~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

舘野泉さんのピアノに見つけた小さな幸せ

2019-04-15 19:43:12 | 日記

月曜日の朝は、ふかわりょうさんとチェリストの

遠藤真理さんの ラジオ番組「きらクラ」を

楽しみに聴いてますが、今日のゲストは

ピアニストの舘野泉さんとあって、1週間待ちに

待っていました。

クラッシック音楽は分からないのですが

舘野さんのピアノを聴くと、なぜか涙が溢れて

しまうのです。

舘野さんは世界的なピアニストでしたが、

コンサートの時に、脳梗塞をおこし右半身が

麻痺し、ピアニストとしては致命的な障害を

おったのですが、左手のピアニストとして

見事に復活したのです。

私も、舘野さんのコンサートに何度か

行きましたが、本当に心響く音色が私の中にある

深い悲しみに寄り添ってくれ、涙が溢れました。

ラジオで舘野さんは、脳梗塞を起こして

家に居た2年間が、一番笑ったと妻が言っていると

語ってました。

何と素敵な奥さまでしょう。

ラジオから流れて来る舘野さんの演奏を聴きながら

朝ごはんを作っていたら、ふと何て幸せな時間

なんだろうと思ったら、涙が止まらなく

なりました。

幸せって、こういう小さな小さな喜びを

見つけていくことなのでしょうか…

幼い子供たちは、日々小さなことにも喜びを

見つけるのに、大人になると欲が深くなり

こういう小さな幸せが感じられなくなって

しまうのですね。

舘野さんのピアノに見つけた小さな幸せに、

ありがとうで、一日がはじまりました。

本当に感謝です。

左手のピアニスト 「舘野泉80歳へのプロジェクト」

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和田重正先生の言葉

2019-04-14 22:29:09 | 日記

今日は熱海でKさんと会い、気がつけば5時間も

話していました。

それも「いのちの世界」の話です。

子供を亡くしてなかったら、私たち出会って

ないよねと言いながら…

Kさんが下さった和田重正先生の本の抜き書きが

とても響くので、ちょっと長いですが

ここに記します。

『逃れられない苦しみにぶつかった時は、

犬や猫のように、それをじっと受けとめて

いるのが一番軽く、一番速やかに、

それから逃れる道だからです。

どんな苦しみでも、デタラメにやって来る

ものではなく、必ずチャンとして道理に従って

来るものですから、来てしまった以上

目茶苦茶にわめいてみても仕様がないものです。

その代わり、じっと時の経つのを待てば、

必ずその苦しみも通り過ぎるものです。

それをジタバタもがけば、せっかく通り過ぎ

ようとする苦しみを、いつまでも引き戻し

引き戻しする結果となります。

動物は知能がないから、苦しみに襲われた時は

余計なことを考えないで、ただじっと堪えて

いますが、なまじっか知能のある人間は

大慌てして、却って苦しみを大きく長続きさせて

しまいます。

しかし、もう一歩賢くなった人は、

苦しみというものは、そういうものだと知って

却って、動物と同じような態度になるものです。

面白いことですね。

何しろ、いいことも、悪いことも全て筋道が

あってやって来るので、目茶苦茶に現われたり

誰かが、勝手に福を与え罰を下したりする

ものではない。

すべて道理によって、物事は移り変わって

いるのだということを、お話ししたかったのです。

  (和田重正 あしかび全集第1巻)』

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一度きりの人生を粗末にしないで

2019-04-13 22:47:21 | 日記

新聞にタイで振り込め詐欺をやっていた15人が、

逮捕されたという記事が載ってました。

プール付きの家を借りて、ひたすら日本に

詐欺の電話をかける「実働部隊」だだったそうです。

外出もせず、奴隷のような暮らしだったようだと

捜査関係者が語ってたそうです。

捕まった15人が、顔を伏せている写真が

ありましたが、まだ若そうながっちりした

人ばかりでした。

私は、写真を見て一度きりしかない人生を

なんて粗末にしているんだろう…

人を騙すために、自分の人生の限りある時間を

使うなんてと、思ってしまいました。

私は息子を亡くした時、生きる気力を失い

息子のところへ逝くことばかり考えていました。

少し時間が経った時、自分の為に生きるのは

もういいや、でも人の為なら生きられるかも

と、思ったのです。

言葉にしてしまうと、きれいごとを言って

いるように聞こえますが…

いのちの本質がそこにあるのかなと、

思うようになりました。

日野原先生は、”いのち”とは、私たちが持っている

時間の証なのです。

「人が望むことはなんでしょう。平和です。

平和というのは、人が与えられたいのち(=時間)

