思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

結局謎として残った「なぜあのタイミングで」“眞子さま婚約”報道だったのか

2017-06-27 13:40:11 | 思想、哲学、宇宙論
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20170603-00071687/

2017年5月16日、NHKの夜のニュースを皮切りに眞子さま婚約報道がなされ、日本中が祝福ムードに包まれた。相手の男性の詳細な経歴も報じられているから、正式に婚約が発表されたものと受け取っている人も多いと思うが、その後、「婚約発表は予定より早まってこの夏に」という報道がなされた。そこで初めて「え?まだ正式に発表されてないの?」と首を傾げた人も少なくないのではないだろうか。実は5月半ばの報道は「婚約へ」という見出しになっており、正式発表がない段階での前打ちなのだ。

今回は昨年の天皇生前退位報道の時のように、報道当初宮内庁が否定するといった野暮なことはしなかったために事実上認めたことになってしまったのだが、実はなぜこのタイミングでこの報道が出たのか、いろいろな憶測が飛び交っている。というのも、5月16日というのは、天皇の退位特例法の閣議決定が予定されていた19日のわずか3日前で、かつその特例法で女性宮家の問題をどうするのかが大きな争点になっていたからだ。つまり争点である女性宮家問題に密接に関わる眞子さま婚約という話が、予定よりかなり早くそのどんぴしゃのタイミングで飛び出した。これは偶然ではないのではないかという疑問が生じても不思議はないのだ。

今回の報道がどういう経緯でなされたのか。既に伝えられている内容を整理しよう。

実は今回も昨年の生前退位報道と同じNHK記者のスクープだった。昨年のスクープは、いまになって思えば、天皇が長年、生前退位について考えており、近しい家族にも話していたにもかかわらず、一向に政府が動こうとしないため、業を煮やして先に報道で花火を打ち上げるという形になり、退位問題が正式に浮上する道筋が作られたものだった。

具体的に誰がどう考えてそのタイミングでスクープとなったのかについては、いろいろな憶測は流れたが真相はいまだ不明だ。ただ、秋篠宮家に食い込んでいたというNHK宮内庁担当の橋口和人キャップが大きな働きをしたのは確かだろう。これだけの大スクープだから記者としては情報を知ってからは何とかこれをスクープしたいと考えて動いたのだろうが、そのキャップに誰がどう話し、どういう思惑が働いたかというのは明らかになっていない。ただ皇室ないし皇室関係者の意向が大きく働いた結果だったことは間違いないだろう。

では今回はどうだったのか。NHKのスクープについて『週刊新潮』6月1日号で同局員がこうコメントしている。

「ウチは5月16日、『ニュース7』が始まる1分前の18時59分から、『眞子さま、婚約へ』の速報を放送しました。その原稿にはスクープを表す『特』の字が記されていたんです」

スクープしたのは、昨年の天皇の生前退位のスクープを放ったのと同じ宮内庁担当の橋口キャップだった。それゆえに、いろいろな憶測も流れたのだ。

NHKのスクープ直後から、他局も後追いする形で、相手の男性の詳細な紹介も含め、情報が一気に報じられた。報道が始まった直後、宮内庁など関係者は大慌てだったという。

あくまでも正式発表ではなかったため、17日に囲み会見に応じた婚約相手の小室圭さんは「時期がまいりましたらまた改めてお話させていただきたいと思います」という言葉を不自然なほど繰り返すことになった。

そしてその後、週刊誌などでは一斉に、なぜこのタイミングだったのかが取りざたされている。今回スクープしたのが昨年と同じNHK記者で、しかも天皇の退位法案が閣議決定される直前だった。その法案と関係して「女性宮家創設」が取りざたされているまさにその渦中に眞子さま婚約が報道されたのだ。何らかの思惑が働いたのではないかという憶測がなされるのも無理はない。

前出の『週刊新潮』は、こう書いている。

《宮内庁としても、退位法案が成立した後、ご婚約を発表する段取りではあった。しかしながら、「それだと、陛下が望んでおられる『皇位の安定的な継承』が十分に審議されないまま話が終ってしまいかねない。皇族の数が減るんだよという事実をいわば切迫感を持って伝えるのに、眞子さまの婚約を特例法案の閣議決定前にぶつけるというのは効果的だと考えたのでしょう」》

