みんなが利益を放棄した」状態にあります。
なお、前節で「利益を放棄しても、これまでに蓄えた資産を放棄する必要はない」及び、「共有財産性を導入しない」と記しましたが、これは家族内でも、それぞれが銀行口座を持ち自分の預貯金を管理し、また、それぞれが自分の部屋を持ち所有権を主張して生活していることを倣ったものです。
どうして家族の中では利益が放棄されているのか。おそらく誰もが「家族は、絆や家族愛で結ばれた信頼関係にあるから」という趣旨の回答をすると思います。これはとても重要なことです。日本中の人々が絆や家族愛で結ばれた信頼関係を持つことができれば、すぐにでもお金のいらない国を実現できると思います。
実はもう一つ、我々が気付いていない別の理由があります。それは、「利益を放棄した方が合理的であるから」です。
なぜ利益を放棄した方が合理的なのか。もし家族内でお金の授受を行ったらどうなるのか親子関係を例に検証してみます。
家族内でお金が必要になると、子供はお金を稼いでないので食事等のサービスを受けることができず生活できません。しかし、国民には憲法に保障された生存権があるので、健康で文化的な最低限度の生活を営むために生活保護を受けることになりますが、一義的に親が子供を扶養する義務がありますので、結局親が必要な生活費を子供に支給することになります。
そこで子供は、親から支給された金銭を持って、親から提供される食事等のサービスの支払いに充てます。支払い形態は色々考えられますが、自分の部屋の利用料は毎月、食事とお風呂は食堂や銭湯のように利用するたびに払うことにします…。
このようなことを少し想像しただけで、「こんな無駄で面倒なことはやめよう。」という気持ちになり、お金を使わないほうが合理的であるという結論に達すると思います。
我々は、国じゅうでこんな面倒なことをしています。国家という家族の元で国(政府及び日本銀行)が発行したお金を国内でぐるぐる回し続けています。無駄なことを省けば生産性が上がり我々の生活も豊かになります。
つまり、お金のいらない国の方がお金の授受という無駄な労力を払う必要がないので、合理的に生活を送ることができます。
このようにお金のいらない国へのアプローチの仕方は、二通りあります。
(1) 我々が絆や家族愛で結ばれた信頼関係を持つ。これは理想的ですがハードルは高いです。
(2) 生活を合理的にする手段の選択という名目でお金のいらない国を目指す。
お金のいらない国を実現するための鍵については、第7節で考察します。
第4節 お金のいらない国でお金を貰う人払う人
実はお金のいらない国になっても例外的にお金を貰う人や払う人が存在します。
日本で働く外国人は、お金を稼ぐために日本に来ているので賃金を貰う必要があります。また、日本に居住する外国人や日本に来る外国人観光客などは、利益を放棄していないのでお金を払う必要があります。もし、外国人観光客が日本で無料で食事ができたり、お土産や商品を無料で入手できるとそれを目的にした入国者で溢れかえり、日本から富が流出してしまいます。
また、日本国内の外国籍企業で利益を放棄していない企業は、そこで働く日本人に対して、賃金を払う必要があります。もし、賃金が払われなければ、無料の労働力を求めて進出してくる外国籍企業で溢れかえり、同様に日本から富が流出してしまいます。
このようにお金を貰う人払う人の判別基準は日本から富が流出するかどうかで決まります。
なお、国内の企業で働く外国人への賃金の支払いは、企業は利益を放棄しており収入がないので国が支払い、日本人が得た観光収入や外国籍企業からの賃金は、みんなが利益を放棄しているため、国が受取ることとします。(国の代わりに第三者機関でもかまいません)
第5節 日本はどう変わるか
1 経済
(1) 生産性の向上
経済の一番の変化は、生産性の向上です。設備投資に必要な経費が不要になり、設備業者からの機械等の設備の供給が許す限り生産設備をいくらでも増設できるため生産性は飛躍的に向上します。
(2) 金融などお金に関わる業務金融に従事していた人材の活用
会社や国・地方自治体等すべてに渡り、金融・経理・財政の業務が削減されるので、これらに従事していた人材を他の事業に有効に活用できます。
