思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

『ベールの彼方の生活』(二)

2015-10-30 23:29:31 | Weblog
(4)「統一性と多様性」

一九一三年、十一月十日、月曜日

今この地上に立って見上げる私の目に、遥か上方まで、そして更にその向こうまでも、延々と天界が存在するのが見える。私はすでにそのうちの幾つかを通過し、今は第十界に属している。これらの界は地上の〝場所〟とはいささか趣を異にし、そこに住む霊の生命と霊力の顕現した〝状態〟である。貴殿はすでにこうした界層についてある程度の教示を受けている(第一巻・六章)ので、ここではそれについて述べることは控えたい。それよりも別の角度からその光と活動の世界へ貴殿の目を向けさせたいと思う。これよりそれに入る。

善なるものには二つの方法によって物事を成就する力が潜在している。善人は、地上の人間であれ霊界の者であれ、自分の内部の霊力によって、自分より下層界のものを引き上げることが出来る。現実にそうしているのであるが、同時に自分より上層界のものを引き下ろすことも可能である。祈りによっても出来るが、自分自身の霊力によっても出来るということである。

さて、これは神の摂理と波長が合うからこそ可能である。と申すのも、神の創造した環境に自らを合わせることが可能なだけ、それだけその環境を通して働くことができる。つまり環境を活用して物事を成就することが出来るということである。下層界を少し向上しただけの霊によってもそれは可能であり、その完成品がベールを通してインスピレーションの形で地上へ送り届けられた時、人間はその素晴らしさに感心する。

例を挙げよう。こちらには地球の存在自体を支えるための要素を担当する霊と、地上に繁茂する植物を受け持つ霊とがいる。ここでは後者の働きの説明となる例を挙げてみる。すなわち植物を担当する霊の働きである。

その霊団は強力な守護神の配下に置かれ、完全な秩序のもとに何段階にも亘って分担が存在する。その下には更に程度の低い存在が霊団の指揮のもとに、高い界で規定された法則に従って造化の仕事に携わっている。これがいわゆる妖精類(エレメンタル)で、その数も形態も無数である。

今のべた法則はその根源から遠ざかるにつれて複雑さを増すが、私が思うに、源流へ向けて遡(さかのぼ)れば遡るほど数が少なくそして単純となり、最後にその源に辿り着いた時は一つに統一されていることであろう。その道を僅かに遡ったに過ぎない私としては、これまでに見聞きしたものに基いて論ずるほかはないが、敢えて言わせて貰うならば、全ての法則と原理を生み出す根源の法則・原理は〝愛〟と呼ぶのが最も相応(ふさわ)しいものではないかと思う。何となれば、吾らの理解の及ぶかぎりにおいて、愛と統一とは全く同一ではないにしても、さして相違がないと思えるからである。少なくとも吾々がこれまでに発見したことは、私の属する界層を始めとして地上界へ至る全ての界層において数々の地域と各種の境涯が生じて行くそもそもの原因は、最も厳密な意味における〝愛〟が何らかの形で欠如して行くことにある。

が、この問題は今ここで論ずるには余りに困難が大きすぎる。と言うのは地上の環境に見る多様性の全てが、今のべた崩壊作用の所為(と私には思える)でありながら、尚かつ素晴らしくそして美しいのは何故かを説明するのは極めて困難である。それを愛の欠如という言い方をせず、統一性が一つ欠け二つ欠けして、次々と欠けて行くという言い方をすれば、統一性が多様性へと発展して行くとする吾々の哲学の一端を窺い知ることが出来るかもしれない。


五章 天界の科学

2015-10-29 19:27:26 | Weblog
◆ 五章【天界の科学】
(1)「エネルギーの転換」

一九一三年、十二月二日、火曜日

今夜はエネルギーの転換に関連した幾つかの問題を取りあげてみよう。ここでいうエネルギーとは上層界の意念の作用を人間の心へ反映させていくための媒体と理解していただきたい。吾々が意図することを意念の作用を利用して、いわゆるバイブレーションによって中間界を通過させて地上界へと送り届けるよう鍛錬しているのである。私がエネルギーと呼ぶのはこのバイブレーションの作用のことである。

さて、こうして地上の用語を使用する以上は、天界の科学を正確に、あるいは十分に表現するには不適当な手段を用いていることになることを理解していただかねばならない。それ故、当然、その用語の意味を限定する必要が生じる。私がバイブレーションという用語を用いる時は、単なる往復振動のことではなく、時には楕円(だえん)運動、時には螺旋(らせん)運動、さらにはこれらが絡み合い、それに他の要素が加わったものを意味するものと思われたい。

この観点からすれば、最近ようやく人間界の科学でも明らかにされ始めたバイブレーションの原子的構造は、太陽系の組織、更には遥か彼方の天体の組織と同一なのである。太陽をめぐる地球の動きも原子内の素粒子の動きもともにバイブレーションである。その規模は問わぬ。つまり運動の半径が極微であろうが極大であろうが、本質的には同じものであり、規模において異るのみである。

が、エネルギーの転換はいかなる組織にも運動の変化をもたらし、運動の性質が変れば当然その結果にも変化が生じる。かくて吾々は常に吾々より更に高級にして叡智に富む神霊によって定められた法則に沿いつつ、意念をバイブレーションの動きに集中的に作用させて質の異るバイブレーションに転換し、そこに変化を生じさせる。

これを吾々は大体において段階的にゆっくりと行う。計算どおりの質的転換、大きすぎもせず小さすぎもしない正確な変化をもたらすためである。

吾々が人間の行為ならびに自然界の営みを扱うのも実はこの方法によるのである。それを受け持つ集団は鉱物・植物・動物・人間・地球・太陽・惑星の各分野において段階的に幾層にも別れている。更にその上に星晨(せいしん)の世界全体を経綸する神庁が控えている。

混沌たる物質が次第に形を整え、天体となり、更にその表面に植物や動物の生命が誕生するに至るのも、全てこのエネルギーの転換による。が、これで判っていただけると思うが、いかなる生命も、いかなる発達も、すべて霊的存在の意志に沿った霊的エネルギーの作用の結果なのである。この事実を掌握(しょうあく)すれば、宇宙に無目的の作用は存在せず、作用には必ず意図がある―― 一定範囲の自由は許されつつも、規定された法則に従って働く各段階の知的にして強力な霊的存在の意図があることに理解がゆくであろう。

更に、物質自体が実は霊的バイブレーションを鈍重なものに転換された状態なのである。それが今、地上の科学者によって分析されつつあり、物質とはバイブレーションの状態にあり、いかなる分子も静止しているものは無く、絶え間なく振動しているとの結論に到達している。これは正解である。が、最終結論とは言えない。まだ物質を究極まで追跡しきってはいないからである。より正確に表現すれば、物質がバイブレーションの状態にあるのではなく、物質そのものが一種のバイブレーションであり、より精妙なバイブレーションの転換されたものである。その源は物質の現象界ではなく、その本性に相応しい霊界にある。

これで貴殿も、いよいよその肉体を捨てる時が到来したとき、何の不都合もなく肉体なき存在となれることが理解できるであろう。地上の肉体は各種のバイブレーションの固まりに過ぎず、それ以上のものではないのである。有難いことに今の貴殿にも肉体より一層実体のある、そして耐久性のある別のバイブレーションで出来た身体が具わっている。肉体より一段と精妙で、それを創造し維持している造化の根源により近い存在だからである。その身体は、死後、下層界を旅するのに使用され、霊的に向上するにつれて、更に恒久性のある崇高な性質を帯びた身体へと転換される。この過程は延々と限りなく繰り返され、無限の向上の道を栄光より更に高き栄光へと進化してゆくのである。

そのことは又、死後の下層界が地上の人間に見えないのと同じく、下層界の者には通常は上層界が見えないことも意味する。かくて吾々は一界また一界と栄光への道を歩むのである。

まさしくそうである。貴殿もいつの日かこちらへ来れば、このことをより一層明確に理解するであろう。と申すのも、今のべたバイブレーションの原理も貴殿は日常生活において常時使用しており、他の全ての人間も同じく使用しているにも拘わらず、その実相については皆目理解していないからである。吾らは持てる力を神の栄光と崇拝のために使用すべく、鋭意努力している。願わくば人間がその努力に一体となって協力してくれることが望ましい。一丸となれば、善用も悪用もできるその力が現在の人間の知識を遥かに超えたものであることを知るであろう。蠅(ハエ)や蟻(アリ)の知脳を凌(しの)ぐほどに。

吾々は、有難いことに、知識と崇高さにおける進歩が常に対等であるように調整することが出来る。完璧とは言えないが、ある範囲内――広範囲ではあるが確固とした範囲内において可能である。もしも可能でないとしたら地上は今日見るが如きものでは有り得ず、また今ほどの秩序ある活動は見られないであろう。

もっとも、これも人類に対する吾々の仕事の一側面にすぎない。そして人類の未来に何が待ちうけているかは私にも何とも言えない。霊的真理の世界への門をくぐり抜けたばかりだからである。が、大いなる叡智をもって油断なく見守る天使によっても、こののちも万事よきに計らわれるであろう。

天使の支配のあるかぎり、万事うまく行くことであろう。 †







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◆ 五章【天界の科学】
(2)「〝光は闇を照らす。されど闇はこれを悟らず〟」

一九一三年、十二月三日、水曜日

昨日取りあげた話題をもう少し勧めて、私の言わんとするところを一層明確にしておきたい。改めて言うが、エネルギーの転換についてこれまで述べたことは“用語”の定義であり“本質”の説明ではないことをまず知って欲しい。

貴殿の身のまわりにある神的生命の様子をつぶさに見れば、幾つか興味ぶかいものが観察されるであろう。

まず、人間にも視覚が具わっているが、これも外部に存在する光が地球へ向けて注がれなければ使用することは出来まい。が、その光もただのバイブレーションに過ぎず、しかも発生源から地上に至るまで決して同じ性質を保っているのではない。と言うのも、人間は太陽を目に見えるものとしてのみ観察し、各種のエネルギーの根源とみている。が、光が太陽を取りまく大気の外側へ出ると、そこに存在する異質の環境のために変質し、一たん人間が〝光〟と呼ぶものでなくなる。その変質したバイブレーションが暗黒界を通過し、更に別の大気層、たとえば地球の大気圏に突入すると、そこでまたエネルギーの転換が生じて、再び〝光〟に戻る。太陽から地球へ送られて来たのは同一物であって、それが広大な暗黒層を通過する際に変質し、惑星に衝突した時に再びもとの性質に戻るということである。

「光は闇を照らす。されど闇はこれを悟らず」(ヨハネ福1・5)この言葉を憶えているであろう。これは単なる比喩にはあらず、物質と霊のこの宇宙における神のはたらきの様子を述べているのである。しかも神は一つであり、神の王国も又一つなのである。

光が人間の目に事物を見せる作用をするには或る種の条件が必要であることが、これで明らかであろう。その条件とは光が通過する環境であり、同時にそれが反射する事物である。
これと同じことが霊的環境についても言える。吾ら霊的指導者が人間界に働きかけることが出来るのは、それなりの環境条件が整った時のみである。ある者には多くの真理を、それも難なく明かすことができるのに、環境条件の馴染まぬ者にはあまり多くを授けることが出来ないことがあるのはそのためである。かくて物的であろうと霊的であろうと、物事を明らかにするのは〝光〟であることになる。

この比喩を更に応用してお見せしよう。中間の暗黒層を通過して遥か遠方の地上へと届くように、高き神霊界に発した光明が中間の界層を経て地上へと送り届けられ、それを太陽光線を浴びるのと同じ要領で浴びているのである。

