昨日ブログに、頬笑みを忘れていたと書いていた時、ある青年の
微笑む顔が浮かんできました。
職場である、障害者地域作業所に来ていた20歳の若者です。
彼は難病の為、歩くことも坐ることも寝返りを打つことも
出来ませんが、僅かに動く指先に筆を握って作業をしてくれて
いました。
遠慮深く、こうして欲しい、ああして欲しいということは、
全く言わないので、私たち職員は「ねえ、我がまま言っていいん
だよ。もう、なんでも聞いてあげるから」などと、よく言った
ものです。
でも、彼はいつも静かに微笑んでいるだけでした。
私は、今どきの若者なのに何て遠慮深いんだろうと思って
ましたが、そんな単純なものではないことが、今になって
分かってきました。
去年から彼は、病状が進み作業所には通えなくなっています。
何も出来ない私は、彼に絵ハガキを送るという片思い文通?
をしています。
葉書を書いている時、いつも彼のあの穏やかな頬笑みが頭に
浮かんできます。
もう、それが彼の顔として私の頭にインプットされているかの
ように…
でも、それはすごいことだと今頃になって気がついたのです。
自分の意思で動かせるところが、どんどんなくなっていって
それでも、あの静かな頬笑みを絶やさないでいられたと
いうことは、すごい精神だと思いました。
そして、彼が私に教えてくれていたことにやっと気づきました。
自分の力で何もするこが出来なくなっても、微笑むことは
出来るということ…
そして、その微笑みはぐるりの人すべてを幸せにしてくれると
いうこと…
いつも、当たり障りのないことばかり書いて来た片思い文通の
葉書に今日は、素敵な頬笑みを有難うと、書きました。
そして、私も今日から微笑みますと…
微笑みの向こう側にあるものに、やっと気がつきました。
微笑む顔が浮かんできました。
職場である、障害者地域作業所に来ていた20歳の若者です。
彼は難病の為、歩くことも坐ることも寝返りを打つことも
出来ませんが、僅かに動く指先に筆を握って作業をしてくれて
いました。
遠慮深く、こうして欲しい、ああして欲しいということは、
全く言わないので、私たち職員は「ねえ、我がまま言っていいん
だよ。もう、なんでも聞いてあげるから」などと、よく言った
ものです。
でも、彼はいつも静かに微笑んでいるだけでした。
私は、今どきの若者なのに何て遠慮深いんだろうと思って
ましたが、そんな単純なものではないことが、今になって
分かってきました。
去年から彼は、病状が進み作業所には通えなくなっています。
何も出来ない私は、彼に絵ハガキを送るという片思い文通?
をしています。
葉書を書いている時、いつも彼のあの穏やかな頬笑みが頭に
浮かんできます。
もう、それが彼の顔として私の頭にインプットされているかの
ように…
でも、それはすごいことだと今頃になって気がついたのです。
自分の意思で動かせるところが、どんどんなくなっていって
それでも、あの静かな頬笑みを絶やさないでいられたと
いうことは、すごい精神だと思いました。
そして、彼が私に教えてくれていたことにやっと気づきました。
自分の力で何もするこが出来なくなっても、微笑むことは
出来るということ…
そして、その微笑みはぐるりの人すべてを幸せにしてくれると
いうこと…
いつも、当たり障りのないことばかり書いて来た片思い文通の
葉書に今日は、素敵な頬笑みを有難うと、書きました。
そして、私も今日から微笑みますと…
微笑みの向こう側にあるものに、やっと気がつきました。