思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

見える世界と見えない世界

2017-12-31 11:50:43 | 思想、哲学、宇宙論
http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2017/04/participation-3.html

私のこのところのテーマは、「近代の世俗的な世界観はなぜ生じたのか」ということだった。つまり、リアリティというものを超越的なものと関係なく、この現実のみが存在するという、近代人が当たり前としている形而上学的枠組みの起源、といったところである。

このテーマについては最近、だいぶ見当がついてきた。基本的に、ラジカル・オーソドキシー、チャールズ・テイラー、ルイ・デュプレなどの路線で考えればいいということだ。これを理解するためには、中世までのヨーロッパの世界観がわかっている必要がある。

キリスト教神学についても少し勉強した。そこでわかってきたのは、ヨーロッパを総体的に文明として理解するためには、哲学と神学の両方に目配りしなければならない、ということだ。実は、哲学と神学の分離というものがある時点で起こっている。そこで神学から切り離されたしまった哲学が明治期に日本にも輸入されたわけだが、私たちはもはやこの分離自体を疑いにかけなければならないのだ。つまり、モダンもポストモダンも、こうした分離の事後に成立している哲学だという点では同じなのである。ポストモダンはモダンを超えてはおらず、むしろモダンに特有な懐疑(疑いの哲学)の徹底化なのだと見るべきだろう。真のフロンティアは、神学と哲学の分離という問題にあるらしい、ということがわかってきた。

神学と哲学の分離というのは、実は、自然と超自然の分離でもある。つまり、超越と何ら関わることなくそれ自体で存在する自然というコンセプトは、こうした分離の事後に生まれたものである。そのパースペクティブが近代科学の根底でもある。

しかし少なくとも13世紀のトマス・アクィナスまではそうした分離はなかったらしい。

話が難しくなりそうだが、簡単に言えば、「見える世界」は「見えない世界」に支えられてのみある、という考え方ということである。

見えない世界などというものはなく(あるいは考えに入れる必要はなく)、見える世界はそれ自身で存在する、というのが近代特有の世界観だ、ということなのである。

そのことを、現代科学のパラダイム転換とからめて、量子論やらダークエネルギーなどと関連させて解説する人も多いが、それは論としてカテゴリーエラーの可能性もあるので今それはとらない。

見える世界を支え、存在せしめている見えない世界とは、ヨーロッパ文化的には「神」と呼んでもいいのだが、この存在するものと存在をさせる何かとは異なることを指摘したのは、ハイデッガーだった。ハイデッガーは実は中世の神学に詳しい人で、こうした区別(存在論的区別という)は既に中世にあったものだということを知っていたはずだ。

こういう存在のありかたを、participation という語で名づけている。存在するあらゆるものには、存在するのではない何かが参与している、ということである。わかりやすくいえば、異次元なるものである。

私はこれは、キリスト教文化の文脈以外でも使えるコンセプトではないかと思う。

仏教で言えば、「色即是空・空即是色」は、participation なのだ。

「色」(「しき」と読む)とは存在するもののことであり、空は仏教で言う絶対者であるが、「仏」と言っても同じことである。

仏教学者は「空」を「実体がない」などと解説することが多いが、それは意味の一つにしか過ぎない。「空」とは「大いなる神秘」などと訳しても差し支えないと思う。キリスト教神秘主義者のようにかっこよく「輝ける闇」などと言ってもいいものである。

鈴木大拙は「即非の論理」という言い方をしているが、これはほとんど participation の神学と近いなあ、と感じるのである。

また、ラジカル・オーソドキシーで面白いのは、liturgy の復権ということである。つまり、理論や教義だけが問題ではなく、何をやるということである。キリスト教の場合はミサがそれにあたる。そこで、聖体(パンとワイン)に participation があるのか、という議論になるが、それはつまり、そこに本当にキリストの臨在があるのかということである。そういう次元間交流が起こるのか、ということが議論されている。そこで、これまでヨーロッパ人はまったくばかにしていたイアンブリコスの新プラトン主義が評価されたりするのだから面白いことになっている。

あまりに日本と関係ない話のようだが、実はそうではない。神道はほとんど liturgy がすべてという宗教である。また仏教の密教もそれに近いものである。そこで本当に神仏の力が来る、と信じなければあまり参加する意義は感じられないだろう。物質次元は非物質次元とつながって動いているという世界感覚が神道や密教の基盤になっている。近代的世界観を乗り越えないとこれを完全に理解することはできないのだ。こういう方向性を sacramental theology というのだが、これは日本人が神道や密教その他仏教的実践を理解し、評価する上でも参考になる。

日本にたくさん学者はいるが、神仏は確かにある(感じられる)ということを言い切れる人ははなはだ少ない。それはこうした神学的思考をするトレーニングがほとんどアカデミーにおいてなされていないからではなかろうか。またヨーロッパ文化を全体として理解するという視野に欠け、専門分野のごく狭いところしか勉強してない人が多いのではないか。神仏が実在すると一度も実感したことがない人が教授になったりしているのはどこか文明のあり方として間違っている。私は仏教学者では鈴木大拙と玉城康四郎以外はあまり評価していない。

これはトインビーの文明論にもあったことだが、文明というのは何らか、どのようにして超越性と関わるかを大きなテーマとしているものである。それは自分たちの存在の意義をどのように理解するという問題だからであり、その根本問題を「だって答えがないんだから考えなくてもいいじゃん」という態度で回避しようとする現代文明のあり方はどうなのか、ということである。ヨーロッパはどのようにしてこのような超越の問題にかかわり、そして、最終的に「超越なしで現実を捉える」という文明のあり方に至ったのか、この根本を押さえないでいて、どうして現代日本において根源的思考が可能になるのであろうか。


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縄文の心と魂

2017-12-29 17:13:35 | 思想、哲学、宇宙論

http://myhp.jcv.jp/dimen/page047.html

日本の原点、文化と時代




今、日本の国が、進むべき方向を見失って迷っているようにも見えます。
日本人として皆が持っているはずの魂や原点を、いつの間にか見失い、
どこへ向かって進もうか、迷ってしまっているのでしょうか?

自分に迷いが生じるのは、自分の魂の原点を見失っているから。
自分の原点に立ち戻ることで、魂の原点が見えてきます。
元々もっていた魂の原点が見えやすくなります。

魂は、年輪を重ね、少しずつ成長していきます。
原点からどのように年輪を重ねてきたかを振り返ると、
現在の自分の中核になっている魂が、もっとはっきりするでしょう。

今、日本が歩んできた道のりを原点から振り返り、棚卸する時期なのかもしれません。

そのとき、立ち戻る日本の原点は、どこにあるのでしょうか?
それは、明治維新が原点でしょうか?
それとも、江戸時代が原点でしょうか?
戦国、室町、鎌倉、平安、奈良、飛鳥・・・・
稲作が盛んになった弥生時代が原点でしょうか?