が、更に目を別の方角へ向けてほしい。地球から見ることのできる限りの、最も遠い恒星の更に向こうに、人間が観察する銀河より遥かに完成に近づいた美事な組織が存在する。そこにおいては光の強さは熱の強さに反比例している。と言うことは、永い年月に亘る進化の過程においては、熱が光を構成するバイブレーションに転換されていることを暗示している。月は地球より冷たく、しかもその容積に比例して計算すれば、地球より多くの光を反射している。天体が成長すればするほど冷たくなり、一方、光線の力は強くなってゆく。吾々の界層から見るかぎりそうであり、これまでこの結論に反する例証を一つとして観察したことはない。


神はバイブレーション

2015-10-29 10:57:51 | Weblog
神とは宇宙を満たす、生命力と意志を持った振動エネルギー、バイブレーションである。

あらゆるものはこのバイブレーションによって生み出された。

このバイブレーションは進化、調和、多様性という方向性と意志を持ち

自ら法則を生み出し、自ら法則に従って運動し、多様な階層世界を作り出す。

バイブレーションは一つの統一体であると同時に、無数に分割された存在であり

我々の魂もその一つである。

霊界ではバイブレーションを利用して人間は創造行為をおこなう。

魂が、宇宙を満たす神のバイブレーションと融合するとき、歓喜が訪れる。


霊界のフェスティバル   ベールの彼方の生活より

2015-10-28 22:04:40 | Weblog
今なお霊魂の存在と私たちの使命とメッセージに疑いをはさむ人のためにひとこと言わせて頂けば、私たちが美しい霊界の住居(すみか)を離れて地球を包む暗い霧の中へと降りて来る時は、決して鼻歌まじりの軽い気持ちで来るのではありません。私たちには使命があるのです。誰かがやらねばならない仕事を携えてやって来るのです。そして、そのことに喜びを感じているのです。

さて、あれから少し後――地上的な言い方をすれば――のことです。私たちは、とある広い場所へ案内されました。そこには大きな湖――湖盆と言った方がよいようなもの――があり、その中へ絶え間なく水が流れ込んでおり、まわりにはかなりの間隔を置いて塔のついた大きな会館(ホール)のようなものが立ち並んでおります。建築様式も違えばデザインも違い、素材も同じ種類ではありません。ホールのまわりには広々とした庭園や森があって、中には何マイルにも広がっているものもあり、そこには各種の動物や植物が群がっております。大部分は地上でも見かけるものですが、見かけないものもあります。ただし私の記憶では、現在は見かけなくても曽ては生息したものが少しはあると思います。以上が外観です。私がお話したいのは、そうしたコロニーの存在の目的です。

目的は実は音楽の創造と楽器の製造にほかなりません。ここに住む人たちは音楽の研究に携わっているのです。各種の音楽の組み合わせ、その効果、それとも単に“音”として捉えるのではなく、他の要素との関連をも研究します。幾つかの建物を見学してまわりましたが、そこに働く人全員が明るく楽しそうな表情で私たちを迎えて下さり、すみずみまで案内して下さいました。同時に私たちに理解できる範囲のことを説明して下さいましたが、正直言ってそれはそう多くはありませんでした。では私たちに理解できた範囲のことを説明してみましょう。

ある建物――見学してみると製造工場というよりは研究所と呼んだ方が良いと思いました――の中では地上で作曲の才能のある人間へ音楽的インスピレーションを送る最良の方法の研究に専念しており、またある建物では演奏の得意な人間に注目し、さらには声学の得意な人間、教会音楽の専門家、コンサートミュージック、あるいはオペラの作曲に携わる人間等々のために各各の建物が割り当てられているのです。

研究の成果は体系的に図表化されます。そこまでがここに働く人たちの仕事です。その成果をこんどは別のグループの人たちが目を通し、それをどうすれば最も効果的に地上へ送れるかを検討します。検討が終わるとさらに別のグループの人たちが実際にベールを通して地上へ送る作業に取りかかります。まず目標とすべき人間が選別されます。すなわちインスピレーションに最も感応しやすいタイプです。そうした選別をするのが得意なグループが別にいて、細かい検討が加えられます。すべてが整然としております。湖のまわりの研究所から地上の教室やコンサートホール、オペラハウス等へ向けて、天上の音楽を送り届けることに常時携わっている人たちの連繋組織があるのです。こういう具合にして地上に立派な音楽が生まれるのです……。もちろんそうです、地上の音楽のすべてがこちらから送られたものとはかぎりません。それはこちらの音楽関係者の責任ではなく、ベールのそちらの側の入口に問題があり、同時にこちら側の暗黒界の霊団による影響もあり、受け取った地上の作曲家の性格によって色付けされてしまうこともあります。

――「塔は何のためにあるのでしょうか」

これからそれを説明しようと思っていたところです。

湖は広大な地域に広がっており、そ沿岸(えんがん)から少し離れた一円にさっきの建物(ホール)が建っております。そして時おり、あらかじめ定められた時が来ると、それぞれの研究所(ホール)で働く人のうちの幾人か――時には全員――がそれぞれの塔に集まり、集結し終わるとコンサート、まさにコンサートの名に応しいコンサートが催しされます。演奏曲目は前もって打ち合わせが出来ております。一つの塔には一つのクラスの演奏者がおり、別の塔には別のクラスの演奏者がおり、次の塔に一定の音域の合唱団がおり、そのまた次の塔には別の音域の合唱団がおります。それが幾つもあるのです。地上では四つの音域しかありませんが、こちらでは音域がたくさんあるのです。さらに別の塔の人にも別の受け持ちがあるのですが、私には理解できませんでした。私の推測ではそれぞれの塔からの音量を適度に調和させる専門家もいるようでした。そのことよりも私は催しそのもの――コンサート、フェスティバル、何でもよろしい――の話に入りたいと思います。私たちは湖の真ん中あたりにある島へ案内されました。そこは美しい木木と芝生と花が生い繁り、テラスや東屋、石または木で出来た腰かけなどがしつらえてあります。そこでフェスティバルを聞いたのです。

まず最初にコードが鳴り響きました。長く途切れることなく、そして次第に大きくなって行き、ついにはその土地全体――陸も水も樹木の葉一枚一枚までも行き亘(わた)っていくように思えました。それは全ての塔にいる楽団および合唱団にキーを知らせるものでした。やがてそれが弱まって行き全体がシーンと静まりかえりました。すると今度は次第にオーケストラの演奏が聞こえてまいりました。多くの塔から出ているのですが、どの演奏がどの塔という区別がつきません。完全なハーモニーがあり、音調のバランスは完璧でした。

続いて合唱が始まりました。その天上の音楽を地上の言語で叙述するなど、とても無理な話なのですが、でもその何分の一かでも感じ取っていただけるかも知れないと思って述べているのです。簡単に言えば全ての存在をより“麗(うる)わしく”するものがありました。“美しい”というだけではないのです。“麗わしさ”があるのです。この二つの形容詞は意味合いが違うつもりで使用しております。私たちの顔に麗わしい色合いと表情が表われ、樹木は色彩が一段と深みを増し、大気は虹のような色彩をした霞(かすみ)に似たものに変化して行きました。それが何の邪魔にもならないのです。むしろ全てを一体化させるような感じすら致しました。

水面には虹の色が映り、私たちの衣服もその色彩を一段と強めておりました。さらには動物や小鳥までがその音楽に反応を示しているのです。一羽の白い鳥がとくに記憶に残っておりますが、その美しい乳白色の羽根が次第に輝きを増し、林の方へ飛んで行く直前に見た時は、まるで磨き上げた黄金のような色――透明な光あるいは炎のように輝いておりました。やがて霞がゆっくりと消えて行くと私たち全員、そして何もかもが再びいつもの状態に戻りました。と言っても余韻(よいん)は残っておりました。強いて言うならば“安らぎ”とでも言うべきものでした。

以上がこの“音楽の里”で得た体験です。私たちが聞いた音楽はそのあと専門家が出来具合を繰り返し討論し合い、ここを直し、そこを直しして、これを何かの時、たとえばこちらでの感謝祭(*)とか、地上での任務を終えて帰ってくる霊団を迎えるレセプションとか、その他の用途に使用されることになります。何しろこちらの世界では音楽がすべての生活面に浸透しております。いえ、すべてが音楽であるようにさえ思えるのです。音楽と色彩と美の世界です。すべてが神の愛の中で生きております。私たちはとてもその愛に応え切れません。なのに神の愛が私たちを高き世界へと誘(いざな)い、行き着くところで全てに愛がみなぎり、神の美を身につける如くにその愛を身につけなくてはいけないのです。そうせざるを得ないのです。なぜなら天界では、神が全てであり、何ものにも替えられないものだからです。愛とは喜びです。それをあなたが実感として理解するようになるのは、あなた自身が私たちと同じところへ来て私たちと同じものを聞き、私たちが神の愛を少し知る毎に見ることを得た神の美が上下、善後、左右、あたり一面に息づき輝いているのを目のあたりにした時のことでしかないでしょう。

力強く生きなさい。勇気をもって生きなさい。それだけの価値のある人生です。それは私たち自ら証言しているのですから。

ではお寝み。時おりあなたの睡眠中に今お話したような音楽のかすかな“こだま”をあなたの霊的環境の中に漂わせているのですよ。それは必ず翌日の生活と仕事によい影響を及ぼしております。




