苦しみの受けとめかたが変わるという、初女先生のお言葉から
「魂で受けとめる」ということが、私の中に降りて来ました。
私自身はすごく納得したのですが、魂で受けとめなければ
立ち上がれない苦しみと言うのを、体験する人のほうが少ないかも
しれないと思いました。
このことを伝えることは、至難の業かもと思いつつ、それでも
書いてみようと思いました。
私は、息子が亡くなったという事が、どうしても受け入れられず
苦しみ抜いていました。
息子の生も死も私が生きるんだと、前向きに前向きに考えようと
していました。
もう、大丈夫という心の状態になったと思っても、ふとしたことで
その思いはすべて潰され、さらなる悲しみと苦しみが襲って
くるのです。
その繰り返しに、自分自身がボロボロになっていくのです。
でも、私が悲しんでいたら息子はもっと悲しむと思い、何とか
立ち直らなければと必死でした。
主人も小3だった次男も、目を離すと私が死んでしまうと
思ったと、言ってました。
この苦しい現実から逃避するということが出来ず、ひたすら
向き合っていました。
しかし、どんなにしても苦しみは歴然としてそこにあるのです。
そんな中で、私が初女先生に出した手紙が、先生とのご縁に
繋がり、イスキアへ呼んで頂いたのです。
先生は、唯々私の話を聴いて下さったのですが、
帰る新幹線の中で、何も解決してないのに、私はいつの日か
息子の死を感謝をもって受け入れられる日が来る!と、
確信を持って思えたのです。
その日から、息子がいないという苦しみに押しつぶされる
ことがなくなったのです。
なにも、現実は変わっていないのに…
今、思うとこの時私は魂でこの現実を受けとめられたんだと、
思うのです。
フランクルを読んだときも、ナチの収容所にいる現実を彼は
魂で受けとめたと感じました。
ボストンマラソンのテロで子供を失った親は、この現実を
どう受けとめるだろうと思った時、どうにもならない現実を
受けとめていくには、やっぱり魂で受けとめていくことしか
ないように思えるのです。
初女先生は、体験ほど尊いものはないと言われています。
言葉で伝えることは、無理があると分かっていますが
書かずにはいられなかった私です。
もしかしたら、亡くなった息子が書かせているのかも…
「魂で受けとめる」ということが、私の中に降りて来ました。
私自身はすごく納得したのですが、魂で受けとめなければ
立ち上がれない苦しみと言うのを、体験する人のほうが少ないかも
しれないと思いました。
このことを伝えることは、至難の業かもと思いつつ、それでも
書いてみようと思いました。
私は、息子が亡くなったという事が、どうしても受け入れられず
苦しみ抜いていました。
息子の生も死も私が生きるんだと、前向きに前向きに考えようと
していました。
もう、大丈夫という心の状態になったと思っても、ふとしたことで
その思いはすべて潰され、さらなる悲しみと苦しみが襲って
くるのです。
その繰り返しに、自分自身がボロボロになっていくのです。
でも、私が悲しんでいたら息子はもっと悲しむと思い、何とか
立ち直らなければと必死でした。
主人も小3だった次男も、目を離すと私が死んでしまうと
思ったと、言ってました。
この苦しい現実から逃避するということが出来ず、ひたすら
向き合っていました。
しかし、どんなにしても苦しみは歴然としてそこにあるのです。
そんな中で、私が初女先生に出した手紙が、先生とのご縁に
繋がり、イスキアへ呼んで頂いたのです。
先生は、唯々私の話を聴いて下さったのですが、
帰る新幹線の中で、何も解決してないのに、私はいつの日か
息子の死を感謝をもって受け入れられる日が来る!と、
確信を持って思えたのです。
その日から、息子がいないという苦しみに押しつぶされる
ことがなくなったのです。
なにも、現実は変わっていないのに…
今、思うとこの時私は魂でこの現実を受けとめられたんだと、
思うのです。
フランクルを読んだときも、ナチの収容所にいる現実を彼は
魂で受けとめたと感じました。
ボストンマラソンのテロで子供を失った親は、この現実を
どう受けとめるだろうと思った時、どうにもならない現実を
受けとめていくには、やっぱり魂で受けとめていくことしか
ないように思えるのです。
初女先生は、体験ほど尊いものはないと言われています。
言葉で伝えることは、無理があると分かっていますが
書かずにはいられなかった私です。
もしかしたら、亡くなった息子が書かせているのかも…