『週刊朝日』6月2日号は「眞子さま『ご婚約』は女性宮家ご辞退宣言か」という記事を掲げたが、その中で婚約報道は、天皇の退位問題と密接に絡んでいるとして、こんな見方が披露されている。

「付帯決議に『女性宮家創設』への準備が明記されれば、眞子さまの恋愛が政治に巻き込まれる」それゆえに「食い止めるためには一刻も早く、眞子さまが『女性宮家創設』から辞退するという意思表示を行う必要がある」として報道がなされたというのだ。

『週刊ポスト』6月2日号も「なぜこのタイミングだったのかー『女性宮家創設』の議論再燃へ」という記事を掲載、こう書いている。

「宮内庁は婚約内定が国会審議に影響しないように、法案成立後に発表する算段をしていた」。しかし、その思惑が覆り、結果的に退位法案の付帯決議に「女性宮家」の文言を入れざるを得ない空気が強まったというのだ。

『アエラ』5月29日号も「なぜこのタイミングか」という見出しで、複数の見方を紹介している。

退位特例法案は現在国会で審議されており、会期内に成立するのは確実と言われている。結局、女性宮家に関する記述は、付帯決議の中で検討することが明記されたものの、具体的な検討の期限などは明記されず、与野党の妥協の産物となった。直前に眞子さま婚約報道がなされたことがどういう影響を及ぼしたのかなど、詳細はわからない。

ただ今後、眞子さまの婚約発表がなされ準備が進む過程で、これが女性宮家問題と関わってくる可能性はある。今回のスクープのタイミングについて何らかの配慮や思惑が働いたのかどうか。そういう内情が漏れてくるにはまだもう少し時間がかかるかもしれない。



伊東詩織の記者会見は全部ウソだった… 民進党との繋がりも発覚

2017-06-25 18:10:22 | 思想、哲学、宇宙論
伊東詩織の記者会見は全部ウソだった… 民進党との繋がりも発覚





ぬこのぺこ‏ @ramuseskk · 5月29日



>「今国会において共謀罪の審議が優先され、先送りになっている強姦罪の改正案がきちんと取りあげられるべき」と主張。

胡散臭さ満開だな。シールズの記事書いてるんだよね、コイツ。レイプした容疑者の山口氏でなく共謀罪について怒ってるとか尻尾出すの速すぎるだろ。もうちょっと巧く隠せよw



1件の返信 41件のリツイート 29 いいね



ぬこのぺこ‏ @ramuseskk · 5月30日




山口敬之氏虚偽レイプ事件の捏造犯人、自称ジャーナリスト詐欺師の【伊藤詩織こと本名は尹(ユン)詩織】早速お里がバレたww
山口氏がベトナム戦争時 韓国軍のベトナム女性に対する組織的レイプ事件をTBSで公開しようとしたことに対する韓国、在日朝鮮人からの報復・陰謀が、本件捏造事件の真相



『日韓がタブーにする半島の歴史』を読んで

2017-06-25 11:10:16 | 思想、哲学、宇宙論
『日韓がタブーにする半島の歴史』を読んで Aug. 9, 2010 [北方領土]


http://nimuorojyuku.blog.so-net.ne.jp/2010-08-09

ツタヤに『日韓がタブーにする半島の歴史』という本が平積みされていた。「「文明は半島から来た」なんて大ウソ!古代史の常識がひっくり返る」と派手な帯がついている。立ち読みしてみたら、半島と中国の正史だけを資料にして論を展開している論拠の明確な飛躍の少ない本のようなので読んでみようという気が起きた。
 半島の正史資料は「三国史記」、高句麗、新羅、半島南部の百済に関する正史である。1143年に高麗で17代王仁宗(インジョン)の命令でキムブシュクが2年かけて書いたものである。「日本でいえば『日本書紀』に相当する」と著者は書いている。半島に関してはこの『三国史記』が最も古い正史である。もうひとつ、『百済本紀』『新羅本紀』を取り上げている。
 中国側の資料は『随所・新羅伝』、『魏書・高句麗伝』、『梁書・高句麗伝』、『魏志倭人伝』である。

 話の要点は半島南部はいくつかの民族が混在して定住しており、倭種が政治的指導者であり、倭種の国だったというのだ。高句麗の初代王や百済の初代王は扶与国(倭国)から逃げてきて国を作ったと上掲の2書に書いてある。