日本スピリチュアリズム史上最高の霊界通信 小桜姫物語

2015-10-26 15:58:57 | Weblog
http://www.paperbirch.com/sakura/


解説

――本書を繙ひもとかるる人達の為に――

淺野和三郎

 本篇ほんぺんを集成しゅうせいしたるものは私わたくしでありますが、私自身わたくしじしんをその著者ちょしゃというのは当あたらない。私わたくしはただ入神中にゅうしんちゅうのT女じょの口くちから発はっせらるる言葉ことばを側はたで筆録ひつろくし、そして後あとで整理せいりしたというに過すぎません。
 それなら本篇ほんぺんは寧むしろT女じょの創作そうさくかというに、これも亦また事実じじつに当あてはまっていない。入神中にゅうしんちゅうのT女じょの意識いしきは奥おくの方ほうに微かすかに残のこってはいるが、それは全然ぜんぜん受身うけみの状態じょうたいに置おかれ、そして彼女かのじょとは全然ぜんぜん別個べっこの存在そんざい――小櫻姫こざくらひめと名告なのる他たの人格じんかくが彼女かのじょの体躯たいくを司配しはいして、任意にんいに口くちを動うごかし、又また任意にんいに物ものを視みせるのであります。従したがってこの物語ものがたりの第だい一の責任者せきにんしゃはむしろ右みぎの小櫻姫こざくらひめかも知しれないのであります。
 つまるところ、本書ほんしょは小櫻姫こざくらひめが通信者つうしんしゃ、T女じょが受信者じゅしんしゃ、そして私わたくしが筆録者ひつろくしゃ、総計そうけい三人にんがかりで出来でき上あがった、一種しゅ特異とくいの作品さくひん、所謂いわゆる霊界れいかい通信つうしんなのであります。現在げんざい欧米おうべいの出版界しゅっぱんかいには、斯こう言いった作品さくひんが無数むすうに現あらわれて居おりますが、本邦ほんぽうでは、翻訳書ほんやくしょ以外いがいにはあまり類例るいれいがありません。
 T女じょに斯こうした能力のうりょくが初はじめて起おこったのは、実じつに大正たいしょう五年ねんの春はるの事ことで、数かぞえて見みればモー二十年ねんの昔むかしになります。最初さいしょ彼女かのじょに起おこった現象げんしょうは主しゅとして霊視れいしで、それは殆ほとんど申分もうしぶんなきまでに的確てきかく明瞭めいりょう、よく顕幽けんゆうを突破とっぱし、又また遠近えんきんを突破とっぱしました。越こえて昭和しょうわ四年ねんの春はるに至いたり、彼女かのじょは或ある一ひとつの動機どうきから霊視れいしの他ほかに更さらに霊言れいげん現象げんしょうを起おこすことになり、本人ほんにんとは異ちがった他たの人格じんかくがその口頭機関こうとうきかんを占領せんりょうして自由自在じゆうじざいに言語げんごを発はっするようになりました。『これで漸ようやくトーキーができ上あがった……』私達わたくしたちはそんな事ことを言いって歓よろこんだものであります。『小櫻姫こざくらひめの通信つうしん』はそれから以後いごの産物さんぶつであります。
 それにしても右みぎの所謂いわゆる『小櫻姫こざくらひめ』とは何人なんびとか? 本文ほんぶんをお読よみになれば判わかる通とほり、この女性じょせいこそは相州そうしゅう三浦みうら新井城主あらいじょうしゅの嫡男ちゃくなん荒次郎あらじろう義光よしみつの奥方おくがたとして相当そうとう世よに知しられている人ひとなのであります。その頃ころ三浦みうら一族ぞくは小田原おだわらの北條氏ほうじょうしと確執かくしつをつづけていましたが、武運ぶうん拙つたなく、籠城ろうじょう三年ねんの後のち、荒次郎あらじろうをはじめ一族ぞくの殆ほとんど全部ぜんぶが城しろを枕まくらに打死うちじにを遂とげたことはあまりにも名高なだかき史的事蹟してきじせきであります。その際さい小櫻姫こざくらひめがいかなる行動こうどうに出でたかは、歴史れきしや口碑こうひの上うえではあまり明あきららかでないが、彼女自身かのじょじしんの通信つうしんによれば、落城後らくじょうご間まもなく病やまいにかかり、油壺あぶらつぼの南岸なんがん、浜磯はまいその仮寓かぐうでさびしく帰幽きゆうしたらしいのであります。それかあらぬか、同地どうちの神明社内しんめいしゃないには現げんに小桜神社こざくらじんじゃ(通称つうしょう若宮様わかみやさま)という小社しょうしゃが遺のこって居おり、今尚いまなお里人りじんの尊崇そんすうの標的まとになって居おります。
 次つぎに当然とうぜん問題もんだいになるのは小櫻姫こざくらひめとT女じょとの関係かんけいでありますが、小櫻姫こざくらひめの告つぐる所ところによれば彼女かのじょはT女じょの守護霊しゅごれい、言いわばその霊的れいてき指導者しどうしゃで、両者りょうしゃの間柄あいだがらは切きっても切きれぬ、堅かたき因縁いんねんの羈絆きずなで縛しばられているというのであります。それに就つきては本邦ほんぽう並ならびに欧米おうべいの名なある霊媒れいばいによりて調査ちょうさをすすめた結果けっか、ドーも事実じじつとして之これを肯定こうていしなければならないようであります。
 尚なお面白おもしろいのは、T女じょの父ちちが、海軍将校かいぐんしょうこうであった為ために、はしなくも彼女かのじょの出生地しゅっしょうちがその守護霊しゅごれいと関係かんけい深ふかき三浦半島みうらはんとうの一角かく、横須賀よこすかであったことであります。更さらに彼女かのじょはその生涯しょうがいの最もっとも重要じゅうようなる時期じき、十七歳さいから三十三歳さいまでを三浦半島みうらはんとうで暮くらし、四百年ねん前ぜん彼女かのじょの守護霊しゅごれいが親したしめる山河さんがに自分じぶんも親したしんだのでありました。これは単たんなる偶然ぐうぜんか、それとも幽冥ゆうめいの世界せかいからのとりなしか、神かみならぬ身みには容易よういに判断はんだんし得うる限かぎりではありません。
 最後さいごに一言ごんして置おきたいのは筆録ひつろくの責任者せきにんしゃとしての私わたくしの態度たいどであります。小櫻姫こざくらひめの通信つうしんは昭和しょうわ四年ねん春はるから現在げんざいに至いたるまで足掛あしかけ八年ねんに跨またがりて現あらわれ、その分量ぶんりょうは相当そうとう沢山たくさんで、すでに数冊すうさつのノートを埋うずめて居おります。又またその内容ないようも古今ここんに亘わたり、顕幽けんゆうに跨またがり、又また或ある部分ぶぶんは一般的ぱんてき、又また或ある部分ぶぶんは個人的こじんてきと言いった具合ぐあいに、随分ずいぶんまちまちに入いり乱みだれて居おります。従したがってその全部ぜんぶを公開こうかいすることは到底とうてい不可能ふかのうで、私わたくしとしては、ただその中なかから、心霊的しんれいてきに観みて参考さんこうになりそうな個所かしょだけを、成なるべく秩序ちつじょを立たてて拾ひろい出だして見みたに過すぎません。で、材料ざいりょうの取捨しゅしゃ選択せんたくの責せめは当然とうぜん私わたくしが引受ひきうけなければなりませんが、しかし通信つうしんの内容ないようは全然ぜんぜん原文げんぶんのままで、私意しいを加くわへて歪曲わいきょくせしめたような個所かしょはただの一箇所かしょもありません。その点てんは特とくに御留意ごりゅういを願ねがいたいと存ぞんじます。

ベールの彼方の生活 より

2015-10-22 22:57:29 | Weblog
 ③意念の力              1913年10月2日  木曜日  

“イスラエルの民に申すがよい―ひたすらに前進せよ”と、(*)これが私達が今あなたに申し上げたいメッセージです。ひるんではいけません。

行く道はきっと明るく照らして下さいます。全能なる神と主イエスを固く信ずる者には何一つ恐れるものはありません。

(*モーゼが神のお告げに従ってイスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出する時、ひるみかける民を励ました言葉であるが、この頃オーエン氏は国教会の長老から弾圧を受けて内心動揺をきたしていた事が推察される)      

 私が今更このような事を書くのは、あなたの心にまだ何かしらの疑念が漂っているからです。わたしたちの存在を感じ取っておられる事は私達にも判っております。ですが前回に述べたような話が余りにおとぎ話じみて信じられないようですね。

では申しますが、実を言えばこうした天界の不思議さ美しさは、地上のいかなるおとぎ話も足元にも寄れない位、もっともっと不思議で美しいのです。

それに、おとぎ話の中に出て来る風景や建物は、此方で見られるものと似ていない事もないのです。

まだ本の僅かしか見物しておりませんが、その僅かな見聞から判断しても、地上の人間の想像力から生まれるもの等は、其の不自由な肉体をかなぐり捨ててこの展開に光の中に立った時に待ち受けている栄光などに較べれば、まったく物の数ではない事を確信しております。

 さて今夜お話したいのは、これまでとは少し趣が異なり、私達新米を教え楽しませる為に見せて下さった現象的な事ではなくして、此方の事物の本質にかかわる事です。

 今あたりを見下ろす高い山の頂上に立ったとしましょう。其処から見晴らす光景は何処か地上とは違うのです。例えば、まず空気の澄みきり具合いと距離感が地上と何処か違う事に気づきます。遠いといっても、地上での遠さと違うのです。

と言うのは、其の頂上から地平線の近く、あるいはさらにその向こうのある地点へ行きたいと思えば、わざわざ山を下りなくとも、そう念ずるだけで行けるのです。

速くいけるか遅いかは意念の性質と霊覚次第です。又今おかれている境涯の霊的性質より一段と精妙な大気―とでも呼ぶより仕方ないでしょう―に包まれた地域へ突入できるか否かも、その人の意念と霊格次第なのです。

 高級界からお出でになる天使のお姿が私達に必ずしも見えないのはその為です。見え方も人によって異なります。みんなが同じお姿を排するのは、私達の視覚にあったように容姿を整えられた時だけです。

もしその方の後をついて行く、つまりその方の本来の世界へ向かって行きますと、途中で疲労を覚え、ついて行けなくなってきます。霊力次第でもっと先まで行けるものもおりますが。

 更にその頂上に立ってみますと天空が不透明に見えるのですが、それは天空そのものの問題ではなくて、霊的な光の性質つまり下の景色からの距離が大きくなるにつれて強度を増して行く性質を持つ霊的な光の問題で有る事が判ります。

ですから、霊力次第で遠くまで見通して其処に存在する生命や景色が見える人もおれば、見えない人もいる訳です。


 又見わたせば一面に住居やビルが立ち並んでいるのが見えます。その内の幾つかは私が説明したとおりです。しかしビルと言っても単なる建物、単なる仕事場あるいは研究所と言うのではありません。

その一つ一つの構造からはその建物の性格は疎か、それを建設した人及びそこに住まう人の性格も読み取れない事でしょう。永遠に朽ちることなく存在している事は確かです。が、

地上の建物が何時までも陰気のたち残っているのとは違います。常に発展し、装飾を
改め、必要に応じて色彩、形、素材を変えて行きます。取り壊して再び立て直すという手間は要りません。建っている其のままで手直しします。

時の開花による影響は出てきません。崩たり朽ちたりいたしません。其の耐久性はひとえに建築主の意念に掛っており、意念を維持している限り建っており、意念次第で形が変えられます。
 

もう一つ気がつく事は、小鳥が遠くから飛んできて、完璧な正確さで目標物に留る事です、此方にも伝書鳩の様な訓練された鳥がおります。

でも地上とは躾け方が違います。第一こちらの鳥は撃ち落とされたりいじめられたりする事がありませんから、人間を怖がりません。そこで小鳥を一つの通信手段として使用する事があります。勿論不可欠の手段と言う分けではありません。

他にもっと迅速で盲率的な通信方法が有るものですから。ですが、必需品でなくても美しいからと言うだけで装飾品として身につける事があるのと同じで、小鳥を愛玩道具として通信に使用する訳です。

そんなのがしょっちゅう飛びまわっており、とても可愛くて愛すべき動物です。小鳥も仕事をちゃんと弁えていて、喜んでやっております。


 面白い話を聞きました。有る時そんな鳥の一羽が仲間を追い抜い抜こうとして、ついスピードを出し過ぎて地球の圏外に入り込んでしまいました。それを霊視能力のある人間が見つけて発砲しました。驚いた小鳥は―銃の音に驚いたのではありません。

撃とうとした時の意念を感じ取ったのです。―ここは自分の居るところではない事に気づき慌てて逃げ帰りました。感じ取ったのは殺そうと言う欲念でした。

それを不気味に思った小鳥はその体験を仲間に話して聞かせようとするのですが、うまく話せません。それはそうです。何しろそんな邪念はこちらの小鳥は知らないのですから。こちらでの小鳥の生活を地上の小鳥に放しても判ってもらえないのと同じで
す。

そこで仲間が言いました。―君が話せないような話なら、もう一度地球へ戻ってその男を見つけて、それをどう話して聞かせたらいいのか尋ねて来たらどうか。と。

 そう言われて小鳥はその通りにしました。すると其の人間―農夫でした―が“ピジンパイ”と言えば判ってもらえるだろうと答えました。

小鳥はその返事を携えて帰ってきましたが、さてその言葉をどう訳せば良いのか判らず、第一その意味も判らなかったので、自分の判断で次の様な意味の事を伝えました。すなわち、これから地球を訪れるものはそこが本当に自分にとって適切な界であるかどうかをよく確かめてからにしなさい。と。

 この話がお訓えんとしているのはこう言う事です。与えられた仕事は、自分の納得する範囲で努力すべき事、―熱心のあまりに自分の立場、あるいは領域を確かめずに仲間を出し抜いてはならない。

さもないと自分は“進んでいる”つもりでいて実はスタートした界より下の界層へ堕落し、そこの最高の者さえ自分本来の界の最低のものより進歩がくれており、仲間として連れ立って行く相手としては面白くないと言った結果になると言う事です。