縄文時代こそ、日本の魂の原点、日本の原点ではないでしょうか。
旧石器時代の後、一万年以上も続いた縄文時代。
その後、現代までの時間は、せいぜい三千年、
所によっては、もっと短くなるでしょう。

日本人の祖先の大部分は、
縄文時代が終わるまでに、日本列島にやってきました。
縄文時代の一万年間に、日本列島内外の交易や移動により、文化の交流が起こり、
原点となる日本文化の基本的部分が醸し出されています。

オヤッ、と思うかもしれません。
弥生時代に新しい種族が大陸から入り、縄文人を押しのけていったのでは?
学校で、そう教わった時代もありましたが、事実は違います。
縄文時代は、文明と言って良いほど、高度に発達した社会をつくっていました。
(参考書:末尾参照)

弥生時代に、新しい技術や宗教、文化を携えてやって来た人達は、全体としては僅か。
縄文人がその新しい技術を吸収し、数百年かけて普及していったのです。
ちょうど、種子島に鉄砲が伝わった時、製造技術をまたたく間に吸収し普及したように、
あるいは、明治維新に、西洋の技術や制度、文化を瞬く間に吸収普及したように。
文化の表面的な部分は、だいぶ変わったかもしれませんが、基本は変わっていません。
後からやって来た人達も、縄文文化の中に溶け込み、
縄文人も、新たな宗教や文化と妥協し、習合していったのです。
そして、縄文文化は、綿々と受け継がれ、今も、息づいています。
縄文文明一万年の蓄積を原点として、現代に至る2~3千年の文明が付け加わったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2010年6月13日追記)

歴史を振り返ると、人は、重要な岐路に立ったとき、後で悔むような失敗を繰り返しています。
それまでの惰性や当時の空気に流され、広く深く考えることなく、右往左往しているうちに、
自分では後戻りできない所に来てしまい、存亡の淵に立っていたと言う失敗。
個人あるいは集団として、奢り高ぶった末に、孤立し、身を滅ぼすことを繰り返していました。
普段は、下手に考え立ち往生するより、直観の方が素速く、当たっていることも多いです。
しかし、ここぞと言う時は、充分考え尽くし、話し合った後、
残る選択肢だけ、直観に委ねたいものです。
結果がどうであれ、納得できますが、そうでないと、いつまでも後悔が残ります。

なぜ、充分に考え尽くし、話し合うと言う事が、できないのでしょう?
普段の何気ない判断や行為を無意識やその人の魂に委ねても、大きな間違いはありません。
しかし、その無意識や魂が傷ついていたら、自分の魂を誤解していたら、
無意識に沈んでいる原点に蓋をして、気づかないふりを続けていたら、
広く深く考えようとしたとき、まともに考える事は、できないのではないでしょうか。

一万年に及ぶ縄文時代の魂、日本の原点は、
日本文化で育った私達に確実に受け継がれています。
しかし、この縄文時代の文化や魂を、日本の原点を、
今までは軽視し、蓋をしてきたように思えます。
混迷の時代、今こそ、日本の原点を取り戻すべき時です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2010年7月5日追記)

縄文の心と魂


【先入観の払拭】

私達の先入観として、文化というものは、時と共に高度に発達するのであり、
時代を遡り、昔になる程、劣悪であったに違いないと思いがちです。
これは、どうも間違いのようです。

遺跡の発掘が進み、縄文時代中期~1500年間の三内丸山遺跡の全貌が、分かり始め、
1997年には国の史跡に、2000年には特別史跡に指定されました。
その他にも、縄文時代の高度な文化を示唆する遺跡は幾つもありますが、
先入観に曇った目では、真相に近づけないようです。

先入観をぬぐい去り、日本人の起源、魂のルーツをたどっていくと、見えてくるものは、
日本全国共通の文化基盤として、高度に発達した縄文時代に行き着くという事実です。
その遺物の多くが、不思議と、心を打ちます。
弥生時代に比べても、現代アートに比べても、見劣りしていないのは、何故でしょう?

文化の担い手は、一つひとつの技法を、試行錯誤しながら体得していきます。
既にあるものを理想とし、これに向かって試行錯誤する、模倣的学習。
独自の理想を求め、今迄にないものに向かって試行錯誤する、創造的学習。
模倣的学習と創造的学習を総合することで、高度なものが発達します。(総合的学習)

情報に接する程に、目が肥えてきます。
作り手の目が肥えてくる程に、高度なものを作ろうとします。
利用者の目が肥えてくる程に、高度なものを求めようとします。
その結果、作り手、利用者、双方の欲求に押されて、文化は発達します。
情報が行き交う範囲内の人口が増える程、文化は発達します。

日常的な文化は、いつの時代にも、地域差があるはずです。
作り手による偶然の差もあるでしょうが、入手できる情報の傾向や、
利用者の求める傾向が、大きな要因でしょう。
その傾向は、日常使う品物や情報が交流し、且つ、普通に人が行き来する範囲を、
一つのまとまりとし、このまとまり毎に異なるはずです。
ここでは、その範囲を仮りに「開放的交流圏」と呼ぶことにします。

情報が瞬時に行きかう現代は、文化の差が縮まってきています。
過去に遡る程、情報の流通は遅くなります。
地域の特色が大きくなる傾向が推測できます。

情報の流通に壁があると、地域差は、もっと大きくなるはずです。
地域の縄張りをめぐり、争いや対抗が深まると、情報の壁になります。
情報の壁は、そのまま、開放的交流圏の障壁になります。
農耕生産を主体にした先史時代の社会、
狩猟採集を主体にした先史時代の社会、
障壁が増え、開放的交流圏が狭くなりやすいのは、農耕生産の方でしょう。

どちらも、土地の生産力に依存しており、これに伴う縄張争いはあり得ますが、
狩猟採集より、農耕生産主体の方が、
・ 縄張り内の人口密度が高く、境界の監視を強められる。
・ 人口が集積しやすく、縄張り内で自給自足できる品物を増やしやすい。
・ 縄張り外との交流を減らし、情報の壁を作りやすい。
・ 縄張りの境界を、そのまま、開放的交流圏の障壁にできる。
自給自足で良しとすれば、農耕生産主体の方が障壁が増えても、不思議ではありません。
恐らく、弥生時代、各地に農耕が広がるにつれ、縄張り争いが深まったでしょう。

対立解消の方法は、古今東西、大きく分けて3つ。
力ずくの決着ではなく、双方で利を分けあうよう、話合いで調整する方法・・・・・・・・・・・・・・・・A
(当事者同士の話し合いで上手くいかなければ、第三者を入れて調整)
対立しても、強弱が判明したら抗争を止め、序列を決めて無理をも受入れる方法 ・・・・・・・・B
弱者を衰微させ、強者を太らせ、最終的な絶対者を絞る方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・C

対立解消の3方法の中で、
Cを選ぶのが、独裁ないし専制です。
Bを選ぶのが、服属です。
Aを選ぶのが、和解です。

日本列島(広い意味では、樺太から台湾までですが、このページでは台湾と樺太を除きます。)
では、大抵の場合、序列が決まれば、無理をも受入れ、抗争を止めていました。
有力者同士では和解や服属で対立を解消し、独裁も専制も頓挫してきました。
有力者の支配下では、一般の人々の対立は、和解を基本とし、誰かが調整にあたりました。

この一番の例外は、卑弥呼が一時的な緩衝装置になっていた地域の、弥生時代。
奴隷制の専制的国々が、耕地と労働力を奪い合って戦っていたようです。(参考書⑬)
 (歴史家は、鎌倉時代以降を封建制としましたが、そんなマルクス主義的な発展段階論で、
  古代以来の日本の歴史をとらえる事は、たぶん無意味でしょう。)

