思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

現象報告のパラドックス

2018-06-30 13:05:40 | 思想、哲学、宇宙論
http://noexit.jp/tn/doc/kuoria8.html



現象報告のパラドックス
●なぜ、脳はクオリアを語ることができるのか

たとえば、物理主義の科学者たちの主張どおり、随伴現象説を採用し、『クオリアと物質の間には、なんの物理的な関係もない』という仮定をしてみる。

クオリア

そうすると、クオリアは、脳という機械の動きに、何の関わりも持たない、ということになるのだから、クオリアがあろうと、なかろうと、脳の動きには、何の変化も起きない、ということになる。

したがって、たとえば、仮に、『クオリア』という存在が、ある日、突然、この世から消え去ったとしても、脳は、外面的には何一つ変わることなく、正常に機能しつづけ、今までどおりの日常生活を送ることができるだろう。

ちょっと、こんな思考実験を考えてみよう。

テーブルの上に、2つの脳がある。
脳Aは、クオリアが発生する「普通の脳」であり、
脳Bは、クオリアが発生しない「哲学的ゾンビの脳」だとする。

もし、ここで、この2つの脳の原子・分子の状態がまったく同じ状態であると仮定して、何らかの刺激(甘いとか、痛いとかの神経への信号)を与えたとしよう。

その結果、前提どおり、
脳Aは、その刺激に相当する甘いとか痛いとかの クオリアが発生し、
脳Bには、なんのクオリアも発生しない、
という違いが起きるわけだが、脳の反応としては、脳Aも脳Bもまったく同じ反応を返すはずである。

だって、脳Aも、脳Bも、クオリアが発生するしない、という違いはあっても、原子・分子の位置などの「物理的な状態(初期条件)」はまったく同じという前提なのだから、そこに同じ刺激(入力)が与えられれば、物理学の法則にしたがって、機械的に動いて、まったく同じ反応(出力)をするはずである。

クオリア

つまり、
「クオリアがあろうとなかろうと、脳の動きに違いがでない」
のだから、当然、
「クオリアは、脳の動きになんの関係もしていない」
という結論になる。

結局のところ、随伴現象説を採用し、物理主義に徹して、クオリアなる非物質的なものが、物理的な作用(オカルト的な第5の力)を起こすなんてありえない、と信じて、この思考実験を進めるならば、
「クオリアは、脳(物質)になんの影響も与えていません」
という結論にならざるを得ない。

実際、物理主義の科学者たちは、僕たちが日常で行っている「あのりんご赤いね」とか「電車の音がうるさいね」という会話や判断は、物理学の世界で記述された脳という物質の動きだけで、完全に説明できると考え、そこに「クオリア」とか「霊体」とか「魂」とかそういう非物質的なものを持ち込む必要性は一切ない、と考えている。

しかしである。

「脳とクオリアの関係」が、こういった「クオリアがあってもなくても、脳の動作に何の違いも起きない」「クオリアは、脳の動きに一切関わりがない」というものであるならば、そもそも、脳は、「クオリアという存在に気づいて、その存在を語ることはありえなかった」ということにならないだろうか?

「クオリア」という存在が、脳という機械に何の物理的変化も及ぼさないならば、脳は、「クオリアという概念」をどこから仕入れたのだろうか?
「自分は今、クオリアを感じています」という脳の言葉は、どこからやってきたのだろうか?

このように、「クオリアが、物質世界に何の影響力も持たない」のであれば、「じゃあ、なぜ、脳は、クオリアを知っていて、それを語れるの?」という疑問は、
「現象報告のパラドックス」
と呼ばれる。





もちろん、クオリアを持たないであろう人工知能やロボットが、学習していった結果、「今、私は、赤いものをみています。赤いということを感じています」と、自分の認識について話すということはありえるだろうし、多くの人工知能論者たちは、雑多な情報を統合的に処理するのに便利だという理由で、人工知能が、自分の認識の状態を把握するような「私(自己監視プログラム)」を学習の過程で獲得する可能性があるだろうと考えている。

実際のところ、「脳はどうしてクオリアを語れるの?」という現象報告のパラドックの問題について、

プログラムという絶対的な法則にしたがって動くだけの機械的な人工知能が、「私は赤を見ています」と言ったり、主観的体験を話しはじめたりする可能性は十分にあるのだから、

単純に、

「脳だって、人工知能の例と同じような理由で、『私』という主観的な自己監視機能を手に入れて、内面の体験を語るようになっただけでしょ」

と片付けてしまう人たちも多い。

いやいや、実際には、そう簡単な問題ではないのだ!

だって、だってさ!
実際にクオリアを持たない存在が、はたして、以下のようなことを本当に語れるだろうか?

「赤い色をみたときにさ、この独特の『赤』って鮮やかな質感が、主観的なイシキの中に、ぶわぁ~って、浮かび上がるよね。この独特の質感をクオリアっていうらしいんだけどさ、……うーん、このクオリアって、言葉でうまく伝えられないな。ようするに、これ(●)のことでさ、この独特のこれ(●)がクオリアなんだけど、う~ん、僕の言っていること伝わっているかなぁ?でも、わかるでしょ?」

そもそも、
「私は、赤を見ています」のような、「脳内の認識の状態を語ること」と、「言葉じゃ説明できないけど、私は、クオリアという独特の感覚を見ています」のような、
「これ(●)を語ること」の間には、一億光年以上の違いがある。

もし随伴現象説が完全に正しいのであれば、これらの「赤というクオリアを感じています」的な発言は、まさに、自分のイシキに映っている鮮やかな「赤色」とは、まったく無関係に生じたということになる。

