~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

苦しみの受けとめかた

2013-04-12 22:18:41 | 日記
誰もが、苦しみの少ない人生を歩みたいと思っているのに、

一つ乗り越えるとまた次の苦しみがやってきます。

Yさんが初女先生に「人は次から次に、絶えることなく苦しみを

体験するが、苦しみの質が変わるのでしょうか」とお聞きしたら

先生は「いいえ、同じです。受けとめ方が変わってくるのです。」と

言われたそうです。

初女先生は『「禍福は糾える縄のごとし。

禍と福は必ず繰り返し巡ってくるものだから、幸せの時こそ謙遜に

苦しい時にも希望を持ちなさい」恩師からのこの言葉に

励まされて、苦しみにあうたびに、「次に喜びが待っているんだ」と

希望を持つのです。そう考えると、苦しみを受けとめる力が

むくむくと湧いてくるような気がします。』と言われています。

イスキアの鐘を贈られたレジナ・ラウデス修道院の院長様が

初女先生に会われた時「あなたも苦しみましたね」と、言われた

そうです。

この一言に、初女先生の通ってこられた苦しみの深さを感じます。

その先生が言われる「苦しみの受けとめ方が変わる」ということ

これは紛れもない真実なのだと思います。

人は自分に来る苦しみを止めることは出来ないけれど

苦しみの受けとめ方は変えることが出来るということ

そう思うだけで、不思議と力が湧いてきます。

体験から生まれる初女先生の言葉の深さを、感じないでは

いられません。


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生れてくれて有難う

2013-04-11 22:38:06 | 日記
私の知りあいに、先天性の難病をかかえた青年がいます。

去年の5月までは、週に3回作業所に来ていたのですが、6月に

体調を崩してからは、作業所に来ることが出来なくなってしまい

ました。

それからは、手紙を送っているのですが、何を書いてよいのか

迷いながら書いています。

そんな思いを抱いていたら、初女先生も同じ様な思いをされて

いたのを知りました。

先生が難病を抱える人、その家族また介護している人を対象に

講演された時、直接病気について語ることもできなし、戸惑った

そうです。

でも「人の体は神秘なので、計りしれないものがある。

今を生きていることに感謝をし、力を合わせ支え合い、

希望を持って一日一日を大切に生きること」と祈る気持ちで

お話したら、「治療法がない病気を考えてしまうより、生きている

いまを大事に考えよう」と生き方を捉える方が多くいらした

そうです。

私は、難病の彼にいつも当たり外れのない手紙を書いて

送っています。

でも、初女先生のこのお言葉を知り、、自分の気持ちに素直に

丁寧に書けばいいんだと思いました。

彼は、このおばさんの思いを真っ直ぐ受け取ってくれると

思えたのです。

一日一日を大切に生きることを、何だか忘れていた気がします。

難病の彼を思う時、その刻まれて行く時間の大切さを

心の底から感じます。

彼もまた、大切なお役目を携えて生れてきたのですね。

うちの子も、13歳での死という重いお役目を受けて

生れてきたのですね。

本当に私のもとに生れてくれて、ありがとう創!

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小さいと思われることに

2013-04-10 23:27:01 | 日記
今日、書のお稽古の時に先生が漢字の中の小さい部分は、急がず

大きい処を書くのと同じくらい時間をかけると言われました。

漢字の「太」という字の真ん中の点などは、簡単に書いて

しまうのでなく、一画目を書くのと同じくら時間をかけるという

だと思います。

私は、書の先生のそのお話を聞いた時、初女先生の

「生きる上で小さいと思われることも大切に

 ひとりひとりの出会いも大切に 

 小さいと思っているところに 大きなものがあります」

というお言葉を思い出しました。

人とのかかわりの中でも小さい事でも、丁寧にしもらったことは

何か心に残っているものです。

初女先生のおむすびを食べて自殺を思いとどまった青年も、

おむすびがタオルに包まれているのを見た時、こんなふうに

自分を思ってくれる人がいるということに、心打たれて

そのことが、青年を生きることに向かわせたようです。

小さいと思われることを大切にすることは、すべてに

繋がっているのだと、思いました。

書も小さいところをゆっくり深く書くことによって

字が平面でなくなり、立体になってくるようです。

小さいと思っているところにこそ、大きなものがあるんですね
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魂の食べ物

2013-04-09 18:56:25 | 日記
大学が始まった息子から、おむすびのリクエストがあり、張り切って

まんまるおむすびを作りました。

帰って来た息子が、空になった紙のおむすびパックの凹みを直し

ながら戻してくれました。

この何と言う事のない行為が、妙に嬉しく感じました。

「おむすび…」と思った時、私は自分の人生の最後に食するものは

やっぱりおむすびがいいなーと思いました。

そう思ってみると、息子の最後の食べ物がおむすびだったと

いうことも、それでよかったんだと思えました。

もし、あの時のお弁当がおむすびでなかったら、初女先生とは

こんな出会いをしていなかっただろうし…

これも全て、神さまの計らいでしょうか

そう思うと、その御心の深さに感謝しかありません。

息子を亡くした時「神も仏もないね」と友達に言われて

何の確信もないのに、「神様はいます」と答えたのは、

この神様の計らいの深さを、私の魂が感じていたからなので

しょうか…

今朝も息子から、おむすびのリクエストがありましたが、

ご飯がたくさん残っていたので、ふかしご飯にしたので

おむすびを作ってあげられませんでした。

残念なことをしました。

息子が出掛けた後、ご飯を炊いておむすびを作りお供え

しました。

「おむすび」このシンプルな食べ物は、魂の為の食べ物

ではないかと思えるのです。

「おむすび」はソールフード。

魂を元気にする食べ物!