以上を考えると、弥生時代は、戦国時代同様、一般的に開放的交流圏は狭かったはず。
かえって、縄文時代や旧石器時代の方が、開放的交流圏は格段に広かったはずです。
実際、旧石器時代の日常的な道具の材料である黒曜石は、遠方まで運ばれています。
装身具である翡翠製品や南方産の貝殻は、縄文時代の日本列島全域に運ばれています。
   ・・・・・・(参考書①⑪)

縄文時代の遺物の多くが、弥生時代に比べて見劣りしないのも、不思議ではありません。
日本列島全体の人口は、縄文時代の方が、弥生時代に比べて格段に少ないものの、
一つの開放的交流圏内の人口は、縄文時代の方が多かったかもしれません。
物によっては、縄文時代の方が、高度に感じられるのは、この為かもしれません。

弥生時代の方が、高度に発達したのは、農耕技術は当然のことながら、
その他は、戦いの技術や、集団の拘束・統率技術、金属技術であり、
一般人が暮らしを楽しむ技術や文化は、縄文時代の方が、発達しいていたかもしれません。

縄文文化は、豊かで高度なものであり、外洋を渡る交流があったことも分かりました。
日本人の国民性、心根、文化を、正当に理解するには、この縄文の理解が不可欠です。


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かつて古代の日本に中東からユダヤ人の集団が渡来した

2017-12-27 11:35:14 | 思想、哲学、宇宙論






   7世紀から平安時代にかけて日本で勢力を伸ばした「藤原氏」は、『日本書記』の編纂において、自分たちの都合のいいように歴史を書き換えました。そして彼らもかつて中東地域を出発し、東へ東へと流れて渡って来たユダヤ人だったのです。彼らが東を目指したのは、東にユートピアがあるという伝承を信じていたからなのです。

   それがいわゆるユダヤの失われた十支族やその子孫であり、彼らにはユーラシア大陸を徒歩で移動した者たちと、船で海に漕ぎ出した者たちがいましたが、やがて流れ流れて日本にたどり着いたのでした。船で渡ってきたユダヤ人たちは、四国の徳島などにたどり着いており、徳島には船盡(ふなはて)神社と呼ばれる神社もあります。また日本海側の富山に着いたユダヤ人たちは、川を伝い、山を越えて長野県の安曇野に入った人たちもいます。富士川を遡って山梨に入った人たちも多いようです。

   ただし安曇野や山梨に入った人たちは、ユダヤ由来ではありますが、ユーラシアで騎馬民族となり高句麗経由で入った人たちであり、天皇家の流れとはまったく違う人たちです。ちなみに山梨で財を成して関西に出向き、宝塚や阪急グループをつくった小林一三さんや、東武鉄道や南海鉄道の創設者である根津嘉一郎さんたちもユダヤの子孫です。ご家族や子孫の人々はこういうことを知ると驚かれるでしょう。つまり彼らは優れた商才を引き継いでいるのです。商才がDNAに刻み込まれているわけで、そのほか日本の財閥と言われた家はほとんどがユダヤの子孫です。そして彼らは天皇家にも入っています。

   しかし注意しなければならないことは、先にも触れましたが、日本の歴史は渡来人であるユダヤ人によって始められたのではありません。日本の土地にはもっと古くから先住民族として住んでいた人々の文明があるのです。しかし「日本人=ユダヤ」という説に偏り過ぎている人たちがおり、そうした人々は短絡的に「ユダヤが日本をつくった」と言いますがそうではありません。あくまでも縄文時代から続く自然に密着した文明の上に、渡来して来たユダヤの文化と血が融合したのです。

神道とユダヤ教の融合

   実は藤原氏が日本において権勢を振るうようになる以前には、藤原氏よりも先に日本に到着していたユダヤ人のグループがおり、それが物部(もののべ)氏や蘇我氏だったのです。物部氏が神道を取り仕切っていたことは知っていると思います。物部氏は、「神道があるから仏教を積極的に導入する必要はない」と主張しましたが、蘇我氏はこれに対抗し、結局、物部氏を滅ぼした蘇我氏によって、仏教が国家宗教として導入されることになりました。けれども特に皇室の周辺では引き続き、神道に基づく祭祀が執り行われ続けてきました。

   そしてこの神道に、さまざまなユダヤのしきたりや仕様がすでに盛り込まれているのです。日本の本来の古神道では、祈りの場所には磐座(いわくら)があっただけでした。つまり神の存在は大自然の中に宿っているので、特別に祈る対象は必要ないわけです。ですから日本に本来からある古神道こそは、本当に宇宙とつながるという宗教なのです。

   日本の季節にははっきりわかる四季というものがあり、そのために日本人には豊かな感受性が備わっています。秋の虫の鳴き声を聴けば「秋が来た」と思い、春には桜を楽しみます。しかし欧米人には虫の声も雑音にしか聞こえず、実の成らない桜の花を愛でる心情も理解できないようです。この日本人の自然を敬う心が、そのまま古神道には残っています。

   ところがいつのまにか、自然信仰のアニムズム的宗教の場に、鳥居があって社(やしろ)が建つようになってしまったのです。たとえば古代イスラエル神殿には、入り口をくぐると手を清める場所があり、拝殿と本殿があるという造りになっていたそうで、それが日本の神社にそのままあるのです。神社にある狛犬(こまいぬ)は犬ではなく獅子のことですが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像があったのです。古代のイスラエルにはもうこのような神殿はなかったのです。

   実は、日本の神社には地下室が設けてあり、そこには十字架のようなものが安置されているということを聞いています。モーゼが神(ニビル星のヤーウェ)から授かった「十戒石板」が収められていたという聖櫃(アーク)と、日本のお神輿(おみこし)がよく似ているという話は有名です。お祭りの際に用いる言葉などにもその痕跡は残っており、今ではお神輿を担ぐ時の掛け声も知らずに使っていますが、古代ヘブライ語に翻訳すれば意味が判るのです。

   神道用語だけではなく、日本語には今でも古代ヘブライの言葉と共通する言葉が5000語くらいあります。ちなみに伊勢神宮には三種の神器の一つである「八咫鏡」(やたのかがみ)がありますが、その裏には古代ヘブライ語で「我ありてある・・・」と、まさに旧約聖書の中にある神(ヤーウェ)の存在が書いてあるのです。

   また神道と直接には関係ありませんが、日本には「割礼の儀式」というユダヤの習慣を残している家系があります。このように日本に今ある神道はユダヤの影響を強く受けていますが、スタイルは同じでも、日本に本来ある古神道そのものは自然を慈しみ、天と地を結ぶ宗教としては変わってはいません。その元締めが天皇であり、そこはユダヤ教やほかの宗教とは違うところです。

ユダヤ人が四国の剣山に隠したとされる「アーク」(聖櫃)

   中東を発って、海から徳島にたどり着いたユダヤ人たちは、徳島県の最高峰である「剣山」(つるぎさん)にアークを埋蔵したという噂があります。そのアークが隠されている剣山に誰も近づけさせないために、人々の注意を逸らす目的で、そのためにわざわざ空海が、四国八十八ヶ所霊場を設けたという話があるのです。ですから八十八ヶ所のどこからも剣山は見えません。