「『魏志倭人伝』は半島の南端にあった狗邪韓国を女王国の「北岸」と記し、『後漢書』は倭奴国を「倭国の極南界」をすることで、半島にも倭地が広がっていたことを示し、「新羅本紀」も新羅より南を事実上、倭地として描いている。」P.206

 水田耕作についても半島南部の水田よりも列島の水田の方が古いことをもって、倭種が半島南部に水田耕作技術を伝えたとしている。水田耕作の基本用語に朝鮮語の影響がみられないことにも言及している。

 韓国人が嫌う同族婚について、新羅王族は近親婚集団でそのことで排他的な特権を維持していたことを指摘している。中国皇帝(玄宗)や高官に対して「献女外交」を繰り広げたこと、そして現代においても集団で米国に「売春の出稼ぎ」にいく韓国女子大生の記事(韓国一流紙)を紹介している。オリンピックでの美女集団の応援をみても、とこか昔の「献女外交」と通底するところがありはしないだろうか?著者は戦争で降伏した後に卑怯なだまし討ちを繰り返した歴史をあきらかにしている。歴史的に見れば外交においてはまったく信用がならない国であり、北朝鮮の現体制にも「悪しき伝統」はそのまま引き継がれていると書いている。
 そして韓国及び北朝鮮が不都合な歴史的事実を歪曲する国であることに著者は警告を発している。竹島に関わる領土問題もそうした文脈で韓国の主張を捉えておく必要があるのだろう。両国の国民は相当に異なる価値観をもっているから、こちらの常識で相手の行動を判断してはいけないということのようだ。

 この本はいくつか面白い論点を提供してくれている。一番近い隣の国はロシアと韓国である。特に半島との係わり合いが歴史的に大きいから、半島との関係は精確な知識をもつ必要がある。その意味ではこの書は画期的なものだ。戦後、朝鮮史研究がしにくかった事情もつまびらかにしている。
 いくつかの興味深い論点を以下に挙げておくので、詳しくは本書を読まれたい。
(なお、韓国人や北朝鮮国籍の人が悪人だということではない、一つの集団としてどういう歴史をもつのかと云うことだから、著者の意見を誤解しないようにしたい。私も小学校高学年のころ、在日の友人が一人いたし、高校生のころ何度も北朝鮮にお金をもっていった在日の人を知っている。根室の店を売り払って釧路へ引っ越して商売の手を広げ大成功。存命なら80歳を超えている。商売は息子が継いでいるのだろう。朗らかであけすけないい人だった。しかし、国として付き合うときは要注意と云うことだ。)

「倭人は半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築く新羅(シルラ)の基礎づくりをしたのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済(ペクチェ)も倭国のことを"文化大国"として敬仰*していたのだ」P.12
「『三国史記』に(日本)列島から流れてきた脱解という名の賢者が長い間新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位に即くと、倭人を大輔(総理大臣の該当)に任命したとある。その後脱解の子孫からは七人が新羅の王位に即き、一方で倭国と戦いながらも新羅の基礎をつくっていったことが記載されている」。*『隋書』にそういう一節があるとその箇所を引用している。

 半島で倭人が圧倒的優勢を占めていた原因を著者は鉄の技術に求めている。
「三世紀になっても半島の刀剣は鋳鉄だったが、列島では一歩も二歩も進んだ鍛造品が造られていたというのが考古学の常識だ。慶州で倭種がハイテク産業を営んでいた古代風景は決して不思議ではないのだ。」(P.49)
 日本の刀は刃物としては歴史を超えて世界最高峰である。ドイツが真似をしようとしたが、真似できなかった。ゾリンゲンの刃物メーカも真似の不可能な高度な技術が日本刀には使われている。古墳時代から職人の国で、高度な技術をもつ職人が尊敬を受けていたということだ。

 韓国は複数の民族が混在して居住する国だった。
「任那とよばれた地域ほどではないにしても、新羅にも倭種が住んでいた 」P.49

「倭国=倭奴国(現日本)+半島南部の分国」というテーゼも興味深い。光武帝が金印を授けたのは「倭奴国」だ。著者はここで『後漢書』を引用している(P.54)。半島南部を失ってから倭国は旧倭奴国を指すようになったと著者は説明している。
 半島からの帰化人が言葉に不自由したという記録はがないのが私には不思議だった。半島南部が倭国で同じ言葉を話していたとすれば、肯ける。