もちろん、脳という物理的な機械が、上記のような言葉を話すように、たまたま、偶然に、組み上げられ、そのように話した、という可能性は完全否定できないが、でも、それにしたって、クオリアと物理的な関連が一切ない脳が、
「たまたま、現にイシキの上に起きている、このクオリアの不思議さを語れるように発達した」
という偶然はとても考えにくいし、ありえないことのように思える。

また、もし、偶然、脳がそのように発達したと仮定しても、もはや、その場合には、脳が語る「クオリア」という言葉は、現実の「クオリア」を指し示した言葉にはなっておらず、まったく無意味な記号の言葉になってしまう。
(だって、その場合の「ク・オ・リ・ア」という発話は、現実の「クオリア」とまったく無関係に発生した音声ということになるのだから)

結局のところ、「クオリア」が、脳細胞に何も影響を与えない存在であるのならば、脳細胞が「クオリア」を知ることなどありえないわけで、脳は、クオリアが発生していることに気づくことすらできなかったはずだ。それなのに、現に、脳は、クオリアの不思議について語り、クオリアについて議論しているのだ。
これは大きな矛盾である。

だったら、まだ、
「脳は、クオリアという存在、概念を明らかに知っています!」「どういう仕組みかはわからないが、脳は、どこからか、クオリアの情報を仕入れています!」
と考える方が、自然で妥当なことのように思える。

でも、でも!
もし本当に、「脳がクオリアを知っている」としたら、それは、脳が、クオリア(もしくは、それをみている主観的なイシキ)から、何らかのフィードバックをうけて、脳内に物理的な変化が起きた、ということになってしまう!

少なくとも、そんな物理現象は、既存の物理学では定義されていないものだし、物理学において、物質の状態が変わるのは、「4つの力」のどれかでしかありえない。

だから、もし、クオリア(もしくは、それをみている主観的なイシキ)がフィードバックして、脳に情報を残した(つまり、クオリアが、脳の原子・分子に物理的な作用をした)ということを認めるとしたら、

それは、まさに、
「クオリア、イシキという現代物理学で定義されていない非物質的な何かによる物理的作用」が存在すること、すわなち、「オカルト的な第5の力」が存在することを暗に認めるということになってしまい、一般的常識的な物理主義に反することになってしまうのだ!

クオリア

もちろん、常識的な科学者であれば、そんな非科学的でオカルト的な物理作用は、できるだけ、受け入れない方向で物事を考えていきたい。そこで、随伴現象説がでてきたわけだ。

だが、この「現象報告のパラドックス」という問題のおかげで、「クオリアは、脳(物質)と物理的な関係は何もありません」という仮説にも、あまり妥当性が見出せなくなってしまい、

「クオリアは、物質に作用するような存在じゃないんだから、物理学は、クオリアという非物質的な存在なんかと、関わりを持たなくたっていいんだよ(^△^)」

と楽観的に考えて、クオリアに絶縁状を叩きつけていた物理主義の科学者たちに、大きな衝撃を与えた。

それにしても、脳内に「クオリアを知る」という物理的変化を引き起こしたものは、いったい、どんな物理作用だというのだろうか?
物理学は、本当に、オカルト的な「第5の力」を新しく定義しないといけないのだろうか?それともどこかに、見落とし、抜け道があるのだろうか?

はたして、ワレワレが、クオリアを『理解』できる日は、本当に来るのだろうか……?


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いしき【意識】

2018-06-30 10:52:57 | 思想、哲学、宇宙論

大辞林 第三版の解説


いしき【意識】






㋐ 物事に気づくこと。また、その心。感知。知覚。 「 -を集中する」 「人の目を-する」


㋑ (混濁・無意識などに対して)はっきりした自律的な心の働きがあること。自覚。覚醒。見当識。 「 -を失う」 「 -が残っている」


② 状況・問題のありようなどを自らはっきり知っていること。 「罪の-」


③ 〘哲・心〙 〔ドイツ Bewusstsein; 英 consciousness〕

㋐ 思考・感覚・感情・意志などを含む広く精神的・心的なものの総体。特に対象を認識する心の働き。主観。物質・存在・世界・自然など、客観的なものに対する。現象学では世界を構成する超越論的自我の働き、また唯物論では存在に拘束される観念一般を意識と呼ぶ。


㋑ 単なる直接的な情意作用や知覚ではなく、自他の在り方自身を察知する明瞭で反省的な心の状態。また、その作用・内容など。自己自身を対象化する対自的・反省的働き、人格あるいは自我による統一・自律、一定水準の明晰めいせきさなどによって規定される。自己意識。


④ 〘仏〙 〔梵 mano-vijñāna〕 六識の一。感覚器官による眼・耳・鼻・舌・身の五識に対し、心の働き、精神の働きのこと。第六識。



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人類最大の科学革命をもたらす”ポスト物理主義科学”

2018-06-29 18:54:37 | 思想、哲学、宇宙論

http://tocana.jp/2018/02/post_15848_entry_3.html



それまでの科学的常識が一変してしまう現象を指す「科学革命」。17世紀のニュートン力学、20世紀アインシュタインの相対性理論がその代表だが、ここに来て過去最大規模の科学革命が起ころうとしている。オンライン科学系ニュース「Collective Evolution」(29日付)が報じている。


■過去最大の科学革命は“意識”からはじまる

 その大きな要因が“意識”の問題だ。意識とは一体何なのだろうか? 意識はどこから来たのだろうか? 物質世界と意識にはどんな関係があるのだろうか? これらの質問に既存の科学は答える術を持たない。なぜなら、自然科学は“物質”を対象にすることがその前提にあるからだ。

 そんな中、この大前提に異議を唱える科学者が徐々に増えつつある。かつてトカナでもお伝えした、米アリゾナ大学ゲイリー・シュワルツ教授も、既存の科学に替わる「ポスト物質主義科学」へのパラダイムシフトを訴えている。