壊されてしまわないこと”です」


「人間は限られた”いのち”を持つ生きものです。」

「人のために使った時間と自分のために使った

時間のバランスはどうなっていますか? 

人のために使っていますか?」

「あなたが持っている”時間”

(=”いのち”をできるだけ人のために使いましょう」

と言われていたそうです。

『私たちは人に仕えるために生まれてきました。

何のために生きるのか”"どうして生まれて

きたのか”と、頭を悩ませるより

人さまのお役に立つよう動いて下さい。

元気に挨拶するだけでも

じゅうぶん人を喜ばせることができますよ。

               佐藤 初女』

 


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初女さんの言葉~苦しんで苦しんで…

2019-04-12 21:34:46 | 日記

仕事から帰って来たら、Kさんから電話がかかって

来ました。

私の手紙が着き、返事を書いたところなのと…

手紙と電話のやり取りは、今ではアナログですが

やっぱりメールやラインとは違う、深さが

あるな~と再認識しています。

去年の12月にお嬢さんを亡くしたKさんと、

2001年に息子を亡くした私が、その思いを

語り合い、新たなる気づきを頂いています。

息子の死から18年になるのに、あの時の自分が

体に刻まれているかのように、覚えているのです。

苦しみ抜いたことも、壮絶な苦しみの中で

自分が何を思っていたかも…

Kさんが、「針の穴ほどの抜け道があれば、

人はそこから逃げるものだけれど、

私たちは、このどうにも逃げられない苦しみを

通らなければ、次の扉が開かないのだと思う」と

言うのです。

そうか、そうなのかと私は深く納得しました。

Kさんは兎に角、目の前のことを一生懸命

やることなんだねと…

それって、初女さんの生き方だよ!と言うと

初女さんは、分かっていたんだね!という

言葉が返ってきました。

そうか初女さんはそのお姿でどう生きるかを

示して下さっていたんだ…

 

『苦しいと思うほど、とことん苦しみます。

もうこれ以上できない、もう限界、というところの

どん底まで落ちるのです。

落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらな

ければ生きられないので、這い上がる努力を

します。

それが上に活きるという意味で「上活」と

いうのだそうです。

そこまで行かないと苦しみから抜けきれないの

ですね。

中途半端に妥協したりすると、一見解決

したように見えますが、実は本当の解決に

ならないで、残っています。

残っているとすっきりしません。 

                佐藤 初女』

『苦しいときはもっと苦しい仕事をします。

 苦しみの中身はかわりませんが

 苦しみの受けとめ方が変わってきます。

 苦しんで苦しんでどうしようもなくなったら

 あとはすべて神さまにおまかせに。

 今を真実に生きていれば、必ず道は示されます。

 試練を乗り越えるとは

 ひとつところにとどまらないことです。

                 佐藤 初女』


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吉本ばななさんの言葉

2019-04-10 14:06:14 | 日記

今日の田口ランディさんのTwitterの言葉に納得!