 韓国はつい最近まで庶民が白米を食べる習慣がなかった事実を著者は明らかにしている。
「戦後の韓国で、大手マスコミに勤務する人間は、他から羨まれる高給取りになった。それでも1980年代初頭の勧告で、大手新聞である中央日報社の社員食堂の飯は、依然として大麦や豆のほかに様々な雑穀が混じった"黒い飯"だった。その当時はまだ米を炊く際には、一定比率の雑穀を混ぜなければならない「国民の混食義務」があった。「韓流ドラマ」に出てくる食事や料理作りの場面にゆめゆめだまされてはいけない」(P.69)
 稲作については次のように書いている。
「私には、多くの日本人が未だに「稲作は半島からの渡来人に教えられた」と漠然と信じていることがたいへんに不可解だ。
 なぜなら、稲の日本への伝播が、中国・雲南省から東シナ海を経由して九州に達するルートだったことは、とっくの昔に結論が出ている。佐藤洋一郎(静岡大教授)を中心とするDNA解析を駆使した研究の成果だ。「半島経由だ」と主張しているような植物伝播の研究者は、日本はもとより世界にいないだろう。」(P.66)
「韓国人も多くは、今でも「我々(の祖先)が倭奴に稲作を教えた」と信じている。」(P.67)

「中華文明は半島を通じて列島に入ってきたと言われる。"日本の常識"だ。
 しかし、半島南部に倭人・倭種が確固たる地歩を築いていて、韓族を尻目に早々と漢と直に繋がっていた。であれば、、中華文明を列島本国へ伝えたのは、韓族ではなく、半島にいた倭種・倭人だったと見るほうが自然だ。」(P.85)

「寺院建設の技術はどうなのか。旧百済地域でもいい、旧新羅地域でもいい。半島の古刹を始めて見た日本人は、その柱の歪みの酷さに仰天する。自身がある国ではとても保たない。日本の大工分野の技術用語にも、韓語の面影は発見できまい。」(P.86)

 日本独自の墳墓形式であるはずの前方後円墳が韓国でも発見されている。規模は100mクラスと大きい。生前の勢力の大きさがわかる。おそらく倭種の墓だろう。日本の古墳時代よりも200年ほど新しいから、半島に住み着いた倭種が故郷を懐かしんで築造したものではあるまいか。
 列島の方が古いにも関わらず、韓国人は日本人が真似をしたと言っているらしい。かの国では「文明は半島から」というテーゼに合わせて、歴史が捏造される。著者によれば韓国の国定教科書は歴史の捏造だらけだ。

 白村江の戦い(663年)も、秀吉の朝鮮征伐(文禄の役1592年、慶弔の役1597年)も、百年前の韓国併合も歴史上の意味がずいぶん変ってしまう。半島の半分が古代倭国の分国だったとしたら、百年前の韓国併合に「お詫びの談話」はおかしな話になる。半島の三分の一は倭国領土だったのだから、それを取り戻しただけという言い方もできる。
 いったい、領土紛争の歴史にお詫びをした国があるのだろうか。その時々の争いに勝った負けただけの話だろう。歴史的事実をそのまま受け止めるのみ。
 異論があるだろうな。どんな異論がコメント欄に載るか楽しみだ。

 