「物質は意識から生まれる」「意識は脳活動ではない」世界中の学者が賛同! 人類最大の科学革命をもたらすポスト物理主義科学とは?の画像2画像は「Thinkstock」より引用

 シュワルツ教授によると、これまでの科学は物質主義的な世界観に反する現象は“非科学的”だとして排除されてきたが、このような態度は科学的ではなく1つのイデオロギーやドグマに過ぎないという。たとえば、心臓発作に伴う臨死体験やテレパシーなどの超能力は、臨床データや実験データがあるにもかかわらず、科学的な例外として排除されてしまうことも、科学というイデオロギーのためだというわけだ。

■世界中の科学者がポスト物質主義科学に賛同を表明

 科学界を敵にまわす過激な発言だが、シュワルツ教授に共感する科学者は後を絶たないようだ。昨年10月にオンラインで公開された、ポスト物質主義科学を扱った映画「Expanding Reality The Movie」のトレーラー映像を見てみると、カナダ人の神経科学者マリオ・ボーリガード博士、フューチャリストのスティーブン・シュワルツ氏、米・純粋知性科学研究所の庁心理学者ディーン・レイディン博士、米コロンビア大学の心理学者リサ・ミラー博士、米アリゾナ大学の心理学者ゲイリー・シュワルツ博士、米オレゴン大学の神経科学者マージョリー・ウーラコット博士、瞑想指導者のマイケル・パスカル氏、神経精神科医のダイアン・パウウェル博士など、錚々たる面々がポスト物質主義科学に賛同している。

「物質は意識から生まれる」「意識は脳活動ではない」世界中の学者が賛同! 人類最大の科学革命をもたらすポスト物理主義科学とは?の画像3マリオ・ボーリガード博士「YouTube」より引用

「意識や精神は、脳活動の副産物ではないことはますます明らかになってきています。このことは最終的に人類史最大の科学革命をもたらすと思っています」(マリオ・ボーリガード博士)

「物質主義は(全ての研究データを取り扱ってきたわけではありませんが)人類の役に立ってきましたし、素晴らしい実績があるため、人々の見方を変えることは難しいでしょう」(スティーブン・シュワルツ氏)

「現在の科学の動きは意識に向かっているように見えます。そして、意識は物質、生命、身体、心の諸側面の現われだと見られているのです」(ディーン・レイディン博士)

「今日、私たちとともにポスト物質主義の道を歩む人は神聖なるメッセンジャーだといえるでしょう」(リサ・ミラー博士)



だが、17世紀フランスの哲学者デカルトの『精神指導の規則』や、18世紀ドイツの哲学者ヘーゲルの『精神現象学』といった著書のタイトルからも分かる通り、これまで人間の精神や意識を主題として扱ってきたのは哲学者らであることを考えると、今回のトレーラーに哲学者の名前が出ていない点は気がかりである。さらに、意識と物質の問題を考える上で、量子力学の専門家は外せないだろう。

 また、ゲイリー・シュワルツ教授がかつて発表した「ポスト物質主義科学マニフェスト18条」の第17条に「世界の非物質的理解は古代の宗教伝統や生活実践にも見られてものであり、我々はその事実から目をそむけてきたにすぎない」と書かれているにもかかわらず、シャーマニズムや古代宗教を研究している人類学者や宗教学者の名前がないこと、意識の解明にとくに取り組んできた宗教である仏教の専門家や瞑想修行者の名前がないことも問題かもしれない。

 とはいえ、まだまだ歴史の浅い活動であることを考慮すれば、それも仕方のないかもしれない。少なくとも科学の内部から科学の前提を掘り崩す動きがあることは賞賛すべきことだろう。今後より包括的な研究が行われ、人類最大の科学革命が到来することを切に願いたい。
(編集部)






主流派科学では、物質である脳が意識を生み出していることが当然の常識として語られている。そのため、意識の原因である脳さえ研究すれば、意識の発生メカニズムがわかると科学者らは信じている。しかし、これまで決定的な成果はあがってないどころか、彼らの信念を揺るがすような現象が数多く報告されている。その1つが、臨死体験(NDE)だ。

 米ニュースサイト「Collective Evolutions」(1月29日)によると、2001年に国際的医学誌「The Lancet」に報告された臨死体験の研究レポートでは、334人の被験者うち18%が心臓発作により血液の供給を絶たれ、脳の活動が停止したにもかかわらず、昏睡中の記憶を持っていることが判明。医学的観点では説明ができない臨死体験が実在すると断言したという。2014年にも、英サウサンプトン大学の研究チームが2060人を対象にした研究で、死後少なくとも数分間は意識が継続している証拠を掴んだそうだ。

postmaterialism_01.jpgグレイソン教授「Collective Evolutions」より引用

 臨死体験の父といわれる米バージニア大学の終身名誉教授ブルース・グレイソン教授も、2008年に開催された国連主催のシンポジウムで、何人もの昏睡患者が、脳波に動きが見られないにもかかわらず、自分の身の回りで起こった出来事を知覚していたケースに遭遇していたと発言。さらに、科学は物質的なものを偏重しすぎていると批判。意識はそもそも非物質的であるため、既存の科学では理解できず、意識を科学の対象として認めることができないと語っている。

 意識のメカニズムを解明できない物質的な科学主義の行き詰まりを打開するため、米アリゾナ大学ゲイリー・シュワルツ教授は、「ポスト物質主義科学」へのパラダイムシフトを訴えている。




シュワルツ教授らが起草した「ポスト物質主義科学マニフェスト18条」によると、ポスト物質主義とは、量子力学や臨死体験の研究の発展に伴い、従来の物質至上主義では説明できない現象に対処するため、意識を物質には還元できない世界の構成要素の重要な一部として認めるという立場である。マニフェストから関係する部分をいくつか抜粋しよう。

