思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

朝鮮人のパクリ動画

2011-09-29 18:29:22 | Weblog
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朝鮮人のパクリ動画

2011-09-29 18:29:22 | Weblog
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ある女性がフジテレビ役員とスカイプで会話 

2011-09-21 11:37:53 | Weblog
スカイプでのやり取り内容。

私)思ったより、フジテレビに対する日本国民の反論感情は、短かったですね。

フジ役員)日本国民は飼育された豚みたいなモノですから、こんなものですよ。情報規制かけて放置しておけば一ヶ月もしないうちに収まります。私を含めて、フジテレビとスポンサーはそう思っています。

私)うむ~でもコメント投稿数とか結構多くないですか?

フジ役員)コメント投稿数がいくら多くても無視していれば飽きますからね。日本人は熱しやすく覚めやすいというのはご承知の通りです。9月に入る頃には以前もお話したとおり騒動は治まっていますよ。
その後は、一般大衆を煮るなり焼くなりすればいいわけです。

私)なるほど、そういえば8/21にフジ抗議デモがあるそうですが?

フジ役員)デモ??お散歩イベントですか?あんなのに意味があるなんて思ってるのはお花畑思考の日本人だけですね。好きにやらせておけばいいんですよ、あんなの。どうせ、メディアはどこも取り上げないんですし(笑
さすがに多くの市民が放送局に流れ込んで、放送機材が壊されて、放送できなくなれば困りますが、飼育された人間はそんな事までできませんからね。



私)でも、取り上げられたら大変なんじゃないんですか?

フジ役員)右翼という事にしてイメージ低下させれば問題ないですね、よく言うでしょう?流した者勝ちって

私)そうですか(怒

私)そういえば、8月15日の靖国参拝は報道するんですか?

フジ役員)左翼と右翼のゴタゴタを放送ですか?一部の局ではやるようですが、うちの局はまだ決めかねてるようですね。
流しても、視聴率が取れないという事もありますが、一応日本にあるテレビ局ですからね流さないと体裁が取れないという事もあり、難しいですね

私)お話は、変わりますが、8月7日の東京MXの新右翼って話は電通さんの指示という話だったそうですが?
そういう話は入ってきていますか?

フジ役員)そこは、わかりませんが、東京MXさんは三流ゴシップテレビ局ですから、どうでもいいと言うのがフジテレビとしての気持ちですね。

私)はあ、そんなものなのですか、結構テレビ局同士でもゴタゴタしていたりしますか?

フジ役員)最近は電通さんの指示で統制されているので、そういう事はありませんね。ですが局内としては、以前から反感のあるNHKだけは負けたくないという気持ちがありますね。
NHKは予算だけは多いですが、世界的に見てフジテレビより格下ですのでフジテレビ>NHK>TBS>日本テレビ>その他局と言った所でしょうか

私)そういえば、最近、フジテレビさんの株価が上がってますが何かしたのですか?

フジ役員)スポンサーと、フジテレビ内、ソフトバンクで購入してもらっています。

私)外国人保有議決数は20%超えてます?

フジ役員)超えていても、総務省には20%以下で提出しておけば向こうは動けないので問題ないですね(笑
それに総務省には、反日思想をもった原口大臣が押さえつけてくれるので何も出来ないのですよ。
総務省のコールセンターも謝るだけでいいと周知を原口大臣より回してくれてますしね。
知らないのは、無知無能な日本人だけです(笑

私)そうですか、それでは最後に一つだけ。最近、フジテレビさんの事を国賊と言ってる人がいますがどうですか?

フジ役員)国賊と言ってるのは一部だけでしょう?それに、9月になれば日本国民は仕事で忙しくなりますから、
それまで放置しておけばいいだけです。警察も日和見主義ですから、動けませんしね。
次のブームは台湾って事で偽情報を流しておけばそっちに国民の心理は動きますから、楽なもんです。
日本人は、家畜ですから韓国人の言う事を聞いていればいいと言うのがフジテレビ上層部の一致した見解ですね。

私)はぁ、そうですか......(怒

フジ役員)それでは、今日は失礼させて頂きます。

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反原発デモがキモすぎる

2011-09-20 16:45:23 | Weblog
http://ameblo.jp/tilki/entry-10864913439.htmlより




「百聞は一見に如かず」と言いますが。
いや、ほんと、マジで、一見して納得です。
もともと知ってるけどw
頭で理解していることでも、映像を見ると改めて「ギャッ」ってなります。