中国4000年のおそろしさ――不気味な隣人の素顔

2017-06-21 16:25:47 | 思想、哲学、宇宙論
http://www.saisei21.jp/report/2012/report-1

毛沢東が行なった大量殺戮と粛清に次ぐ粛清

 ここまで、血で血を洗う抗争に次ぐ抗争という中国史の特徴を見てきた。より具体的に言えば、その特徴は既に述べたとおり、思想弾圧・大量殺戮・大粛清である。そして、現代中国・中華人民共和国ももちろんその性格を色濃く有している。既に「一村一焼一殺」と文化大革命については少し触れたが、本章の最後に毛沢東が行なった数々の戦慄するようなおぞましい行為について述べておこう。
 毛沢東は、1928年から、湖南省・江西省・福建省・浙江省の各地に革命根拠地を拡大していくが、その時の行動方針が「一村一焼一殺、外加全没収」であった。意味は「一つの村では、一人の土豪を殺し、一軒の家を焼き払い、加えて財産を全部没収する」である。1928年から1933年までの5年間で、「一村一焼一殺」で殺された地主の総数は、10万人に及んだという。中国共産党が政権を取ると、「一村一焼一殺」は中国全土に徹底して行なわれることとなった。全土で吊るし上げにあった地主は六百数十万人。うち二百万人程度が銃殺された。共産革命はどこの国においても大量殺戮と略奪を伴う惨たらしいものであるが、毛沢東の行動を知っていくと中国史の伝統の焼き直しにも見える。
 次は粛清である。現代中国の粛清と言うと、先に述べた文化大革命が思い起こされるだろうが、実際には中国共産党が勢力を拡大して行く途上においても、数々のすさまじい粛清が行なわれている。まず、1930年から翌31年にかけての「AB団粛清事件」。これは中国共産党史上、初めての大量内部粛清であるが、この時は7万人以上を処刑している。政権を奪って権力を握ると、国家レベルで大粛清が行なわれることになった。1951年、「反革命分子鎮圧運動」である。毛沢東は「農村地帯で殺すべき反革命分子は人口の千分の一程度とすべきだが、都会での比率は人口の千分の一を超えなければならない」という殺人ノルマを課し、中国全土を反革命分子狩りの嵐が吹き荒れた。告発、即時逮捕、即時人民裁判、即時銃殺である。中国共産党の公式資料『中国共産党執政四十年(1949~1989)』によれば、「反革命分子鎮圧運動」で銃殺された人数は71万人に上るという(さらに129万人が「準革命分子」として逮捕され、終身監禁された)。粛清・虐殺はまだ終わらない。1955年には「粛清反革命分子運動」によって8万人を処刑している。
 思想弾圧・粛清の流れは「反右派闘争」などこの後も続き、その流れの中に既に述べた文化大革命があるのであるが、文革のひどさはよく知られるところなので、ここではこれ以上述べない。今日ではYoutubeなどで映像も見ることができるので、ぜひご覧いただくと良いだろう。http://www.youtube.com/watch?v=p63xt5AlahY
 最後に文革にもつながった「大躍進政策」について述べておこう。先に、文革は政権中枢から失脚していた毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目論んで起こした大規模な権力闘争であり大粛清であると述べたが、毛沢東の一時的失脚をもたらしたのが大躍進政策であった。1957年11月6日、ソ連共産党第一書記・フルシチョフは、ソ連が工業生産(鉄鋼・石油・セメント)および農業生産において15年以内にアメリカを追い越せるだろうと宣言した。対抗心を燃やす毛沢東は、1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを15年で追い越す(のちには「3年」に減少)という壮大な計画を立案した。その中心に据えられた鉄鋼などは、生産量を1年間で27倍にするというあまりにも現実離れしたものであった。食糧も通常2.5億トンの年間生産高を一気に5億トンに引き上げることが決められた。しかし、何の裏付けもないまま目標だけ勇ましく掲げても、実現できるはずもない。1959年夏、共産党政治局委員で国防相の彭徳懐(ほうとくかい)が大躍進政策の再考を求めたが、毛沢東が受け入れるはずもなく、逆に「彭徳懐反党集団」として断罪され、失脚させられる(彭徳懐は、後の文革で凄まじい暴行を受け半身不随に。その後、監禁病室で下血と血便にまみれた状態のまま放置され死に至る)。これ以降、同政策に対して誰もものを言えなくなり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。当時、全国の人民公社は穀物の生産高に応じて、政府に食糧の無料供出を割り当てられていた。「倍増」と報告された生産高によって、飢饉であるにもかかわらず、農民たちは倍の食糧を供出しなければならなくなったのである。その結果はすさまじい餓死者である。その数は、わずか3年間で2000万人とも5000万人とも言われている(中国本土では発禁となった『墓碑――中国六十年代大飢荒紀事実』によれば、人口損失は7600万人に上るとのぼるとされている)。最後は、人が人を食べるのが常態と化した。さすがに自分の子供を食べる親はいないから、親は、死んだり昏睡状態に陥った子供をよその家に持っていき、同じような状態のよその子と交換して自分の家に持ち帰り、その子を自宅で解体して食べたという。まさに、人類史上最大の人災と言えるだろう。大躍進政策の致命的な失敗により、さすがの毛沢東も責任を取らざるを得なくなり、1959年4月27日、国家主席の地位を劉少奇に譲ることとなった。そこからの復讐・粛清が文化大革命なのである。