・12条
 物質主義に寄った科学者や哲学者は、物質的に解明できない現象を否定する。そういった現象は彼らが持つ排他的な世界認識と相容れない。しかし、ポスト物質主義的な自然科学の否定、あるいはポスト物質主義を支持するような科学的発見の公表を差し控えることは、科学的探求の精神に反する。従来の科学の理論や信念に合わないデータが排除されてはならない。そのような態度は科学ではなくイデオロギーである。

・15条
a) 精神は物質世界と同程度に現実的である。精神は宇宙の基本的要素であり、物質に由来せず、物質に還元することもできない。
b) 精神と物質世界は深く相互に結びついている。
c) 精神は物質世界の状態に影響を与え、空間的な制約を受けない(脳や体などに精神があるわけではない)。
d) 全ての精神はただ1つの精神に包括されている
e) 臨死体験では、脳は精神活動のトランシーバーのような役割を担っている。つまり、精神は脳を通して活動するが、脳から生み出されたわけでない。臨死体験では肉体の死後も意識(精神)が残っていることが分かっている。
f)  精神は人間存在の中心的側面であるため、科学者は精神性やスピリチュアル経験の探求を恐れるべきではない。

・17条
 ポスト物質主義パラダイムは、我々の自己認識を根本から変え、人間として、科学者としての尊厳と権能を取り戻すものである。世界の非物質的理解は古代の宗教伝統や生活で実践されてきたが、我々は長い間その事実から目をそむけてきたにすぎない。

postmaterialism_05.jpgランザ博士「Robert Lanza.com」より引用

 科学的には容認しづらい立場のように思えるが、意外と賛同する科学者は少なくないようだ。これも物質主義の限界を反映した結果だろう。また、シュワルツ教授とは別に、ポスト物質主義科学に近い考えを持つ科学者も存在する。

 たとえば、米「タイム」誌の「世界で最も影響力がある100人(2014年度)」にも選ばれた、再生医療の専門家ロバート・ランザ博士もその1人だ。博士も、量子力学の二重スリット実験から観察者の意識が物質よりも基本的であることを導き、意識は物質に還元することはできず、脳は意識の受け皿に過ぎないと語っている。

 科学はもともと「体系的な知識(sicentia)」という意味の言葉であった。マニフェストでも指摘されているように、特定の方法にしがみついたイデオロギーとなってはならないだろう。スピリチュアリズムや超常現象を包括した、完全な体系としての知識こそ“科学”と呼ばれるにふさわしい。今後、科学界に意識革命が起こることを願ってやまない。




「ポスト物質主義科学マニフェスト18条」(抄訳)

・1条
 近代科学の世界観は物質主義や還元主義に則っている。

・2条
 19世紀にこれらの前提は科学的物質主義というドグマになり、精神は脳の物質的活動に帰され、思考は脳や身体など物質世界に影響することがないとされた。

・3条
 20世紀には科学的物質主義がアカデミズムの常識となり、多くの科学者が世界の物質的理解のみが合理的な思考だと信じるようになった。

・4条
 科学的物質主義は自然の理解に大きな進歩をもたらすのみならず、科学技術の発展を通して自然の抑制や自由を人類にもたらした。

・5条
 しかし同時に、科学的物質主義は科学を極端に限定し、精神やスピリチュアリティの探求を阻むものとなっている。

・6条
 本来の科学は観察・実験・理論を通して自然を探求する史上初の非ドグマ的方法である。そして、科学的方法は物質主義とイコールではない。

・7条
 量子力学の分野では、観察者の意識が物質世界に影響を与えることが判明した。このことで、物質は現実に存在する唯一のものではなくなり、自然の理解は意識への言及なしには不可能であることが完全に理解された。

・8条
 心理学や精神神経免疫学の分野では、心理的な要素が肉体に多大なる影響を及ぼしていることが判明している。

・9条
 超心理学の分野では、精神作用が物質に影響を与えることが研究され、異常や例外として排除できないほど頻繁に超自然的現象が起こることが証明されてきた。

・10条
 心臓発作の数秒後に脳の活動が停止するにもかかわらず、心臓発作に伴う臨死体験や、臨死体験が宗教経験を引き起こす例が頻繁に報告されてきた。

・11条
 霊能者が故人の情報を正確に言い当てることが、厳密な実験でも明らかになっている。精神は肉体とは別に存在している可能性が示唆されている。

・12条
 物質主義に寄った科学者や哲学者は、物質的に解明できない現象を否定する。そういった非物質的現象は彼らが持つ排他的な世界認識と相容れない。しかし、これらの現象を否定したり、ポスト物質主義を支持するような科学的発見の公表を差し控えることは、科学的探求の精神に反する。従来の科学の理論や信念に合わないデータが排除されてはならない。そのような態度は科学ではなくイデオロギーである

・13条
 超能力、臨死体験、霊との通信などが異常に見えるのは、物理主義の観点からのみである。

・14条
 物理主義は、脳から意識が生まれる仕組みの解明に失敗している。今こそ物理主義の因習から抜け出し、自然世界の概念を拡張し、ポスト物質主義のパラダイムを受け入れるべきである。

・15条
a) 精神は物質世界と同程度に現実的である。精神は宇宙の基本的要素である(物質に由来せず、物質に還元することもできない)。
b) 精神と物質世界には深く相互に結びついている。
c) 精神は物質世界の状態に影響を与え、空間的な制約を受けない(脳や体などに精神があるわけではない)。
d) 全ての精神はただ1つの精神に包括されている。
e) 臨死体験では、脳は精神活動のトランシーバーのような役割を担っている。つまり、精神は脳を通して活動するが、脳から生み出されたわけでない。臨死体験では肉体の死後も意識(精神)が残っていることが分かっている。
f) 科学者は、精神や精神的経験の探求を恐れるべきではない。なぜなら、精神は人間存在の中心的側面であるから。