(3) 予算に左右されない人材の活用
人件費が不要なので予算がなくても、人材を確保さえすれば生産性が向上します。
(4) GDPの役割
国内ではお金の流れがなくなるため帰属価値(市場で取引されていない財・サービスの価値)を推計してGDPに含めなければ、GDPは限りなくゼロに近づきます。このため実際の生産活動とは乖離してしまいGDPは豊かさを表す指標ではなくなります。
(5) 国債の償還
国債については、「みんなが利益を放棄する」状態なので国内の債権者に対する対応は議論する必要があります。ただし、外国人が購入している国債については、きちんと償還しなければなりません。
外国人が購入している国債の額は国債全体の約1割なので、年間の償還予定額は、財務省のホームページで公表している平成27年度の国債償還額から推計すると、約14兆円となり、また、利子については、長期利率を1%まで見込んでも年間利子は約1兆円となり、合わせて約15兆円となります。
これに対して、25年度末の政府資産は、652.7兆円 あり、2015年経常収支は16.6兆円の黒字のため償還資金については全く問題ありません。ちなみに政府は換金性のある資産は、ほとんどないとしておりますが、例えば、年金は必要なくなるので少なくとも100兆円余の運用寄託金は流用可能です。
2 仕事・産業
(1) 仕事の形態等
仕事がどのように変化するのか想像がつきませんが、労働に対して利益を求めないので、全ての人がボランティアで働くことになります。また、労働の対価としてお金を受け取らないため、雇用者と被雇用者及び、お客とサービス提供者との関係が変化し、労働に対する感謝の気持ちを受けることになるので、お金を稼ぐことの変わりとなる、仕事に対しするやりがいが起こるかもしれません。
仕事の形態としては、組織で働くのをやめて個人で活動する人が増えるかもしれません。そして一人ではできないことは、個人、個人が集まり組織のように行動するかもしれません。いずれにしても、仕事に対してお金以外の何かを求めて、一人ひとりが生きがいや自分の役割を考えるようになれば、業務効率が向上します。
正規・非正規雇用の格差がなくなり、非正規雇用の特徴である、個人のそれぞれの事情に応じて働きたい時に働くという雇用の柔軟性が活かされるようになります。
仕事の取引にお金が関わらなくなるので、仕事の成果には「人と人とのコミュニケーション」や「信頼関係の構築」が重要になってきます。
(2)会社の形態
新規に設立される会社は、必然的にNPO法人となります。会社等の人的な配置は変わっても基本的な組織の仕組みは変わりません。
(3) 研究開発
開発費が不要のため、人材及びその能力が許す限り、研究開発・技術革新が可能になります。このため、商品の性能でも他国の追随を許さない高い品質の競争力を身につけます。
3 政治
(1) 利権・汚職の少ないクリーンな政治
国は、国内の事業で予算を組むことがほとんど無くなるので、予算の伴う事業が激減し利権の少ない政治が実現します。(国の予算は基本的に貿易等経常収支に係る項目のみになります。)また利権が少なくなればそれに絡んだ汚職も少なくなります。
(2) 地域活性化
地方公共団体に対して、上記(1)により国の権限(利権)の影響力が弱くなるため、地方の個性が発揮できるようになります。やる気がある地方は地域活性化し、やる気がなければ、衰退化が進む可能性があります。
(3) 選挙
選挙にお金がかからなくなるので誰でも立候補が可能になるが、供託金が存在し得なくなるので、売名目的での立候補を抑制するための代替案を検討する必要があります。
4 教育
(1) 教育問題の改善
いじめや不登校等の教育問題の主たる原因は人間関係であるため、これを解決することは難しいですが、親の仕事などで経済的に制約されていた教育を受ける環境を、引っ越し等により自由に変えることができるため問題の解決に至る可能性があります。
予算的に制約のある先生の増員やカウンセリングを増やすことが可能になるため、児童や生徒のサーポート体制を強化できます。
(2) 学力の向上
