思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

ハイジャックされた地球を99%の人が知らない 再掲

2018-10-31 15:11:42 | 思想、哲学、宇宙論

自分が生きる世界や人生で何が起こっているかを把握するには、少なくとも現実そのもののテーマとその成り立ちを理解する必要がある。それが「現実」とはなにか? 私たちは何者なのか? どこから来て、今どこにいるのか? しかしこういう大切な問いかけをする人はほとんどいない。あきれるほど大勢の人々が、五感の世界が映し出す「映画」の虜(とりこ)になっており、玄関灯しか目に入らない蛾のように外側の世界に生きている。これまでの何千年がそうであったように、これからもそうなのだろう。

   試しに、周りの人に人生や世界について尋ねてみるといい。
   ほとんどの人は宗教や公式の科学的「規範」を信じるようにプログラムされていることから、そこから引用して答えるはずだ。だが、宗教は精神の牢獄だ。すべてを捨てよと教える「仏教」のような、「悟り」の宗教も例外ではない。スキンヘッドにすれば「霊感」を得られるとでもいうのか? それともシーク教徒のように、絶対に髪を切らないほうがいいのか? ニューエイジ思想にしても、宗教を否定しながら、それ自体が宗教になっている。

   だが、宗教が現実の真の姿を教えてくれるわけがない。
   それは真相がわかってしまったら、宗教そのものが生き残れないからだ。彼らの狙いは、修道服に身を包んだ連中にとって都合のいいドグマ(教義)を売り込むことで、そのために人間を無知の状態に維持しているのだ。覚醒して自分の本当の姿を理解している人たちは、宗教を信じたりはしない。そこにあるのは原因と結果の逆転なのだ。

   では主流科学なら、頭の良い科学者が現実について、現実と人間との相互作用について教えてくれるのだろうか? しかし残念ながらここでも因果関係が逆転している。いわゆる「科学」というのは、さまざまな専門分野の集合体であるはずだが、実際にはそうした分野の相互の連絡はほとんどなくて切り離されている。それらはむしろ資金と名誉を奪い合う間柄でしかない。科学者たちには博識なイメージがあるが、ほとんどの科学者は狭い範囲のことをよく知っているに過ぎない。その「狭い範囲」同士を結び付けない限り、全体像は見えてはこない。

   また彼らには「科学的コンセンサス」(互いの合意)という名の譜面があり、あえてそこから逸脱することを避けようとする。それは手に入れた資金や仕事、権威を失うのを怖れているからだ。ほとんどの「科学者」は、新しいテクノロジー、ドラッグ、食品添加物などを作っているだけで、現実の本質について研究しているわけではない。こうして圧倒的多数は「科学主義」という宗教を信奉している。それはすべての宗教と同じく、その根本を為す厳しい「ドグマ」(教義)に背くことは許されないからだ。ニューエイジと同じで、科学も宗教を否定するひとつの宗教なのだ。

   いわゆる「科学」には、現実のベールを剥ぐことで、人間の真の姿を明らかにすることはできない。なぜなら人間を操作・コントロールしている側にとって、それを知られることは困ることだからだ。人間をコントロールするうえでもっとも効果的な方法は、無知な状態にとどめておくことだ。世界的秘密結社のネットワークという「聖域」の内部にいる連中は、人間の生きる現実がどうなっているかや、私たちがどのようにその現実と交信しているかもよく承知している。

   もし標的になっている私たちがそれを知ってしまうならば、彼らの力は消え去ってしまう。彼らの「隠れた手」にとって肝心なことは、私たちが何者で、今どこにいるのかを知らせないようにすることだ。そのためには科学をコントロールして、純粋な科学研究を抑え込まなければならない。

  世界のメディアを支配しているのは、科学・宗教・政治・銀行・大企業などを所有あるいはコントロールしているのと同じ一族であり、秘密結社である。「現実」に関する議論がどのメディアでも行われないということ自体が、すべての根源となるもっとも基本的な領域について、彼らが決して私たちに知らせまいとしていることがわかる。

   ほとんどの人は自分が「物理的な」世界に住んでいると思っている。
   実際にそう見えるのだから仕方がないが、本当は違う。「物理的な」存在などなく、すべては幻覚だ。私たちの本質は無限で永遠の「意識」そのものであり、ごく狭い周波数帯の中で「物理的世界」なるものを経験しているに過ぎない。私たちは名前ではない。それは肉体でも職業でも、家系や人種、肌の色でも、ある所得層でもない。こうしたものは現在の経験であって、私たちが何者であるかということとは無関係である。

   私たちは「意識」であり、無限で永遠の「認識」なのだ。
   つまり中核状態には一切の形がない。私たちは単なる認識であり、それが「無限の認識」のひとつの表現なのだ。だから私たちは「すべてひとつ」(ひとつの源に属する存在)だということになる。このたったひとつの「無限の認識」が、観察ポイントによってさまざまな経験を生むのだ。中央アメリカのあるシャーマンが、そうした私たちの姿をうまく表現してくれている。

   「私たちは知覚を有する者であって、認識(そのもの)である。
   私たちは物体ではない。それは実体でもなく、境界もない。私たち、と言うより私たちの理性というプログラムはそのことを忘却(の彼方へ置き去りに)し、自分自身の全体性を(繰り返しの)悪循環の中に閉じ込めてしまった。そしてほとんどの者は、そこから抜け出すことができないままに生涯を終えてしまう。」

   「コントロールシステム」の目的は、つまり子宮から墓場までの人生の旅を通じて、この状態を維持することにある。アインシュタインは「現実は幻覚だ。ただし永続的な」と言っている。私たちはバーチャルリアリティの宇宙に生きているのであり、それが無線LANのインターネットと同じように、情報構造物から「物理的な」形へと解読されているのだ。この「情報」は波形あるいはエネルギーの振動/共鳴という形ちでコード化されており、それを驚異的なバイオ・コンピューターシステムであるマインドーボディ(身体)が解読する。こうして「無限の認識」である私たちは、この「世界」の周波数帯と交信できるようになる。

   マインド-ボディ・コンピューター(肉体)は、本来の私たちである「意識」がこの世界の周波数帯と交流するための乗り物だ。これがなければ私は目の前のキーボードを叩けないし、あなたもこの本を手に取ることができない。「臨死体験」をした人は肉体から遊離していた時の状態と、肉体の「内側」から知覚していた現実とがまったく違うものだったと口を揃えて言う。これは肉体から遊離することによって「認識」が非常に拡張したために、肉体の目がなくても「見える」ようになり、そのためにマインド-ボディ(肉体)に閉じ込められて縮小してしまう前の、本来の自分を経験できるからなのだ。

   しかし彼らの計画的な操作の中に生きて来た人類は、肉体そのものが自分だと思い込んでいる。「人が死ぬ」という表現があるが、本来の「人」は死ぬことはないし、そもそも死ぬことなどできない。「死ぬ」のは肉体という「オペレーティング・システム」であって、本来の「意識」としての「人」ではない。(いわゆる魂、霊というのは意識そのもの)

   たいていの人は、あるのがわからないものは存在しないと考える。
   しかし誰もが知っているように、コンピューターの前に座り「ログオン」すれば、世界中から集めた現実がスクリーンの上に現れる。(それにしてもWorld Wide Web [世界に広がるクモの巣]とは言い得て妙だ)。コンピューターさえ持っていれば誰でも、アメリカ大陸、ヨーロッパ、アフリカでもアジアでも同じ集合的現実にアクセスできる。(ただし中国は別だ。中国では万里の長城[グレートウォール]なみのファイアウォールでウェブへのアクセスを制限している。そうやって国民に知らせたくない情報をブロックしている)。

   要するに宇宙の基礎を構成しているのは波形情報で、それが振動共鳴としてコード化されているということだ。それを肉体の脳と遺伝子構造が波形の電気情報に変えて、頭の中のスクリーンに映し出している。こうして情報が、「物理的な世界」として経験されるのだ。脳の中は真っ暗だが、私たちには光が見える。でもどうやって? それが波形情報の解読だ。コンピューター内部は暗くても、スクリーン上には光や色が見えるのと同じだ。

   また宇宙インターネットは双方向による「ゲーム」だ。
   私たちは波形の情報を受け取る一方で、それに自分の考えや感情、知覚を加えて「投稿する」こともできる。つまり、現実が私たちを変えることもあるが、私たちが現実を変えることもできるということだ。「物理的な現実」は私たちの中にある。私たち1人1人が経験することはどれも、自分自身が意識的・無意識的に宇宙インターネットから選んで解読したものだ。

   わかりやすい例を挙げよう。
   アメリカの作家マイケル・タルボットがThe Holographic Universe (邦訳『ホログラフィック・ユニバース-時空を超える意識』春秋社 1994年)で紹介している話だ。

   「あるパーティの余興で催眠術師が登場し、トムという男性に催眠術をかけることになった。催眠術師は彼に「術」をかけて、「目を覚ますと娘さんの姿が見えなくなる」と告げた。彼の娘が舞台に上がり、正面に立った。術を解かれて目を覚まし「戻ってきた」トムは、娘が見えるかと訊かれて「いいえ」と答えた。娘は彼の真正面にいるのに、「娘はいない、見えない」と言う。催眠術師が娘の後ろに回り、彼女の腰のところに手を当てながら「私が手に持っているものが見えますか?」と尋ねると、トムは即座に「はい、腕時計です」と言う。トムには娘が目前に立っているにもかかわらず、時計がはっきりと見えていた。何時かと訊かれて、文字盤も読んでみせたという。」