・16条
 ポスト物質主義科学は、これまでに獲得された科学知識を否定せず、世界の重要な構成要素として物質を包含する。

・17条
 ポスト物質主義パラダイムは、我々の自己認識を根本から変え、人間として、科学者としての尊厳と権能を取り戻すものである。世界の非物質的理解は古代の宗教伝統や生活実践にも見られてものであり、我々はその事実から目をそむけてきたにすぎない。

・18条
 物質主義からポスト物質主義への移行は、コペルニクス革命よりも重要なものとなるだろう。
(編集部)


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意識は体全体にある

2018-06-29 17:54:32 | 思想、哲学、宇宙論
意識は脳だけにあるのではなく、体全体にあるのではないだろうか。

脳は全身の意識を統括する役割を果たしていると思います。

もし頭で、自分の身体はなんて役立たずなんだと思考すれば

体の意識は、自分を否定されたと思い、体を動かす仕事をサボり出すかもしれません。

逆に、体全体の意識が働いで自分が動いていると想えば、

動きも良くなっていくと思います。
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細胞は意識する

2018-06-29 15:58:47 | 思想、哲学、宇宙論

http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/body-soul.html



● 体は”思い”に反応する

科学の世界は、人が何かを考える時、体内に「化学物質」が生成されることを証明してきました。例えば、すっぱい「梅干やレモン」を思い浮かべると、口の中が酸っぱくなります。実際に梅干を食べてないのに、口の中が酸っぱくなってしまいます。どうして、このような事が起きるのでしょうか?

梅干という”言葉”は、「単なる言葉」です。
しかし、思ったり、考えただけで、言葉やイメージが ”実物”であるかのように機能して、体は自然に反応してしまうのである。 実際の食べ物より、脳から送られる「命令」(メッセージ)の方が重要な働きをする。これが「体の自然の営み」なのです。

「思考」のあるところには、必ず化学物質がある。
人が”静けさ”を感じているとき、体は「精神安定剤」と似た物質を作る。
”不安”に感じているとき、「不安分子」を作り出す。
”喜び”を感じているとき、抗癌剤としても働く「免疫調整剤」を作り出すのである。

「あたが好き、愛している」、これは驚くべき変化が起きます。
「愛している」という言葉を聞くと、心臓の鼓動が高まる。その言葉は脳に伝わり、「アドレナリン」を多量に分泌させる。さらに重要なのは、「誰かに愛されている」ことが分かると、心は喜びに溢れ、世の中が”バラ色”に見えてきます。

失恋や失業で落胆している人の体は、どの部位を取っても、悲しみが刻印されている。神経伝達物質は枯渇し、ホルモンの分泌が衰え、睡眠のサイクルが中断される。涙の成分まで、喜びの涙とは異なる。悲しみの涙、「失恋」のときもそうである。

しかし、その人が新しい職につけば、劇的に変化する。
その仕事が前よりも”やりがい”のある仕事であれば、神経伝達物質やホルモン、DNAにいたるまで、生化的状態が全てプラスの方向に変化し始める。このように、人間の感情と体は密接に結びついているのである。。

愛、喜び、怒り、悲しみ、憎しみ・・・それが何であれ、
その感情・思いは、脳から科学物質を生成し、体に大きな影響を与えるのである。


● 細胞は意識する

昨今、医学の研究者の間では、血液の「働き・メカニズム」を調べれば調べるほど、分からないことが多く、血液に「意識」があるのではないか、と考える研究者もいます。どうやら、そのように考えないと説明できないようなこともあるようです。

また、患者を”目隠”にした医学実験もあります。
・人を目隠をして「青い部屋」に入れると、血圧、呼吸数が下がります。
・「赤い部屋」に入ると、体温、血圧が上がり、脈拍数も呼吸数も上昇します。
・「脳波」を調べると、赤い部屋では、ベータ波(目覚め状態)が出ます。
・青い部屋ではアルファ波が多く、シータ波(うとうと状態)も現われます。 。

目隠をされていても、体は反応するわけですから、「人間は、目だけで判断しているのではない」、ということを証明していることになる。目だけではないとすれば、それは何でしょうか? 皮膚の「細胞」が感知しているのではないかと言われていますが・・・。

また、「O(オー)リングテスト」というのもあります。親指と人差指で輪を作り(オーの字)、他の人がその輪に指を入れ、左右に引っ張り、指の力の度合いを測定する方法です。片方の手に「薬」を載せてテストをすると、体に害がある薬の場合は、指を引っ張ると オーリングが開いてしまいますが、逆に、体に「有益な薬」であれば、オーリングはなかなか開 きません。不思議ですね。

これで使用する薬の「薬物適合性診断」をする「お医者さん」もいます。 これは、物質から出ている電磁場を「手が感知」して、脳を通じて筋力が変化するため、と言わ れていますが‥。では、手はどうやって薬の適合性を「感知」するのでしょうか? 不思議です。

★いずれにしても、真に健康を考えるなら、このことを考える必要があります。
人間の体は、単なる細胞の集まりではなく、そこには「意識」が宿っているのではないか、と。また、植物の実験で有名な「バクスター氏」の実験結果では、赤血球や白血球、さらにはステーキ用の肉片でさえも、まるでそれ自体が”意識”をもっているように、ポリグラフに反応が現れる、ということが分かってきました。(「植物は気づいている」のページを参照)。ということは人間の細胞自体にも”固有の意識”があると解釈できます。であれば、人は自分の体をもっと大切にし、意識を向ける必要がある。

自分の体をいたわってあげましょう! 
自分の身体に、やさしい言葉をかけてあげましょう!