子供たちのやる気次第ですが、経済格差による学力格差や教育格差がなくなるため、教育水準や進学率が上がる可能性があります。ひいては、優秀な人材を生み出すことになるため、日本の発展に寄与することになります。
(3) 子供の健康
学校給食を充実せさることができるため、児童や生徒の健康増進を図ることができます。
5 金融・保険
(1) 金融機関の業務
銀行等の金融機関については、業務量はかなり縮小しますが、日本に居住する外国人への融資等の貸付業務、既存の預貯金を管理する預金業務及び、海外との振込や送金で債権や債務の決済を行う為替業務は、引き続き存在しますので金融機関が不要になることはありません。
なお、金融機関は、外国人への貸付については、利用者から利息を受け取りますが、日本国民の預貯金については、国民は利益を放棄しているので利子を払う必要ありません。
また、国内の債権及び債務の取り扱いについては、「みんなが利益を放棄する」ことを鑑みて、どのようにするのか議論する必要があります。
(2) 金融市場の縮小
株式投資を初め金融市場は、国内では存在意義を失いますが海外との関係は続きますので、業務は縮小しますが継続されます。
例えば、株式市場は株式売買の約7割が外国人投資家によるため、外国人向けの投資市場として営業することが可能です。株価がどうなるかは想像できませんが、国内企業に対する影響は株価が上昇しても下落してもほとんどありません。
(3) 保険の存在価値
保険業については、お金が無意味になってしまうので、損害賠償責や慰謝料の価値がなくなってしまいます。このため損害賠償や慰謝料の概念がどう変わっていくのかわかりません。
国内では保険料を支払ったりする金銭の授受がなくなるため、保険の存在価値は少なくなりますが、海外で業務を行う場合は従来どおりの業務形態が続きます。また、例えば自動車事故の事故処理等の業務は存在し続けるするため、全体の業務は縮小することになっても保険に係るサービス業務は無くなりません。
(4) ギャンブルの廃止
金融・保険の項目に掲げるのはジャンル違いかもしれませんが、競馬、競輪等の公営ギャンブルや宝くじ及びパチンコ店等については、お金を得る必要のない世界ではギャンブルが成立しないので存在できません。
なお、パチンコ店については、ゲームセンターのような換金性の無い娯楽施設としてなら存在できますが、既存の利用者は換金性を求めているので、需要はほとんど無くなると思われます。
このため、ギャンブルによる借金問題やギャンブル依存症等の社会問題が改善されます。
6 観光
(1) 海外旅行
国内でお金は必要なくなりますが、海外旅行をするときはお金が必要です。海外旅行を希望する日本人に対して国が海外旅行の費用を負担するような仕組みが必要です。
国の負担で海外旅行へ行けるようになると、旅行客がどの程度増加するのか予想できませんが、平成26年度中 国際収支状況(速報) によれば、経常収支のうちサービス収支(旅行)の支払額は は約2兆円となっています。
7 犯罪
(1) 犯罪の減少
お金に関わる犯罪が成立しないので、強盗、振り込め詐欺及び万引き等の犯罪が無くなります。
警察庁のホームページの犯罪統計数値によると、平成24年度の刑法犯総数約140万件発生し、そのうち強盗、窃盗、詐欺及び横領の合計は、約110万件です。このため、約78%もの犯罪が減少します。
現金がほとんど流通しなくなるので、暴力団の資金源が絶たれます。また現金がなければ、武器や麻薬の密輸入や国内での密売が不可能になり、例えば薬物常習者による犯罪防止等それらに係る犯罪も減少します。
身代金目的の誘拐がなくなり、不幸にして幼い命が奪われるという悲劇がなくなります。
犯罪のない世界になるとまではいえませんが、現在よりも犯罪が減少すると予想されます。犯罪が減少すれば、警察の捜査を他の犯罪に注力できるので犯罪検挙率及び犯罪抑止力の向上にもつながります。
これらのことより、国内の治安はより良くなると予想されます。
(2) 自殺の減少
内閣府のホームページの平成27年中の自殺統計資料によると、「経済・ 生活問題」が原因・動機の自殺は約17%あります。お金に関わる問題が解決すれば、これらの自殺を減少させることができます。
8 社会保障