立ち直りに必要なのは情報でも

ノウハウでもなく、心を許せる他者。

必ずしも友だちである必要はない。』

Kさんからまたお便りが届きました。

人は一人で生きている、故に支えてくれる

何かが必ず存在する!このことが心から

信じられる気がします。

Kさんから送られて来た吉本ばななさんの

言葉が、とても心に響くので少し長いですが

記してみたいと思います。

『生きていくということは、少しずつ汚れを

ためていくことかもしれない。

それでも、中年過ぎると経験をくぐり抜けて

強く優しくなり、だんだんきれいになって

いくものもある。

色々な人たちの若い時からの写真を見ると

だいたい20代~30代に暗く重い、余計なものを

一杯抱えた顔だ。

眉間のあたりに険があり、自分のことばっかり

考えている顔だ。

それが30代から40代になると、人によっては

まだ重い顔をしているのだが、大抵の人が

すっと抜けた顔になる。

ぱっと開けた顔、こだわりのない、

何かをぎゅっと握ってない顔だ。

きっとその顔はだんだんに、もっともっと

抜けていって、人は天にかえっていくのだろう。

自分の思い、自分の悲しさ、分かって欲しい気持ち

欲しい気持ち、そういうものを自分の中で

ぐっと解決して、自分だけを一番にしてない

時間が多くなればなるほど、その上で

自分というものに良く馴染み、

自分のダメなところも受け入れて、それなりに

自分を大事にしている時間を持っているほど

人はいい顔になる気がする。

いつか、もちろん私も死ぬだろう。

どれだけの小説を残したかでもなく、

どんなに有名になったかでもなく

少しでも抜けた顔で、あの美しい人みたいな

目をして、こだわりの分量をなるべくゼロに

して、去っていきたい、そう思う。

   吉本ばなな(人生の旅をゆく2)    』

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生きるって覚悟がいる

2019-04-09 22:44:16 | 日記

最近この歳になって、生きていくって覚悟が

いるな~と思っていたら、友人が内山興正老師の

対談の言葉を書いて送ってくれました。

対談を抜き書きしているので、分かりにくい

けれど、それでもずっしり来るものがあります。

『やっぱり、人間は何時かは死ぬんだということ

それが、たった一人で死んで行かなくちゃ

ならないんだということ。

もっと根本的に言えば、誰でも一人だ

一人ぎりの一人で生きている。

普段の我々やっている生活というのは、

他とのかね合いだけだもん。

他人がほめてくれるとか、報酬を沢山くれるとか。

ところが、本当の真実は、一人でいつも

生きてゆかなければならないと言う事実が

あればこそ、それだけの寂しさを感じて

これじゃいけないと、感じさせるわけだね。

たった一人で、いつかは必ず死んで行かなければ

ならないーこれが実物としてあるわけです。

これを見失っている。

見失っているけれど、実際にはそれが動いて

いるから、それに従ってやろうというのが

修行ですよ。

誰だって実物なんで、実物を生きているんだ。

それにもかかわらず、実物を見失っている。

そして何かの思いで幻影を描いて、それに

引きずりまわされる。

いわゆるアテの世界に引きずりこまれている。

実物どおりに生きようということを、

出来るだけったらいい。

だから自分という根本にもどる。

本当のものを作ろうと思ったらね、

外をキョロキョロみないで、自分だけ見てなきゃ

無限に創造する領域というのは、自己の生命

だけですよ。』

かなり難解ですが、この言葉をゆっくりと

自分の中に降ろしていくとどうなるかな~

生きるとは、やっぱり覚悟がいることだ

思う自分に、今私は出会っています。


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無駄なことは何もない

2019-04-08 20:41:13 | 日記

一昨日、12月にお嬢さんを亡くされたKから

電話がかかって来て、いきなり「直さん、

お子さん亡くされた時どうだった」と聞かれ

言葉が見つからず「どうしようもなかったよと、

言いながらあの頃の自分を思い出していました。

Kさんはお寺の奥さんで、信仰もあり私なんかより

はるかに色々分かっている方です。

そのKさんが、悲しくて苦しくて…

どうしようもないのと、言うのです。

「私もそうだった、同じ体験をしているのに

夫にも分かってもらえないし、夫の悲しみを

私も分からなかったし…

こんなに苦しいのに誰も助けてくれないと

散々苦しんで、これは誰にも助けてもらえない

ことなんだ!と腹をくくったら立ち上がれたの」と

言うと、Kさんの声がパッと明るくなって

「直さん、わかったよ!