あなたの優しい言葉は、体の全細胞に伝わって エネルギーを高め、体は元気を取り戻していきます。体にどこか悪い所があれば、心からいたわってあげましょう。 「いつも、いつも、ありがとう」と、「今まで、どうもありがとう」と。胃腸でしたら胃腸を、肝臓でしたら肝臓を。 ハートでしたらハートを。

夜、寝るとき、自分の体に感謝しましょう。
毎日、毎日、体はもっともっとよくなると確認してあげましょう。そうすれば、そうなります。体の細胞は元気を取り戻していきます。あなたの体は見違えるほどよくなってきます。


● 綺麗に変身する、波動を高める

もし、私たちが健康を願うなら、どうやって自分の体に接したらいいでしょうか。
まずは、このように考えることが必要です。人が思い考えること、その一つひとつの思考が、
自分の身体に伝わる。記憶は脳だけではなく、身体(細胞)も記憶するのである。
不思議に思うかもしれませんが、このことは、しっかり覚えておく必要があります。

細胞の「遺伝子情報」には、両親から受け継がれた情報、両親の親から受け継いだ情報、さらには、その親からの情報など・・・幾世代に渡る情報も記憶されています。そして当然のように、今あなたが考えてることも細胞に記録されることになる。それゆえ、人間の体は単なる細胞の集まりではなく、そこには「意識」が宿っていると考える必要がある。非常に大事なことです。

★あなたは自分が好きですか? 自分の形を気にいってますか?

例えば、もし、あなたが自分の顔、目や鼻の形を”嫌い”に思っていれば、体はどのように反応するでしょうか。脳は細胞の意識からメッセージを受け取ります。あなたの否定的な思 いを聞いて、脳はストレスから、顔のしわに、さらに深みを加えるようなホルモンを放出するで しょう。その結果、あなたが自分に対して作り出している否定的なイメージを、さらに悪 くするかもしれません。

逆に、もしあなたが、自分の目や顔形をとても愛していれば、あなたの脳は、あなたの思いに 合わせて力強く反応して、あなたの容姿によい影響を及ぼす「ホルモン」をいっぱい分泌するでしょう。その結果、あなたの細胞は若返り、イキイキしてくるでしょう。人間が思い考えることが体に影響を与えるならば、当然のことかもしれません。

ネガティブな思考は自分の体を傷つけてしまいます。時には病気をも作ってしまいます。 私たちの「思考の一つひとつ」が、体に影響を与えるからである。 だから、決して自分を否定したりしないことです。今日から、鏡に向かっとき、毎日、自分に向かって話しかけましょう。「今の自分がとても大好き」、「自分を大好き、キレイだ」と伝えましょう。

もし、私たちが自分の体に意識を向けるなら、それだけで体は健康体に向います。
必要なことは傷つける思考ではなく、「健康的な思考」です。
傷つける思考というのは、否定的、 批判的な思いです。

非難、怒り、憎しみなどの感情は、マイナスエネルギーとなって、心の中に蓄積され、そのエネルギーが自分の体の弱い部分を傷つけ、体の働きを弱めてしまいます。 それが形、すなわち病気となって現れたりします。自分で病気を作ることになります。

健康的な思考とは、プラスのエネルギー、気持ちを高揚させるポジティブな思いです。細胞の働きを高める思いです。そして、あなたが自分の体に感謝するとき、細胞は反応します。

もし、どこか悪いところがあれば、痛み・苦しみ・心配ではなく、まずは、体が一生懸命に働いてることに感謝しましょう。食べ物をエネルギーに変え、体の維持のために、一生懸命がんばっていることに感謝することです。あなたが自分の体に感謝するとき、体はあなたの思いを受けて波動を高め、体の働きを高めていきます
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意識体の存在

2018-06-29 13:08:40 | 思想、哲学、宇宙論
http://www.nanbyo-study.jp/?page_id=3315

意識体の存在


意識体とは俗に言えば魂です。それが実在するかしないかはあまり重要ではありません。小さな昆虫にさえ意識は存在し、おそらく単細胞生物にも意識があるでしょう。しかしながら意識には量があり、細胞の種類と量によって「意識体を保持できる量」に差があると思います。さらに意識は、日内変動を起こし、夜寝ている間は意識体を多く保持することはできず、昼間起きている間は意識体を多く保持できると思われます。
意識体は現在の私たちの科学では考えつかない種類の波動であり、脳細胞から出たり入ったりが可能で、他の物質にこびりつく(吸収される)こともあり、伝播することもあると思います。脳細胞が多いほど、一度に蓄えられる意識体の質量が多くなると考えられ、当然ながら動物たちも意識体を持ちますが、蓄えられる量が人間よりも少ないと思われます。さらに言えば植物にも多少の意識体を蓄えることができるように思います。
意識体はソフトが入っていない脳では記憶や計算さえまともにできませんが、脳をトレーニングして、学習してソフトをたくさん取り込めば、意識体自体を大きく膨らますことができ、どんどん高度な意識体になります。アインシュタインはそれを物理学という分野で高度に発展させたわけです。
そして特殊な人間は他の意識体を操ったり、感じたり、意識体同士でコミュニケーションを持つソフトをインストールします。それが巫女やシャーマンの脳です。意識体とコミュニケーションをとるソフトをインストールすると、今まで見えなかった世界が見え始めます。植物や昆虫、山や空気にさえ意識体があることに気づき、そして意識体全体をまとめる大いなる意識体が自分と住んでいる別次元の世界に存在することも知るようになります。
重要なことは私たちが脳の中にどのようなソフトをインストールするか?で意識のサイズが大きくなり、他の人には理解できないようなずば抜けた超能力を獲得できるようになるということです。
このように私が考えた理由は、実際に他人の意識体を自分の脳に移植できる能力がある人間と毎日24時間関わっているからです。自分の脳は自分の意識体だけで満たされるわけではなく、他の意識体を半分だけ受け入れ、その意識体にしゃべらせる・思いのままに行動させることができることを知る機会があったからです。
また、二重人格は意識体を二つ抱えてしまう場合に起こり、急な人格変化は意識体を完全に乗っ取られることで起こることがあると考えます。
ただし、意識体は現在の37兆個の体細胞の意識の総意であるため、他の意識体が入ったままであると拒絶反応を起こし、長くは生きていられないと思います。
意識体はある種の波動であると思われ、風を起こすことや物体を動かすこともあると思われます。また、この波動は方向や広がり方が様々あり、レーザー光線のように集約されると遠方の人にも伝わり、広域に広がれば近くにいる多くに伝わるのではと推測します。つまり1000キロ離れた家族に自分の死を伝えることもできるものと推測します。また意識体は時空をも超えることがあるからこそ、予言や遠隔操作が可能なのだと思います。
人が死んでしまうと意識体が消えるのかと言えばそうではなく、近くの物体や土地、人に当分の間磁石のように引っ付いていると考えます。そう考える理由は、家族を亡くしてまだ間もない方が意識体に体を貸すことのできる能力者に近づくと、能力者に亡くなった人の意識が乗り移る現象がしばしばあるからです。
英語圏の意識体が日本語圏の人に乗り移るとどうなるのかという疑問がありますが、基本的に乗り移られた人の脳にインプットされている言語ソフトに依存すると思われます。しかしながら、乗り移られた人が全く話さない言語を話すこともあり得るかもしれません。