(1) 社会保障の抱える問題
「年金」「医療」「福祉」等の社会保障の問題は、そのほとんどが金銭問題なので、解決は容易です。
(2) 少子化問題
少子化の原因でもある結婚の晩婚化や未婚率の増加については個人の価値観の問題なので、改善策は難しいと考えますが、結婚を妨げていた金銭問題、学歴、結婚の条件である収入が意味のないものとなり、条件面のハードるがさがり、結婚という少子化問題の最初のステップを超え易くなります。
子供を産み育てることに関して金銭的な障害は取り除かれるので、出生率が改善する可能性があります。また、国や自治体等による子育て支援については、予算的な制約がなくなるので保育施設の拡充等、充実した支援ができるようになります。
9 食料
(1) 食料自給率の改善
生産コストがゼロなので、価格競争力が付き、輸入品より確実に安くなり、また、規模の小さい農家でも機械化が可能であるため生産能力が向上し食料自給率が改善します。
作物が取れ過ぎた時に市場価格の下落を防ぐため大量に廃棄することがあるが、市場価格を気にしなくて良いので、廃棄する必要がなくなり食品ロスが減少します。
また、日本の食料自給率が上がれば、輸入してい分を他の国で消費することができるので、世界全体の食糧問題に貢献できる可能性があります。
(2) 農業従事者の増加
農業を始めるためには、農業機械の購入等の高額な初期投資が必要なので、若い世代にとっては、農業に従事するためのハードルが高いが、お金の心配なく農業を始められるので、農業従事者の増加が見込まれます。
(3) 農地の有効活用
農地の流動性を妨げている原因として、土地の資産価値の上昇を期待して農地を手放さないことが挙げられますが、土地を売って利益を得るということが無意味になるので、農地の流動性が増し有効活用につながります。
(4) 農産物の多様性
補助金等が存在しなくなるので、作付けが補助金等の出る品種や儲かる品種に集中することがなくなり、生産される農産物の多様性が増します。
(5) 水産資源の保全
利益追求による乱獲や密漁がなくなり、資源の保全につながります。
10 資源・エネルギー
(1) 豊富な海底資源の開発
日本近海の海底には、「メタンハイドレート」、 「海底熱水鉱床」、「コバルトリッチクラスト」及び「レアアース泥マンガン団塊」等の豊富な海底資源が眠っており、その資産価値は一説によると300兆円ともいわれています。
これらの資源は水深4,000mから6,000mの海底に分布しているものもあり、現在のところ採取等について商業的に採算がとれませんが、採取技術さえ確立できれば、採取に掛かる人件費等あらゆるコストがゼロで採取できるため商業生産が可能となり、資源のない国から、豊かな資源を持つ国へと変貌することができます。
(2) 自然エネルギーの利用
上記(1)のメタンハイドレードが利用可能になれば、エネルギーコストゼロで火力発電を行うことができます。その他、太陽光発電、風力発電及び地熱発電等の自然エネルギーを利用した発電についても、発電施設をコストゼロで設置することができますので、今以上に自然エネルギーの有効活用が促進され、地球環境の保全に貢献することができます。
11 その他
(1) 希少価値はどう変化するか
骨董品やマニアックな趣味の世界で希少価値を持つことにより、取引されていた金品が、どのように取引されていくか不明です。希少価値に対して値段をつけられないので、持ち主がお金と引き換えに手放すことがないため入手が困難になるかもしれません。もしかして、品物自体に興味はないが金額が高いという理由で所持していた人は、容易に手放すかもしれません。
(2) 権力の源はどう変化するか
お金 ≒ 権力という時代が終焉するため、権力を持つものはどのように変化するのか、人柄や人望の厚さといった人格が権力となるのか、肉体的な力が権力となるのか、知性が権力となるのか、我々がどのような人物に権力を与えるのか、そもそも権力というものが意味のないものになるのか未知数です。
ここまでメリットばかり記しましたが、私が想像できることはほんの一部でしかありません。実際のところ「日本がどう変わるかは」我々の意識による影響を強く受けますので、皆さんも是非どのような世界になるのか想像してみてください。