 これなどは軽い小話(エピソート)程度に聞いて頂けば結構ですが、これで私達も時に笑いこげる事もある事、馬鹿げた冗談を言ったり、真面目なつもりで間の抜けた事をしたりすることがお分かり頂ける事でしょう。

  ではさようなら。常に愉しい心を失わないようにね。






霊界通信 新樹の通信 浅野和三郎 より

2015-10-20 11:41:59 | Weblog


(四) 幽界人の姿その他


 幽界の居住者と交通を行うに当りて、誰しも先まずききたがるのは彼等の生活状態、例えばその姿やら衣食住に関する事柄やらでありましょう。彼の父の質問も決してその選には漏れませんでした。

 手帳を繰り拡げて見ると、彼の父が初めて亡児に向い、かれが幽界で執っている姿につきて質問を発したのは七月二十六日、第九回目の招霊を行った時でした。

問『現在汝おまえは以前の通り、自身の躯からだがあるように感ずるか?』

 すると亡児は考え考え、次ぎのように答えました。――

答『自分というものがあるようには感じますが、しかし地上に居いた時のように、手だの、足だのが、あるようには感じません……。と言ってただ空くうなのではない、何物なにかがあるようには感じます。そして造ろうと思えばいつでも自分の姿を造れます……。』

 この答えは一と方ならず彼の父を考えさせました。在来欧米に現われたる幽界通信によれば、彼岸の居住者の全部は生前そっくりの姿、或はそれをやや理想化し、美化したような姿を固定的に有もっているように書いてあります。これは深く霊魂問題に思いをひそむる者の多年疑問とせる点で、これが果して事実の全部かしら? という疑いが常に胸の奥の奥で囁きつつあったのであります。が、多くの幽界通信の所説を無下むげに排斥することも亦また乱暴な仕業でありますので、止むなくしばらくこれに関して最後の結論を下すことを避けて居いた訳なのですが、今この亡児の通信に接し、彼の父は何やら一道の光明に接したような気がしたのでした。

『こりゃ面白い』と彼の父は独語しました。『幽界居住者の姿はたしかに造りつけのものではないらしい。それにはたしかに動と静、仮相と実相との両面があるらしい……。』

 殆ほとんどこれと前後して、彼の父はスコット女史の躯を通じて現われた『ステッドの通信』を読みましたが、その中にほぼ同様の意味の事が書いてあったので、ますますこの問題に興味を覚え、この日の質問をきっかけに幾度かこれに関して亡児と問答を重ねました。亡児も亦また面白味がついたと見え、自分の力量ちからの及ぶ限り、又自分で判らぬ時には母の守護霊その他の援助を借りて相当具体的の説明を試みました。八月三十一日の朝彼の父と亡児との間に行われた問答はその標本の一つであります。――

問『幽界人の姿に動と静と二た通りあるとして、それならその静的状態の時には全然姿はないのか? それとも何等かの形態を有もっているのか?』

答『そりゃ有もっていますよ。僕等の平常ふだんの姿は紫っぽい、軽そうな、フワフワした毬まり見たいなものです。余り厚みはありませんが、しかし薄っぺらでもない……。』

問『その紫っぽい色は、すべての幽体に通有の色なのか?』

答『皆紫っぽい色が附いて居ますよ。しかし浄化するにつれて、その色がだんだん薄色になるらしく、現にお母さんの守護霊さんの姿などを見てみると、殆ほとんど白いです。ちょっと紫っぽい痕跡があるといえばありますが、モー九分通り白いです……。』

問『その毬まり見たいな姿が、観念の動き方一つで生前そっくりの姿に早変りするというのだね。妙だナ……。』

答『まあちょっと譬えていうと速成の植物の種子たねのようなものでしょう。その種子からぱっと完全な姿が出来上るのです……。』

問『その幽体も、肉体同様やがて放棄される時が来るだろうか?』

答『守護霊さんにきいたら、上の界へ進む時はそれを棄てるのだそうです。――しかし、必要があれば、その後でも幽体を造ることは造作ぞうさもないそうで……。』

問『幽界以上の界の居住者の形態は判るまいか?』

答『判らんこともないでしょう、僕には沢山指導者だの顧問だのが附いて居いて、何でも教えて貰えますから……。お父さんは一段上の界を霊界と呼んで居おられるようですが、只今僕の守護霊さんに訊きいてみましたら、霊界の居住者の姿も大体幽界のそれと同一で、ただその色が白く光った湯気の凝体かたまり見たいだといいます。――こんな事をただ言葉で説明してもよくお判りになれないでしょうから、お母さんの霊眼に一つ幽体と霊体との実物をお目にかけましょうか?』

 彼の父が是非そうしてくれと註文すると、間もなく彼の母の閉じたる眼底に、極めてくっきりと双方が映じ出でたのでした。後で統一から覚めて物語るところによると、どちらもその形状は毬又は海月くらげのようで、ただ幽体には紫がかった薄色がついて居おり、そしてどちらも生気躍動と言った風ふうに、全体にこまかい、迅い、振動が充ち充ちていたといいます。

 この種の問答はまだ数多くありますが、徒いたずらに重複することをおそれ、ただ比較的まとまりの良い、第四十六回目(昭和四年十二月二十九日午後)の問答を以もってすべてを代表させることに致します。この日は昭和四年度の最終の招霊と思いましたので、多少の繰返しを厭わず、お浚さらい式のものにしたのでした。――

問『多少前にも尋ねたことのあるのが混るだろうが、念の為めにモー一度質問に応じて貰いたい。――汝おまえが伯父さんに招よばれて初めて死を自覚した時に自分の躯からだのことを考えて見たか?』

答『そうですね……。あの時、僕、真先きに自分の躯からだのことを思ったようです。するとその瞬間に躯からだが出来たように感じました。触さわって見ても矢張り生前そっくりの躯からだで、別にその感じが生前と異ちがいませんでした。要するに、自分だと思えばいつでも躯からだができます。若い時の姿になろうと思えば勝手にその姿にもなれます。しかし僕にはドーしても老人の姿にはなれません。自分が死んだ時分の姿までにしかなれないのです。』

問『その姿はいつまでも持続して居いるものかな?』

答『自分が持続させようと考えている間は持続します。要するに持続すると否とはこちらの意思次第のようです。又僕が絵を描かこうとしたり、又は水泳でもしようとしたりするとその瞬間に躯が出来上がります。つまり外部に向って働きかけるような時には躯が出来るもののように思われます。――現に今僕が斯こうしてお父さんと通信している時には、ちゃーんと姿ができています……。』

問『最初汝おまえは裸体姿の時もあったようだが……』

答『ありました。ごく最初気がついた時には裸体のように感じました。こりゃ裸体だな、と思っていると、その次ぎの瞬間にはモー白衣を着ていました。僕、白衣なんかイヤですから、その後は一度も着ません。くつろいだ時には普通の和服、訪問でもする時には洋服――これが僕の近頃の服装です。』

問『汝おまえの住んでいる家屋は?』

答『何んでも最初、衣服の次ぎに僕が考えたのは家屋のことでしたよ。元来僕は洋館の方が好きですから、こちらでも洋館であってくれれば良いと思いました。するとその瞬間に自分自身の置かれている室が洋風のものであることに気づきました。今でも家屋の事を思えば、いつでも同じ洋風の建物が現われます。僕は建築にあまり趣味を有もちませんから、もちろん立派な洋館ではありません。丁度僕の趣味生活に適当した、バラック建ての、極めてざっとしたもので。』

問『どんな内容か、モ些すこし詳しく説明してくれないか?』

答『東京辺の郊外などによく見受けるような平屋建で、室は三間まばかりに仕切ってあります。書斎を一番大きく取り、僕いつも其所そこに居おります。他の室は有っても無くても構わない。ホンの附録物つけたりです。』

問『家具類は?』

答『ストーヴも、ベットも、又台所道具のようなものも一つもありません。人間の住宅と異ちがって至極あっさりしたものです。僕の書斎には、自分の使用する卓子と椅子とが一脚づつ置かれて居いる丈です。書棚ですか……そんなものはありませんよ。こんな書物を読みたいと思えば、その書物はいつでもちゃーんと備わります、絵の道具なども平生から準備して置くというような事は全然ありません。』

問『汝おまえの描かいた絵などは?』

答『僕がこちらへ来て描いた絵の中で、傑作と思った一枚丈が保存され、現に僕の室に懸けてあります。装飾品はただそれきりです。花なども、花が欲ほしいと思うと、花瓶まで添えて、いつの間まにやら備わります。』

問『現在斯こうして通信して居いる時に、汝おまえはどんな衣服を着て居いるのか?』

答『黒っぽい和服を着て居ます。袴は穿はいていません。先まず気楽に椅子に腰をかけて、お父さんと談話はなしを交えている気持ですね……。』

問『庭園なども附いているのかい?』

答『附いていますよ。庭は割合に広々と取り、一面の芝生にしてあります。これでも自分の所有ものだと思いますから、邸やしきの境界を生籬いけがきにしてあります。大体僕華美はでなことが嫌いですから、家屋の外周そとまわりなども鼠がかった、じみな色で塗ってあります。』

問『イヤ今日は話が大へん要領を得て居いるので、汝おまえの生活状態が髣髴ほうふつとして判ったように思う。――しかし、私との通信を中止すると汝おまえは一体ドーなるのか?』

答『通信が済んで了しまえば、僕の姿も、家も、庭も、何も彼かも一時に消えて了しまって、いつものフワフワした凝塊かたまり一つになります。その時は自分が今何所どこに居いるというような観念も失うせます。』

問『自我意識はドーなるか?』

答『意識がはっきりした時もあれば、又眠ったような時もあり、大体生前と同一です。しかし、これは恐らく現在の僕の修行が足りないからで、追い追い覚めて活動して居いる時ばかりになるでしょう。現に近頃の僕は、最初とは異ちがって、そう眠ったような時はありません。その事は自分にもよく判ります。』

問『汝おまえの住宅すまいにはまだ一人も来訪者はないのか?』

答『一人もありませんね……。幽界へ来ている僕の知人の中にはまだ自覚している者が居ないのかも知れませんね……。』

問『そんな事では寂さびしくて仕しょうがあるまい。その中うち一つ汝おまえのお母ァさんの守護霊にでも依んで、訪問して貰おうかナ……。』

答『お父さん、そんな事ができますか……。』

問『そりゃきっとできる……できなければならない筈だ。汝おまえ等の世界は大体に於おいて想念の世界だ。ポカンとして居おれば何もできまいが、誠心誠意で思念すればきっと何んでもできるに相違ない……。』

答『そうでしょうかね。兎に角お父さん、これは宿題にして置いてください。僕行やって見たい気がします……。』

 この日も彼の母の霊眼には彼の幽界に於ける住宅がまざまざと映じましたが、それは彼の言って居いるとおり、頗すこぶるあっさりした、郊外の文化住宅らしいものだったとの事でした。その見取図もできてはいますが、格別吹聴ふいちょうするほどのものでもないから爰ここには省きます。



(五) 彼岸の修行


 新樹は一たい幽界に於おいて何どんな修行をして居いるか? という事は最初から彼の父が訊きこうとつとめた点でした。

 昭和四年七月二十五日第十回目の招霊の際の記録を繙ひもといて見ると彼の父は彼の幽界に於ける指導者について質問して居ました。

問『汝おまえにはやはり生前の守護霊が附いて居いて、その方かたに指導して貰っているのか?』

答『守護霊の事をいうと僕何んだか悲しくなるからその話は止めてください……。現在僕を指導してくださるのは、何いずれもこちらへ来てから附けられたもので、皆んなで五人居おります。その中で一番僕がお世話になるのは一人のお爺さんです……。』