   おそらくそのアークは天皇家に大切なものであって、それを隠すための事業として、空海は霊場の整備を請け負ったと考えられます。なぜなら確かに八十八ヶ所ものお寺を作るのは、空海1人でできる事業ではないからです。おそらく実際の建設は、当時の公共事業として進められたはずです。徳島には今でも三木家という、麻を天皇家に納めている家があります。皇室の麻の着物はすべてそこの麻を使って作られており、これを献上するときにだけ年に1回、剣山で儀式をするのです。徳島はそれだけ皇室と縁のある土地なのです。

   徳島県の祖谷(いやだに)に暮らす人たちの祖先は、平安時代の源平の合戦で負けた平家の落人(おちうど)だと言われていますが、見ると明らかにユダヤ人です。その集落の家庭に飾ってあるご先祖の顔の写真を見てもそうです。山の険しい尾根に家が建っており、なぜこのような場所に住むのかといぶかしく思うほどの場所ですが、やはり先祖代々目立たないように住んでいたと思われます。

   それに一般的に四国は長い間、国民の目からは隠されてきたように思います。
   山陰地方もそうですが、四国においても経済の進み方は長い間遅かったように思います。今では本州と四国を結ぶ橋が3本もできたので便利になりました。徳島の祖谷だけでなく、四国の随所にいろいろと不思議な場所があります。祖谷にある「栗枝渡神社」もそうですが、地元では栗枝渡を「クルスド」と呼ぶそうです。

   時代はずっと新しいのですが、地元の戦国武将・長宗我部(ちょうそかべ)氏も秦氏の流れの人物です。長宗我部の歴代の当主は、背が高く美男子だったと言われています。大坂の役で豊臣方と戦って、直系はここで滅びましたが、分家の家系は現代まで続いています。家紋は、7つ酢漿草(かたばみ)の他、秦氏が海を渡って来た時に使った「帆掛船紋」も使います。

「諏訪神社」には蘇我氏によって封印された物部氏の力が宿っている

   さて仏教を導入した蘇我氏によって神道擁護派の物部(もののべ)氏が滅ぼされたために、物部氏の神社が封印されており、また蘇我氏などの系列の神社によっても物部氏が封じ込められています。それがどのような状況で行なわれたのかわかりませんが、しかし蘇我氏にしても後には追われる立場にあったのは確かです。いずれにしても蘇我氏が物部氏の本家なき後、諏訪(すわ)に入り込み、物部は封印されたのです。封印というのは、基本は祟り(たたり)を恐れてする行為なので、物部氏にとっては蘇我氏による理不尽な行為があったと思われます。

   蓼科(たてしな)へ行ったとき初めて諏訪(すわ)神社を訪れましたが、その時周辺の木々が教えてくれました。「この辺りはあらゆるものが封印されているので、ここに光の柱を立ててください。そうすれば大いなる力が蘇えります」と。その木は、封印のために1千年以上も耐えて来ているせいか、黒っぽい「気」を漂わせていました。封印だけでは物事は解決しないのです。権力争いに勝った者が自分たちのその後を祈願しての封印だったかもしれませんが、浮かばれないものに力づくでフタをしておくというのは宇宙創造の理には叶いません。つまり封印することで、エネルギーが凝り固まるような悪いしこりを残してしまっているのです。

   その後、私は蓼科で講演会を催し、集まってくれた多くの人々と一緒に改めて諏訪神社を訪れ、光の柱を立てました。そして封印されていたものを解き放ち、光の世界へ導くことができました。これでパワースポットが、本来のエネルギーを放つことでしょう。


        book 『古代日本人とユダヤの真実』 中丸薫著 KKベストセラーズ

                           抜粋
   




投稿者 zeranium 日付 2014年3月14日 (金) | 固定リンク





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宇宙インターネットと肉体コンピューター

2017-12-25 13:35:53 | 思想、哲学、宇宙論
宇宙インターネットと肉体コンピューター[編集]

アイクの神秘体験によれば、存在するもの全ては1つの無限なる「根源意識」である。そして人間が日常的に経験している五感の世界は、同じ事を延々と反復するだけの時間の環(タイム・リープ)であり、アイクはこの世界を「宇宙インターネット」と呼んでいる。マヤ文明における時間の概念やヒンドゥー教におけるユガの概念などにある通り、「宇宙インターネット」は永遠に循環し続けるサイクルである。

「宇宙インターネット」は情報の束から成る仮想現実であり、人間の肉体や脳は、人間(根源意識)が「宇宙インターネット」にログインするためのインターフェイスである。人間の身体には経絡と呼ばれるエネルギーの通路が存在するが、これはコンピューターの電子回路基板に瓜二つである。こうした理由から、アイクは人間の身体システムを「人間コンピューター」と呼んでいる。世界中のコンピューターがインターネットにログインするように、「人間コンピューター」は「宇宙インターネット」と呼ばれる同一の仮想現実にログインしている。

人間は、根源意識との接続を失なったため、現在の「人格」を自分自身だと錯覚するという罠に陥っている。しかし人間の「人格」は、遺伝子情報や環境的条件付け、脳内物質や体内に摂取した化学物質などの「肉体の性質」に深く結びついているため、相対的なものであり「真実の私」ではない。人間の性別ですら、人為的に起こした化学反応の変化や遺伝子操作で変化されうるため、本来、「私」が男性や女性であることはあり得ない。人間が「自分自身」だと思っている人格は、実際は人間コンピューター(肉体)にプログラムされた情報に過ぎないものである。

そして「物質」は本来、情報の束に過ぎないものであるが、「人間コンピューター」がこの情報をホログラムとして解読するため、人間には三次元的に固定され知覚されてしまう。こうした物質界、つまり「宇宙インターネット」は、根源意識が具体的な体験をする場として善意から創造された世界であるが、爬虫類人によって不正侵入(ハック)されている。爬虫類人の狙いは、人間を五感の世界に集中させ続けることで、人間のオーラを閉鎖させ、本来は存在しない「時間の環」のエネルギーの世界に、人間の意識を閉じ込めることにある。








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私たち人間の本質は「意識・認識」という周波数エネルギー

2017-12-24 15:59:26 | 思想、哲学、宇宙論





   自分が生きる世界や人生で何が起こっているかを把握するには、少なくとも現実そのもののテーマとその成り立ちを理解する必要がある。それが「現実」とはなにか? 私たちは何者なのか? どこから来て、今どこにいるのか? しかしこういう大切な問いかけをする人はほとんどいない。あきれるほど大勢の人々が、五感の世界が映し出す「映画」の虜(とりこ)になっており、玄関灯しか目に入らない蛾のように外側の世界に生きている。これまでの何千年がそうであったように、これからもそうなのだろう。

   試しに、周りの人に人生や世界について尋ねてみるといい。
   ほとんどの人は宗教や公式の科学的「規範」を信じるようにプログラムされていることから、そこから引用して答えるはずだ。だが、宗教は精神の牢獄だ。すべてを捨てよと教える「仏教」のような、「悟り」の宗教も例外ではない。スキンヘッドにすれば「霊感」を得られるとでもいうのか? それともシーク教徒のように、絶対に髪を切らないほうがいいのか? ニューエイジ思想にしても、宗教を否定しながら、それ自体が宗教になっている。