もっともっと美味しいおむすびを作りたいです!!
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試練

2013-04-07 18:15:08 | 日記
新聞の投稿に、息子が白血病になり、軽い身体障害のある妻は

脳梗塞・胃ガン・心臓疾患などで治療中の私の介助に加え息子の

病気も抱え頑張ってくれていますが、「なぜ私たちがこんな目に

遭わなければならないのか。母親にならなければよかった。」と

落ち込むことがあるので、妻に「もっと大変な人はたくさんいる。

神様がこれくらいなら耐えられるだろうと与えた試練と思っていこう」

と、励まし感謝し、時には叱りながら暮らしています。と、書いて

ありました。

神様は背負えきれない荷物は背負わさないと、聞いたことが

あります。

子供を亡くした時は、その言葉がきつくて仕方ありませんでした。

何度、天に向かって「私はこれほどの試練に耐えられるほど強く

ありません」と訴えたことか…

神様は私が強いと見込み違いしていると、言い続けていました。

でも、振り返ってみると悲しみと苦しみに潰れることなく

前より少し強くなった自分がいるのです…

試練とは、まるで神様が見通して、耐えられるだけのものを

与えて下さっているのでしょうか…

今、私たち家族は何気なく息子の思い出を話せるように

なってきました。

弟は、ここ一番と言う時にはお兄ちゃんに手を合わせてお願い

しています。

中島みゆきの歌ではないけれど、「あんな時代のあったねと

いつか笑って話せるわ…」

試練を乗り越えると、そんなふうに振り返れる時が来るのかも

しれません。

神様は、少しでも人間を高めようとするのか、一つの試練を

クリアすると、また次なる試練がやってきます。

これくらいなら耐えられると、与えられた試練なんだと思って

いこうと私も思いました。

そう思うだけで、ちょっと元気が出て来るのは不思議です。
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医療と生き方