問『その五人の指導者達の姓名は?。』

答『めいめい受持があって、想えばすぐ答えてくださるから名前などは要いらないです……。』

問『その五人の受持は?』

答『六ヶむつかしいなあドーも……。まだ僕には答えられない。とに角僕が何かの問題をききたいと思うと、五人の中の誰かが出て来て教えてくださる。』

問『幽界で汝おまえの案内をしてくれる人もあるのか?』

答『ありますよ。案内してくださるのはお爺さんの次位つぎの人らしい……。』

問『現界と通信する時は誰が世話してくれるのか?』

答『いつもお爺さんです。』

問『勉強して居いる科目の内容はどんなものか?』

答『僕慣れていないので、細かい話はまだできない。よく先きの事……神界の事などを教えられます。』

 同年八月三日第十五回目の招霊の際には書物の事が話題になって居ました。

問『汝おまえが書物を読んでいる姿が昨日母の霊眼に映じたが、実際そんな事があったのか?』

答『読んで居ました。あれは霊界の事を書いてある書物です。僕が書物を読もうと思うと、いつの間にか書物が現われて来るので……。』

問『その書物の用語は?』

答『あの時のは英語で書いてありました。ちょっと六ヶむつかしい事も書いてあるが、しかし生前英語の書物を読んだ時の気分と現在の気分とを比較して見ると、現在の方がよほど判りよい。じっと見つめて居いると自然に判って来ます。』

問『書物は何冊も読んだか?』

答『ソー何冊も読みはしません。事によると幽界の書物は一冊しかないのかも知れません。こちらで査しらべようと思うことが、何でも皆それに書いてあるらしく思われますよ。つまり幽界の書物というのは、思想そのものの具象化で、読む人の力量次第で、深くもなれば又浅くもなり、又求むる人の註文次第で、甲の問題も乙の問題もその一冊で解決されると言った形です。僕にはどうもそうらしく感じます。』

問『その書物の著者は誰か? 又それに標題がついていたか?』

答『著者も標題もありませんよ……。』

問『汝おまえが読んだものをこちらへ放送してくれないか?』

答『お父さん、現在の僕にはまだとてもそんな事はできませんよ。こんな通信の仕方では僕の思っていること、感じていることの十分の一も伝えられはしませんもの……。』

問『今汝おまえは書物がいつの間にか現われると言ったが、一たい何人だれがそんな事をしてくれるのだろう? ただで書物が現われる筈はないと思うが……。』

答『それはそうでしょう。自分一人で行やっているつもりでも、案外蔭から神さん達がお世話をしてくだすって居おられますからね。書物なども矢張り指導者のお爺さんが寄越よこしてくれたのでしょう。……きっとそうです。』

 亡児は又修行の一端として、ときどき幽界の諸方面の見学などもやっているようですが、その内容を爰ここに併記するのは混雑を来す虞おそれがあるので差控えます。

 とに角、幽界の修行と言ってもその向う方面はなかなか複雑なものであるらしく、とても簡単に片づけることはできませんが、しかし幽界の修行の中心は、詮じつめれば之これを精神統一の一語に帰し得るようです。

 精神統一……これは現世生活に於おいても何より大切な修行で、その人の真価は大体これで決せらるるようであります。五感の刺戟のまにまに、気分の向うまにまに、あちらの花にあこがれ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとした、落ついたところが無かった日には、五七十年の短かい一生はただ一場の夢と消え失せて了しまいます。人間界の気のきいた仕事で何か精神統一の結果でないものがありましょう。

 が、物質的現世では統一三昧ざんまいに耽らずとも、ドーやらその日その日を暮らせます。ところが、一たん肉体を棄てて幽界の住民となりますと、すべての基礎を精神統一の上に置かなければ到底収まりがつかぬようです。

 新たに帰幽したものが、通例何より苦しめられるのは、現世の執着であり、煩悩であり、それが心の闇となりて一寸先きも判らないようであります。地上の闇ならば、之これを照すべき電燈も、又瓦斯ガス燈もありますが、帰幽者の心の闇を照らすべき燈火ともしびは一つもありません。心それ自身が明るくなるより外に幽界生活を楽しく明るくすべき何物もないのであります。

 そこで精神統一の修行が何より大切になるのであります。一切の雑念妄想を払いのけ、じっと内面の世界にくぐり入り、表面にこびりついた汚れと垢とから離脱すべく一心不乱に努力する。それを繰りかえし繰りかえしやっている中うちに、だんだん四辺あたりが明るくなり、だんだん幽界生活がしのぎ易いものになる。これより外に絶対に幽界で生きる途はないようです。

 昭和五年二月の十六日、亡児はそれに関して次ぎのように述べて居ます。――

『僕が最初こちらで自覚した時に、指導役のお爺さんから真先きに教えられたのは、精神統一の必要なることでした。それをやらなければ、いつまで経たっても決して上へは進めないぞ!……。そう言われましたので、僕は引続いてそれに力をつくして居ます。その気持ですか……僕、生きている時一向統一の稽古などをしなかったので、詳しい比較を申上げることはできませんが、一と口にいうと何も思わない状態です。いくらか睡っているのと似ていますが、ずっと奥の奥の方で自覚して居いるようなのが少々睡眠とは異ちがいますネ。僕なんかは現在こちらでそうして居いる時の方が遥かに多いです。最初はそうして居いる際にお父さんから呼ばれると、丁度寝ぼけている時に呼ばれたように、びっくりしたものですが、近頃ではモーそんな事はありません。お父さんが僕の事を想ってくだされば、それはすぐにこちらに感じます。それ丈、幾らか進歩したのでしょうかしら……。この間お母さんの守護霊さんに逢った時、あなたも矢張り最初は現世の事が思い切れないでお困りでしたか、と訊きいて見ました。すると守護霊さんも矢張りそうだったそうで、そんな場合には、これは可いけないと自分で自分を叱りつけ、精神を統一して、神さまにお願いするのだと教えてくれました。守護霊さんは閑静な山で精神統一の修行を積まれたそうですが、僕は矢張り自分の室が一番良いです。だんだん稽古したお蔭で近頃僕は執着を払いのけることが少しは上手になりました。若もしひょっと雑念が萌きざせば、その瞬間、一生懸命になって先まず神さんにお願いします。すると忽たちまちぱらっとした良い気分になります。又こちらでは精神統一を、ただ執着や煩悩を払うことにのみ使うのではありません。僕達は常に統一の状態で仕事にかかるのです。通信、調査、読書、訪問……何一つとして統一の産物でないものはありません。統一がよくできるできないで、僕達の幽界に於ける相場がきまります……。』

 以上はやっとの思いで幽界生活に慣れかけた一青年の告白として、幼稚な点が多いのは致方がありませんが、幾分参考に資すべき個所がないでもないように感じられます。



(六)母の守護霊を迎う


 新樹が少しく、幽界生活に慣れるのを待ち構えて、彼の父は、そろそろ彼に向い、訪問、会見、散歩、旅行等の註文を発しました。これは一つにはその通信の内容を豊富ならしめたい為めでもありましたが、又これによりて成るべく亡児の幽界に於ける活動力を大きくし、同時に、若くして父母兄妹と死別せる亡児の、深い深い心の疵きずを、成るべく早く癒してやりたい親心からでもありました。斯こうした方針は今後も恐らくかはることがないでしょう。爰ここには亡児が彼の住宅に母の守護霊を迎えた時の模様を紹介したいと思います。

 彼の父が初めて来訪者の有無につきて亡児に質問したのは、昭和四年十二月二十九日のことでした。その時亡児が母の守護霊の来訪を希望する模様でしたので、早速その旨を守護霊に通じました。

問『子供が大へん寂びしそうですから、あなたに一つお客様になって戴きたいのですが……。』

答『そうで厶ございますか。それは大へん面白いと思います。良い思いつきです……。』

問『ではあなたからちょっとその旨を子供の方に伝えて戴きましょうか。』

答『承知致しました。(少時の後)あの子にそう申しましたら大へんに歓びまして、それではお待ち致しますから、との返答へんじで厶ございました。』

 その日はそれっきりで分れましたが、昭和五年一月元旦、彼の父は右の約束どおり、亡児を呼んで、早速母の守護霊の来訪を求めさせました。地上生活とは異なり、こんな場合には、極めて簡単で、亡児がそう思念すれば、それが直ちに先方に通じ、そして先方からは瞬く間に来訪すると言った仕掛であります。

 それでも亡児は最初ちょっとモジモジしながら、――

『招よぶことは招よびますが、時代が僕と大へんに違うから話がうまく通じるかしら……。』

などと独語して居ました。彼の父は多大の興味を以もってその成行きを待ちました。

 それから凡そ十分間ほど沈黙がつづきましたが、その間に彼の母の霊眼には亡児の幽界に於ける例の住宅が現われ、そこには亡児が和服姿で椅子に腰かけて居いる。と、彼の母の守護霊が足利末期の服装で扉ドアを開けて入って来る――そんな光景が手に取る如く現われたのでした。委細は左記亡児の説明に譲ります。――

 僕お母さんの守護霊さんに待って居いて戴いて、こちらの会見の模様をお父とうさんに御報告致します。(亡児は生前そっくりの語調で、近頃になく快活な面持で語り出でました)守護霊さんは、僕の見たところでは、やっと三十位にしか見えません。大へんどうも若いですよ。頭髪は紐で結ゆわえて後ろにたれてあります。着物はちょっと元禄らしい、丸味のある袖がついていますが、もっと昔風です。帯なども大へん巾が狭い、やっと五六寸位のものですが、そいつを背後うしろで結んでダラリと左右に垂らしてある。丁度時代物の芝居などで見る恰好です。着物の柄は割合に華美はでです。守護霊さんの容貌ですか……。報告係りの資格で、僕構わずブチまけます。細面ほそおもてで、ちょっと綺麗な方です。額には黒い星が二つ描かいてあるが、何といいますかね、あれは……そうそう黛まゆずみ、その黛まゆずみと称するものがくっきりと額に描いてあるのだから、僕達とはよほど時代がかけ離れている訳です。履物はきものですか……履物はきものは草履です。こいつぁ僕の眼にも大して変ったところはありません。

『これが僕の室へやですから、どうぞお入はいりください。』

 僕がそういいますと、守護霊さんは、大へんしとやかな方で、室へやの勝手が異ちがっているので、ちょっと困ったと云った御様子でしたが、兎も角も内部なかへ入って来られました。僕は委細構わず、自分の椅子を守護霊さんにすすめました。僕も一脚欲ほしいなあと思うと、いつの間にやらもう一脚の椅子が現われました。こんなところはこちらの世界のすばらしく調法な点です。

 僕は守護霊さんと向き合って坐りましたが、さて何を話してよいやら、何にしろ先方むこうは昔の人で、僕キマリが悪くなって了しまったのです。でも仕方がないから僕の方から切り出しました。

『時々霊視法その他いろいろの事を教えていただいて、誠に有難ありがとう存じました……。』

 守護霊さんは案外さばけた方で、これをきっかけに僕達の間に大へん親しい対話が交換されました。尤もっとも対話と言っても、幽界では心に思うことがすぐにお互に通ずるのですから、その速力は莫迦ばかに迅いのです。対話の内容は大体次ぎのようなものです。――

守護霊『いつもあなたの事は、別に名前を呼ばなくても、心に思えばすぐに逢えるので、一度もまだ名前を呼んだことがなかったのですが、今日は、はっきりきかせてください。何というお名前です?』