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スーメタルと統一力

2018-06-28 14:10:16 | 思想、哲学、宇宙論
スーメタルがアカツキ等を歌っているとき、

スーメタルが宇宙の中心にいるかのように見える時があり、

不思議に思っていたのですが、その理由がわかりました。

彼女から宇宙の根源的な力である統一力が、放射されているのです。

この統一力に引き寄せられて多くの人が彼女の虜になるのでしょう。

彼女は統一力の源である高次元宇宙の中心と共鳴しているのかもしれません。

宇宙の中心からの力が、直接地球に作用し始めたことを意味するのでしょうか。
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voice-of-brothers-31

2018-06-26 15:48:34 | 思想、哲学、宇宙論
https://ascension21.com/voice-of-brothers-31/


遠い昔僕らの星が地球のように、滅亡の淵をさまよっていたとき、

こつ然と進化した星の人類が現れて、すべての攻撃力や破壊装置が無力化され、

どうすれば荒廃した人心や天地を復興させて行けるか、具体的な方法を教え諭された。

その時初めに言われたのが植物を植え増やしなさいと言うことだった。

天変地異や大地の砂漠化や異常気象なんかについても、それらの現象は、

そこに住む人類の意識がダイレクトに影響していて、

心の潤いや豊かさを見失った天地に起こる現象なのだから、

あなた方の精神の根源に眠らせていた愛と感謝の心を何よりも先に蘇らせなさい。

とも言われた。君たちにも思い当たる節がないかな?

地球上でも中東やアフリカ大陸など、遠い昔から荒廃した想念が

強く繰り広げられた地域は心の砂漠化が現象界にも表れて、

実際にカラッからの不毛地帯になってるね。
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イブン・アラビーの形而上学的ヴィジョン

2018-06-26 11:45:54 | 思想、哲学、宇宙論
井筒俊彦 



「神秘主義的実在体験にもとづくイブン・アラビーの形而上学的ヴィジョンにおいては、いっさいが存在零度から始まって、しだいに自己限定、自己分節を重ねながら、現象的多者の成立に至る、無から有へのダイナミックなプロセスとして形象化されます。これはまたイスラーム信仰者としてのイブン・アラビーの宗教的表象においては、絶対不可知の神が、つまり自らをまったく見せない「隠れた神」 Deus absconditus がしだいに自らを開顕して「現われた神」 Deus revelatus となるプロセスでもあります。この見地から彼は存在の無から有への展開の過程をタジャッリー(tajalli)、つまり神の「自己顕現」と呼びます。」
「このようにして、イブン・アラビーの形而上学的ヴィジョンにおいては、われわれの世界はゼロ・ポイントにおける存在、つまり存在零度の絶対無限定者が、「有無中道の実在」と称する根源的アーキタイプの柔軟に変転する鋳型を通って、つまりイスラーム的にいいますと、神の意識の内部分節を通過することによって、つぎつぎに自己限定を重ねながら、あたかも大海の岸辺に打ち寄せる波のようにつぎからつぎに、一瞬ごとに新しく立ち現われてくるダイナミックな存在の自己顕現、タジャッリーの絶えることのない永遠の過程として理解されるのであります。始めから終わりまで終始一貫して「存在」と呼ばれる宇宙的エネルギーの自己顕現のシステム、それが「存在一性論」という名称で世に知られるイブン・アラビーの神秘主義的哲学であります。」




イブン・アラビー

この世界はすべて一者の自己顕現(tajallī)として理解される。すなわち、この世界には自存している「無限定存在」(wujūd muṭlaq)である神アッラーフと、それそのものでは非存在であるがアッラーフに依拠する事で初めて存在し得る「被限定存在」(wujūd muqayyd)である被造物に大きく分けられる。アラビーはこれに加え、それらのいずれとも異なる第三要素として「真実在の真実性(ḥaqīqa al-ḥaqā'iq)」を想定する[3]。万物は見かけ上は全く違うように見えるが、実は全て神の知恵の中にある1形態に過ぎず、本質的には同一の物体であるとするのが「存在一性論」(Waḥda al-wujūd)である。人間とは神が持つ全ての属性の集合体によって構成されており、その中でもそれを自覚した「完全人間説」(insān kāmil)と呼ぶべき人が預言者であり、ムハンマドはその最後の人物であるとする「完全人間説」(insān kāmil)によって構成されており、人間は元から神の一部である以上、心や意識に苦痛をもたらす禁欲的な探求を採ることは無意味であると唱えたのである。