   だが、宗教が現実の真の姿を教えてくれるわけがない。
   それは真相がわかってしまったら、宗教そのものが生き残れないからだ。彼らの狙いは、修道服に身を包んだ連中にとって都合のいいドグマ(教義)を売り込むことで、そのために人間を無知の状態に維持しているのだ。覚醒して自分の本当の姿を理解している人たちは、宗教を信じたりはしない。そこにあるのは原因と結果の逆転なのだ。

   では主流科学なら、頭の良い科学者が現実について、現実と人間との相互作用について教えてくれるのだろうか? しかし残念ながらここでも因果関係が逆転している。いわゆる「科学」というのは、さまざまな専門分野の集合体であるはずだが、実際にはそうした分野の相互の連絡はほとんどなくて切り離されている。それらはむしろ資金と名誉を奪い合う間柄でしかない。科学者たちには博識なイメージがあるが、ほとんどの科学者は狭い範囲のことをよく知っているに過ぎない。その「狭い範囲」同士を結び付けない限り、全体像は見えてはこない。

   また彼らには「科学的コンセンサス」(互いの合意)という名の譜面があり、あえてそこから逸脱することを避けようとする。それは手に入れた資金や仕事、権威を失うのを怖れているからだ。ほとんどの「科学者」は、新しいテクノロジー、ドラッグ、食品添加物などを作っているだけで、現実の本質について研究しているわけではない。こうして圧倒的多数は「科学主義」という宗教を信奉している。それはすべての宗教と同じく、その根本を為す厳しい「ドグマ」(教義)に背くことは許されないからだ。ニューエイジと同じで、科学も宗教を否定するひとつの宗教なのだ。

   いわゆる「科学」には、現実のベールを剥ぐことで、人間の真の姿を明らかにすることはできない。なぜなら人間を操作・コントロールしている側にとって、それを知られることは困ることだからだ。人間をコントロールするうえでもっとも効果的な方法は、無知な状態にとどめておくことだ。世界的秘密結社のネットワークという「聖域」の内部にいる連中は、人間の生きる現実がどうなっているかや、私たちがどのようにその現実と交信しているかもよく承知している。

   もし標的になっている私たちがそれを知ってしまうならば、彼らの力は消え去ってしまう。彼らの「隠れた手」にとって肝心なことは、私たちが何者で、今どこにいるのかを知らせないようにすることだ。そのためには科学をコントロールして、純粋な科学研究を抑え込まなければならない。

  世界のメディアを支配しているのは、科学・宗教・政治・銀行・大企業などを所有あるいはコントロールしているのと同じ一族であり、秘密結社である。「現実」に関する議論がどのメディアでも行われないということ自体が、すべての根源となるもっとも基本的な領域について、彼らが決して私たちに知らせまいとしていることがわかる。

   ほとんどの人は自分が「物理的な」世界に住んでいると思っている。
   実際にそう見えるのだから仕方がないが、本当は違う。「物理的な」存在などなく、すべては幻覚だ。私たちの本質は無限で永遠の「意識」そのものであり、ごく狭い周波数帯の中で「物理的世界」なるものを経験しているに過ぎない。私たちは名前ではない。それは肉体でも職業でも、家系や人種、肌の色でも、ある所得層でもない。こうしたものは現在の経験であって、私たちが何者であるかということとは無関係である。

   私たちは「意識」であり、無限で永遠の「認識」なのだ。
   つまり中核状態には一切の形がない。私たちは単なる認識であり、それが「無限の認識」のひとつの表現なのだ。だから私たちは「すべてひとつ」(ひとつの源に属する存在)だということになる。このたったひとつの「無限の認識」が、観察ポイントによってさまざまな経験を生むのだ。中央アメリカのあるシャーマンが、そうした私たちの姿をうまく表現してくれている。

   「私たちは知覚を有する者であって、認識(そのもの)である。
   私たちは物体ではない。それは実体でもなく、境界もない。私たち、と言うより私たちの理性というプログラムはそのことを忘却(の彼方へ置き去りに)し、自分自身の全体性を(繰り返しの)悪循環の中に閉じ込めてしまった。そしてほとんどの者は、そこから抜け出すことができないままに生涯を終えてしまう。」

   「コントロールシステム」の目的は、つまり子宮から墓場までの人生の旅を通じて、この状態を維持することにある。アインシュタインは「現実は幻覚だ。ただし永続的な」と言っている。私たちはバーチャルリアリティの宇宙に生きているのであり、それが無線LANのインターネットと同じように、情報構造物から「物理的な」形へと解読されているのだ。この「情報」は波形あるいはエネルギーの振動/共鳴という形ちでコード化されており、それを驚異的なバイオ・コンピューターシステムであるマインドーボディ(身体)が解読する。こうして「無限の認識」である私たちは、この「世界」の周波数帯と交信できるようになる。

   マインド-ボディ・コンピューター(肉体)は、本来の私たちである「意識」がこの世界の周波数帯と交流するための乗り物だ。これがなければ私は目の前のキーボードを叩けないし、あなたもこの本を手に取ることができない。「臨死体験」をした人は肉体から遊離していた時の状態と、肉体の「内側」から知覚していた現実とがまったく違うものだったと口を揃えて言う。これは肉体から遊離することによって「認識」が非常に拡張したために、肉体の目がなくても「見える」ようになり、そのためにマインド-ボディ(肉体)に閉じ込められて縮小してしまう前の、本来の自分を経験できるからなのだ。

   しかし彼らの計画的な操作の中に生きて来た人類は、肉体そのものが自分だと思い込んでいる。「人が死ぬ」という表現があるが、本来の「人」は死ぬことはないし、そもそも死ぬことなどできない。「死ぬ」のは肉体という「オペレーティング・システム」であって、本来の「意識」としての「人」ではない。(いわゆる魂、霊というのは意識そのもの)

   たいていの人は、あるのがわからないものは存在しないと考える。
   しかし誰もが知っているように、コンピューターの前に座り「ログオン」すれば、世界中から集めた現実がスクリーンの上に現れる。(それにしてもWorld Wide Web [世界に広がるクモの巣]とは言い得て妙だ)。コンピューターさえ持っていれば誰でも、アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカでもアジアでも同じ集合的現実にアクセスできる。(ただし中国は別だ。中国では万里の長城[グレートウォール]なみのファイアウォールでウェブへのアクセスを制限している。そうやって国民に知らせたくない情報をブロックしている)。

   要するに宇宙の基礎を構成しているのは波形情報で、それが振動共鳴としてコード化されているということだ。それを肉体の脳と遺伝子構造が波形の電気情報に変えて、頭の中のスクリーンに映し出している。こうして情報が、「物理的な世界」として経験されるのだ。脳の中は真っ暗だが、私たちには光が見える。でもどうやって? それが波形情報の解読だ。コンピューター内部は暗くても、スクリーン上には光や色が見えるのと同じだ。

   また宇宙インターネットは双方向による「ゲーム」だ。
   私たちは波形の情報を受け取る一方で、それに自分の考えや感情、知覚を加えて「投稿する」こともできる。つまり、現実が私たちを変えることもあるが、私たちが現実を変えることもできるということだ。「物理的な現実」は私たちの中にある。私たち1人1人が経験することはどれも、自分自身が意識的・無意識的に宇宙インターネットから選んで解読したものだ。