   こんな話を聞くと、ほとんどの人は、特に科学畑にいる教条主義者などは、そんなことはありえないと言うだろう。だが現実の仕組みさえわかれば、実にシンプルで論理的で不可能でもなんでもない。人間の肉体も含めて、宇宙のあらゆるものは基本的な波形情報の「場」でできており、私たちが見たり、聞いたり触ったり、味わったり嗅いだりできる、デジタルないしホログラムの領域を超えたところで共鳴しているのだ。トムの場合は、催眠術師の暗示がファイアウォールになって娘の波形情報をブロックしたために、脳が解読できなかったのである。


        book 『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』
              デービッド・アイク著   






追加





脳はだまされやすい。
テレビを見ているときの脳波の状態は、催眠術師が知覚プログラムを植えつけるときとそっくりだ。(トランス状態) これも偶然だろうか? とんでもない。テレビは映像や音声以上のものを私たちに伝えている。そして人々は何を見るか、何を食べて、着て、考えて、そして何になるかまでテレビに指示されているのだ。そして成功とは名声と富を得ることであり、挫折とはそれを失うことだと信じ込まされている。





もっとも強力な暗示は、意識的な精神を迂回して(より深い)「識閾下」に送られる。
暗示はやがて潜在意識から意識的な精神に浸み出してきて、その人自身の考えや願望や、アイディアとして定着する。本来の自分自身の考えや知覚を持った人間がどれほどいるだろうか。ほとんどの人の考えや願望とは、こうした無数の情報源を通して植えつけられてきたものなのだ。しかもその中身は、秘密のプロジェクトや、中枢にいるエリート集団だけが知っている。





広告がサブリミナルテクニックを駆使して、知覚を操作していることは周知の事実だが、それ以外にもテレビやラジオ、そして紙媒体による「ニュース」もしていることは同じだ。メディアはあらゆるできごとについて(ウソの)公式報道を拡散し、マインドコントロールの有力手段である「反復」によって、知覚プログラミングに貢献している。権力側から公式の報道内容が発表されると、主流メディアはそれを真実として四六時中同じことを繰り返す。



公式の作り話は、事実ではなく反復によって公式の歴史になる。
何度も繰り返していれば、やがて人々は「9・11」事件はウサマ・ビン・ラーディンに命令されて、イスラム教徒のテロリスト19人が起こしたと信じるようになるし、何年か前にとっくに死んでいるウサマ・ビン・ラーディンがまた殺されたという話も本気にするようになる。そうして現実に対する人々の知覚は再プログラミングされて、真っ赤なウソが「誰もが知っている」ことになる。というより、信じるようにプログラムされた者は誰もが、と言ったほうが正確だろう。





なかでももっとも徹底的にプログラミングされているのが、「ジャーナリスト」だ。
これについてスティーブン・J・M・ジョーンズのウェブサイトに次のような記事がある。

「メディアは、人類が分断状態に置かれていることを写し出す鏡であり、その創出者でもある。メディアは、お茶の間の中央に置かれたこの薄っぺらい(テレビという)「説教壇」を通して、私たちに道を説く振りをしながら、実際に毎日の生活の中に多くのネガティブな行動パターンの種を撒き散らしている。

私たちはニュースや時事問題番組は真実で・偏見のない・公平なものだと信じ込まされている。だがほとんどの場合、事実はその逆だ。ニュースは少数のエリートが握っており、彼ら世界のメディアオーナーが望むような考え方をしていない人々に、知識や意見などを発表する場はない。

各国の政府は、放送電波の所有権や保護観察権の価格を意図的に高く設定しておき、一般人の手が届かないようにしている。だからすべての先進国(特にアングロサクソン系の国)で流されるニュースは、言葉も映像も逐一みな同じなのだ。その裏にはある目的が隠されている。今のメディアによる世界企業帝国をますます巨大化・強力化させることで、弱小対抗者たちをすべて食い潰させるつもりなのだ。

利益をコントロールしている少数のエリートたちは、大規模な欺瞞によって世論を操作し、民主主義をみごと捻じ曲げている。」





メディアを独占している少数企業は最終的には同じファミリーが所有している。
彼らの最大の目的は金銭ではない。彼らの目的は、大衆の知覚をプログラミングして、自分たちの目的に都合のいい自己感、世界観を持たせることにある。





時間は日付を規定することで作り出された





ほとんどの人は「時間」と呼ばれるものに縛られ、コントロールされている。
だが「空間」と同じで「時間」というものも存在しない。それは宇宙という波形構造物にコードとして組み込まれた情報を、私たちが解読しているに過ぎないのだ。「時間」の「経過」が速く感じられるか遅く感じられるかは、解読の仕方によって決まる。私たちは夜空を見上げるとき、星と惑星の間には想像できないほどの「距離」があると思っているが、それも私たちの解読システムのなかだけに存在するものだ。





「距離」も「空間」もありはしない。
存在するのは「たったひとつの無限のすべて」だけで、無限大も極小も実は変わりはしない。それは「国際日付変更線」がいい例だ。つまり、海の上の見えない線を通過すれば明日になり、逆方向に超えれば昨日になるのだ。おまけにこれは直線ですらない。人間の都合に合わせて線を引いていることから、あちこちで曲がっている。





それはグレゴリオ暦も悪い冗談だ。
これは「1年」という枠の中で時間を位置づけるために利用しているものだが、それは1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がその布告を出したからに過ぎない。しかも使用開始に当たり、辻褄合わせで9月2日の次をいきなり9月14日にしたために、11日分が消えてしまったのだ!





本当の時間は、今、この一瞬だけなのだ。
これ以外に時間は存在しない。多くの人は「現在」を過去から未来へ向かう旅の途中だと思っている。だが、過去を語る私たちはどこにいる? 「今」だ。では未来を語る時は? これも「今」だ。すべては「今」にしか起こらない。それなのに私たちは精神的・感情的な「過去」にこだわり「未来」に捕らわれている。「過去」も「未来」も、実体は心や感情の状態であって「事実」ではない。それは深い瞑想などによって知覚される「時間」の向こう側の領域に入れば、現実との関係はまったく違ったものになる。





そしてもうひとつ重要なことは、マインド-ボディ(肉体的精神)が架空の「時間」の中で作動するのに対し、心の「意識」は時間のない状態、つまり「今」にあることだ。これだけでも、マインド-ボディ(肉体的精神)と「意識」という心との関わりが切り離される大きな要因となる。だから今の人間社会は、絶えず時間を気にするように作られているのだ。逆に、時間を幻覚と認めることで、現実感覚は呪縛から開放される。





左脳集団が作り出した現在の世界





人間社会を理解し、牢獄のような現実を理解するには、脳の持つ2つの「個性」とそれぞれの機能を理解することが不可欠だ。人間の脳は左脳と右脳、そして2つを結ぶ橋の役目をする脳梁(のうりょう)から成り立っている。この2つの半球がお互いに「話したり」共同作業したりできるのも、また私たちが「全脳状態」でいられるのもこの「橋」のおかげだ。それなのにほとんどの人は、「全脳状態」にはない。それは人間社会の構造と本質が、そのように方向付けされているからだ。





脳の2つの部分の機能はまったく異なっている。
左脳は本質的に論理的・合理的で、「今」のなかにある情報を「連続した場面」(シークェンス)として解読する。これが「時間」のそもそもの起源になるものだ。左脳がこのシークェンスをすばやく解読すれば時間が速く感じられ、遅ければ時間の経過も遅く感じられる。





左脳は「分析的かつ客観的」であり、そこでは五感で感じられるものだけが存在する。
決定的に重要なことは、左脳が現実を全体としてではなく部分に分けて解読することだ。私たちが五感で知覚するものは、すべて何らかの「空間」を挟んで互いに切り離されている。また左脳構造を生み出し、言語を解読する。私たちが住んでいるこの世界は左脳の現実なのだが、これはそのように操作されてきているからに他ならない。 





一方、右脳に住んでいるのは一匹狼だ。
それは行き当たりばったりで直感的で、あらゆる種類の芸術的・創造的インスピレーションに恵まれた反体制派でもある。右脳はすべてをひとつにまとめようとする。部分ではなく、全体を把握する。左脳が個々の点に目を向けるのに対し、右脳はそれぞれの点がどうつながるかを考える。左脳に支配された人々は、科学や医療、大学、政治、大企業、宗教やメディア、軍隊をコントロールしている。一方でこうした分野が兵士として門に立ち、右脳の現実が侵入してこないように左脳集団を守ることで、左脳の支配が確立している。





人類の圧倒的多数が左半球の囚人になっており、これが分離と構造、言語、そしていわゆる「論理」の領域で、私たちを「コントロールシステム」に閉じ込めておこうとしている。人間の右脳が点をつないで全体像を理解したり、自発性や個性を表現したりすることを彼らは望まない。なぜなら少数で多数をコントロールするためには、均質性と従順、順応性が不可欠だからだ。こうして多くの羊が、たった1人の羊飼い(権力)と牧羊犬(恐怖)によって飼いならされているのだ。個性と自発性を発揮すれば支配などできないのに、こうして何も知らない羊たちは、他の羊のように同じ行動しながらそれを繰り返している。





人間社会は、私たちの脳を左側に閉じ込めておくことを明確な目的として構築されていることから、左脳派が優遇され、右脳派は周辺に追いやられる。それは「教育」を見れば明らかだ。最近は就学前の子どもにまで学術的なタイプの情報が導入されており、左脳ばかりが刺激される結果、想像力の開拓や右脳の刺激に役立つ自由遊びの期間が短縮されている。「教育」はアカデミックな情報を使って左脳を狙い撃ちし、子どもや学生に試験のときには、システムが「真実」だと教えることを答案用紙に書くように求める。それがうまくできる子は合格というわけだ。





こうして大学へ進学すると、学費の支払いで借金漬けになり、残りの人生をかけて返済していくことになる。高等教育では「さらに高度」なレベルのプログラミングを受ける。そうして「優秀な成績」や「学位」を手に社会に出た者は、科学者になるか、医者になるか、教師、あるいは上級公務員になるかを選ぶことができる。この段階でシステムが決めた現実がさらに左脳に刷り込まれるほか、いくつもの試験を通じて、現実感覚がどこまでハイジャックされているかをチェックされることになる。





