「自己組織化」 大阪大学大学院工学研究科 物質・生命工学専攻 宮田 幹二
無秩序な状態から秩序ある状態が生まれてくるのが自然の妙である。この状態変化は、宇宙誕生から100億年以上の歳月の間に次々と起こった。この変化を理解するのに、自己組織化という概念が鍵となる。この概念は物理学、生物学あるいは社会学の進化論に関わる分野で発展し、いまや科学全般に大変革をもたらそうとしている。このような背景のなかで、化学の分野にも、自己組織化の概念に基づく大きな潮流が生ずるのも自然なことであろう。
図1 宇宙の歴史と自己組織化
まず、宇宙誕生以来、新しい物質が創造されるごとに、自己組織化が繰り返されてきたことを簡単に振り返る(図1;宇宙の歴史と自己組織化)。高エネルギー状態で発生した数多くの素粒子から、安定な水素・ヘリウムの原子核が誕生した。これは宇宙の膨張とともに拡散するだけかと思いきや、重力により集合し、恒星が生まれた。この恒星のなかで核融合がおこり、重原子が生まれた。この重原子は超新星爆発で拡散するだけかと思いきや、新しく生まれた恒星のまわりで集合し、惑星が生まれた。地球と呼ばれる惑星では、多種多様の有機分子が大量に生まれた。この有機分子は海のなかで拡散するだけかと思いきや、膜をもつ袋のなかで組織化された。数万種の有機高分子が組織化され、生命機能をもつ細胞が生まれた。この細胞も拡散するだけかと思いきや組織化され、多細胞生物が生まれた。細胞は分化して器官や臓器となり、数十兆もの細胞をもつ動植物が生まれた。いつしか頭脳が生まれ、そして人間が生まれた。この人間も組織化され、社会や国家を生み出した。今やマルチメディアの時代を迎え、コンピュータの巨大なネットワークが成長しつつある。
このように、秩序と無秩序を入り交ぜながら、自然の変転することが明らかにされるにともない、従来の科学の枠組みをこえて新しい包括的な理論を模索する科学者が現れた。その一人のプリゴジンは、1950年代頃から平衡条件下にとどまっていた従来の熱力学を非平衡条件下へと拡張していった。そして平衡から遠く離れた非平衡のもとでは自己組織化がおこり、偶然で不可逆的な現象が観測されることを明らかにした。こうして偶然と必然の両立する自然に適応し、不可逆的な日々を生きる我々の日常感覚にマッチした科学が登場した。
図2 有機分子の自己組織化
化学の分野では、この自己組織化の概念はどのように使われるのであろうか。この概念は、分子(ここでは主に有機分子に話をしぼる)の自動的な集合に広く使われている(図2;有機分子の自己組織化)。この際の集合は、現状では平衡下での組織化にとどまるのがほとんどで、生命体のような非平衡下での組織化とはかなり違う。とはいえ、化学者には、生体物質に限ることなく、どのような分子でもよいという自由がある。それゆえ、生命体にも存在しない独創的な組織体を作る夢がある。別な言い方をすると、例えば鳥ではなくハンググライダー、飛行機あるいはロケットに相当するものを作れるのである。
自己組織化の過程で重要なのは、新しい物質が生まれると、それらの物質間に弱い力が働くことである。このような弱い力をいかに使いこなすかが、化学者の勝負どころとなる。分子間にはたらく弱い力としては、方向性のある水素結合やこれより弱く方向性にも乏しいvan der Waals力などがある。そのため、水分子は前者の結合により集合し0Cで氷となり、メタンは後者によりー183Cで固体となる。これらは単純な例だが、子供のときに用いた積み木遊びなどを思い出して、少し想像力をはたらかせるだけでも実に様々な組織体を構想できる。しかし、現実にはかなり簡単な系でも化学者の自由にはならない。
例えば、氷をはじめとする結晶は、分子の自己組織化の最も身近なものである。すでに有機小分子の結晶構造はX線回折法により容易に解析可能で、世界的なデータベースには十万個以上登録されている。ところが、有機分子の結晶構造を予測することはいまだにできない。というのは、簡単な分子でも三次元的に積み重ねるには無数の方法があり、条件しだいでは集合様式の異なる結晶が多々生成する。しかもそれら分子集団のエネルギー差は非常に小さい。それゆえ、現在の近似ではどの集合方法がエネルギー的に有利であるかを言い当てるのはむずかしい。
自己組織化を巧妙に行うには、異なる有機分子が複合していく必要がある。その複合化の仕組みは、包接化合物と呼ばれる結晶で、1947年にPowellらによって初めて解明された。その仕組みは単純で、一方の分子(ホスト)が集合して、他の分子(ゲスト)を取り込む空間を形成する。これは日常生活における入れ物と中身(例えば、かばんのなかの本、建物のなかの人間)の関係のようなもので、ミクロからマクロまで組織化の基本的な仕組みには共通点のあることがわかる。最初はホスト・ゲストがおもにvan der Waals力で集まるものであったが、1980年代になって水素結合で集まるものが戸田芙三夫らによって多数見つけられた。こうして有機分子の複合化は、特殊な現象ではなくて、かなり一般的であることが明らかになった。