2013-04-06 23:14:06 | 日記
私は病気になっても病院には行かず、近所の鍼灸治療院の先生に

診てもらうのです。

凄い先生で、その先生がいたから引っ越して来てしまったのです。

人の持っている自然治癒力を最大限引き出してくれるのです。

早朝でも、夜中でも「先生助けて!」と飛び込むと嫌な顔一つ

せず診てくれるのです。

息子もこの先生には絶対の信頼を寄せていて、親が言っても

聞かない事でも、先生に言われると「はい。」と素直に聞くのです。

昨日は、息子が体調が悪いというので、夕方治療室に行きました。

1歳の頃から診てもらっているので、もう殆んど身内の様なのです。

治療が終わると、ご飯でも食べていかない?と言われ、親子二人

ラッキーという感じで夕食まで御馳走になりました。

その時、古くからの先生の知り合いが来ていて、末期癌の兄を

治してほしいと話していました。

その人は医者である弟の指示を受けて治療をしてきたけれど

良くならないので、妹さんが西洋医学とは真逆の治療をしている

先生のところに、先日癌のお兄さんを連れてきたということ

なのですが、先生はこういう治療は本当に本人が望まなくては

難しいと話したのです。

すると、その妹さんは「近所のTさんは、癌であと一ヶ月と

言われたのに、先生が毎日治療に行ってよくなってるのに、

うちの兄は診てもらえないの」と、言うのです。

先生は「私はいつでも全力で治療してるから、誰も差別はして

ないのよ」と言うのですが、先生の言おうとしていることが

相手に入っていかないのです。

その時「山さんならどう思う?」と、先生に聞かれたのです。

私も主人の母がリウマチで長い間患い、薬の副作用に苦しんで

いたので、何度も母にアプローチしましたが、ダメでした。

その時、医療とはいのちにかかわることだから、どういう

医療を選択するかは、その人の生き方なんだと思ったのです。

周りがいくらこっちの治療法の方がいいと言っても、本人が

決断しないと、後悔が残ってしまうのです。

私は「どういう医療を選ぶかは、その人の生き方だから」と

答えたのですが、これも通じたか…

でも、黙って聞いていた息子には伝わっていたようで、帰る途中

「俺、Y先生に言ってること正しいと思ったよ」と言って

ました。

小さい頃から、具合が悪くなると寝ずに手当してきた甲斐が

あったとな、感じた一瞬でした。

Y先生には、みんなを診取って欲しいので120歳まで生きてと

言っている私ですが、昨日はそれをさらに延長して

「先生、大地までお願いね」と言うと、「いやだよー、大地は

天国からパワー送るからね」と言って笑っていました。

先生の傍に引っ越してきて良かったと、今さらながら思う

私です。


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強さとは…

2013-04-04 22:00:52 | 日記
今朝、外に出てみると、昨日の強風で倒れてしまったのではと、

思っていたチューリップが、すっくと立っているのです。

こんなに細い茎が、どうしてあの風に耐えることができたのだろうと、

思った時に、風に逆らわないしなやかさがあったからだと思い

ました。

しなやかであることは、強いことなんだ!ということを

チューリップに教えてもらった気がしました。

初女先生は、とてもしなやかな方です。

本当の強さとは、しなやかさと共にあるんですね。

今日は面白い話を聞きました。

小学生のお孫さんが、学校でお花の種を植え育てていたところ

ある日、大風が吹いてクラス全員の花が倒れてしまったのに

そのお孫さんのだけは、なんともなかったそうです。

大人たちが不思議がると、その子は「当たり前だよ。

ホオ・ポノポノで(有難う、愛してるって言って)お水

あげていたものと、言ったそうです。

ちょっと不思議ないい話でした。
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初女先生の味

2013-04-03 23:02:21 | 日記
3月31日は主人の誕生日でした。

主人がいくつになっても、僕の誕生日だからと拘るのは、

きっとお母さんが、誕生日を大切にお祝いをしてくれていたから

なのでしょう。

「クリスマスはお給料日の前だから大変だったの、それでも靴下に

お菓子入れてね…」と、義母から話を聞いた時、ハレの日のお祝い

をちゃんとしてきた家庭だったんだなと、母親の愛情を感じました。

私は、誕生日が元旦ということもあり、日本中がお祝いしてる

からの一言で終わり、誕生日を祝ってもらった覚えが殆んど

ありません。

クリスマスも、母がもみの木を買って来てくれたときには、

天にも昇るほど喜んだのに、クリスマスが終わり、庭にもみの木を

植えかえたら、すっかり根がついてしまい、クリスマスツリーが

翌年から庭木になってしまい、ひどくガッカリしたものです。

そんな子供時代だったので、ハレの日の印象があまりないのです。

でも、子どもが喜ぶことには気合いを入れてきたので、ハレの日は

きっと息子の心に思い出として刻まれていると思います。

ところが、主人の誕生日となると…別なのです。

誕生日のお料理は?と考えた時に、ふと義母がお祝いの時に

よく「ばら寿司」を作ってくれたのを思い出し、作り方が

分からないので、初女先生のお料理の本の五目ずしに

しました。

材料が、地味というくらいシンプルで、かんぴょうに

干ししいたけと、しらす干しに卵だけなのです。

ところが、食べてみるとなんとも言えず美味しいのです。

息子が、一口いれたら思わず「うま!」と言ったのです。

先生のお料理の本に「けっして、新しい「アッ」思われる

メニューではありませんし、だれでも作っているかわり映えが

しないような料理ですが、食べてみて「ひと味」違うところに

お気づきくだされば、うれしいです。

メニューを作るにあたって言葉に表現できなかった部分が、

この「ひと味」に出ていると思うのです」と書いてありました。

まさに、この「ひと味」が初女先生の味であり、母の味なんだ

と、思いました。

心に届く味なのです。

五目ずしと鯛のお吸い物でお祝いした我が家のハレの日でした。

照れながら、ローソクを消した主人の顔が子供みたいで

おかしかったです。

天国のお母さんも喜んで下さったかしら…

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お米の命

2013-04-02 21:50:14 | 日記
初女先生は、ご飯が上手に炊けるようになったら、それはすべてに

通じると言われていました。

それ程、ご飯を美味しく炊くのは難しいということです。

私は、厚手のお鍋でご飯を炊いていますが、毎日蓋を開ける時は

ドキドキします。

真ん中が盛り上がったご飯が炊けた時は、それだけで心が明るく

なります。

たまに、主人が「今日のご飯は美味しいなー」なんて言った時には

ヤッターと飛び上がりたいほど嬉しくなりますが、滅多にありません

ご飯を炊くのは、どうしてこんなに難しいのだろうと思った時、

初女先生の「お米のひと粒ひと粒も、生きている『命』です。

 その日、その日によってお米の状態も違いますから。」という

言葉に出会いました。

私はお米を「生きている命」とは思っていませんでした。

でも、お米を水に浸しその給水状態を見ていると、寒さが

厳しい冬は給水に時間がかかっていたのに、春が近づき

水が温んでくると、給水時間が確実に短くなるのです。

植物がまだ堅い蕾にある時も、お米は春の訪れを感じて

いたのです。

お米は生きているのですね。

先生は、ご飯が出来あがるまでの工程ひとつひとつを、

慈しみ育むように大切に扱っているそうです。

だから、あんなに美味しいご飯が炊けるんですね。

イスキアのご飯茶わんは大きいのに、美味しくておかわりして

しまいます。

お米が、生きている命だから、おむすびを結ぶ時はそのお米の

ひと粒ひと粒が呼吸できるように、ということなんですね。

「直さん、おむすびはご飯の炊き方よ」と言われた先生の

お言葉が、今頃になってずしんと来ています。

明日は、美味しいご飯が炊けますように…

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