私は、本を読んだり人に話したり、外に

こたえを求めていたの、これは誰にも

解決できない、自分でやらなきゃいけない

ことなんだね」と…

そして、今日も電話があり「直さんの言葉で

本当に力がでたよ。直さんが苦しんだことは

無駄じゃなかったんだよ。

直さんが苦しんだことが、私を助けてくれた

何にも無駄なことはないね!感謝だね~」と、

私はあの頃、死ぬ方がどれほど楽だろうと

思うくらい苦しんでいました。

あの苦しみは私だけのものだと思ってましたが、

そのことが、このように繋がり、Kさんが

立ち上がれる一歩となったのです。

すべてが神さまの計らいの様に、本当に無駄な

ことは何もないんだと思えました。

Kさんは、お嬢さんが亡くなって3か月

私は、3ヶ月の時に夢に息子が出てきて

「俺は死んだんだよ。認めろよ」と言ったのです。

息子の死を受け入れることも出来ず、苦しみ

続けたあの苦悩が、人のお役に立つことが

出来たのです。

こんな日が来るなんて…

すべてが感謝となって行くのですね。

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初女さんの「今を生きる」

2019-04-07 22:17:16 | 日記

初女さんの『今を生きる』という言葉を聴くと

本当にそうだと思うのですが、実際には

分かってなかったと、つくづく思いました。

自分が苦しい時に、何で苦しいのかと思った時、

今を生きてなかったからだと、やっと気が

ついたのです。

『今を生きる』これが、生きる核に

なるということなんですね、初女さん

 『私はなにも心配しいていないの。

 今を生きているから。

 心配する人は必ずといっていいほど

 先のことばかり考えますが

 先の見えない未来のことにあれこれ心を

 惑わしても不安が募るばかりです。

 今ほど確実なものはありません。

 今に感謝していると、とても自由な気持ちになり

 一歩一歩確実に進んでいけるように思います。

             佐藤 初女   』



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初女さんの「今を生きる」を心に刻み

2019-04-06 22:42:37 | 日記

新しい年号になりました。

何人かの人が2020年まで大変な時代かもと

言ってます。

私も1月からずっと不調だったのは、自分自身が

試される大きな試練が来たからかもしれません。

先日何気なく「喜びから人生を生きる」という本を

持って出て、バスの中で本を開いたらこの著者が

『「なぜ私が癌にかかったかと思うか」という

質問の答を一つの言葉にまとめれば

”怖れ”ということになるだろう』という

文章を目にした時、私は自分が不安で覆われて

いたことに、やっと気がついたのです。

初女さんは「先を考えるから不安になるの。

今を生きて下さい。」と言われていたのに…

私の心はこれからのことで不安に一杯になり

今を生きてなかったのです。

新しい時代、今を生きてなかったら大変かも

しれません。

「今を真実に生きていれば、必ず道は示される」

初女さんのこの言葉を心に刻み、不安を

吹き飛ばそう!




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元気になりました。

2019-04-04 23:08:15 | 日記

1月から体調が悪いし、気持ちが沈んだままなので

これではいかん!と、木更津のKさんに会いに

行きました。

Kさんは、初女さんが私の友人と言ってとても

信頼していた方です。

私は、何かあると会いに行って、そして元気に

なって帰って来るのです。

私にとって、今はKさんのところが「森のイスキア」

です。

今日はランチを予約してあるので、まずは食事を

してからと言われ袖ケ浦の「カフェ仕立て屋」に

行きました。

お店に入ろうとすると、突然目の前を黄色い蝶々が

飛んで来るのです。

思わず「創だ!」と息子の名前を言ってしまい

ました。

何かあると黄色い蝶々が飛んでくるので、

私は息子だと信じているのです。

今年初めての蝶々の出現に思わず涙が溢れて

しまいました。

そして、出て来たランチがイスキアの食事のように

丁寧に作られたお料理で、優しい味がして

初女さんのお料理に重なりました。

Kさんと食べた物の記憶ってすごいよね。

初女さんのお料理を細胞が記憶していると

いう感じだもの!と言うと

Kさんが「それは体の中でいのちとなって共に

生きているからだよ」と…

美味しいお料理を食べると、初女さんが

思い出されます。

Kさんと話して、大切な気づきを頂き

元気になって帰ってきました。

森のイスキアに行ったようです!

『こころを込めて用意されたお料理を、

 みんなでゆっくりいただくと

自分だけの苦しみに閉ざされていても、

自然に感謝の気持ちが湧いてきて

新しい一歩を踏み出すきっかけに

つながります。

          佐藤 初女    』




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