こうしてウィンナー製造機を通過した者のほとんどは、残りの人生を左脳の囚人として、科学、医療、政府といった制度や組織の管理と指揮を命じられ、左脳牢獄社会の維持と拡張に努めるようになる。政治も科学も医療も左脳派に占拠されている。メディアもそうだ。ほとんどの「ジャーナリスト」も所詮は左脳の囚人であり、牢獄仲間の信条や決定や行動を記事にしているに過ぎない。





主流派の科学者は、左脳というレンズあるいは顕微鏡を通してしか現実の本質を見ようとはしない。というよりも、左脳にはそういう把握、解読しかできないのだ。そうであれば、左脳派の「ジャーナリスト」に世界が本当にどうなっているかを伝えられるわけがない。点のつながりを理解するには、部分ではなく全体を見なければならないのだから。もちろん宗教も、独自の階級制とドグマ(教義)を備えた左脳派の制度だ。





とはいえ、左半球と右半球は単純な「善玉」「悪玉」というわけではない。
本来、両者はそれぞれが長所を生かして協力するようにできている。あなたの周りにも極端にクリエイティブな人がいると思うが、彼らは右脳現実の支配力が強すぎて、左脳社会ではうまくやっていけない人たちだ。右半球は、催眠術の暗示やプログラミングにも無防備だったりする。だからどちらがいいとかいう問題ではない。両者は一体となって働かなくてはならないが、「コントロールシステム」はそうなることを一番怖れている。





世の中には「自閉症サヴァン」と言われる人々がおり、人間の能力を小さく捉えている人にとって、それは驚異的な離れ業に見える。たとえばイギリスのスティーヴン・ウィルシャーは12歳の時、ヘリコプターの窓から30分ロンドン上空を飛んで眺めただけで、何のメモもとることなく着陸後に描いたロンドンの俯瞰(ふかん)図は驚くほど正確だった。200棟もの建物の何百という窓まで正確に描き込まれていた。またダニエル・タメットも「自閉症サヴァン」だが、数の計算がコンピューター並みに早く、もっとも難解とされる言語もあっという間に習得してしまう。
彼らは天才ではなく、私たちと同じ人間だ。
こうした特殊に見える能力を支えているのは、右脳に写った風景や言語の全体像を把握する力なのだ。左脳派が言語を単語に分解し、個々の建物を覚えようとすることを、丸ごと一瞬で頭に入れてしまうのだ。






『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』
   デービッド・アイク著  ヒカルランド                            
コメント

BABYMETAL メタ太郎

2018-10-30 13:24:24 | 思想、哲学、宇宙論
28日の埼玉スーパーアリーナのライブでは

メタ太郎を久しぶりに歌ったそうですが

この曲は何と言っても途中の合唱がすばらしいですね。

スーメタルの声にけん引されるように

観客の集合意識が、世界の統一の実現に向かって

動き始めるのを感じます。

中元すず香の歌は、潜在意識の信念体系を

ポジティブな方向に書き換える力を持っていると思います。

意識は創造力を持つエネルギーなので

一人一人が同じ意識を持ち、巨大なエネルギーとなった時

思った通りの世界が実現すると思います。

その導き役がスーメタルです。



コメント

潜在意識の機能

2018-10-29 17:03:12 | 思想、哲学、宇宙論
http://ebacchi.com/membership/%e6%bd%9c%e5%9c%a8%e6%84%8f%e8%ad%98%e3%81%ae%e6%a9%9f%e8%83%bd/

潜在意識は、あなたの考えること、話すこと、感じること、自分についてイメージすること、あなたが経験すること全てを記録します。生まれたばかりの赤ちゃんの潜在意識は真っさらの状態です。成長するに従って経験する出来事や感情がすこしずつ潜在意識に記録されていきます。潜在意識に記録された情報があなたの世界です。人によって記録される情報は異なります。だから、人それぞれに見える世界は違うということになります。

潜在意識はあなたを無意識に行動させる機能もあります。たとえば、歩いたり、運転したり、歯を磨いたりすることは元々意識的なレベルで身につけたものです。赤ちゃんのときは一生懸命歩く練習をします。運転も始めは『アクセル踏んで』『ハンドルを回して』と意識的に行います。歯を磨くのも、初めは意識的に行います。しかし、それらの行動を繰り返し行っていると習慣になり、意識的に考える必要がなくなります。潜在意識が勝手にあなたを動かしてくれるようになるからです。習慣的行動はいちいち考える必要がないので、あなたの生活をとても楽にしてくれます。しかし、潜在意識が行っている習慣の中には、あなたの成長を妨げるものもあります。

潜在意識は、あなたの自己イメージに見合う行動をさせようとします。人はそれぞれ『これが自分だ』という自己イメージを持っています。そして、自己イメージとあなたの行動を一致させ、心の秩序と健康を保っています。『私はこういう人間だ』という自己イメージが信念体系に組み込まれているかぎり、自動的に自分らしく振る舞うようになっています。このシステムは特に悪いことではありません。このシステムがあるおかげで、毎朝起きるたびに『自分はどういう人間だったっけ?』と思い出す必要がありませんし、毎日、状況が変わるたびに異なる行動をとることを防いでくれるからです。あなたの内面のイメージが常に、あなたをあなたらしくいさせてくれます。

たとえば、『知らない場所に行くと、必ず道に迷う』という自己イメージを持っている人がいるとします。その人は毎朝起きるたびに『今日も道に迷うことを忘れてはいけない』と自分に思い出させる必要はありません。潜在意識が自動的に道に迷うようにしてくれるからです。『私は忘れ物がひどい』という自己イメージを持っている人も、忘れ物をすることを毎日自分に思い出させる必要はありません。潜在意識が勝手にもの忘れ物をするようにしてくれるからです。

この2人は、道を覚える能力やものを覚える能力がないわけではありません。たんに『道に迷いやすい』『忘れ物をしやすい』という自己イメージを持っているので、それに合わせて潜在意識が行動を決めているだけです。自分が短気だと思っている人も、いちいち怒りを爆発させることを覚えておく必要はありません。潜在意識が適切と見なす状況で勝手に怒りを爆発させてくれます。



潜在意識は現在のあなたの自己イメージを守ろうとします。どんな仕事が自分にふさわしいか、どれだけのお金を稼げるか、どんな恋人がふさわしいかなど、自分がイメージすることと現実を合致させようとします。あなたが将来どうなりたいか、どんな潜在能力があるのかは関係ありません。現在のあなたが『これが自分だ』と考えることを維持します。潜在意識があなたを現状の自己イメージにとどめようとする力はものすごいものがあります。それは周囲の人にも影響を与えます。

たとえば、あなたのボディーランゲージや声のトーンは、あなたの自己イメージと深く結びついています。『私は内気だ』という自己イメージを持っている人が、あるパーティーに招かれたとします。すると、その人の潜在意識は自己イメージを守ろうとします。まず、周りの人を遠ざけるような方法を見つけ出します。その人は人があまりいないところに座ると思います。誰かと目が合ってもすぐにそらします。『私は恥ずかしがりやだから、話しかけないで』というオーラをだしまくると思います。人が近寄ってきても、すぐに人がいないところに移動すると思います。結果的に誰とも話すことなく家に帰ることになります。そして、『やっぱり私は内気なんだ』と再確認するわけです。

潜在意識の力は強力に自己イメージを維持しようとします。たとえば、『私は自信のあるリーダーだ』と思っていても、内心で『誰かに引っ張られていくタイプだ』と信じていれば、自動的にそのような行動をしてしまいます。自然と部下の信用を失うようなことをしてしまったり、大勢の人前に立つとぶるぶると震えてしまい、『この人は自信がないな』と気づかれてしまいます。

潜在意識にとって大事なことは、自己イメージと現実世界を同じにすることです。あなたが頭の中で信じていることと外の世界を一致させることで安心します。潜在意識はあなたにとって良いこと、悪いことという判断が出来ません。損得勘定がないので、明らかにあなたにとって不利益なことでもしてしまいます。

たとえば、あなたは頑張って10キロ減のダイエットに成功したとします。しかし、あなたの自己イメージは10キロ多い時のままだとします。あなたの潜在意識は10キロ少ないあなたの体重をおかしいと感じ始めます。そして、あなたをまた10キロ太らす方法を考えます。『今日は仕事で頑張ったからデザート食べちゃおう』とか、『明日の大きなプロジェクトのために、たくさん食べて体力をつけよう』と自然に思ってしまいます。結果、あっという間に元の体重に戻ってしまう、ということが起きます。

あなたは『体重を減らしたい』と思うかもしれませんが、潜在意識はそれに反発します。それは、10キロ太りすぎというのが自己イメージだからです。10キロやせてしまうと自己イメージとずれてしまうので、潜在意識は元の状態にもどしてしまいます。これが潜在意識の機能です。つまり、何をするにも、あなたが自己イメージを変えない限りも自動的に元の自分に戻ってしまうということです。

ギャンブルで大金を手にした人は、浪費をしたり、そのお金をまたギャンブルにつぎ込んだりして、すぐにお金を使い果たしてしまいます。これは、その人の自己イメージが『私は貧乏人だ』『自分がこんな大金を持つなんて何かの間違いだ』というものだからです。一方、『自分はお金持ちだ』という自己イメージを持っている人は、事業の失敗で突然全財産を失ってとしても、すぐにお金持ちになってしまいます。私達は本当の真実ではなく、自分が信じる真実に従って行動をします。目標達成とまったく関係ないことをして、意識レベルでは『バカなことをしたな』と思っても、潜在意識のレベルでは完全に意味をなしているということはよくあります。潜在意識が自己イメージから離れるのを阻止しただけだからです。