宗教と信仰の言葉では「神」と呼ぶべきものを、イブン・アラビーは哲学用語の次元で「存在」(wujūd)と呼ぶ。これは現実にこの世に存在している「存在者」や「現実存在」(mawjūd)とは全く異なる原理存在であるとする。そしてその存在の究極位をプロティノスの「一者」と同じように「存在の彼方」に置くと同時に、それが全存在世界の太源であると考えた[5]。イブン・アラビーの「存在」は、無名無相、つまり一切の「…である」という述語を受け付けない。「神である」とも言えない。なぜなら神以前の神は、普通の意味の神ではないからである[6]。「存在」(wujūd)には、「自己顕現」(tajallī)に向かう志向性が本源的に備わっており、「隠れた神」は「顕れた神」にならずにはいられない。無名無相の「存在」が「アッラー」という名を持つに至るこの段階は、ヴェーダーンタ哲学における意味分節する以前の全体存在である「上梵」から言葉によって言い表すことができる経験的世界である「名色」へと移り変わる段階にあたる、と井筒俊彦は解説する
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ぼくらは神や宇宙とひとつになれる

2018-06-25 13:16:50 | 思想、哲学、宇宙論
http://writersnews.net/mysticism/



神秘的な体験が悩める魂の救済に役立つとしたのは、新プラトン学派だけではない。

哲学だと、近代ではドイツ神秘主義のエックハルトやベーメが代表格だ。現代ではハイデガーなどが神秘主義者として知られている。

神秘主義を信奉する宗教には、インドのヨーガ、中国の密教や道教、イスラムのスーフィズム(8世紀に興ったイスラム神秘主義)などがある。

神秘的な体験ってなに?

神秘的体験なんて聞くと、目の前に神さまがあらわれて啓示を授かったとか、神隠しに遭ったとか、死んだじいちゃんが枕元に立ったとか、そういうのを頭に思い浮かべがちだけれど、もちろんちがう。

神秘主義(ミスティシズム)をひとことでいうと、


ぼくらは「神」や「絶対者」「存在そのもの」など、究極のなにかに帰一、融合できるという、哲学上または宗教上の考え方。

【帰一】分かれているものが最後はひとつになること。

ということになる。

もうちょっとくわしくやろう。

神秘主義者は「神秘家」になりたがる

「わたしであるとき、神は存在しなかった。いまは神がそこにいて、わたしはもう存在しない」

これは、インドの神秘家の言葉。

キリスト教の神秘家のシレジウス(1624~1677年)もこんな言葉を残している。

「水滴は海に流れでると海となる。魂は世界に受け入れられて神となる」

神秘的体験とは神(宇宙)と溶けあう経験

神秘的な体験というのは、「神」とひとつになる経験のことをいう。こういう経験をしたひとのことを「神秘家」なんて呼ぶ。

神とひとつ、とかいわれても、ぼくら日本人にはピンとこない。でも「神」を、「森羅万象」とか「地球」とか「宇宙」に置き換えると、ちょっとわかる。

神秘家は、神(宇宙)とその創造物(人間)のあいだにへだたる深い溝を超える、そして世界と溶けあうなかでおのれが消滅するような奇跡的な感覚を味わう、とたくさんの宗教が語る。

仏教でいうと、「悟り」や「涅槃(ねはん)」だろう。

雨粒が海に落ちると海の一部になるように、世界のなかに埋没し、みずからの実存を見失うのが神秘的体験である。

神秘的体験で、魂は一段階高い場所にいける

こうした体験がもたらすものは、それが奪うものより圧倒的に大きいと、神秘家たちは口をそろえる。

現在の自分自身は消滅するけれど、その果てに、自分自身がじつはとてつもなく大きなものだったのだと、ありありと実感するという。

神秘的体験は、日々を漫然と生きていては訪れてくれない。神秘主義者や宗教家はだから、生涯をかけて修行にいそしむのだ。

むろん、それでも求道者がみんな神秘的な体験をできるわけではない。というか、むしろそういうものとまったく縁のない暮らしをしている凡夫がある日突然、「神の言葉を聞いた!」「宇宙の意識に触れた!」なんていいだすこともある。

ああいうのはたぶん神秘的体験のひとつ。

「宇宙人とコンタクトした(連れ去られた)」なんていいだすひともひょっとすると神秘的体験をしていたのかもしれない。

ドラッグが、そういう境地に人間をいざなうことはめずらしくない。

ある種のドラッグには、時間と空間の感覚から人間を解きはなつような作用がある。アニミズムやシャーマニズムの儀式では、麻薬効果のある植物を用いて自然や宇宙と一体化しようとする。自然や宇宙の声に耳を傾ける。インディアンや南米の原住民はいまなおそういうことをしている。

宗教は神秘的な傾向がある

どんな宗教にも神秘主義的な傾向があるものだ。あまたの宗教家が神秘的体験について語るとき、時代や場所を超えてそれらは驚くほどに似通っている。

そういう神秘家たちの体験に通底するのは、

“神はぼくらの暮らす世界の内側にいる。世界のどこか外側にいるわけではない。神はぼくら自身のなかにいて、ぼくらは神(世界)そのものなのだ。

いろいろ書いてきたが、ぼくがこの記事でいいたかったのはこれにつきる。ぼくはずっと無神論者だったのだけれど、神秘主義を通して神というものの実存にちょっと近づけた気がするからだ。

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