   わかりやすい例を挙げよう。
   アメリカの作家マイケル・タルボットがThe Holographic Universe (邦訳『ホログラフィック・ユニバース-時空を超える意識』春秋社 1994年)で紹介している話だ。

   「あるパーティの余興で催眠術師が登場し、トムという男性に催眠術をかけることになった。催眠術師は彼に「術」をかけて、「目を覚ますと娘さんの姿が見えなくなる」と告げた。彼の娘が舞台に上がり、正面に立った。術を解かれて目を覚まし「戻ってきた」トムは、娘が見えるかと訊かれて「いいえ」と答えた。娘は彼の真正面にいるのに、「娘はいない、見えない」と言う。催眠術師が娘の後ろに回り、彼女の腰のところに手を当てながら「私が手に持っているものが見えますか?」と尋ねると、トムは即座に「はい、腕時計です」と言う。トムには娘が目前に立っているにもかかわらず、時計がはっきりと見えていた。何時かと訊かれて、文字盤も読んでみせたという。」

   こんな話を聞くと、ほとんどの人は、特に科学畑にいる教条主義者などは、そんなことはありえないと言うだろう。だが現実の仕組みさえわかれば、実にシンプルで論理的で不可能でもなんでもない。人間の肉体も含めて、宇宙のあらゆるものは基本的な波形情報の「場」でできており、私たちが見たり、聞いたり触ったり、味わったり嗅いだりできる、デジタルないしホログラムの領域を超えたところで共鳴しているのだ。トムの場合は、催眠術師の暗示がファイアウォールになって娘の波形情報をブロックしたために、脳が解読できなかったのである。


        book 『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』
              デービッド・アイク著   







































 
    
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左脳の暴走

2017-12-23 12:11:48 | 思想、哲学、宇宙論

http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/


今までの哲学の99%は目覚めていない人間によって書かれている




さて、哲学者とはもともと「真理」を追求するものという意味である。その意味で言えば私がしてきたことはずっと真理の追求ではあっただろう。しかしその追求をしている間に、それは学問という枠をはみ出してしまった。というより、そもそも、真理の追究ということが学問である(近代的な意味での)必要があるのか、ということにも疑問を覚えてきたわけである。そもそも古代ギリシャの哲学は学問ではなく、「生き方」、ウェイ・オブ・ライフの探求であったということはアドー(フランスの哲学史家)なども言っているとおりである。近代的な学問というのは、学界という集団を形成し、そこではピアレビュー形式の論文審査があり、大学等のポストを占め、といった形態で行われる知的生産ということである。哲学というのはその形式にはまらなければならないものであろうか。むしろ、はまらない方がいいということはないであろうか。

ぴあレビュー形式というのは結局のところその学界の「常識」に従ったものしか受容されない。その前提を根本から疑うようなものは却下されるのである。それにくわえて、既にミシェル・フーコーが指摘したような、「文体の統制」がある。あるスタイルで書かねばならない、という強制力があるわけだ(『言語表現の秩序』参照)。

こうした学問としての哲学というスタイルは、また、ヨーロッパ文明的な所産でもある。それはヨーロッパ文明の欠点、と言ってもいいと思うが、欠けているものを示してしまってもいる。

どういうことかというと、ヨーロッパの哲学には、結局、東洋のような「体験的な裏付け」が欠如していることが多い。東洋では、言葉で言っているだけでは駄目で、それを実際に「体現」しているのでなければ評価されない。ところが、ヨーロッパ文明では、深い体験に人を導いていく、インドのヨーガのようなシステムが欠如していた。ヨーガ的な伝統は、中国にも入り、仏教にも入り、また一部イスラムのスーフィズムにも入ったり(あるいはユダヤのカバラも)、どういうわけかヨーロッパには入らなかったのである。入ったとしても教会に抑圧され、地下水脈的なものとしか存在できなかった。

ヨーロッパでも、エックハルトのように、深い目覚めを体験した人はいた。しかし、そういう目覚めに人を導くような方法論や体験の蓄積を有する「伝統」がなかったために、後代に受けつがれることがなく、単発に終わるしかなかったのである。

ヨーロッパ文明全体として、そういう、東洋文化で探求されてきた「目覚め」という意識があるということを理解したのは、東洋文化との出会いによる。翻訳された本を読んだだけでは理解することができなかったので、本格的に、東洋が何をやろうとしてきたのかがわかってきたのは、ようやく20世紀も後半になってからである。

13世紀に、大学に哲学が生まれたが、ここでの哲学は神学のための予備的、論理的訓練として位置づけられていたので、哲学だけで知恵を語ろうという意図はなかった。そこで哲学は純粋に知的水準での議論になった。もちろんこの当時の哲学者はみな坊さんであって、それなりに修行もし、ある程度経験的にもわかる人たちもいたであろうが、哲学はあくまで全体の中の一部であったので、論理的(つまり左脳的)知性しか使わなかったのである。ところが神学が頽落してくると、この哲学が一人歩きし始めて、論理的追究だけで真理に接近できるという誤認が生じてきた。

私はこれを、「全体から切り離された左脳の暴走」であると考える。今の時点から反省すればそのようにしか言うことができない。言葉を換えれば、ヨーロッパ文明全体として、「マインドとハートの分裂」あるいは「左脳と右脳の分裂」が生じてきた。哲学には「左脳的な表現のみを使う」というルールが課せられてしまったのである。

こうした哲学のスタイルを破壊したのがニーチェであることは言うまでもない。もしニーチェが哲学であるならば、何を書いてもありになってしまう。ニーチェのように書いたら哲学科で通るわけがない。そういう哲学は狭すぎることになる。

既にニーチェで哲学は破壊された。ちなみにニーチェは目覚めのことをわかっていたのかと言えば、何かの直観は明らかに持っていたと思う。ただしヨーロッパ文明自体にそうした伝統がなく語彙もコンセプトもないので、多分に混乱しているところがあった。必ずしも今の日本人がニーチェを読む必要はないように思うが、ヨーロッパ哲学者の破壊者として、私たちに自由をもたらしたことは大いに評価すべきである。

デリダの脱構築なども、ニーチェのやったことを、アカデミズム内部からの侵食という形でやろうとしている、という見方もできるだろう。しかし結局これは知識人のための知的ゲームであるので、真理を知りたい人が読むようなものではない。

前置きが長いが、ここから本音のトークとなる。
私は、人間には目覚めという地平があるということを前提としてものを考えるわけだが、今までの哲学の99%は目覚めていない人間によって書かれているものにすぎない、ということを事実として認識すべきだと思う。言いかえると、3次元的時空という制限内で思考するという枠内でしか考えることができておらず、3次元人間という限界を超えられていない。しかし真理を理解したいのならば、そういう枠組みを超えるところを見ないといけないのである。

その意味で、現在の哲学の99%は不要である。大学の哲学専攻は「入学してがっかり」の最たるものである。「西洋哲学史研究者」は少数ならいてもいいであろうが、今の10分の1以下でよい。真理を知りたい人は早々にアカデミックな哲学に見切りをつけるのがよいだろう。

スローガン的に言うなら、今の文明的な課題が「マインドとハートの分裂」なのである。その統合へ向けたスタイルが求められる。







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元悪魔崇拝者 「悪魔の手口を暴く」 (John Ramirez-1onOne with Damon Davis)