あなたの成功を邪魔する信念はないでしょうか?『自分はこういう人間だ』と決めつけていることはないでしょうか?そして、その考えは誰の影響を受けたものかも考えてみてください。人は自分の信じる真実に通りに行動します。だから、その真実を創るのは自分自身であるべきです。私はあなたに『自分は何でも出来る』という真実をマインドに創って欲しいと思っています。ネガティブな自己イメージを変えない限り、現実は変わらないからです。考え方が変われば行動が変わり、現実が変わります。だから、どんどん自己イメージをポジティブに変えていきましょう。




セルフトークとは、自分へ語りかける言葉です。独り言や心のつぶやきなども含まれます。たとえば、『自分には無理だ』『私には出来る』『私はシャイだ』など、声に出そうが、心の中で呟こうが、それらは全てセルフトークです。

人は1日に何万回もセルフトークをしていると言われています。そして、セルフトークの蓄積があなたの自己イメージになります。だから、セルフトークをコントロールすれば、自己イメージを変えることが出来ます。『私はダメだ』というセルフトークを繰り返せば、その通りの自己イメージになりますし、『私はすごい』というセルフトークをし続ければ、本当にすごい人になります。あなたの自己イメージは、あなたのセルフトークで決まるということです。

だから、自分に対してネガティブなセルフトークをやめて、ポジティブなセルフトークを心がけましょう。どんなときでも、『私には才能がある』『私は挑戦すれば何でも出来る』など、自らを肯定する言葉を使うようにしましょう。

人は自己イメージ通りの行動をします。ポジティブなセルフトークによってポジティブな自己イメージを構築すれば、あなたの考え方や行動がポジティブに変わってきます。自信が出てくるので、より大きな目標を設定するようになりますし、達成するために行動をどんどん起こしていけるようになります。

自分のセルフトークを注意深く観察してみましょう。あなたは自分にどのように語りかけているのかを知りましょう。そして、あなたのセルフトークから、自分や他人に対する過小評価、皮肉、嫌み、嫉妬などのネガティブな言葉を全て排除するようにしましょう。

自他を問わず、良いところを見つけて褒めるようにしましょう。潜在意識は自他の区別がつきませんので、他人に対しての悪口も自分に言っていると同じことになります。だから、自分に対しても他人に対しても常にポジティブな側面を見つけ褒めていきましょう。

何かに失敗したときも、『自分は何をやっているんだ』とか、『自分はなんでこんなにバカなんだ』というセルフトークをしないように気をつけましょう、そんなときは、『失敗するなんて自分らしくない』『次は絶対うまくやる』とか、『これはいい経験になったな』というように考えてください。




多くの人は『起こってほしくないこと』や『嫌いなこと』を考えてしまいます。潜在意識はあなたが最も考えたことを現実にしようとします。だから、起こって欲しくないことばかり考えると、潜在意識があなたをその方向へ向かわせます。たとえば、事故を起こしやすい人がいます。その人が何を考えているかというと『事故を起こすこと』です。『事故を避けたい』と思えば思うほど事故のことを考えてしまうため、自ら事故を引き寄せてしまいます。

望まないことに意識を集中するほど、あなたはその方向に引き寄せられてしまいます。よく友達に『自分がいかに不幸か』を話す人がいますが、その人は話すことでさらに不幸を呼び寄せ、幸せから遠ざかっていきます。ポジティブ思考とは、何か問題が発生したとき、その問題がなくなったときどうなるだろう?』と期待することです。たとえば、あなたが風邪を引いて会社を2,3日休むとします。ネガティブ思考の人は『こんな会社を休んだらクビになるんじゃないか』とか『ずる休みしていると思われたら嫌だな』などと起こって欲しくないことばかりを考えます。一方、ポジティブ思考の人は『風邪が治った後の自分がどんだけ会社で活躍しているか』を考えます。

あなたが気持ちを向けるものが、あなたの手に入れるものです。良いことでも悪いことでも、あなたが最も鮮明にイメージすることが、実際に起こります。あなたが望むことではなく、あなたが考えることが現実になります。つまり、ネガティブなセルフトークをすると、自分で自分を悪い方向に導いてしまうということになります。人は不安になると『結婚生活がうまくいかなくなったらどうしよう』『会社の人間関係がうまくいかなくなったらどうしよう』『体調が悪くなったらどうしよう』などと悪いことばかり考えて、自らそれらを引き寄せている場合が多々あります。本当は避けられるネガティブな結果を招いているということです。ネガティブな思考は現実化します。

だから、あなたのセルフトークからも、周りの人との会話からも全てネガティブな言葉をなくしてください。他人をバカにすることも、あら探しをすることも、からかうことも、全てやめてください。他人に対してネガティブなイメージをすることも、あなたのセルフイメージの一部分として取り込まれてしまいます。それは、潜在意識は自他の区別ができないからです。他人の嫌なところを見つければ見つけるほど、それらがあなたの自己イメージになってしまいます。だから、常に自分と周りの人達の良いところに目を向けてポジティブなセルフトークをしましょう。そうすれば、あなたの望む自己イメージを構築することができます。




ここであなたに覚えておいてもらいたいことは、『あなたが想像することが現実世界で起こる』ということです。あなたにとって良いことでも悪いことでも、あなたが長い間リアルに想像したことは、現実世界に現れてしまいます。だから、現実的にものを考えて夢を小さくする必要はありません。夢は想像し続ければ必ず叶いますので、あきらめないで持ち続けてください。

夢や目標を持つとワクワク感を感じると同時にドキドキして不安になります。私も何度も同じ経験をしましたので、よくわかります。しかし、不安を怖れる必要はありません。不安というのは『これからどうなるかわからない』という予測不能な状況のときに発生します。だから、不安を感じるということは、あなたがまだ経験したことのない新しい境地に足を踏み入れたという証拠になります。

あなたが心から望んでいることというのは、今までに経験したことのないことのはずです。だから、不安を感じるかもしれませんが、それは当然のことです。むしろ、『よし、不安を感じるということは私は良い目標設定をしたんだ』という肯定的なサインだと思ってください。目標を持つと必ず不安を感じる時がきます。そうすると、『やめといたほうがいいかな』とか『毎日同じ生活をした方が楽だな』という誘惑にかられるかもしれませんが、それには耳を傾けないでください。

多くの人は、自分が望むことを達成するより、嫌なことを避けることにフォーカスする人生を送っています。もしかしたら、あなたも今は望むことより、望まないことのほうが多く思い浮かぶかもしれません。『貧乏になりたくない』とか『失敗して恥をかきたくない』とか『病気になりたくない』などということは、簡単に頭に思い浮かぶと思います。しかし、『やりたくないこと』や『起こって欲しくないこと』ばかりを考えていると、それらが起こってしまう可能性を高めてしまいます。それは、長い間イメージしたことが現実世界に現れるという法則があるからです。だから、 『自分が欲しくないもの』や『嫌いなことは一切考えないようにしてください。』

しかし、そのようなネガティブな思考は無意識にあなたの頭の中に浮かんでくるときもあると思います。そんな時は『私は何が欲しいのだろうか?』とか『私はどんな人間になりたいのだろうか?』という質問を自分自身にしてください。そうれば、欲しくないものより欲しいものに視点を向ける習慣をつけることができます。失敗することより成功するときのことを考えてください。そうすることによって、あなたはだんだんとポジティブ思考になっていきます。

初めのうちはネガティブな思考が勝手に浮き上がってくると思います。しかし、そんなときはすぐにポジティブ思考に切り替えてください。失敗するイメージをしている自分に気がついたら、すぐにストップして成功している自分をイメージしてください。欲しくないものを考えていたら、すぐに『欲しいものは何か?』と思考を切り替えてください。先ほども言いましたが、『あなたの想像することが現実世界に起こります』。だから、あなたは常に自分の思考を観察してコントロールしておく必要があるということです。常に『成功している自分』『なりたい自分』を考えてワクワクする習慣をつけていきましょう。
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voice-of-brothers-401

2018-10-28 19:33:16 | 思想、哲学、宇宙論
https://ascension21.com/voice-of-brothers-401/


いのちのなかには無限の質量を有する愛が充満していて、『いのち = 愛』、

『いのちは愛で出来ている』と言っても過言じゃないんだよ。

きみたちの体の外にも内(なか)にも、間断なく愛が充ち満ちている。

それを宗教は神とか仏とか呼ぶんだけど、

すべてを生み出し新陳代謝のなかで成長させて、

やがては愛そのものに還元させてゆくその力は、

紛れもなくきみたちの奥(なか)に在って、

きみたちを通して宇宙の進化創造を司ってるんだよ。

この話を逆にきみたちの立場から観れば、

『愛から生まれ出た自分たちが愛の働きを思い出して、

愛に帰ってゆく(還元してゆく)プロセスのうちに宇宙の進化創造がある』

という考えの下に進むのが、人としてあるべき本然の生き方だといえる。

地球に住むすべての人がその事実を虚心坦懐に理解しさえすれば、

世の中というのは、一瞬のうちに大調和した神界の様相を写し出すんだよ。

でもなかなかそうはならないのは、一人一人の人間が「生命とは何か?」

という、真理の命題に肉体の命をかけて取り組んで来なかったからだ。

それは、自分が自分だと思い込んでいる自我・エゴを守る想いの動きに押し流されて、

三次元世界を漂流しつづけてきたからね。 そういう人たちを観ていると、

みんな共通した想いをいだいてるのが見て取れる。

「自分たちは漂流してるのが当たり前、人間だからこそ悩み苦しんだり、

喜怒哀楽に翻弄されて当然なんだ」ってね。 そういうのを『錯覚した生き方』、

『倒錯した思考』、『転倒妄想した粘着質な思念』というんだよ。

要は、ドブん中に頭を突っ込んで、逆立ちして宇宙を見ちゃってるんだ。
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人には、潜在意識・意識・超意識・超絶意識の4つの意識段階がある②

2018-10-28 12:46:39 | 思想、哲学、宇宙論


 神   意識の4段階(潜在意識・意識・超意識・超絶意識)について、ちゃんと理解する事が大切だ。

     『潜在意識』の段階とは、意識的に創造していない経験の場だ。

     この意識で創造している時は、自分が何をしているかに気づいていないし、
     なぜそうしているかも分からない。

     だが、これは贈り物だ。 なぜなら、物事が自動的だから。

ニール  「自動的だ」というのは、どういう意味ですか?

