<認知における意識の働き>
現代の認知科学や脳科学では入力された情報が神経ネットワークにより
細かく分析されることがわかっているが、その分析されたものが如何にして
一つにまとめ上げられるのかが分かっていない。そこで私は大胆な仮説を
考えてみた。
その前に、意識というものが何のために生まれてきたか、ということについて
私の考えを述べてみよう。
私の考えでは、意識というのは複雑な情報を取り入れ、すばやく処理するために発達し、
進化してきたシステムではないかと思っている。意識は脳に入ってきた大量の情報を瞬時に
処理することを目的として生み出されてきたシステムといえよう。
従って意識は脳の認知過程において非常に重要な役割を果たしていると考えられる。
ではどのように意識は認知過程に関わっているのだろうか。私の仮説を述べてみよう。
脳は外界から入ってきた情報を神経ネットワークによって細かく分析するのであるが
意識はこの分析された情報を、様々なデータベースをもとにして再構成し、一つにまとめ
上げるのではないだろうか。
分析された情報は色や形、位置、空間、動き、平面、立体、遠近感などの様々なデータベース
に基づいて意識によって再構成され、一つの世界を作り出すというのが私の仮説である。
たとえば風に揺れる赤いバラを見ているとしよう。
脳によってバラの色や形、動きなどが細かく分析される。この分析された情報に基づき意識は
色や形、動きなどのデーターベースを利用して風に揺れる赤いバラを再構成していくのである。
複数のデータベースによって並列処理された情報は意識によって瞬時に重ね合わせられ統合される。
これはニューロンの同期発火が関係しているだろう。
これらは単なる分析した情報とデータベースの照合ではなく、より能動的で創造的な行為である。
データベースの違いによって生じる処理速度のずれは意識の働きにより修正されるのだろう。
ではいかにしてデータベースは作られるのだろうか。
私の考えでは対象に意識を向けることによってデータベースが作られていくのではないかと思われる。
人間は生まれたときからすでにデータベースを作り始めるのだ。
赤ちゃんが一つのものを凝視するのは形や色のデータベースを作るためであり、幼児が積み木を
様々な角度から眺めるのも立体のデータベースを作るためでではないだろうか。
従って意識はデーターベースと密接につながっていると言える。
対象に意識を向け、そのデーターベースに関する情報が入力されることで
そのデーターベースが活動し始めるのだ。
形に関する情報が入力されることで形のデータベースが活性化し、動きに関する情報が
入力されれば動きに関するデータベースが活性化し働き始めるのである。
<意識を絞れば絞るほどより詳細な情報を得ることができるので意識が対象を選択し
その情報を拾い上げていると言える。>
データベースには具体的なものから文法構造のような抽象的なものまで様々なものがあると思われる。
人間は新しい環境においても情報をデータベース化することで適応していくのだろう。
入学したばかりの新入生がいつの間にか学校に適応してしまうのもそのせいではないだろうか。
データーベースを豊かにすることでより柔軟で多様なものの見方ができるようになると思われる。
同じものを見ても見るたびに違った見え方や解釈が可能になるのだ。
好きな人を繰り返し見ることでその人がより魅力的に見えてくるのは、その人の声や表情などの
データベースがふえるためだろう。見れば見るほど魅力的とは正にこのことである。
画家は対象を凝視することで視覚のデーターベースを豊かにし音楽家は音に意識を向けることで
聴覚のデータベースを豊かにして行くのだろう。
意識を向けるという行為が認知能力を発達させ脳の進化に重要な役割を果たしてきたと言える。
未知なるものに出会うことによってもデータベースを増やし脳を活性化できるのではないだろうか。
人間は意識を対象に向け世界と相互作用することで新たな意味を生み出していく存在なのである。
現在でも意識は進化し続けており、世界の認知の仕方は主格分離から主格合一へと
進化していくのではないだろうか。
そしてそのことによって対象と一体となった、より本質的な認知を行えるようになるのかもしれない。