僕『僕は新樹しんじゅというものです。』

守『そうですか、シンジュというのですか。大変にあっさりとした良い名前です……。私とあなたとは随分時代が異ちがいますから、私の申すことがよくあなたに判るかどうか知れませんが、まあ一度私の話をきいて見てください……。あなたはそんな立派な男子おとこになったばかりで若くて亡なくなって了しまわれて大へんにお気の毒です。あなたのお母さまも、常住しょっちゅうあなたの事を想い出して歎いてばかり居おられます……。しかし、これも定まった命数で何とも致方がありません。近頃はあなたのお母さんも、又あなたも、大分あきらめがついたようで何より結構だと思っています……。』

僕『有難ありがとう厶ございます。今後は一層気をつけて愚痴っぽくならないようにしましょう。ついては一つ守護霊さんの経歴をきかせて戴きます。』

守『私の経歴なんか、古ふるくもあり、又別に変った話もないからそんな話は止めましょう。それよりか、あなたの現在の境涯をきかせてください……。』

 守護霊さんは、御自分の身上話をするのが厭だと見えまして、僕がいくら訊きこうとしてもドーしても物語ってくれません。仕方がないから、僕は自分が死んでからの大体の状況を物語ってやりました。そうすると守護霊さんは大へん僕に同情してくれて、幽界に於ける心得と言ったようなものをきかせてくれました。――

守『私の歿なくなった時にもいろいろ現世の事を想い出して、とても耐たまらなく感じたものです。でも、死んでしまったのだから仕方がないと思って、一生懸命に神さんにお願いすれば、それで気が晴れ晴れとなったものです。そんな事を幾度も幾度も繰りかえし、段々歳月つきひが経つ内に現在のような落ついた境涯に辿りつきました。あなたも矢張りそうでしょう。矢張り私のように神さんにお願いして、早く現世の執着を離れて向上しなければ可いけません……。』

 僕は守護霊さんの忠告を大へん有難ありがたいと思ってききました。それから守護霊さんは僕がドーして死んだのか、根掘り葉掘り、しつこく訊ねられました。――

守『そんな若い身で、どうしてこちらへ引取られたのです。くわしく物語ってください……。』

僕『僕、ちょっとした病気だったのですが、いつの間にか意識を失って死んだことを知らずに居いたのです。その中うち伯父さんだの、お父さんだのからきかされて、初めて死を自覚したので……。』

 僕厭いやだったからわざと詳しい話はせずに置きました。それでも守護霊さんはなかなか質問を止めません。――

守『それでは、あなたは死ぬつもりはなかったのですね?』

僕『僕ちっとも死ぬつもりなんかありません。こんな病気なんか、何んでもないと思って居いたんです。それが斯こんな事になってしまったのです……。』

守『お薬などはあがらなかったのですか?』

僕『薬ですか、ちっとは薬も飲みました……。しかし僕そんな話はしたくありません。僕の執着がきれいに除とれるまで病気の話なんかおききにならないでください……。』

 この対話の間にも守護霊さんは気の毒がって、さんざん僕の為めに泣いてくれました。矢張りやさしい、良いお方です。お母さんの守護霊さんですから、僕の為めに矢張りしんみになってお世話をしてくださいます。『何んでも判らないことがあったらこちらに相談してください。私の力の及ぶ限りはドーにもしてお力添を致してあげます……。』親切にそう言ってくださいました。

 二人の間には他にもいろいろの雑話が交かわされました。――

守『家屋の造りが大変異ちがいますね……。』

僕『時代が異ちがうから家屋の造りだって異ちがいます。』

守『たったお一人でさびしくはありませんか?』

僕『別段さびしくもありません。僕はいろいろの趣味を有もっていますから……。現に爰ここに懸かけてあるのは僕の描かいた絵です。』

守『まあこの絵をあなたがお描かきなすったのですって? こちらへ来てから描かいたのですか?』

僕『そうです。これが一番よく描かけたので大切に保存してあるのです……。』

 僕が自慢すると守護霊さんはじっと僕の絵を見つめて居ましたよ……。

 大体右に記したところが、亡児によりて通信された会見の顛末でした。彼の父が直接会見の実況を目撃して書いたのでなく、当事者の一人たる亡児からの通信を間接に伝えるのですから、いささか物足りないところがありますが、しかしこれは斯こうした仕事の性質上致方がありません。で、幾分でもこの不備を補うべく、左に彼の母の守護霊との間に行われた問答を掲ぐることに致します。これは亡児が退いてからすぐその後で行われたものです。――

問『只今子供から通信を受けましたが、あなたが新樹を訪問されたのは今回が最初ですか?』

答『そうで厶ございます。私わたくしはこれまでまだ一度も子供を訪ねたことがございません。』

問『一体あなた方も、ちょいちょい他所よそへお出掛けになられる場合がおありですか?』

答『そりゃございます。修行する場合などには他所よそへ出掛けも致します。尤もっとも大抵の仕事はじっと坐ったままで用が弁じます……。』

問『今日の御訪問の御感想は?』

答『ちょっと勝手が違うので奇妙に感じました。第一家屋の構造つくりが私達の考えているのとは大へんに相違して居ましたので……。』

問『あなたは先刻しきりに子供の名前を訊きかれたそうで……。』

答『私、今までは、あの児の名前を呼びませんでした。私達には、心でただあの児と思えばすぐ通じますので名前の必要はないのです。しかし今日は念の為めにはっきりきかせて貰いました。シンジュと申すのですね。昔の人の名前とは異ちがってあくどくなくて大へん結構だと思いました。……。』

問『あなたは、あの児を矢張り、御自分の児のように感じますか?』

答『さあ……。直接じかに逢わないといくらか感じが薄うございます。けれども今日初めて訪たずねて行って、逢って見ると、大へんにドーも立派な子供で……私も心から悲しくなりました。ドーしてまあ斯かういう子供を神さまがこちらの世界にお引き寄せなさいましたかと、口にこそ出さなかったものの、随分ひどいことだと思いまして、その時には神さまをお怨みいたしました。――私から観ると子供はまだ執着がすっかり除とりきれては居ないようで厶ございます。あの子供は元来陽気らしい資質たちですから、口には少しも愚痴を申しはしませんが、しかし心の中では矢張り時には家うちのことを想い出しているようで厶ございます。で、私は子供に、自

分の経験したことを物語り、自分も悲しかったからあなたも矢張りそうであろう。しかしこればかりは致し方がないから早くあきらめる工夫をしなければ可いけないと申しますと、子供も大へん歓びまして、涙をこぼしました。涙の出るのも当分無理はないと思います。自分にちっとも死ぬ気はなかったのですから……。私は別れる時に、若もし判らないで困ることがあったら、遠慮せず私に相談をかけるがよい。私の力に及ぶかぎりは教えてあげるからと言って置きました……。』

問『この次ぎは一つあなたの住居すまいへ子供を招よんでいただけませんか?』

答『お易いことで厶ございます。尤もっとも住居と申しましても、私の居いる所は狭いお宮の内部なかで、他所よその方をお招よびするのにはあまり面白くありません。どこかあの児の好きそうな所を見つけましょう。心にそう思えば私達には何んな場所でも造れますから……。』



( 

新樹の通信 「霊界通信集」浅野和三郎

2015-10-17 14:45:59 | Weblog


新樹の生涯


 新樹は日露戦役の起った明治三十七年六月十日、われ等夫婦の間の二男として横須賀軍港で生れました。彼は稀に見る白哲いろじろ肥大の小児で、引きつづいてずっと健全、やや長ずるに及びなかなかの腕白小僧となりました。彼が五六歳の頃新調のナイフの切味を試すつもりで、新らしい箪笥たんすの角を削り取った事は家庭の笑話として後々まで語り伝えられました。

 小学教育は横須賀市の豊島小学校で受けましたが、何時も首席で、どの学科も殆ほとんど万遍なく出来ましたが、特に目立っていたのは絵画で、ちょっと器用な画才を見せました。

 その頃彼の父は血気盛りで土曜から日曜にかけてはよく遠足を試み、又夏は欠さず水泳を試みましたが、新樹はよくその相伴をつとめました。三浦三崎、逗子、葉山、鎌倉、金沢等の諸地方で彼等の足跡の印せぬ所は殆ほとんどないと言ってよい位、又海では父の腰に紐でくくしつけた浮子につかまってしばしば猿島附近まで遠泳ぎをしました。

 新樹の中学教育は全部福知山中学で受けましたが、爰ここでも成績は優等で、ずっと特待生をつづけました。在学中家庭から通学したのはホンの最初数ヶ月間だけで、その他は最後まで寄宿舎に居いつづけました。かくて卒業と共に長崎の高商に入学し、良い成績で同校三年の課程を終りました。時に数え年正に二十二。――

 この間に彼の身材はだんだん延びて、五尺を越すこと五寸、六寸、七寸となりました。同時にその趣味や傾向も次第に定形を為して来ました。彼の父母にとりて寧むしろ意外だったのはその幼時の腕白性がだんだん薄らぎ、寧むしろ社交的要素と言ったようなものが多量に加わって来たことで、その道楽の如きも音楽、絵画等が第一位に数えられました。ハモニカではたしか長崎高商音楽団の選手だった筈です。と言って、彼の性情はどこまでも円満に出来て居いて、活発な運動競技、例えばボート、ベースボール、スケート、テニス、山登り等にも相当手を出したらしいのです。

 大正十四年学校を巣立ちした彼は直ちに古河電気工業株式会社に入り、東京の本社に勤務することになりました。丁度その頃彼の家族も鶴見に移り住むことになったので、間もなく彼は鶴見に来り住み、大連支店に転勤を命ぜらるるまで、久しぶりで約一年間父母弟妹と家庭団欒の楽みを味わいました。若くて死んだ彼に取りてこれがせめてもの、現世生活の楽しい思い出の種子だったのでありましょう。

 彼は昭和二年二月の末に大連に赴任し、爾来じらい支店長や同僚の気受も至極良好で、熱心に社務に精励していました。翌くる三年の七月彼の父は渡欧の途次大連に立寄り、同十四日から十八日まで足掛五日間、専ら彼を案内者として、見物に、訪問に、又座談講演に多忙な時日を送りましたが、特に十七日の旅順見物、二〇三高地の登臨とうりん、夜に入りて老虎灘の千勝館に戻って来ての水入らずの会食の状況などは、今も彼の父の心の奥にはっきりと刻まれて居おります。

 当時の新樹には露だに不健康な模様は見えませんでした。ただ十四日バイカル丸から下船して一年半ぶりで埠頭でわが児に逢った時の第一印象は、彼がいつの間にかずっと大人びて来たということでした。それから彼の父は無事に欧米の心霊行脚を終り、同年の暮に鶴見に戻って来て、正月をすませ、いささか寛ぎかけた二月の二十七日に突如新樹が黄疸にかかり、満鉄病院に入ったという飛電に接しました。両三回電報の交換を行っている中に、その翌二月二十八日の夕刻には早くも彼の死を伝える電報を受取りました。その際は策を施すどころか、殆ほとんど考える隙さえもありませんでした。

 新樹の遺した日記帳を繙ひもといて見ても、彼が病気に対し、又死に対して、全然不用意であった模様が良く窺われます。二月十二日の部に『昨日から風邪気味で今朝は十一時出社す、夜は読書』とあるのが、彼の健康異状を物語る唯一の手がかりです。尤もっとも日記が二月十三日で終り、それから全然空白となっている所を見ると、その頃は筆を執るのも相当大儀だったのでしょう。その癖同十七日、即ちその死に先立つことたった十一日というのに彼は同僚両三人と星ヶ浦に遊び、その際同所で撮った写真には、例の如く両手をズボンのポケットに突込んで、大口開いてカラカラと笑いこけて居ます。きけば二十六日の朝まで殆ほとんど何の異状をも認めなかった病状が、その日の昼頃俄にわかに亢進して脳を冒し、それっきり充分に意識を回復しなかったのだといいます。満鉄病院に於おいてもむろん昏睡状態をつづけ、そのまま死の彼岸へ旅立ったということで、正気で死に直面するの苦痛を免れたことは、本人にとりて幾分幸福であったかも知れません。兎に角あまりに碌はかない碌はかない死方ではありました。