いうまでもなく現在での最高の自己組織体は生命である。40億年の歴史をもつこの組織体は、水素結合などの弱い力を見事に使いこなしている。その解明は、Paulingによるタンパク質のa-らせん構造(1951年)に始まり、Watson,Crickによる核酸の二重らせん構造(1953年)、Perutzらによるたんぱく質ヘモグロビンの立体構造(1968年)へと続いた。近年では核酸・タンパク質複合体などの巨大な生体高分子複合体の解明に
向けて多大な努力が積み重ねられている。実際の細胞では数万種のタンパク質・核酸・糖が組織化され、それらが互いに連携を保ちながら生命活動が営まれている。生命体における分子組織体の全貌を解明するには、まだまだ気の遠くなるような時間が必要であろう。
この生命体の自己組織化が徐々に解明されるにつれ、通常の有機分子で生体機能の一部を実現する研究が活発に行われるようになった。そのなかで、分子の複合化法、場の設定法、情報の創成法の三点を以下に取り上げる。
第一に、上記のような包接結晶ではなく、溶液中でも複合化のおこることが示された。すでに前世紀末に、酵素における鍵と鍵穴の考えは提出されたが、有機分子における簡単な例は、1940年代に環状の多糖シクロデキストリンで見つかった。この後、1960年代の終わり頃Pedersenによりクラウンエーテルが合成され、Lehn、Cramが見事な化学修飾を施した。これらの研究はさらに多種多彩な大環状化合物の研究を誘発し、最近では非環状の化合物を用いる複合化が行われている。残念なことだが、タンパク質のように、水素結合で折り畳まれて立体構造をつくる高分子はいまだに作られていない。
第二は、組織化の場としての分子レベルの袋である。この袋状物質は、1970年代終わり頃国武豊喜らによって簡単につくれることが示された。すでに数百種の長鎖有機分子が二分子膜からなる袋をつくることがわかっている。しかし、この袋のなかで、細胞のように多種類の分子の組織化が可能かどうかはまだわからない。これらの長鎖分子は平面状の累積膜にもなり、これを用いる複合化も活発に研究されている。 近年、溶液・固体に限らず、弱い相互作用により形成されている分子集団を超分子と呼んで、化学の一大分野を形成しようとする動きが大変活発である。しかし、自己組織化を考えるには、弱い力が関与していればそれで十分だという考えでよいだろうか。現代化学には重要なことが欠落しているように筆者には思える。つまり、第三の情報という問題である。
最近、パソコンブームになってコンピュータが化学者にも当たり前になった。それなのに化学者は情報の本質に疎いのではないか。コンピュータの場合0と1の、文字の場合、例えばアルファベット26文字の組合せで無限の情報が生まれる。生命の場合、核酸では4種のヌクレオチド、タンパク質では20種のアミノ酸の並べ方によって情報が生まれる。これらの例から、複数の要素を順序よく並べることが情報創成の本質であることがわかる。したがって、化学では次のように一般的に考えてはいかがであろう。陽子・中性子・電子の組合せでは百余種の原子しか生じないが、原子の組合せなら無限の種類の分子が生じる。この分子なら、自然界の最も根源的な情報坦体になり得る。その際、0・1、アルファベット、アミノ酸、ヌクレオチドに相当する情報単位を設定し、その順序(定序性とよばれる)を設定できればよい。この定序性に基づいて自己組織化を制御できる分子が、有意義な情報をもつ。筆者は、ステロイドを置換メチレンの定序性分子と理解すれば、有機分子が一般的に情報坦体となることを実証できると考えている。言語に例えれば、生体高分子は非常に長い小説で、ステロイドのような小分子は短い詩である。このように分子を情報担体とみなせば、宇宙の進化における化学の位置づけが明瞭になる。というのは、宇宙における自己組織化と情報創造とは切り離せない関係にあると思えるからである(図1)。
今までに述べた自己組織体のほかに、平衡から遠く離れた非平衡条件下で、リズムあるいは巨視的構造の形成などの非線形現象を示す自己組織体の研究も進んでいることを最後に指摘したい。
自己組織化:
無秩序になると思われるような系のなかで、ひとりでに秩序ある構造をもつものが現れること。その系を構成するものが、ただ自由に動きまわるのではなく、互いに協力しあって新しい秩序や組織を生み出していく。従って、変化してゆくことを前提とし、いったん秩序ができても、環境の変化で新しい組織化が起こり、別な秩序に移行できる。例えば分子の場合、もし互いに力が働かなければ理想気体のようになるが、実際には、分子間に弱い力が働いて組織体が生成する。19世紀に確立された熱力学は平衡下での必然的で可逆的で静的な諸現象を説明するが、新しい熱力学は非平衡下での不可逆的で動的な諸現象を説明する。平衡から遠く離れると、それまでとは別の自己組織化がいくつかの選択肢から偶発的に選ばれる。こうしてニュートン以来の決定論的な科学から、確立論的な科学への大きな変化が起こった。