現代の認知科学や脳科学では入力された情報が神経ネットワークにより
細かく分析されることがわかっているが、その分析されたものが如何にして
一つにまとめ上げられるのかが分かっていない。そこで私は大胆な仮説を
考えてみた。
その前に、意識というものが何のために生まれてきたか、ということについて
私の考えを述べてみよう。
私の考えでは、意識というのは複雑な情報を取り入れ、すばやく処理するために発達し、
進化してきたシステムではないかと思っている。意識は脳に入ってきた大量の情報を瞬時に
処理することを目的として生み出されてきたシステムといえよう。
従って意識は脳の認知過程において非常に重要な役割を果たしていると考えられる。
ではどのように意識は認知過程に関わっているのだろうか。私の仮説を述べてみよう。
脳は外界から入ってきた情報を神経ネットワークによって細かく分析するのであるが
意識はこの分析された情報を、様々なデータベースをもとにして再構成し、一つにまとめ
上げるのではないだろうか。
分析された情報は色や形、位置、空間、動き、平面、立体、遠近感などの様々なデータベース
に基づいて意識によって再構成され、一つの世界を作り出すというのが私の仮説である。
たとえば風に揺れる赤いバラを見ているとしよう。
脳によってバラの色や形、動きなどが細かく分析される。この分析された情報に基づき意識は
色や形、動きなどのデーターベースを利用して風に揺れる赤いバラを再構成していくのである。
複数のデータベースによって並列処理された情報は意識によって瞬時に重ね合わせられ統合される。
これはニューロンの同期発火が関係しているだろう。
これらは単なる分析した情報とデータベースの照合ではなく、より能動的で創造的な行為である。
データベースの違いによって生じる処理速度のずれは意識の働きにより修正されるのだろう。
ではいかにしてデータベースは作られるのだろうか。
私の考えでは対象に意識を向けることによってデータベースが作られていくのではないかと思われる。
人間は生まれたときからすでにデータベースを作り始めるのだ。
赤ちゃんが一つのものを凝視するのは形や色のデータベースを作るためであり、幼児が積み木を
様々な角度から眺めるのも立体のデータベースを作るためでではないだろうか。
従って意識はデーターベースと密接につながっていると言える。
対象に意識を向け、そのデーターベースに関する情報が入力されることで
そのデーターベースが活動し始めるのだ。
形に関する情報が入力されることで形のデータベースが活性化し、動きに関する情報が
入力されれば動きに関するデータベースが活性化し働き始めるのである。
<意識を絞れば絞るほどより詳細な情報を得ることができるので意識が対象を選択し
その情報を拾い上げていると言える。>
データベースには具体的なものから文法構造のような抽象的なものまで様々なものがあると思われる。
人間は新しい環境においても情報をデータベース化することで適応していくのだろう。
入学したばかりの新入生がいつの間にか学校に適応してしまうのもそのせいではないだろうか。
データーベースを豊かにすることでより柔軟で多様なものの見方ができるようになると思われる。
同じものを見ても見るたびに違った見え方や解釈が可能になるのだ。
好きな人を繰り返し見ることでその人がより魅力的に見えてくるのは、その人の声や表情などの
データベースがふえるためだろう。見れば見るほど魅力的とは正にこのことである。
画家は対象を凝視することで視覚のデーターベースを豊かにし音楽家は音に意識を向けることで
聴覚のデータベースを豊かにして行くのだろう。
意識を向けるという行為が認知能力を発達させ脳の進化に重要な役割を果たしてきたと言える。
未知なるものに出会うことによってもデータベースを増やし脳を活性化できるのではないだろうか。
人間は意識を対象に向け世界と相互作用することで新たな意味を生み出していく存在なのである。
現在でも意識は進化し続けており、世界の認知の仕方は主格分離から主格合一へと
進化していくのではないだろうか。
そしてそのことによって対象と一体となった、より本質的な認知を行えるようになるのかもしれない。