http://www.lr-p.com/pdf/e_7.pdf
慈悲についてお話ししましょう。
善人は憐み深く人助けばかりしますが、彼らが善人と呼ばれて賢人とならないのは何故でしょう。
慈悲は悲しみを共に感じることから起こっています。
この自然の中で人類だけが慈悲を持っているのは、苦しみながらも生きて行かねばなららいことへの救いともなっています。
しかし慈悲はそれだけでは人を救うには至りません。
憐みという悲しみにとらわれているだけでは一時しのぎの人助けしかできないのです。
何をする場合でも一時しのぎでは、後から必ず破たんが来るように
人助けもユートピア作りもそうです。
何がそれにとって建設的なのか、を考えて慈悲をかけねばならないのです。
厳しさとは言っても、きつくするのや、むざむざ失敗しようとするのを放っておく、というのとは違います。
直すべきところ、改善せねばならぬものを甘やかさず辛抱強く見守ることです。
善人であるだけではユートピア作りは難しいのです。
賢くなければ悪辣な人間に頭からねじ伏せられてしまいます。
個々の家庭でもそうであるように、よりよく生き、家族を守り外からの侵入を許さないというには賢さが必要なのです。
厳しさのない慈悲は人をだめにします。
賢さのない善は実らないのです。