第6節 日本が一人勝ちする理由
資本主義社会の世界で日本が一人勝ちする理由は、他国との貿易において競争に打ち勝つために必要な、生産能力・開発力・コスト・資源等すべてを飛躍的に向上させることができるからです。また、お金に関わる業務が削減されるので、その人材を他の生産活動に活用できるようになります。
(1) 生産能力 設備投資費0円のため生産設備をいくらでも増設可能
(2) 開発力 開発費0円で開発可能
(3) コスト 生産コスト0円
(4) 資源 海底資源が採取できれば、輸入していた原料費を減らせる これらの中で最も有効なものは、コストです。製品をコスト0円(国内価格0円)で生産できるため、価格競争力で日本に勝てる国は無くなります。国際貿易において、国内価格0円が認められるかは、怪しいかもしれませんが、いくらで売っても生産コストはゼロなので利益率は、測り知りえません。
また、工業製品のみならず農産物についても価格競争力で日本に勝てる国は無くなりますので、価格競争力に関わるTTPの影響はほとんど無視することができます。
ただあまりにも日本が一人勝ちすると、国際社会からクレームが来てしまいますし、一人勝ちしても何も意味がないかもしれません。なぜなら、日本が世界の中で一人勝ちしようがしまいと、我々の生活はもう十分に豊かになっているからです。
第7節 お金のいらない国を実現する鍵は互恵的利他主義
お金のいらない国が実現するかについては、第3節で家族を引き合いに出したように、我々の人間関係が家族同様の絆を持つことができれば、すぐにでも実現できます。しかし、それはとても困難なことです。
困難なことですが実は、お金のいらない国を実現するための条件である「みんなが利益を放棄する」こと自体は、ものすごくハードルが低いと考えられます。例えば、サラリーマンの人にはちょっと耳元でこう囁くだけです。
「給料を放棄すれば、すべての物がタダになって何でも手に入るよ。」
と、するとほとんどの人は、自分の給料よりも多くのものが手に入ると判断し損得勘定で給料を放棄することを選択する可能性があります。
問題は次です。
「ものがタダで手に入るのなら、働かなくていいんじゃないの?」
と考えて働くのを辞めてしまうことも考えられます。もちろん働くかどうかの問題はサラリーマンだけではありません。農業を営んでいる人やお店を経営してる人などすべての職業に当てはまります。
職業選択の自由が保障されているので辞めることは自由です。しかし同時に勤労の義務もあるので働くということが必要です。どう働くかは自由です。それが誰かのためになればすべて労働とみなします。例えば、子育てや専業主婦の家事も労働として評価されるようになります。
お金のいらない国は、みんなが「普段どおりに働く」たったそれだけで成功します。資本主義社会において、働くことが生きがいの人を除けば、人々の一般的な働く動機は、自分や家族のためにお金を稼ぐことです。それを、自分や家族より範囲を広げて、みんなのために働くことを動機にする必要があります。このため、「互恵的利他主義」の考えに基づく行動が必要になってきます。
互恵的利他主義とは、どういう意味か字面から判断することができます。
互恵とは、「互いに利益を与え合うこと」です。
利他とは、「他人に利益を与えること」です。
つまり互恵的利他主義とは、「互いに利益を与え合うことを前提に、他人に利益を与える考え」です。
日本のことわざで表現するならば、「情けは人の為ならず(人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる)」でしょうか。
「互恵的利他主義」は、動物の世界でも行われている行為ですので、人にできないことはありません。
動物の事例で、よく引き合いに出されるのがチスイコウモリの血液のやり取りです。彼らは集団で生活し、夜間に動物の血を吸います。しかし20%程度の個体は全く血を吸うことができずに夜明けを迎え、これは彼らにとってしばしば致命的な状況をもたらすので、血を十分に吸った個体は飢えた仲間に血を分け与えます。