 神   例えば、髪の毛が伸びる、まばたきをする、心臓の鼓動などは、自動的な働きだ。

     これらの身体のシステムは、意識的な指示なしに進行している。

     『潜在意識』では、問題を瞬時に解決する。

     入ってきたデータをチェックし、記憶を探して対応法を引き出すのだが、それは自動的に
     行われる。

     例えば、熱い鍋にさわった時、考える前に手を引っこめている。
     これが、「データに基づいた自動的な対応」だ。

     『潜在意識』は、あなたの生命を救う場合がある。

     しかし、「人生のどの部分を、潜在意識で自動的に創造することを選んだか」に気づいて
     いないと、自分を被害者だとすら考えてしまう。

     だから、何を「意識しない」と選択したか、それを認識しておく事が重要だ。

     『意識』の段階は、自分が何をしているかを、ある程度は認識している。

     どの程度まで認識しているかは、意識レベルの高さによる。

     その認識レベル(意識レベル)で、あなたは自分の現実を知り、経験を創造する。

     これは、物理的なレベルだ。

     霊的な道で努力する人は、常に意識レベルを引き上げようとする。

     物理的な現実を広げ、他の意識が知っている真実を、そこに取り入れようとする。

     『超意識』の段階は、自分が何をしているかを、充分に認識している。

     その充分な認識のレベルで、自分の現実を知り、経験を創造する。

     これは、魂のレベルだ。

     あなた方のほとんどは、超意識の意図に気づいていない。

     『超意識』とは、魂の課題を抱えている部分だ。
     あなたが身体に宿って経験し感じようとした事を、「完了」しようとする。

     『超意識』は、常にあなたを成長へと導き、成長するための完璧な人・場所・出来事を
     用意する。

     そして、「知る事と経験する事を組み合わせて感情を生み出し、真の自分についての認識を
     創造できるように」仕向ける。

ニール  あなたは以前に(神との友情・上巻で)、「潜在意識・意識・超意識の三つが同じ意図を
     持って、一つになる事がある」とおっしゃった。

 神   そうだ。

     「三つが一体になった意識レベル」は、『超絶意識』と呼ばれる。

     これは、「キリストの意識」とか「高次の意識」と呼ぶ人もいる。

     あなた方は皆、その意識に行くことが出来る。
     瞑想、祈り、ダンスなど、そこに到達する道はたくさんある。

     『超絶意識』に到達すると、完璧に創造的になる。

     三つの意識が足し合わされるが、実はそれ以上だ。

     なぜなら、あらゆるものがそうなのだが、そこでは全体は部分の総和よりも大きいから。

     その時、あなたは純粋な「存在」になる。

     この「存在」は、あなたの中の『創造の究極の源(神性)』だ。

(『神へ帰る』から抜粋)



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まとめ

2018-10-27 16:38:14 | 思想、哲学、宇宙論
個人のリアリティーを作り出しているのは潜在意識の中のビリーフシステム(信念体系・観念体系)である。


ビリーフシステム(信念体系・観念体系)を書き換えることでリアリティーが変化する。


ビリーフシステムとは、ほとんどが「条件反射」で作られた「自動世界創造装置」みたいなもので

「世界はこれこれこういうものだ」というその人が思い込み同意している「その人に取っての世界の姿」である。

『信念体系(観念体系)』は、「全て」の中から体験することを選び出す焦点を結ぶ『レンズ』のような役割を果たししてる。

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人は見たものを信念で捻じ曲げてしまう

2018-10-26 16:03:02 | 思想、哲学、宇宙論
http://www.sugimoto-works.com/posts/blog807113.html





人は見たものを信念で捻じ曲げてしまう


【コーチングで世界を創造する】杉本ワークスの杉本浩章です。


人は、人によって、まったく違う世界を見ています。

ふたりの人がいて、並んで同じ景色を見ていても、見えているものはまったく違います。


目の前に車が通って、車好きの人はこの車はどこどこのメーカーで、どういった種類や年式で、性能がどうとか、オプションにこんなのがあるとか、この部分がオリジナルで特徴的だとか、色々なことが瞬時に頭の中を駆け巡ります。

それは車の知識がその人には大量にあるからですが、より本質的に言えば、その人にとって車は「重要なもの」だからです。

車に興味がない人、車が重要でない人にとっては、目の前に車が通っても、車が通ったくらいは思うかもしれませんが、車がどうとか考えませんし、そもそも車が見えていない可能性があります。


人は、自分にとって重要なものしか認識しません。それがマインドの仕組みだからです。

だから同じ景色を同じ角度で見ていても、見えているもの、感じていることは、人によってまったく異なります。

どうしてそのような仕組みがマインドにあるかというと、そのような仕組みにしないと、脳がパンクするからです。目に入った情報、耳で聞いた情報などすべてを脳が認識し、判断していたら、きりがありません。大変なことになってしまいます。

そうならないように、人は、自分の信念やセルフイメージに沿って、自分にとって重要なものを選り分け、知覚し、判断しています。

そうしたフィルターシステムが、人間の脳には生得的に備わっています。それを「RAS(ラス)」といいます。「Reticular Activating System」の略ですが、日本語で「網様体賦活系(もうようたいふかつけい)」という訳語がついています。脳を網目のように覆っていて、脳の全部位を選択的に活性化(やフィルタリング)するネットワークシステムであることから、このような名前がつけられています。



よく、恋人同士や家族間の話し合いの中で、「どうして私の言ってることが分かってくれないの」などという言葉が聞かれると思いますが、それは分からないというより、その人にとって重要ではないからです。RASがフィルタリングしてしまっているせいです。

人間のマインドの仕組みから考えると、ごくごく自然なことと考えられます。

物事の重要性は、人によって違うのです。自身のセルフイメージに合致したものは重要なものと判断され、合致しないものはRASによってフィルタリングされます。


お金を貯めることに重要性を感じている人は、お金を使うことや趣味などに重要性をあまり置かないし、逆に、人生を謳歌したり趣味を満喫したい人は、お金を貯めることへの重要性の評価が無意識に下がります。分かりやすく言えば、重要性の評価基準、つまりは優先順位が異なるということです。



見えているもの、感じている世界が人によってまったく異なるのですから、人間同士、意見が異なるのも当たり前のことと思えるようになってくると思います。

そしてそれは、セルフイメージによって決まっているということ。より正確に言えば、認識のパターンである「信念体系:ビリーフシステム(Belief System)」によって決定されています。

人には意識的、無意識的にかかわらず、その人固有の認識パターンが脳内にはあります。主に、前頭前野(脳の前側部分)にあると考えられています。

こういったときはこういう判断をする、行動にでるという行動パターンが脳内には無数に蓄積されているのです。無意識に判断した、体が勝手に動いてしまったという経験は誰にもありますが、ビリーフシステムによるものです。


「ビリーフシステム」はコーチング用語ですが、認知科学では「内部表現」にあたります。

内部表現とは、その人が脳内で認識している世界、宇宙の在り方そのものです。

人には、その人それぞれの宇宙が目の前に広がっています。それは、さきほどのRASの働きを考えれば、理解して頂けると思います。


脳という存在は、よくよく考えてみると、頭がい骨の中に幽閉されている独立器官です。それが、神経という信号伝達組織によって、外の世界や他の臓器と接続されているだけです。厳密には、ホルモンなどによる伝達経路もありますが。

こうしてみると、私たちは日々、色んなものに触れたり、感じたり、臨場感をもっていますが、それはすべて、神経を通したアナログ信号を数ある感覚器から受け取って、脳が臨場感を感じるように処理をしているだけというシンプルな構図が見えてきます。


この感覚でとらえるならば、わたしたちが見えている現実世界は、幻想であるという考え方も頷けます。

どのような世界が目の前にあろうとも、それはすべて感覚器を通して受け取った単なるアナログ信号にすぎません。それが脳という独立器官に入力されているだけです。

単なるアナログ信号である以上、脳内ではいくらでも変更処理が可能ということです。世界は、内部表現によって、いくらでも自在に変化しうるということでもあります。



こういった認知の仕方やカラクリをつきつめると、私たちが人生を変えたければ、目の前の世界や宇宙を変えるには、「内部表現を書き換える」しかありません。

世界には様々な、内部表現書き換え技術が存在します。自己啓発にはじまり、気功や催眠療法なども、もちろんその範疇です。その中でも、「コーチング」は特に、安全かつ効果的で、悪用のリスクもなく、万人向きであると言えるでしょう。


