思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

言霊はエーテルの波

2016-01-31 16:28:53 | Weblog
音は空気の波であり、言霊はエーテルの波である。

声は空気の波とエーテルの波を同時に発生させる。

エーテルは音よりはるかに早く伝わるが声の場合

音とシンクロするため同時に伝わるのではないか。

水と言霊と地球

2016-01-30 14:06:06 | Weblog
水は精神世界の構成要素である言霊が浸透しやすい物質なのではないか。

最初の生命が水の中で発生したのは偶然ではないだろう。

生命体に多くの水分が含まれるのも、

生命を維持するために多くの言霊が必要だからではないか。

生命場は無数の言霊が自己組織化したものだろう。

地球は水の惑星だったため精神世界との相互浸透が進んだのだ。

中でも日本は水の豊かな国であるため、美しく繊細な自然が生まれたのだろう。

愛と協調の原理

2016-01-29 13:54:38 | Weblog
花の祈りで表現されているのは

精神世界の法則である愛と協調の原理である。

愛と協調の原理は、現代科学では解明されていない

微細な波動【言霊】によって生じる高次の法則である。

日本では古代から神道文化を通じて、人々の心に

この原理が浸透していたので争いが少なかったのかもしれない。

人類がこの法則の存在に気づくことで、争いが減るのではないか。

世界にこの原理を広めることが日本人の使命かもしれない。



世界の認識方法

2016-01-28 11:56:54 | Weblog
人間の世界の認識方法には2種類あり、五感による認識と、

意識の波動を対象と共鳴させ融合させる認識方法がある。

後者の方がより本質的な認識だろう。

五感による認識は五感の及ぶ範囲に限定されるが

意識の波動を対象と共鳴させ融合させる認識は

共鳴が起きれば時空に限定されない。

言霊の宇宙

2016-01-24 17:01:46 | Weblog
最初に宇宙に存在していたのは内部にエネルギーが閉じ込められた

高次元空間の深い闇である。

ある時、このエネルギーが流出し始め、広大なエネルギーの海が作られた。

広大なエネルギーの海の中で、一部のエネルギーが一カ所に集中することで言霊に変化し

生命力を帯びたエネルギーの巨大な塊となった。【神の原型】

そしてそのエネルギーの塊は、無数の言霊になって宇宙に拡散していった。【ビッグバン】

宇宙に広がった後、一部の言霊は物質に相転移し物質世界を作り、

残りの言霊は精神世界を作り出した。

二つの世界は互いに浸透し合いながら長い時間をかけて進化発展していった。



ビッグバンと集合意識

2016-01-24 13:09:45 | Weblog
ビッグバンは無数の言霊(原意識)が宇宙に拡散していく現象だったのではないか。

その過程で言霊が共鳴し合い、巨大な集合意識を発生させたのだ。

これが宇宙に最初に発生した神の意識であろう。

我々の意識は、神の意識を生み出した無数の言霊の一部が集まってできているのだ。

我々の意識は神の意識の一部だったのである。

言霊には、ビッグバンと神の誕生の記憶が刻まれているのかもしれない。

原意識 4分30秒


宇宙に拡大する言霊



言霊と統一力

2016-01-22 12:48:00 | Weblog
言霊、特に人間の声には統一力があるのではないか。

高次の想念である高貴な心で歌う歌声は、

聴く人々に対して統一力が働き一体感を感じさせる。

もちろん歌に心が共鳴しないと統一力は働かない。

声は統一力によって現実の世界に影響力を持っているのだろう。

物質世界と精神世界の相互浸透には、言霊の働きが深くかかわっていると思う。

神とは、無数の言霊が共鳴、集合することで生じる、集合意識のようなものかもしれない。






天上界メッセージ集より

2016-01-21 15:41:31 | Weblog
http://www.lr-p.com/pdf/e_7.pdf


慈悲についてお話ししましょう。

善人は憐み深く人助けばかりしますが、彼らが善人と呼ばれて賢人とならないのは何故でしょう。
慈悲は悲しみを共に感じることから起こっています。
この自然の中で人類だけが慈悲を持っているのは、苦しみながらも生きて行かねばなららいことへの救いともなっています。
しかし慈悲はそれだけでは人を救うには至りません。
憐みという悲しみにとらわれているだけでは一時しのぎの人助けしかできないのです。
何をする場合でも一時しのぎでは、後から必ず破たんが来るように
人助けもユートピア作りもそうです。
何がそれにとって建設的なのか、を考えて慈悲をかけねばならないのです。
厳しさとは言っても、きつくするのや、むざむざ失敗しようとするのを放っておく、というのとは違います。
直すべきところ、改善せねばならぬものを甘やかさず辛抱強く見守ることです。
善人であるだけではユートピア作りは難しいのです。
賢くなければ悪辣な人間に頭からねじ伏せられてしまいます。
個々の家庭でもそうであるように、よりよく生き、家族を守り外からの侵入を許さないというには賢さが必要なのです。
厳しさのない慈悲は人をだめにします。
賢さのない善は実らないのです。