 父の手によりて持ちかえられた彼の遺骨は鶴見総持寺の境内に埋められ、一片の墓標が其その所在を示して居おります。が、そんなものは殆ほとんど無意義に近い物質的紀念きねん物に過ぎません。彼の現世に遺すべき真正の紀念きねん物が、彼岸の彼が心をこめて送りつつある、その続物の通信であることは申すまでもありません。



       昭和六年八月二十日        編者誌





(一) 通信の開始


 新樹が満鉄病院で歿なくなったのは昭和四年二月二十八日午後六時過ぎでした。彼の父はその訃報に接すると共に直ちに旅装を整え、翌あくる三月一日の朝特急で大連に向い、同四日大連着、五日告別式火葬、六日骨上げと、かかる場合に通筋書を半ば夢見る心地で急がわしく辿りつつありました。かくて同十二日の夕暮には彼の遺骨を携えてさびしく鶴見の自宅に帰着しました。

 彼の父に取りて甚はなはだ意外だったのは新樹の霊魂が早くもその一日前(三月十一日)に中西霊媒を通じて、不充分ながらもすでに通信を開いて居いたことでした。

 最初霊媒にかかって来た新樹は、自分の死の自覚を有もって居なかったそうで、あたかも満鉄病院に病臥して居いるかの如く、夢中で頭部や腹部の苦悩を訴えたといいます。その時立会人の一人であった彼の伯父(正恭中将)は、例の軍人気質かたぎで、単刀直入的に彼がすでに肉体を棄てた霊魂に過ぎないことをきっぱり言い渡し、一時も早く彼の自覚と奮起とを求めたそうであります。

『えっ! 僕、モー死……死んだ……僕……残……念……だ……。』

 そう絶叫しながらその場に泣き崩れたと言います。

 新樹の霊魂はその後数回中西霊媒を通じて現われ、又一度ちょっと粕川女史にも感応したことがありました。それ等によりて彼の希望は次第に明白になりました。掻いつまむとそれは斯こんなことでした。――

(一) 約百ヶ日を過ぎたら母の躯に憑かかりて通信を開始したい。

(二) 若くて死んだ埋合わせに、せめて幽界の状況を報告し、父の仕事を助けたい。

 彼の父も母も百ヶ日の過ぎるのを待ち構えてその準備を急ぎましたが、大体に於おいてそれは予定の如く事実となりて現われました。彼の母は十数年前から霊視能力を発揮して居ましたが、今回新樹の死を一転期として霊言能力をも併せ発揮し、不完全ながら愛児の通信機関としての心苦しき任務を引き受けることになりました。

 最初の頃は、新樹自身もまだ充分に心の落つきができて居おらず、又彼の母も感傷的気分が勝ちすぎて居ましたので、兎角通信が乱れ勝ちでありましたが、月日の経つと共に次第にまとまりができて参りました。八月十二日第二十回目の通信を寄越よこした時などは、彼は自分の死の当時を追懐して多少しんみりした感想を述べる丈の心の余裕ができて居おりました。――-

『僕、伯父さんから、新、汝おまえはモー死んで了しまったのだ、と言いきかされた時は、口惜くやしいやら、悲しいやら、実に耐らない気がしました。お母かあさんから、あんなに苦労して育そだてて戴いたのに、それがつまらなく一会社のただの平社員ひらしゃいんで死んで了しまう……。僕はそれが残念で残念でで耐らなかった。しかし僕、次ぎの瞬間に斯こう決心しました。現世で碌な仕事ができなかった代りに、せめて幽界からしっかりした通信を送ってお父さんを助けよう。それが僕として一番損害をとり戻す所以ゆえんであり、一番意義ある仕事であろう。それには是非お母かあさんの躯をかりなければならない。僕最初から他ほかの人ではイヤだと思って居いた……。』

 簡単に述ぶれば新樹の通信は斯こんな順序で開始され、以もって現在に及んで居いるのであります。それがいつまで続くかは神ならぬ身の予想し得る限りでないが、恐らく彼の父又彼の母の現世に生きて居いる限り全く断絶することはないでしょう。何となれば彼の父に取りて心霊事実の調査は殆ほとんどその生命であり、又彼の母に取りて彼岸の愛児の消息は何物にもかえられぬ精神こころの糧でありますから……。

 新樹との通信中、霊媒たる彼の母の霊眼にはありありと彼岸の愛児の起居動作並にその環境が映じます。又通信中の彼女の言語態度は或ある程度亡児生前の面影を髣髴ほうふつせしめます。是等これらは当事者のみ判る事柄で筆舌を以もって伝えるによしもなきことは筆者の甚はなはだ遺憾いかんとする所であります。





(二) 果して本人か?


 さてこれから新樹の通信を発表するにつけ、この仕事に対して全責任を有する彼の父としては通信者が果して本人に相違ないかドーかを先まず以もって読者にお伝えすることが順序であると考えます。これに関して充分の考慮が払われて居なければ、畢竟ひっきょう新樹の通信とはただ名目ばかりのもので心霊事実として一向取るに足らぬものになります。不敏ながら彼の父とても心霊研究者の席末を汚して居いるもの、この点に関しては常にできる限りの注意を払いつつあるのであります。

 すでに述べたとおり真先きに新樹の霊魂を呼び出したのは彼の伯父で、そしてこの目的に使われたのは中西霊媒でした。彼の父は多大の興味を以もってこの実験に対する当事者の感想を叩きました。するとその答は斯こうでした。――

『あれなら先まず申分がないと思う。本人の言語、態度、気分等の約六割位は髣髴ほうふつとして現われて居いた。自分は前後ただ二回しか呼び出さないが、若もしも今後五度、十度と回数を重ねて行ったら、きっと本人の個性がもっと完全に現われるに相違なかろうと思う……。』

 比較的公平な立場にある、そして霊媒現象に対して相当懐疑的態度を持する人物の言葉として、これはある程度敬意を払うべき価値があると思われます。

 彼の父が自身審判者となりて中西女史を通じて初めて新樹を呼び出したのは、それから約一ヶ月を隔てたる四月の九日でした。その時は幽明を隔てて最初の挨拶を交かわしたまでで、さして伝うべきほどの内容を有しませんでしたが、ただ全体から観て成るほど生前の新樹そっくりだという感じを彼の父に与えたのは事実でした。が、研究者としての立場から観た時に、それは確証的なものではありませんでした。彼の父はあせった。『何とかして動きの取れない証拠を早く挙げたいものだ。それにはただ一人の霊媒にかける丈ではいけない。少くとも二三人の霊媒にかけて対照的に真偽を確めるより外に途はない……。』

 そうする中うちに亡児は一度粕川女史にかかり、つづいて七月の中旬から彼の母にかかりて間断なく通信を送ることになりました。『これで道具立ては漸ようやく出来かかった。その中うち何とかなるだろう……』――彼の父はしきりに機会を待ちました。

 月が八月に入りて漸ようやくその狙いつつあった機会が到着しました。同月十日午前のこと、新樹は母の躯にかかり、約一時間に亘わたり、死後の体験談を試みましたが、それが終りに近づいた時彼の父は不図ふと思いついて彼に向って一の宿題を提出しました。――

『幽界にも大廟は必らず存在する筈だ。次回には一つ大廟参拝を試み、そしてその所感を報告して貰いたいのだが……。』

『承知しました。できたら行やりましょう……。』

 するとその翌日中西女史が上京しました。彼の父はこの絶好の機会を捕え、直ちに新樹の霊魂を同女史の躯に呼んで、昨日彼の母の躯を通じて提出して置いた宿題の解決を求めました。

『昨日鶴見で一つの宿題を出して置いた筈だが……。』

 そう言うより早く新樹は中西霊媒の口を使って答えました。――

『ああ、例の大廟参拝ですか……。僕早速参拝して来ましたよ。僕、生前に一度も大廟参拝をしませんでしたから、地上の大廟と幽界の大廟とを比較してお話しすることはできませんが、ドーもこちらの様子は大分勝手が異ちがうように思いますね。絵で見ると地上の大廟にはいろいろの建物があるらしいが、こちらの大廟は、森々しんしんとした大木の茂みの裡に、ごく質素な白木のお宮がただ一つ建っているきりでした……。』

 彼はこれに附け加えてその際の詳しい物語りをするのでした。委細は他の機会に紹介することにして、ここで看過してならぬことは、彼の母を通じて発せられた宿題に対し、彼がその翌日中西霊媒を通じて解答を与えたことでした。

『先まずこれで一つの有力な手懸りが附いた。』と彼の父は歓びました。『思想伝達説を持ち出して強しいて難癖をつければつけられぬこともないが、それは死後個性の存続説を否定すべくつとむる学徒達の頭脳あたまからひねり出された一の仮定説に過ぎない。自分は難癖の為めの難癖屋にはならぬことにしよう。多くの識者の中にも恐らく私の態度に左袒さたんされる方もあろう……。』

 翌くる十二日の午前、彼の父は鶴見の自宅に於おいて、今度は彼の母を通じて亡児を呼び出しました。

『昨日中西さんに懸って来たのは確かに汝おまえに相違ないか?』

『僕です……。あの人は大変かかり易い霊媒ですね、こちらの考えが非常に迅く感じますね。』

『モ一度汝おまえの母の躯を使って大廟参拝の話をしてくれまいか、少しは模様が異ちがうかも知れない。』

『そりゃ少しは異いますよ。斯こうした仕事には霊媒の個性の匂においと言ったようなものが多少づつ加味せられ、その為めに自然自分の考えとピタリと来ないようなところもできます。お母さんの躯はまだあまり使い易くありませんが、矢張りこの方が僕の考えとしっくり合ってるようです。もっとも僕の考えて居いることで、微妙こまかいところは、途中でよく立消えになりますがね……。』

 斯こんなことを言いながら彼は大廟参拝談を繰りかえしたのでしたが、彼の母を通じての参拝談と中西霊媒を通じての参拝談との間には、ただ長短精粗の差があるのみで、その内容は全然同一物なのでした。

 彼が一度粕川女史に懸ろうとしたことも事実のようでした。八月四日午前彼は母の躯を通じて問わず語りに次ぎのような事をのべました。――

『僕一度あの御婦人……。粕川さんという方に懸ろうとしました。折角お父さんがそう言われるものですから……。けれどもあの方の守護霊が躯を貸すことを嫌っているので、僕使いにくくて仕方がなかった……。僕たった一度しかあの人にはかかりませんでした……。』

 新樹と交通を開いた当初に於おいて手懸りとなったのは先まずこんな程度のものでしたが、幸にもその後東茂世女史の霊媒能力が次第に発達するに従い、確実なる証拠材料が弥が上に積み重ねられ現在に於おいては果して本人に相違ないかドーか? と言ったような疑念を挟むべき余地は最早もはや全然なくなりました。東女史の愛児相さんと新樹との間には近頃あちらで密接なる交友関係が締結され、一方に通じたことは直ちに他方に通じます。そして幽界に於ける両者の生活状態は双方の母達の霊眼に映じ、又双方の母達の口を通じてくわしく漏されます。ですから、よしや地上の人間の存在は疑われても、幽界の子供達の存在は到底疑われないのであります。

 斯こうした次第で、彼の父も母も之これを亡児の通信として発表するに少しの疑惑を感じませぬが、ただその通信の内容価値につきては、余りに之これを過大視されないことをくれぐれも切望して止みませぬ。発信者はホンの幽界の新参者、又受信者はホンの斯界しかいの未熟者、到底満足な大通信の出る筈はありませぬ。せいぜい幽明交通の一小標本位に見做みなして戴けば結構で、真の新樹の通信は之これを今後五年十年の後に期待して戴きたいのであります。