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信念体系とセルフイメージ

2018-10-26 15:31:38 | 思想、哲学、宇宙論
https://www.subliminalsubliminal.com/?mode=f8



人生がなかなか思い通りにいかない人々に共通点があるとすれば、それは何だと思いますか。

ある人は、分かっていても同じ過ちを繰り返します。

またある人は、やめたいと思っているのに、特定の習慣をなかなかやめることができません。

絶対にやらなくてはいけないと分かっており、やる気があるにもかかわらず、先延ばしを繰り返して結局やらずじまいの人もいます。

またある人は、自分に十分な価値を感じられず、自分の価値を証明しようと苦闘するうちに疲弊していきます。

なぜ、こうも多くの人が、頭では分かっているにもかかわらず、不幸な選択を繰り返しているのでしょうか。

実は、人生の成否は“例の力”をいかに生かせるかにかかっています。

“例の力”は、「プログラム」を読み込み、実行します。

「プログラム」の内容によって“例の力”はいかようにも働き、その人の人生を大きく左右します。

つまり、“例の力”が「プログラム」を読み込み、実行した結果であるところの人生を、私たちは体験しています。

そうであるならば、「プログラム」次第で、その人の人生により多くの痛みと悩みが訪れますが、よりバランスのとれた、豊かで幸せな人生を送ることも可能なはずです。

実際のところ、不適切な「プログラム」であれば、理想的な「プログラム」へと書き換えることが、より良い人生への早道です。

この“例の力”とは、潜在意識とその無限の力です。

内なる創造主とさえいわれる無限の力を有し、人生をプログラムどおりにナビゲートする潜在意識。

その力こそが“例の力”そのものです。

そして「プログラム」とは、潜在意識に形づくられた信念体系とセルフイメージに他なりません。


1.信念体系(ビリーフシステム)とは

信念体系(ビリーフシステム)は主に、

・ビリーフ(信条、信念、価値観)
・思考パターン(事象の見方・捉え方、考え方)
・感情パターン(感情の想起・反応パターン、身体反応)
・行動パターン(習慣、癖)

で構成されています。

その中心的存在は、ビリーフ(信条、信念、価値観)です。

例えば、親の期待にこたえるために、本来の自分を押し殺し、親の望み通りに努力を続ける子どもがいます。

親の言うことをよく聞き、その要求を満たさなければ愛してもらえない、そんな強迫観念を強制されて育った子どもの中には、やがて成長して社会人になってからも、上司や会社に認められようと頑張り続ける人が多くいます。

そのモチベーションの源は、「他人に認めてもらい、自分の価値を確認したい」という切なる思い。

この思いの根底にあるのは、幼少時から強化され続けた「ありのままの自分には価値がない」というビリーフです。

またこのビリーフを核として、「他人から認められるためには、常に完璧でなければならない」という完璧主義のビリーフが派生しています。

完璧主義のビリーフからはさらに、

「完璧に仕上げなければ、仕事のできない人間だと思われてしまう」
「完璧に振る舞えなければ、自信のない人間だと思われてしまう」

といった恐れや緊張を強化するビリーフ、ひいては

「完璧に仕上げられないなら、まだ取りかからないでおこう」

といった先延ばし癖のビリーフも派生しています。

この人の信念体系は、

・ありのままの自分に価値を感じられない哀しさ。
・完璧であろうとすればするほど成果が出ない、評価されない無力感。
・他人の評価に左右されて自分に自信を持てない不安と緊張感。
・他人に評価されたとしてもどこかで感じる空しさ。
・何をしても満足感が得られない欲求不満。

などの苦痛をもたらすとともに、以下のような状況を創造する可能性が高くなります。

・仕事の成果が挙がらず評価されない。
・仕事の要領が悪いと言われてしまう。
・仕事で大きな成果を挙げたのにどこか空しく、満たされない。
・不必要に緊張してしまい、またその経験がさらなる緊張感を引き起こす。
・コミュニケーションが思い通りにいかない。
・限界を超えて働き続けることに歯止めが効かず、体調が悪い。
・燃え尽きて、うつになってしまう。

このような人が、悩みを解決し、幸せで豊かな人生を送るには、潜在意識下の「プログラム」、すなわち信念体系(ビリーフシステム)の再プログラミングが早道です。

この人の場合は、

「ありのままの私は、絶対的に価値のある存在である」
「ありのままの私は、生まれながらに完全であり、完璧な存在である」
「ありのままの私は、愛されるべき存在であり、愛されている」

というコア・ビリーフを中心とする新たな信念体系が、再プログラミング内容の中心になるわけですね。


2.セルフイメージとは

新しい信念体系とともに、新しいセルフイメージの再プログラミングも必要になります。

セルフイメージとは、「自分はこのような人間だ」という認識、定義および価値判断です。

ここが厄介なところですが、セルフイメージには“望ましいセルフイメージ”と“真のセルフイメージ”があり、この2つはイコールではありません。

望ましいセルフイメージは顕在意識レベルに存在します。

一方、真のセルフイメージは潜在意識レベルに蓄積されています。

そして物理的な現実として創造されるのは常に、真のセルフイメージになります。

というのも、潜在意識にプログラムされた真のセルフイメージは、そのイメージに見合う周波数で振動する波動を休みなく放出しているから。

量子物理学においても、波動は粒子の性質をあわせ持ち、観察者が注意を向けることで物質化(粒子化)することになっています。

ありたい自分になるためには、真のセルフイメージを再プログラミングすれば良さそうです。

ビリーフを中心とする信念体系と、真のセルフイメージを再プログラミングすることは実は簡単です。

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『信念体系』

2018-10-26 15:24:58 | 思想、哲学、宇宙論

https://plaza.rakuten.co.jp/channeler/diary/201007090000/

『信念体系』を変えることの難しさ・No1


テーマ:スピリチュアル・ライフ(22773)

カテゴリ:カテゴリ未分類

 いわゆる『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を変えるのがどういう風に難しいのか、全部は無理ですが、一部、こういう特色があるから難しいということを書いてみますね。


 まず、最初の原点から記述してみると、この時点で意外に思われる方も多いかもしれませんが、基本的には、その人が経験する世界は、その人の『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』に沿って創られていきます。


 あくまで基本的にはなのですが、そういう風になっています。


 例えばですが「人というものは必ず裏切るものだ」という『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を強く確信を持って持っていた場合、「人から裏切られる」という経験がよくやってくる人生を歩みやすくなります(例外的なことはあります)。


 「世界とは残酷なものだ」という『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を強く確信を持って持っていた場合、「残酷な目に合う」ことが多い人生を歩みやすくなります。


 これは・・・色々な視点や角度から説明できることなのですが、さて、今回はどういう視点から話をしてみましょうか?


 あと、この原点も覚えておいて下さいね。


 とても大事なことです。


 過去、何度かこのブログでも言っています。


 「意識を最も深くフォーカスする(焦点を当てる)ものが現実となる」。


 ええと、どういうことが起きているかと言うとですね、こういうことが起きています。


 例えば、ある人が「世界とは残酷なものだ」という『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を強く持って持っていたとします。


 すると、実際の世界や宇宙は、これは多次元的なものまで全部ふくんで言っていますが、「残酷」という側面だけではなくて、例えば「優しい」とか、例えば「暖かい」とか、そういう側面も持っています。


 『ワンネス(一つなるもの)』が反転してできた『大いなる全て』(オールザットイズ)は、すなわち全ての多次元宇宙、全てのパラレルワールドの集積体のようなものですが、文字通り「全て」の可能性、全ての要素を保持しています。


 文字通り「全て」なんです。


 「全て」を持ち、「全て」を体現しています。


 人が考え付く限りのものの、考えも付かないものも、何もかも全部、無限の全てを持っています。


 では、そのある意味ではですが、カオス(混沌)と表現してもいいかもしれない無限の集積の中から、有限の形を持った「あなた」が経験する世界を形作っているものは何かというと「あなたの意識」なんです。


 その「あなたの意識」の中でも、その人生劇の配役や脚本や背景を主に形作っている部分が、『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』になるわけです。


 ちょっと先の例に戻ってみましょう。


 「世界とは残酷なものだ」という『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を強く持って持っている人がいたとして、この人は「大いなる全て」の中から、「世界とは優しいものだ」とか、「世界とは暖かいものだ」という可能性を、基本的にはですが、排除してしまいます。


 まさに「世界とは残酷なものだ」という「信念」に意識を最も深くフォーカスする(焦点を当てる)ことによって、他の潜在的な可能性を排除し、「世界とは残酷なものだ」というものが現実となった世界を体験します。


 つまり、「あなた」の『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』とは、「全て」の中から体験することを選び出す焦点を結ぶ『レンズ』のような役割を果たししてるのです。


 そしてその『レンズ』が焦点を結んで映った『映像』を体験します。


 基本的にはそういう仕組みになっています。


 でもですね、その人生を体験している人に取っては、まさに「世界とは残酷なものだ」ということは、動かしようのない真理、この世の確固たる事実になります。


 だって、実際にその人はほとんど「世界とは残酷なものだ」という人生経験しか味わっていないのですから。


 その人に取っては「残酷な世界」を体験し続けることになります。


 ここにある種の悪循環が生まれます。


 そしてこういう人に取って、「世界とは残酷なものだ」という『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を変えることは、例外はありますが、大変なことが多いようです。


 でも・・・変えることはできるんです。


 人生で主に体験することの内容を変えることはできるんです。


 どうやって変えるかというと、原理自体はとても簡単(シンプル)です。


 『レンズ』の焦点を合わしているところを変えて、その『レンズ』が「映しだしている映像」を変えればいいんです。


 『レンズ』の焦点を合わしているところを変えるということは、『信念体系(観念体系)』 = 『ビリーフ・システム』を変えるということです。


 それで、体験することの内容が、基本的には違ってきます。










ビリーフシステム・No1


テーマ:スピリチュアル・ライフ(22774)

カテゴリ:カテゴリ未分類




 究極での話しをしよう。


 宇宙の創られ方の究極での話しだ。


 多くの人が見失い、知ることが出来ず、他の原理で動いていると思い込み、陥っているものを。


 その「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創り上げているのは、『その人自身の宇宙の創造の力』なのだ。


 実に多次元宇宙にまたがる宇宙すべてを本人が創っているその力を使って、何とまあ、その人はその人自身が陥っていると思っている「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創り上げているのだ。


 それがずっと続いていると言うのなら(少なくとも何年も続いていると言うのなら・・・そしてそれが一生続きそうだと言うのなら)それは、わざわざほぼ同じ状況をずっとリピートして(繰り返して)創造し続けているのである。


 実に実に、かたくなで大変なことをわざわざしているのである。


 そこでは、あの銀河系を創り上げた力と何らかわらない力が働いている。


 宇宙の創造の力が。


 それをふるっているのは誰か?