2017-12-22 16:38:24 | 思想、哲学、宇宙論
元悪魔崇拝者 「悪魔の手口を暴く」 (John Ramirez-1onOne with Damon Davis)
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これは神曲です

2017-12-22 13:13:42 | 思想、哲学、宇宙論
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ロマン主義

2017-12-22 12:09:29 | 思想、哲学、宇宙論
ロマン主義



 ロマン主義は、十八世紀後半から十九世紀中ごろまでヨーロッパ全体を巻き込んだ、最後の大きな文化の一時代であると言える。その動きは、哲学だけではなく、文学、音楽、絵画等、他の分野にも及んだ。

ロマン主義は、人間の理性偏重の啓蒙主義からの「揺り戻し」であると言うことができる。また、カントの哲学の「発展」であるとも言える。カントは「人間が知り得ることの限界」を説いた。逆に言うと、人間は「私」が関与していることのみしか、知ることしかできないということである。その「私」が徐々に独り歩きを始め、「理性」偏重から「私」偏重の流れを作ったと言える。その意味では、ルネッサンスとロマン主義には、共通点がある。

 ロマン主義のキャッチフレーズは「感情」、「幻想」、「体験」、「憧れ」であると言える。どの分野においても、どの分野でも、天才がもてはやされた。例えば、音楽の分野ではベートーベンが、形式を重んじ神を称えたバッハ、ヘンデルなどそれまでの作曲家に比べて、遥かに自由な作風の音楽を次々と作った。また、文学の分野では、ノヴァーリスが夢に見た「青い花」を捜しに出かける、「ハインリッヒ・フォン・オフターディンゲン」を発表する。また、ゲーテが「若きウェルテルの悩み」を発表、当時の若者に大きな影響を与えた。

 ロマン主義においては、それまで「暗黒の時代」として捉えられていた中世までが、神秘と神話に満ちた夢の時代であると再評価された。ロマン主義を一言で表すならば、「自然への憧れ」と言うことになろうか。「自然の中に存在する神秘」を探し出し、表現することが、ロマン主義の目標と言える。

ロマン主義文化の牽引車となったのは、主に都市に集う若者、学生たちの層であった。そう言う意味では、ロマン主義は二十世紀のヒッピー文化と似ていないこともない。

ロマン主義は、徐々に二つの方向に分かれていく。「普遍的ロマン主義」とも言える、自然界の「組織、オルガニズム」について研究し、自然と世界精神を知ろうとする流れである。もうひとつは、「国民的ロマン主義」とも言えるもので、民族独自の文化、歴史を知ろうという流れである。後者の代表選手がグリム兄弟で、彼らは民族に伝わる民謡、童話を集めた。その意味では、ロマン主義の時代は、「民族のアイデンティティー」が育まれた時代であると言ってよい。



ロマン主義の時代の哲学者のひとりがシェリング(Frierich Wilhenm Schelling 1775 – 1854)である。彼は「精神」と「物質」の区別を取り払おうとした。シェリングによると、「自然は眼に見える精神であり、精神は眼に見えない自然である」という。人間の精神さえも、物質的な現実であるという。また「『世界を支配する精神』(これは神と言ってもよいのであるが)は、その発露を、自然の中と、人間の感情の中と、両方に求めている」と彼は考えた。生命のない岩石も、意識を持った人間も、全てが同じように自然に属しておいる、そして、その自然は発展の過程を持っており、全てがゆっくりと移行していると、シェリングは考えた。

ヘルダー(Johann Gottfried Herder 1744 – 1803)は、歴史は、「目的へ向かって進む仮定のひとつの発露」であると考えた。彼によると、歴史には目的があり、その目的に向かって歴史は進んでいる。そして、その過程であるひとつひとつの時代には、それなりの価値、それなりの意味があるというのである。しかし、その時代を、他の時代の人間が、どのように評価するかは、また別の話であるが。啓蒙主義の「静的」な歴史観に対して、ロマン主義の歴史観は「動的・ダイナミック」であると言うことができる。

フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762 – 1814)は「自然は、人間よりも高い、人間には意識できない思考により出来ている」と述べ、シェリングは「世界は神の手の中にあるが、神にも暗い部分がある」と述べた。このように、ロマン主義の時代の神は「全知全能」と言うよりは、ひとつの「人格」に近いものと言える。

「神が詩人であり、世界が詩であるならば、時には誤りもある。」

ということになる。そしてその「誤り」が、世の中の「皮肉」として取り扱われるということになる。





 この時代の、最大の哲学者はヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770 – 1831)であろう。シュツットガルト出身の彼は、ハイデルベルク大学で神学の教授をした後、哲学の教授としてベルリンに招かれた。そして、彼の思想は、他のドイツの大学に大きな影響を与えた。彼は、ロマン主義の哲学を最終的に統一した人物であると言ってよい。

シェリング等は「世界を支配する精神」の中に存在の根源を見つけようとしたのに対して、ヘーゲルは別の意味で「世界精神」を定義した。彼は、「世界理性」、「世界精神」というものは、「人間の考えたこと、人間の言ったことの総体」であると考えた。つまり、人間が認識し、考えたことが、重ね合わさって、普遍的な「真理」が作られるのであるという。

ヘーゲルは、「真理」は絶対的なものではなく、主観的なものであると考えた。彼にとっては、人間の理性を超えたところに「真理」があるのではない。認識はあくまで人間の中にある認識で、その中にしか「真理」は存在しないと考えた。

また、ヘーゲルは時代の流れにより、人間の認識が変わると共に、「真理」も変化する、時の流れを越えた、永遠の「真理」は有り得ないと述べた。哲学は、時の流れ、歴史の中の一点において作られた基準であり、それがどの時代にも通用するものでないというのである。

言い換えれば、ヘーゲル以前の哲学には、「時間」、「歴史」という観点が欠けていたことになる。二十一世紀の認識が二千五百年前の認識と違うように、「真理」、「理性」も、二千五百年間で変化するはずであるという。例えば、当時「森の木を切って耕地を増やすこと」が、理性的であったのが、現在では理性的でないように。

ヘーゲルにとって、歴史とは、谷を流れる川のようなものであった。流れている水は常に変わる。しかし、人々はその流れについて語ることはできる。しかし、どの流れが「本当の」流れであるかということは言うことができない。ヘーゲルによると、理性は動的、ダイナミックなもの、つまり時代と共に発展するものであり、その基準は歴史の背景なしには語れないということになる。そして、その時代時代の哲学が「正しい」とも「誤り」とも言うことはできない。しかし、彼は、歴史の流れ、それに伴う人間の発展が、ひとつの「目的」、「目標」を目指したものであると考えた。

ヘーゲルは、世界にはふたつの異なった考えの対立がまずあり、そこからより良い第三の考えが生まれることにより、世界が発展すると考えた。まず、「肯定」があり、それを「否定」する者が現れる。その「否定」の否定により、より良いものが生まれる。ヘーゲルはそれを、「テーゼ」、「アンチテーゼ」、「シンテーゼ」と呼んだ。

世界がこのような「テーゼ」と「アンチテーゼ」の繰り返しにより発展するという考え方は、「弁証法的な歴史観」と呼ばれている。そして、何が正しかったかを証明するのは、あくまで歴史である。例えば「女性の権利」に対して、過去に、沢山の「テーゼ」と「アンチテーゼ」が存在した。そのどれが正しかったかは、現在の女性の立場を見れば明らか、つまり、歴史が正しさを証明した例といえる。