不気味な隣人との付き合いにおいて心すべきこと

 私たちは何気なく「中国4000年の歴史」などと口にする。しかし、ここまで見てきたように、それは抗争と断絶の歴史であり、むしろ歴史が伝わらない国なのである。それを証明するある事実がある。老舗企業の数である。創業200年以上の老舗企業数を国別に見ていくと、我が国には3113社もあり、2位ドイツの1563社、3位フランスの331社などを大きく引き離し、ダントツで世界一である。それに対して中国はわずか64社で15位。共産主義の影響だと思うかもしれないが、149社で8位のロシアの半数にも満たない。人口わずか1000万人のチェコ(第二次大戦後、1989年まで共産党政権下にあった)が97社で10位なのだから、やはり歴史が続かないというのが「易姓革命」の国、中国の伝統なのである。
 確かに昔の文物はある。しかし、それは先に見た仏教寺院のように、形骸に過ぎない。精神は断たれているのである。人によっては「中国は私たち日本人の先生なんだから」などと言うが、それは隋にしろ唐にしろ、昔のその時点での話である。日本の方がむしろ学んだものを血肉化して生かしている。
 帝国データバンクが2008年に創業100年を超える老舗企業に行なったアンケート調査がある(回答企業814社)。それによれば、「老舗企業として大事なことを漢字一文字で表現すると」という問いに対し、最も多かった回答は「信」。197社からの圧倒的な支持を集めた。次いで「誠」68社。以下、「継」「心」「真」と続く。「社風を漢字一文字で表すと」という問いに対しては、「和」が158社でダントツ。次いで2位「信」63社、3位「誠」53社。以下、「真」「心」と続く。そして、「老舗の強みは何か」という問いに対しては、「信用」と答えた企業が圧倒的に多く、実に73.8%に達した。ここから見えてくることは、我が国の伝統的企業は、社内においては上下心を一つにして働き、対外的には信用を最も大切な財産と受け止め、信を守り誠を尽くす。そういう企業文化を継続することで続いてきたことが伺われる。こうした精神が仏教や儒教の教えに大きな影響を受けていることは言うまでもないが、それはもはや完全に日本のものとなっており、逆に今の中国にはないのである。
 さて、抗争と断絶とともに、中国史の特徴として顕著な大量殺戮と粛清。私たちはここから大いに学ぶことがある。それは、中国という国は冤罪をでっちあげて断罪する国であるということ、そして、やれるとなれば血も涙もなく暴力を行使して徹底的にやる国だということである。中国国内で出版された『従革命到改革』という書籍によれば「文化大革命において作り出された冤罪」は実に「900万件」に上るという。文革に限らない。本章で見てきた数々の粛清は、そのほとんどがでっち上げの罪による断罪と言ってよいだろう。中国の楊潔チ外相が国連総会で「尖閣諸島は日本が盗んだ」などと演説したが、これも同様の確信犯的でっち上げである。尖閣周辺に埋蔵資源があることが分かるまでは、中国の地図でも尖閣は琉球列島に含めていたわけで、そういう事実を外相が知らないはずがない。しかし、事実がどうあれ、冤罪をでっちあげて徹底的に断罪するのが中国なのである。そして断罪した後は暴力の行使。それが中国史に見る中国の伝統である。尖閣問題への対処を考えるにあたって、私たちはこの隣人の性格をしっかり認識しておかなくてはならないだろう。


人間の存在理由

2017-06-12 16:06:40 | 思想、哲学、宇宙論
現代科学では人間の存在理由が解明されていない。

その原因は、現代科学のパラダイムにある。

現代科学は世界は物質で成り立っているという前提で発展してきた。

パラダイムを精神世界にまで拡大しなければ

人間の存在理由が解明されることはないだろう。

人間の存在理由は、精神世界の高次の精神を物質世界に具現化することである。

美しく繊細で精緻な優れた芸術作品はその良い例といえる。

日本の伝統文化も高次の精神の具現化の一つである。