 実はその人自身なのだ。


 その人は、その人自身が描いた設計図通りの状況を味わっているのだ。


 生まれる前とかに書いた(魂とかの)設計図通りなのだろうか?


 そうとも言えなくも無い部分もあるのだが、これも究極の答えを言うと、実は今この瞬間、その人が描いている設計図通りの状況をその人は味わっている。


 では、その設計図とは何なのだろうか?


 専門用語で言うとビリーフシステム(信念体系・観念体系)だ。


 もっと砕いた言い方をするとそれは「世界はこれこれこういうものだ」というその人が思い込み同意している「その人に取っての世界の姿」なのだ。


 もっとわかりやすく説明してみよう。


 一つの実験をしてみよう。


 ここにレモンがあるとして、それを丸かじりすることを想像してみて欲しい。


 レモン一個では実感がわかなかったら、レモンティーを頼んで、それに付いている輪切りのレモンを口の中に入れて、シャキシャキ噛んでいるとありありと想像して、感じてもらいたい。


 どうなるだろうか?


 普通は唾液がわいてくるだろう。


 すっぱさを感じさえする。


 口さえすぼむ。


 実際にはレモンは無い。


 でも、今あなたは過去に経験した「レモンのすっぱさの記憶」にアクセスし、それを今のこととして体験して、身体すら反応する状況を創り上げた。


 本当に奇妙に聞こえるかも知れないが、このありもしない「レモンのすっぱさ」を感じる仕組みと、その人の「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を味わっている仕組みはほとんど同じものなのだ。


 ビリーフシステムとは、ほとんどが「条件反射」で作られている。


 それは「自動世界創造装置」みたいなものだ。


 「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」が続くということは、その人の「世界はこういうものだ」という信念がまったく変わらず、毎日毎日、その宇宙を丸ごと創り出している力を使って、同じ世界を創造し続けているということなのだ。


 それを変えるにはどうしたよいのだろうか?


 まず、ビリーフシステムのすべてを変える必要は無いということ。


 逆に好ましい反応をしている条件反射も多々あるのだ。


 問題なのは、その人自身に取って好ましくない反応をして、世界を創り上げているものの方だ。


 言葉を変えて言うと「自動世界創造装置」を動かしているプログラムの内容を書き換える必要があるということなのだ。


 だが、機械的なプログラムと違ってこちらが厄介なのは、これが人という生き物の話しで、生存や感情といったものと結びついているということなのだ。

 
 まず、原理的なことを説明してみよう。


 この例で言う「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を経験している人は、その深層心理において普通は「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を送ることがその人に取って「メリットがある」という判断をして、それをプログラムとして実行し続けている。


 信じられないような話しだが、例外中の例外みたいなものを除いて、本当にそうなっている。


 なぜそうなってしまっているかと言うと、いくつか理由が考えられるが、それらをあげてみよう。


 一つ目。


 「それしか知らない」というもの。


 今までそれしか知らなければ、それ以外の未知の状況に出ることは、多くの人に取って意識の深い所では、怖いことなのだ。


 未知の新しい世界で、何が起こるのかわからないからだ。


 例え「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」でも、それはすでに十分知っている状況で、そういう意味では安全なのである。


 でも、真実を言えば、その「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」も、色々な意味で永遠には続かない。


 ここでややこしいことが起こるのだが、徹底的に「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」にその人が意識の深い所でしがみついた結果何が起こるかというと、結構、外部の環境は変わっているのに、その「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」は、何だかんだ変わらずに続くと言う変なことが起こる。


 例えば、リストラで職を失ったが、新しく付いた職場が、また別の形で嫌で、同じような「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を送っているとか・・・5回転職しても全部そうだったとか。


 そして最終的には「人生なんてこんなものさ」と、うそぶく。


 それで人生の真理を悟った気になる。


 「人生とは残酷な神が支配する世界に住むこと」だとか。


 まだましな方で「人生とは重たい荷物を死ぬまで背負って、変わりの無い毎日を過ごすこと」だとか。


 この人は死ぬまで気が付かない(死後すら気が付かないかもしれない)。


 まさに、自分の願った通りに「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」の人生を歩んだことを。


 それを自分で「選択」してしまったということを。


 これは本当はとても変なことなのだ。

逆の意味で奇跡を演じているのである。


 ここまでその状況を創り出すことが出来るということ自体、

もう神の創造力を発揮して奇跡を創り出しているということにも気が付かない。







ビリーフシステム・No2


テーマ:スピリチュアル・ライフ(22774)

カテゴリ:カテゴリ未分類


 「ビリーフシステム・No1」 の続きです。


 さて、前回の続きの話しをしよう。


 なぜ、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を繰り返すことを選んでしまっている人が、その人のビリーフシステム(信念体系・観念体系)を変えて、体験している現象を変えることが出来ないのか(変えようとはしないのか)。


 普通、こういう人は意識の深い所において、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を繰り返すことの方が、自分の生存に取って「メリット」があるという判断をしている。


 そういう「条件反射」を自分に課してしまっている。


 そしてその自分で実行しているプログラム通りに、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創造し続けている。


 機械なら、ちゃらっとプログラムを書き換えれば済む話しだ。


 (書き換えが可能な機械で、なおかつ書き換える内容のプログラムが手元にあるようだったらの話しだが)。


 普通は人間はそう簡単にはいかない。

 
 なぜなら人間のその人が体験している世界を創り上げているプログラムは、思考・感情・意志・肉体・その他諸々、そういうものの相乗効果で成り立っているからだ。


 一言で言うのなら「世界観」とでも言ったものになるのだが、世間一般で言っている「世界観」は知的理解の意味合いが強いと思う。


 しかし、ビリーフシステムとは、とても砕いた言い方をすると、その人の「実感」「体感」で出来ている。


 これを人は普通「現実」と呼んでいる。


 その人に取って間違いなく世界は「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」のことを指しているのだ。


 それこそがその人が味わっている「現実」なのだ。


 その人に取って、そこに疑いの余地は無い。


 間違いなく、その人は「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を味わい続けているからだ。


 鍵となっているのは主に「感情」である。


 人間に取っては、「感情的理解」の方が真実なのだ。


 そして感情とは、その人の持つ信念・観念に対する条件反射的反応で生じるものなのだ。


 「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日が続く」人が、自分のビリーフシステムを根本から変え、自分が体験している現実を変えることは、例外はあるのだが普通はそれなりに大変だ。


 と、言うのもこういうことが起こるからだ。


 原理的には実に簡単なんである。


 それをすっと実行できれば、上記の(良い意味での)例外の人になる。


 自分のビリーフシステム(信念体系・観念体系)を変え、条件反射を変え、感情的反応を変え、「世界はこういうものだ」という「世界観」を根本から変え、世界を創造しているプログラムを変え、自分自身の実感を変えれば、「そうなる」。