チスイコウモリは、なぜこのような行動をとるのでしょうか。推測ですが、獲物に出会えるかどうかは確率論の世界なのでおそらく彼らの個体数に関わらず毎晩20%程度は血を吸うことができません。血を吸わなければ死に至りますので、お互いに血を分け合わなければ、毎日数%程度の仲間が減っていき、いずれ絶滅してしまいます。そのため、「種の保存」という目的において、「互恵的利他主義」が備わっているかもしれません。逆に、互恵的利他主義が種の保存のために必要であるなら、人間を含め、すべての生物に、本能として互恵的利他主義が備わっていると考えられます。
次に「働きアリの法則」というのをご存知でしょうか。働きアリのうち、本当に働いているのは全体の80%で、残りの20%はサボっているという法則です。この働きアリの20%はサボっていることに注目すると、チスイコウモリの20%程度が血を吸えないのは、もしかして採餌をサボっているだけじゃないかとも考えられます。働きアリは仲間のために働いているので、アリの社会も互恵的利他主義といえます。
チスイコウモリや働きアリの20%が採餌できなかったりサボったりしていても、集団が維持できていることから、互恵的利他主義は、効率が良いと考えられます。つまり、楽観的に考えると我々人間社会でも20%程度がサボって働かなくても、お金のいらない国を維持できるのかもしれません。
ところで実は、互恵的利他主義はすでに我々の生活に定着しています。例えば、保険(生命保険や自動車保険等)は視点を変えれば互恵的利他主義の一つといえます。
自動車保険は、万が一事故が起きたときのために加入するものですが、その補償は自分の為なのか、相手の為なのか考えてみると、補償を受け取る相手の為である要素が大きいと考えられます。保険金を支払うのは自分であり、自分の支払った掛け金は、自分の身に事故が起きない限り他人の補償に使われます。
保険の加入者は、事故が起きたときお互いに補償を受け取る為に、掛け金を払っているので、互恵的利他主義の行動に該当するといえます。また、保険は必要な人に必要な量を与えることにより、少ない負担で大きな利益を得られるようになっているため、この点からも互恵的利他主義は効率的であるといえます。
もう一つ、みんなが「普段どおりに働く」方策として、労働に対して、経常収支を原資とするインセンティブ(意欲向上や目標達成のための報奨金)を与えることも効果的であると考えます。
お金のいらない国では、すべての商品がタダなのでお金を貰っても意味がないと思われるかもしれませんが、海外旅行等で外国産の品物を買う等、海外で活動するときにはお金が必要です。世界中がお金のいらない国に変われば、お金が全く必要なくなりますが、資本主義の世界と共存する間はお金が必要ですので、働く動機としてはそれなりに効果があると考えられます。
おわりに
自給自足から物々交換へと変遷していった経済活動は、お金を発明し資本主義へと移っていきました。当時、人はまだ未熟だったので、お金を得るための競争をすることが経済の発展に必要だったのです。(競争のない社会主義や共産主義では経済が発展しませんでした。)そしてやがて、お金から資本主義を学び終えて、次のステップに移る時が訪れます。
資本主義社会では、産業の機械化は労働者の職を奪います。機械化すればするほど国民は職を失い貧しくなります。機械化で大量に生産しても貧しくなった国民は購買能力がなく商品は売れないため、経済は縮小し国全体が貧しくなります。ところがお金を捨て去ると、産業の機械化は労働の省力化として有効に働き、大量に生産された商品は誰もが手にすることができるため、経済は拡大し国全体が豊かになります。
現在、我々の努力はより多くの利益を得るため使われ、皮肉なことに、頑張れば頑張るほど他人の利益を減らしてしまいます。なぜなら、限られた量のお金を奪い合うためです。
そして、どれだけの利益を得られるかは、お金を供給する人のさじ加減で決まります。つまり、我々の幸せは、お金の量でコントロールされています。
お金を捨て去れば、我々の努力はより多くの利益を他人に与えることになり、そしてそれは同時に自分の利益につながります。
今のままで良いか、次のステップに移るか、どちらを選択すべきか、皆さんも考えてみてください。