ロマン主義は基本的に個人主義であった。しかし、ヘーゲルはそれに対して「アンチテーゼ」を投げかけている。ヘーゲルは、「客観的な力」に、これは、家族と国家を意味するが、大きな意義を置いている。国家は個人を越える存在で、個人は国家なしでは生きていけないというのである。

ヘーゲルは「世界精神」の発露に関して、三つのレベルがあると述べている。

● 主観的な理性>個人レベル

● 客観的な理性>家族、国家レベル

● 絶対的な理性>哲学レベル

彼は、哲学は、「世界精神」の最も高い形での反映であると、哲学こそ「世界精神」を映す鏡であると述べている。





 その時代のもうひとりの重要な哲学者が、キェルケゴール(Søren Aabye Kierkegaard 1813 - 1855)である。デンマークのコペンハーゲンで生まれた彼は、全ヨーロッパ文化と、ヘーゲル哲学の批判者であった。

 彼は当時のキリスト教会に反発、当時のキリスト教を「日曜宗教」と名付ける。キェルケゴールにとって、「少しだけキリスト教」というのは有りえないことであった。「神、キリストを信じる、信じない」は、二者択一であり、キリストの言ったことを「真実」として受け入れるだけではダメ、キリストの「足跡」を追わなければ意味がないと彼は述べた。

 彼は、ベルリンに行き、シェリングに師事する。当時のベルリンは、ヘーゲル主義が主流であった。キェルケゴールは、人間の人生にとって、「真実」を知ることは大切なことであるが、その「真実」は、国家のような組織に属するのではなく、あくまで「私」、「個人」の中にあると考えた。

 ある僧が釈迦に対して、

「あなたは、世界と人間が何であるかという問いに、きちんと答えていない。」

と問い詰めた。釈迦は、

「毒を塗った矢が、あなたに突き刺さって初めて、あなたは『毒』と『矢』について知りたがるでしょう。」

と答えた。まさに、キェルケゴールの考えもそこにある。世界や人生に対する「一般的」な記述などは、個人にとってどうでもよいことであり、個人にはその人だけに通用する「真実」があるというのである。つまり「真実」は主観的、個人的なものであるという。

 キェルケゴールによると、「キリスト教は真実か」という問いに対して、一般的な解答などは有りえない。それを論理的、学術的に解き明かそうという試みは意味を持たない。「神はいるのか」という問いに対する答えは、「信仰」、「思い込み」に依存するものであり、それを理性で捕らえること自体、土台無理なのである。

 「四プラス四イコール八」という、一般的で誰でも証明できる「真実」もあるにはある。しかし、それらは余りに一般的すぎて、誰も興味を示さない。「他人が自分を好いているか」という問題が、ある人物にとって数学の公式よりも大切あれば、その人にとってはそれで良いのである。

 かつて、多くの人々が神の存在を「理性的」、「論理的」に証明しようとした。キェルケゴールによると、「神が自分にとって存在するか、しないか」それだけでよい、いや、それだけしかできない。

 キェルケゴールの言う「主観的な真実」「信仰・思い込み」は、これまでの伝統的な哲学、特にヘーゲルに向けられた、痛烈な批判であった。その批判が、次には全文明に向けられていくことになる。

 キェルケゴールは、近代社会において人間は、お喋りで、皆同じような考えを持ちたがる、「聴衆」、「民衆」に成り下がってしまったと述べる。彼は、皆が同じように考えることに真実は存在しない、少数派が真実であると述べる。

 彼は、人間の存在には三つの段階があると述べた。

● 美学的レベル

● 倫理的レベル

● 宗教的レベル

後者ほどだんだんとレベルが高くなっていく。美学的レベルでは、人間は刹那的な快楽を求めて生きている。次の倫理的レベルでは、人間は快楽と規律の間を彷徨いながら生きている。そして、宗教的レベルでは人間は快楽からの誘惑、迷いから解放されて生きることができる。そして、面白いことに、キェルケゴールにとって、その宗教的レベルは、やはりキリスト教的な考えに沿って生きることなのであるが。ともかく、次のレベルへジャンプすることを、他の誰も手伝うことができない。それは本人が跳ぶしかないと彼は述べる。そのレベルの間で揺れ動く人間を、ドストエフスキーの「罪と罰」は的確に伝えている。



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神性への目覚め

2017-12-22 11:29:52 | 思想、哲学、宇宙論

http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2017/09/post-0261.html


目覚めへの意識の量的変化




自己の神性への目覚め、ということ自体は何ら新しいわけではない。それは既に伝統哲学――インド哲学、ギリシャ哲学、禅など――で、探求されたことである。ただ、過去の文明においては、それに気づいた人はきわめて少数であった。これに対し、現在は、ものすごい数の人、それも、別に何かの伝統に沿って「修行」をしたわけでもない普通の人が、目覚めの意識を経験している。この数ということが、大きな変化なのである。つまり、量の変化が全体の質の転化をもたらそうとしている、という状況だ。

神性への目覚めということがらを、学問内部で探求しようとしたのは、人間性心理学やサイコシンセシスを先駆者として、トランスパーソナル心理学という立場もある。だが、哲学としてはもっぱら、アカデミズムの外部で受け入れられてきた。西洋社会でのその始まりはロマン派における直観からスタートして、エマーソンなどが本格的に東洋思想を深く理解し、ニューソートという思想の流れで追求された。これは今の「引き寄せの法則」の思想的なルーツになる。

そして今では、ノンデュアルなどという名前がつけられることもあるが、目覚めの意識を体験した人たちが、これは昔から東洋思想が言っていることと同じだなあ、ということに気づいてきた。トールなど、最近、その手の本もいっぱい出るようになっている。ここまで、西洋社会の人たちがこういう考え方を理解した時代はかつてないので、20世紀後半から21世紀にかけて、爆発的な「東洋哲学の浸透」が見られたということなのである。

西洋においては、それまでの、キリスト教思想の理解が、あまりにレベルが低すぎたことに気づき始めた。最も高次な視点で理解すれば、イエスの言っていることと東洋哲学は矛盾しないらしい、という視点を持つ人も出始めたということである。


宗教や霊性についての西洋人の理解が「東洋化」してきていることを指摘している。こういった文化変容が進行していることは、人類全体に「神性への目覚め」という価値観が共有される時代へと向かっている、ということになるのである。
しかし、こういう変容について、知識人と言われる人の反応はかなり鈍いのである。こうした文化変容は、ある程度の教養はあるが、わりと普通の人が主導している面がある。

それは結局、知識人というのは社会のエスタブリッシュメントであって、既存の価値観の中で競争を勝ち抜いて優等な地位を獲得した人々であるので、自分のよって立つ基盤を崩すような思想に賛同はしないものである、ということだ。哲学とはすべてを疑うことだと言われるが、世の中で哲学とされているものが本当に必要か、哲学者とは必要かということ自体は疑わないものらしい。私はそこのところを疑っているが。本当の哲学者は大学の哲学科にはいないものだと考えている。

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人は皆、潜在的キリストであり潜在的ブッダなのでしょう。


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