 例えば、「宇宙は安全で、安らぎに満ちた場所です」というように。


 本当に心の底から実感すれば、そうなっている。


 が・・・こういう人は、その多くが「その状況が先に訪れてくれたら、そしてそれがずっと続いてくれたら、信じる」という風に考える。


 皮肉だが、これは「プログラムをまったく変えずに、プログラムを実行した結果を変えてくれ」と言っているのに等しい。


 確かに非常に例外的なこともありうるのだが、まあ、まずそうはならない。


 先に変えなくてはならないのは、プログラムの方なのだ。


 違うプログラムを実行すれば、結果も変わる。


 そうすればいわゆるその人が経験している「現実」も変わる。


 こういう状況の人の多くが、明日、ばら色の未来が訪れることを願う。


 苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くことを。


 心情としては深く理解できる。


 まったくそういうことが無いとは言えない、可能性としてあることはあると言える、しかし、確率的には非常に低い。


 なぜなら、自分が変わっていないのに、世界が変わるということは基本的には無いからだ。


 自分が体感している世界を創り上げている幻影のプログラムのプログラマーは自分なので。


 こういう人はある意味で、自分の責任を回避してしまっている、一種の自己逃避の状態にある。


 究極の自分の正体が「神」であること、世界の創造者は自分であることから、逃げ出そうとしてしまっている。


 しかし・・・酷に聞こえるかもしれないが、世界の果てまで逃げても自分自身からは逃れられないし、時の彼方まで逃れても自分自身からは逃れられない。


 その人自身が向かい合うべきは、まずは自分で自分を縛り付けてしまっている恐怖の幻影であるし、さらに大切な向かい合うべきものは、真実の自分の喜びなのだ。


 もっともフォーカスすべきは「真実の自分の喜び」なのである。


 世界の創造主として創り上げた世界を変えるのは、自分の責任なのだ。


 創り変えたかったらの話しだが。


 さて、ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願ったとしよう。


 起こるかもかも知れないことを三例だけあげよう(特にスピリチャルな感性や世界観が濃い人に起こりやすい事例で)。


 一例目。


 ドーンと光りの固まりようなものが降ってきて、光りの柱のようなものとつながり、多次元的なエクスタシーのようなものを感じる。


 それがしばらく続くが、やがて消えてしまう。


 その感覚があまりにもすばらしかったので、それが続くことを願うが何年も起こらない。


 これに類似した経験をした多くの人が、ここで深い絶望と悲しみを抱く。


 ここでネガティブなケースだと、自殺したり、麻薬や覚せい剤に頼って落ちていったり、あるいは怪しげな宗教団体行脚にあけくれたり、その他、自虐的で自滅的な行動に走る。


 そうでなかった場合、あるいは道をそれても何とか立て直した場合。


 その間に、人生色々あって、数年後(数十年後)に、まったく同じことではないが、似たような深い神秘体験が起こって、それが小出しに続く。


 また、人生で色々ある。


 自分が変わっていたのを感じている。


 しかし、どこにたどり着くのかよくわからないが、深い喜びにあふれている。


 まだまだ人生は続く・・・。


 てな、感じになる。


 さて、これが何かと言うと、ある意味でだが「未来を先取り」しているのだ。


 しかし、それを自分自身の全存在で体感し、表現する土台も素地も出来ていないのである。


 ある職人が若いころ自分で仕上げた仕事1000件の内、奇跡的に出来た至上の出来の1件のような状態の出来事なのだ。


 それが100件の内の1件、10件の内の1件、やがてやる仕事すべてが至上の出来、となるまで自分を磨き上げたという話しに似ている。


 しかし、最初のものと最後のものは、出来は共にすばらしくとも中身が違っている。


 最初の奇跡のものは「純粋」な出来だろう。


 しかし最後のものは何か「深み」を感じる出来だろう。


 「人生」を「生きた」というエッセンスがそこに凝縮されているからだ。


 最初の神秘体験と、最後の神秘体験は同じものでは無い。


 それこそが・・・「人生を生きる」ということの価値なのだ。


 個性を持ったその人の花開いた姿。


 様々な花の中のその一輪の花の美しさ。


 その人がたどり着いた場所。


 人生の果実。


 その実りを見てるのだ。


 二例目をあげよう。


 ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願った結果。


 突然、何もかもを失う。


 何が起こったのかもよくわからず、人間関係、経済、社会的地位、恋愛や夫婦関係、その他。


 個人差はあるが、それなりにまたは全部失う。


 裸一貫で、ゼロから人生を生きなければならなくなる。


 もうわけがわからない。


 宇宙から罰を受けたのかと思ったり、暗黒のエネルギーに捕まったのかと思ったり、何もかもが嘘だったのかと思ったり、自分は人生の落伍者なんだと思ったり、その他色々思う。


 ここでネガティブなケースだと、先ほど述べたこととそんなに変わらず、自殺したり、麻薬や覚せい剤に頼って落ちていったり、あるいは怪しげな宗教団体行脚にあけくれたり、その他、自虐的で自滅的な行動に走る。


 そうでなかった場合、あるいは道をそれても何とか立て直した場合。


 ともかくゼロから自分の足で立ち上がる。


 その内、また別の知り合いや友人や、転々とするかもしれないが仕事や、別の恋人や、没頭できる趣味や、別の生きる場所が見つかったりし出す。


 前より地に足が着いて、それにバランスが取れた生き方をしてることに気が付く。


 やがて、前の恐怖はなんだったんだろう?


 もう、大概のことは怖くないし、「人生何とかなるもんだ」と自信も付く。


 やがて、本当に自分の生きたい生き方を見つけて、そちらにシフトしていったり。


 あるいはここで深い継続する神秘体験にいきなり遭遇したりする。


 まだ、未来はわからないけど、喜びの人生を歩むのだと言うことはわかっている。


 人生が続く・・・。


 てな、感じになる。


 こちらで起こっていることは、こういうことだ。


 「あなたの創り出している恐怖はあなたの創造物なのですよ。あなたは本当はゼロからすべてを創り出すことができる存在なんです。どんなマイナスの状況からでも建て直しは可能です。その能力を自覚し発揮できるようにしましょう。神である自分自身を取り戻しましょう。そしてそれを自覚した時、いかなる世界でも創り出せるでしょう」。


 これ、意外に聞こえるかも知れないけれども、一例目と二例目の起きていることの真髄は同じなのだ。


 宇宙は(すなわち自分は)「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」という願い(希望)をかなえるために、必要なことをしたのだ。


 別の言い方をすると、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」を創り上げているビリーフシステム、そのプログラムをプログラマーであるその自身人が書き換えるために必要なこと、そのための出来事や環境を持ってきたのだ。


 ここ、多くの人が勘違いしやすいのだが、「明日、バラ色の人生が訪れろ」と願った場合、「明日、バラ色の人生が訪れる」のでは無く、「明日、バラ色の人生が訪れる」ためにその人が「変えなければならないこと」を提示し、推し進めることが訪れてくる。


 ちなみに宇宙的視点からは、善悪も無く、優劣も無く、ポジティブ(肯定的)もネガティブ(否定的)も無い。


 ただ「必要」だけが届けられる。


 より正確に言うなら宇宙が持っているのは、ただ「存在」だけなのだ。


 これ一例目も二例目も起こっていることは、宇宙的視点からは、ほぼ同じなのだ。


 おわかりになっていただけるだろうか?


 <「ビリーフシステム・No3」 に続きます>




「ビリーフシステム・No1」 、「ビリーフシステム・No2」 の続きです。


 さて、前回の続きの話しをしよう。


 三例目をあげよう。


 三例目はこういうものだ。


 ものすごい感情的発露で「明日、ばら色の未来が訪れることを願い、苦しみの無い世界、何もかもが歓喜の世界、それがずっと続くこと」を願ったとしよう。


 そこで起こることは。


 昨日と変わらず、「砂を噛むような苦渋に満ちた毎日」がずっと続く・・・というものだ。


 以下、一例目と二例目とほぼ同文である。


 強いて言うなら「神はやはりいないのだな」とか、「やっぱり人生とはこういうものだ」とか、その手の思いに駆られやすいだろう。


 これは、多くの人に取ってわかりにくいのかも知れないが、こういうことが起きている。


 「あなたはあなたの願った通りの世界で生きていますよ」。


 「あなたのプログラム通りに世界は展開しています」。


 「あなたのビリーフシステム(人生を形造っているプログラム)は変わっていません」。


 「ですので、あなたの体験している現実も変わりません」。


 「それがわかるまでこのままです」。


 一種の「放置」という提示の仕方なのだ。


 「そのまんま」というある意味「究極の教訓」を提示されているのだ。


 この一例目、二例目、三例目以外にも色々あり得るが、結局、提示されているものの真髄は同じなのである。


 ここでの一つのポイントは「明日、何もかもばら色になれ」とものすごい感情の発露で願ったことにある。


 要するに自分を苦しめているビリーフシステムの一瞬での全部取替えを願ったわけだ。


 すると宇宙は(それは自分自身でもあるのだが)それに見合った体験を、普通はよこす。


 一瞬ですべてを変えるべく、劇的に自分に迫る出来事が起きるわけである。


 例外はあるし、すべてがそうなるとも限らなのだが、一般的に言ってそれは「劇薬」をいきなり投与するような現象になりやすい。


 実はそれは本当にうまくとらえて扱えば、一日で自分の経験している世界を変えられるような出来事であるのだが(つまりそれをきっかけにして、自分のビリーフシステムを自分で根本から変更することが出来ればなのだが)、普通はそんなことは無理だ・・・だからそこから実感という至宝を得て、その人が体験している世界を変えるには、何年も(場合によっては何十年も)かかるといういささか皮肉な結果となりやすい。


 なので、普通は無難な線で行くのなら、「少しづつ自分を変えていく」というのが、まあ、多くの人には、お奨めの方法なのである。


 一応、念のためにこれも述べておく。


 「明日、何もかもばら色になれ」とものすごい感情の発露で願うことが、本当に自分の道だと感じるのなら、ハートの奥からそう自然にわいてくるのなら、そうしたらよい。


 その場合はそれがその人に取っての人生の正解である。


 それで上記の3例やそれ以外のことも起きるかもしれないが、それはそれでよい。


 あと、必ずしも上記のようになるとも限らない。


 確かに本当に明日「何もかもばら色になった」という結果が来る可能性もあることはある。


 その場合は大概、例外的なことが起きているのだが、その例外とは何なのかが気になる人もいるだろうから、これも幾例かの事例を後で述べておこう。


 さて、話しを戻して、一般的に言って無難な線で行くのなら、「少しづつ自分を変えていく」というのがお奨めだ。


 実際、多くの人がこの方法でしか変われない。


 また、多くの人が無意識の内に、何だかんだいって採用しているのもこの方法なのだ。


 これは言葉を変えて言うと、自分の体験を創り出しているプログラムを少しづつ変更していくということである。






















コメント

ルー・タイス

2018-10-25 22:02:03 | 思想、哲学、宇宙論

私たちは本当の真実ではなく、自分が信じる”真実”に従って行動します。 


信じることを変えれば、結果がついてくる。 


何を達成するかは、ほとんどの場合、何を信じるかによって決まります。
 

あなたは自分の考えるものに向かい、考えている人物になる。

現在の思考が未来を決める。 



あなたが自己イメージを変えない限り,自動的に現在のイメージを維持しようとするのです。



夜眠るとき、明日はいい日になると思って眠りなさい。

そして、朝起きるときに、きょうはいい日になると思って起きなさい。



http://okmari.hatenadiary.jp/entry/2016/08/01/%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A7%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8B%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A1%E3%83%BC



言葉は、アファメーションは、現状の「自分自身はこういう人間だという信念体系、ブリーフシステム」を壊す事が出来ます。

そして、新しい自分のイメージとブリーフシステムを獲得するために自分の未来のなりたい姿、ビジョンのためのオリジナルアファメーションが必要と言うのです。



その自分の人生が変わるマイオリジナルアファメーションを作るコツをお伝えします。



1.個人的なもの

2.肯定的なもの

3.達成している、現在進行形のもの

4.他の人には言わない。秘密にする

5.リアルなもの

6.比較をするような言葉を使わない。

7.「動」を表す言葉。情動を表す言葉を入れる

8.見返してよりバージョンアップしていく



これを意識してマイオリジナルアファメーションを手帳に書いて、何時も見たりつぶやくことで

I(mage)想像力X V(ivid)臨場感 =R(eal)現実

自分の人生を変えていくことがデキるということなのです。







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