(三) 通信の初期


 すでに申上げたとおり新樹が彼の母を通じて兎も角も通信を開始したのは、昭和四年七月の半ば頃でしたが、通信とはホンの名ばかり、僅わずかに簡単な数語をとぎれとぎれに受取り得るに過ぎませんでした。当時の手帳から標本として少しばかり抄出します。――

問『汝おまえは目下いま何かキモノを着て居いるか?』

答『着て居ます……白いキモノ……。』

問『飲食を行やるか?』

答『何物なにも食べません……。』

問『睡眠は?』

答『睡眠もいたしません……。』

問『月日つきひの観念はあるか?』

答『ありません、些ちっとも……。』

 これが七月十七日の問答筆記で、その末尾に次ぎのような筆者の注釈が附いて居ます。――

『この日の通信の模様はよほど楽になった。自分が「昨年の今日は、汝おまえと一緒に大連の郊外老虎灘へ出掛けて行き、夜まで楽しく遊び暮らした日だ」というと、彼は当時を追憶せるものの如くしきりに泪を流した……。』

 七月二十五日、第八回目の通信の記録を見ると、モー幾らか進境を認めることができます。左にその全部を掲げます。――

問『私達がここに斯こうして坐り、精神統一を行やって、汝おまえを招よぼうとして居いる時に、それがどんな具合に汝おまえの方に通じるか? 一つ汝おまえの実感をきかせてくれないか……。』

答『ちょっと、何にかその、ふるえるように感じます。細こまかい波のようなものが、プルプルプルプルと伝わって来て、それが僕の方に感じるのです。』

問『わたしの述べる言葉が汝おまえに聞えるのとは異ちがうか?』

答『言葉が聞こえるのとは異ちがいます……感じるのです……。もっとも、お父さんの方で、はっきり言葉に出してくだすった方が、よくこちらに感じます。僕はまだ慣れないから……。』

問『私に限らず、誰かが心に思えば、それが汝おまえの方に感じるのか?』

答『感じます……いつも波見たいに響いて来ます。それは眼に見えるとか、耳に聞えるとか言ったような、人間の五感の働きとは異ちがって、何も彼かも皆一緒に伝って来るのです。現にお母さんは所中僕の事を想い出してくださるので、お母さんの姿も、心持ちも、一切が僕に感じて来てしょうがない……。』

問『生前の記憶はそっくりそのまま残って居いるか?』

答『記憶して居いることもあれば、又忘れたようになって居いるのもなかなか多いです。必要のない事は、丁度雲がかかったように、奥の方に埋もれて了しまっていますよ……。』

問『満鉄病院へ入院してからの事を少しは覚えているか?』

答『入院中の事、それからドーして死んだかというような事は全然覚えていません。火葬や告別式などもさっぱり判りませんでした……。』

問『汝おまえが臨終後間もなく火の玉が汝おまえの母に見えたが、あれは一たい誰が行やったのか?』

答『僕自身は何も知りません……。今守護霊さんに伺ったら、全部守護霊さんがやってくだすったのだそうです……。』

問『いつ汝おまえは自分の死を自覚したか?』

答『伯父さんに呼び起された時です……。』

問『あのまま放任して置いてもいつか気がつくかしら?』

答『さあ……(しばらく過ぎて)只今守護霊さんにきいたら、それは本人の信仰次第で、真の信仰のある者は早く覚めるそうです。信仰のないものは容易に覚めるものではないといわれます。』

 これが当日の問答の全部です。例によりてその末尾には筆者の註釈がついている。――

『右の問答後、妻に訊きくと、先刻細かい波の話が出た時に、彼女の霊眼には、非常に繊細な、きれいな漣さざなみがはっきり見えたと言う。これが所謂いわゆる思想の波、エーテル波動とでもいうものか?』

 初期の通信の標本紹介はこの辺で打ち切り、後あとは多少分類的に手帳から抄録を行い、いささかなりとも死後の世界の実相を知りたく思わるる方々の資料に供したいと存じます。



 

死んだらどうなる

2015-10-17 14:15:28 | Weblog
 http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...


神道では、人間が死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。

 魂は神の分霊であり、肉体は魂の器として、大自然から授かった物と考えます。死後、肉体はダビに付され、お骨となって、大地に還りますが、魂は神の元へ還っていきます。神の分霊としての魂は、人となってこの世に修行のために生まれてきます。生まれた時の魂は清らかですが、長い人生を送っている内に、自分の我儘や人間関係のしがらみ等によって、神のみ心から外れてしまった分、汚れとして魂にこびりついてしまいます。我儘が強く反省心の少ない人は、たくさんの汚れを魂につけてしまいます。死後の魂は、この世で汚れてしまったまま帰っていくのです。その汚れを見た神様は「ずいぶん汚して帰ってきたな。霊界で修行し、汚れを落としなさい」とご命令されます。汚れの少ない魂は、修行の度合も少ないのです。霊界での修行とは、現世での行いや考え方を神のみ心と照し合わせて反省することです。あの一言で人を傷つけてしまった、済まなかった。とか、あの行動によって迷惑を掛けてしまった、悪かったな。等と反省することです。反省することによって汚れは落ちていくのです。しかし、神のみ心を知らなければ、自分の行動や考えは一番であって、自分が良いと思っているのだから何も悪い所がないと考えてしまいます。それでは反省が生まれません。

 この世で肉体を維持するためには、どうしても、食べたり、着たり、住む処も必要です。そこに欲が生まれてきます。おいしい物を食べたい、きれいな物を着たい、良い家に住みたい、たくさんお金が欲しい、人の上に立ちたい、名誉が欲しい等、欲望は際限なく高まっていきます。欲望は動物の本能ですから、人間として仕方のない部分はあると思います。しかし、人間には他の動物にはない理性が働きます。この理性が神の心なのです。

 本能に負けて、欲望に走ると、金銭や物質、名誉や地位に執着してしまいます。執着心を切り捨てることが反省であり、修行となるのです。この世で執着心を切り捨てることを学ばなければ、あの世では学ぶことができず、いつまでも執着の心を持ち続け迷いの魂となってしまいます。執着の心が強すぎて、どうしても放すことができない霊が、自縛霊となってあの世に行けず、この世の人に助けてもらおうとして、霊となって現れるのです。この世に出てくる霊は、何かの執着の心を切り離すことができず、神の元、仏の元へ行けず迷っている霊なのです。

 信仰心のある人は、この世で良い人生を追求する教えを学んでいます。神の心、仏の心を勉強し、教えを実践しようとすることが信仰心です。だから信仰心のある人はどんな宗教であれ、良い人生を歩もうとする努力をあの世に行ってもできるのです。そして迷うことなく、自分の信じる霊界へ行き、魂の修行ができるのです。

 私たちが死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者、若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。

 「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことなく霊界へ行くことができるのです。

 この世で生きていた「魂」、「心」、あるいは「精神」という物は、肉体がなくなっても永遠に生き続ける物です。魂はこの世での修行のために、生まれてきたのです。この世でそれぞれが経験する苦しいこと、つらいこと、悲しいこと、さびしいことなどを乗り越えていくことが魂の修行です。それぞれの人生であっても、あなただけに与えられた修行なのです。ですから、どんなつらいことであっても、乗り切ることのできない物は与えられていないのです。あなただからこそできることなのです。

 それをつらいからといって自からの命を断ってしまった人は、修行を途中で止めてしまったことになります。自殺は何の解決にもなりません。しっかりと自分の人生の難関と向き合い、乗り越えていかなければなりません。それが自分の魂の修行となり、永遠に迷わず生き続ける魂となります。これが神道の死後観です。

超心霊学 小田秀人・著  池田書店

2015-10-13 14:11:50 | Weblog




超心霊学




http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki0901-09.html


超心霊学



 アインシュタインの宗教観

  アインシュタインが一流の科学者たちと連名で、原子力を戦争に使わぬようにと遺言したのは、単なる道学者的平和主義からではありませんでした。彼には、彼一流の宗教観があったのです。曰く。「われわれの脆弱な知能によっても、極微なるものの中に顕現されている無限最高のスピリットを認識することができる。これを謙虚な心をもって嘆美することが私の宗教である」
  また曰く。「もっとも美しい、そしてもっとも深い情操は、神秘なものからうける実感中に存する。このような感動を知らず、驚異も畏敬の念をも感じ得ないものは、死者に等しい」
  この無限最高のスピリット――霊性、神性は、ひとり極微の中だけでなく、無限大の天空の中にも、また目前の自然現象の中にも、またわれわれの平凡な日常生活の中にも、歴々として顕現しているのです。朝目がさめてパッと肉眼を開けばたちまちにして見覚えのあるわれわれの世界が展開されるように、ひとたびほこりを払って心眼を開けば、その同じ自然の中に、光り輝く無限の新しい色彩が発見されるのです。
  同じ一通の手紙でも、開くにもものうい悩ましい請求書もあれば、封を切る手もおののくばかりの心づくしの愛の便りもあります。大神宮に詣でるまでもなく、目前の風物、近隣のざわめきの中にさえ……なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる――敬虔の心を持ちうる人は幸いです。大自然の御手から常住坐臥、愛の便りを受けつづけているからです。

 大自然の根元は心の作用

  大自然を創造し、生かしている根元の力は「こころ」の働きであり、意識作用です。この宇宙的大意識作用が、神の心であり、力であり、全体としてみればそれがそのまま「神」そのものなのです。
  かけ出しの科学者は「私は人間を研究しつくし、神秘の扉をあばきつくした」といいます。彼は手足のあることなど至極当然として、なぜ手足があるのか、どうして手足が動くのか、どうして手足ができたのかをただの一度も疑ってもみず、またありがたいとも思っていないのです。疑うだけの知恵が、驚くだけの感覚が、感謝するだけの感情が、彼にはまだ発達していないのです。
  手というものは、もともと手も足もなにもなかった原始単細胞動物の中にすでにこもっていた「つかむ心」が次第に進化、発達し、何億年かの間に遺伝し、固定して現在のようにでき上がったものです。足も五官も五臓六腑も、みな同様な経路をたどったにすぎません。つまり、人間そのものが、単なる「生きる心」の実現、物質化にすぎないのです。ほとんど無に等しいところから、この複雑微妙な機能、器官が進化発達したのです。これが神秘でなくてなんでしょう。人間だけでなく、一切の動物、植物、鉱物までも、すべてが大自然のこころ、神の念の実現であり、物質化作用の進行過程にすぎないのです。

 自然がモノをいう

  古来天にロなし、人をもっていわしむ、といわれています。ところが、さる霊覚者によれば、自然がモノをいい、墓石がモノをいう、ともいわれます。これはどういう意味でしょう。
  自然の中には無数無限の心の波が相交錯しています。ラジオやテレビ、放射能や宇宙線等々の人為的、自然的波のほかに「心」のある波が無数に交錯しているに違いありません。生者の心、死者の心、自然霊の心、そして大自然を創造し生かしめている神の心等々。
  われわれは、受信装置いかんでいかなるラジオもテレビも無電も受け取ることができるように、心のかまえいかんによって、いかなるよき霊にも悪しき霊にも、また高き霊にも低き霊にも通じ、感応することができるのです。つまり応答自在なのです。
  大自然の本源が心であるということは、いかにも神変不可思議であり、ありがたくもあり、怖くもあるわけです。同じ神がときに観音様に見え、また閻魔様にも見えるのです。それもこれも、われわれの心次第です。このありがたい電気でも、下手をすれば真っ黒焦げになって、大怪我をさせられるのと同じことです。
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