4月16日に関西で行われた反原発デモの動画があがってるって、日曜の夜にピグ友さんに教えてもらって、その動画を見ながら二人で(ピグだけど)話してたんですが。
話すっていうか……

「キモイ行列が近づいて来たwこっち来んなww」
「朝鮮太鼓ww」
「なんでこんなに汚いのw」
「目が変ww脳が溶けてるww」
「ザビエルww」
「売れない左翼ギターw」
「リコーダーもいるw」
「生コンww」
「まだ続くwwどこから湧いてくるんだww」
「明らかに異民族ww」
「テラ妖怪顔ww百鬼夜行ww」
「美人やイケメンが一人もいない/(^o^)\ナンテコッタイ」
「キモーwww」

…って感じで、動画を見ながら感想を言い合ってただけなんですが。

反原発デモの動画があまりにキモすぎて、深夜だったのについテンション上がってしまいました。
夜更かししてしまった(^ω^;)
つか、なんであいつらあんなに髪の毛ベトベトなの?
風呂に入れよー!

ニコニコ動画だったので視聴者のコメントも流れてるんですが。
「頭洗えよ」ってコメントが`;:゛;`;・(゜ε゜ )ブッ!!正論すぎ!

奴らデモ行進しながら太鼓を鳴らしてるんですが。
朝鮮太鼓っていうやつで、左翼のデモではおなじみのアイテムらしいです。
つい最近、ピグで韓国ガチャ(いらない…)が出たけど、韓国ガチャのアイテムの団扇と同じ赤青黄の三色のウズマキっぽい変なマークが書いてある太鼓も動画に映ってました。
韓国の何かのマークなのかな?
絶対いらないwwキモwww

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デモ動画

2011-09-16 19:10:18 | Weblog
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花王デモ動画

2011-09-16 17:14:00 | Weblog
http://www.ustream.tv/recorded/17298938
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ユーチューブが韓国を遮断 K-POP宣伝ツールに使った報い

2011-09-12 16:57:19 | Weblog
ユーチューブが韓国を遮断 K-POP宣伝ツールに使った報い
サーチナ 9月12日(月)10時4分配信

 Googleが運営する動画共有サービス「YouTube」が韓国からのアクセスを遮断したと発表。「韓国」と設定されているユーザーは動画をアップロードすることができなくなり、また再生にも規制が掛けられ、再生数も反映されなくなるという。

 何故このような処置が執られたのだろうか? 実は韓国は国家ぐるみで自国K-POP推しをするために「YouTube」を使い、何百万回と再生数を上げているのだ。通常「YouTube」では同一動画において、1ユーザーにつき1回までしかカウントされないが、韓国ではツールを使い複数のアカウントを切り替え再生数を捏造している。

 そのためブリトニー・スピアーズやアヴリル・ラヴィーンといった世界的トップアーティストよりも、少女時代の再生数の方が上になってしまっている。こういったアタック行為に対して処置が執られたという。

 韓国は「ブランド委員会」というものがあり、このようなYouTubeの再生数を伸ばす仕事が実在する。もちろん韓国側は表だって認めていない。木村太郎氏がこの件を発言したところ、干されてしまったことは記憶に新しいだろう。この発言により韓国の「ブランド委員会」からクレームが入り、圧力が掛かったと言われている。

 しかし今回のようにYouTubeに対策を取られてしまってはどうしようもない。今度はユーザーの設定国を偽装するツールを使ってでもアタックを仕掛けてくるのだろうか?(編集担当:金正一郎)

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シルバーバーチの霊訓

2011-09-01 22:46:36 | Weblog
◆『シルバーバーチの霊訓』(一)
● 三章「なぜ苦しみがあるのか」

http://www5.ocn.ne.jp/~sl1848sb/newpage449.html

この交霊界に出席される方々が、もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩み苦しみを避〔さ〕けて通る方法を教えしているのではありません。それに敢然〔かんぜん〕と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。

霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学び取るように勤めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わせるようなことは絶対にありません。なんらかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。

それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中(さなか)にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬なのです。

私どもは、いくらあなた方のことを思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手を拱い(こまぬ)て傍観〔ぼうかん〕するほかない場合がよくあります。そこから教訓を学び取り霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。知識には必ず責任が伴うものです。その責任を取ってもらうわけです。霊はいったん視野が開かれれば、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔〔く〕やむことはないはずです。

燦々(さんさん)と太陽の輝く穏やかな日和〔ひより〕には人生の教訓は身に沁〔し〕みません。魂が目を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。

地上の人生はしょせん一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享〔う〕けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在〔せんざい〕しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、是非とも厳しい試練が必要なのです。

運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。

つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼〔じゅんれい〕の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私〔めっし〕の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断的によって決まるということです。

地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。単純なようで実に複雑なのです。

そのことに関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるということです。地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然のことでしょう。

悲しみは魂の悟〔さと〕りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚〔しんじん〕なる意味をもつものです。悲しみはそれが魂の琴線〔きんせん〕にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟〔さと〕る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら手を差し伸べても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機(とき)を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。

魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取〔せっしゅ〕すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力――それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊〔きんかい〕もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。ほかにもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。

人間の生活には過〔あやま〕ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患〔わずら〕うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。

困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。

むろん困難の最中(さなか)にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違いありません。この世に生まれてくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこに進歩も開発も個性も成就〔じょうじゅ〕もありません。これは酷(きび)しい辛い教訓ではありますが、何ごとも価値あるものほど、成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそうやすやすと手に入れるものではありません。

神は一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通暁〔つうぎょう〕しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間に神を裁く資格はありません。宇宙を裁く資格もありません。地球を裁く資格もありません。あなた方自身さえも裁く資格もありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。物的尺度で見るかぎり世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。当然かもしれません。

しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。

地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律〔いんがりつ〕は必ずしも地上生活中に成就〔じょうじゅ〕されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分(ぷ)の狂いもなく働き、天秤は必ず兵衛を取り戻します。霊的に見て、あなたにとって何が望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもあり得るのです。

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するように勤めることです。というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運だと思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時あなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。しかし神が施〔ほどこ〕されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません。

絶対に誤ることのない霊的真理が幾つかありますが、そのうちから二だけ紹介してみましょう。一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害をこうむることはないということ。もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。焦〔あせ〕ってはいけません。何ごとも気長に構えることです。なにしろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日のごとき組織体を具(そな)えるに至るのに何百万年もかかりました。その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかったことでしょう。その力、宇宙を動かす無窮〔むきゅう〕の力に身を任せましょう。誤ることのないその力を信じることです。

解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話しだからそう簡単に言えるのだ」――こうおっしゃる方があるかもしれません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ、宇宙を支配する神の摂理〔せつり〕の見事さに感嘆〔かんたん〕するばかりです。一つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制〔とうせい〕されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分かるようになります。私は宇宙を創造した力に満腔〔まんこう〕の信頼を置きます。

あなた方はいったい何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです。心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信をもって生きるのです。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事きっと成就します。聞く耳をもつ者のみが神の御声を聞くことができるのです。愛がすべての根源です。愛――人間的愛――はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。

霊的真理を知った者は一片の恐怖心もなく毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護〔ごかご〕があることを一片の疑いもなく信じることができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫(くじ)けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。

恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕み(むしば)ます。恐怖心は理性を挫〔くじ〕き、枯渇〔こかつ〕させ、マヒさせます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼びおこします。

つとめて恐れの念を打ち消すことです。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱すことがあってはなりません。霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的な叡智であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。

“はがね”は火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅に信頼を置くことです。

霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離〔いったいふり〕のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。裏表一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促〔うなが〕すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。そうした法則の全てを通暁することは人間には不可能です。どうしても知り得ないことは信仰によって補〔おぎな〕うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。

知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を生み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則です。恐怖心、信念の欠如、懐疑(かいぎ)の念は、せっかくの霊的雰囲気をかき乱します。私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。

太陽が燦々〔さんさん〕と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり貯金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり。その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆〔ほ〕をかかげる時です。

霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことにはなりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来あがります。どうもその点がよく分かっていただけないようです。種を蒔(ま)きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分がそろわなくてはなりますまい。養分がそろっていても太陽と水がなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまくそろった時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。

人間にとってのその条件とは辛苦〔しんく〕であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののんきな暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります。そしていったん霊的知識に目が覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。

そうしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、インスピレーションなり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。

霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたはしょせん、現在のあなたを超えることはできません。そこがあなたの限界と言えます。が、同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。




シルバーバーチの霊訓(一)52~64〔潮文社〕
訳者:近藤千雄








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