上野の墨人展という書展に、初めて参加しました。
作品を書く時、何という字にしようかと考えるのですが、私は
どうも「石」が好きらしいのです。(今まで気づきませんでしたが)
去年の東江寺での書展にも、「石」を書きました。
今年の「石」は、お日様の陽射しを浴びて温められたような
ぬくぬくと温かい「石」になりました。
そう言えば、初女先生も石が好きな方です。
イスキアへ行くと一番最初に目に入って来るのが、入口にある
25トンもある大きな石です。
なぜ、ここにこんな大きな石があるのか、なんで初女先生は石が
好きなんだろうと思うほどのインパクトのある石が、イスキアを
訪れた人を迎えてくれます。
この石は、イスキアから眺める岩木山の稜線と同じ形をして
いるそうです。
なぜ石かというと、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石と
なった」という聖句から(隅の親石は家の土台を支える要石のこと、
「捨てられた石」とはキリストのこと)
「どうぞ、隅の親石となってくれますように」と初女先生が祈りを
込めて置かれたそうです。
先生がイスキアの活動を始めてからしばらくの間は、同じ信仰を
持つ人達の間で受け入れられていないという、大きな苦しみの
中で、捨てられた石のような気持ちで、だから必ず「隅の親石」
となるよう生きたいと思われたそうです。
それが、岩木山の噴火から生まれたイスキアの石なのです。
イスキアの石は、あまりに大きいので先ず子供がよじ登りたく
なります。それを見ていて大人もまたよじ登りたくなるのです。
登った人はあったかいからと、なかなか降りてこない…
私の書いた「石」は、小さなぬくぬく石でした。
いつか、イスキアのぬくぬくとした「隅の親石」を書いて
みたいと思いました。
初女先生という「隅の親石」にどれくらいの人達が乗って
いることでしょう…
作品を書く時、何という字にしようかと考えるのですが、私は
どうも「石」が好きらしいのです。(今まで気づきませんでしたが)
去年の東江寺での書展にも、「石」を書きました。
今年の「石」は、お日様の陽射しを浴びて温められたような
ぬくぬくと温かい「石」になりました。
そう言えば、初女先生も石が好きな方です。
イスキアへ行くと一番最初に目に入って来るのが、入口にある
25トンもある大きな石です。
なぜ、ここにこんな大きな石があるのか、なんで初女先生は石が
好きなんだろうと思うほどのインパクトのある石が、イスキアを
訪れた人を迎えてくれます。
この石は、イスキアから眺める岩木山の稜線と同じ形をして
いるそうです。
なぜ石かというと、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石と
なった」という聖句から(隅の親石は家の土台を支える要石のこと、
「捨てられた石」とはキリストのこと)
「どうぞ、隅の親石となってくれますように」と初女先生が祈りを
込めて置かれたそうです。
先生がイスキアの活動を始めてからしばらくの間は、同じ信仰を
持つ人達の間で受け入れられていないという、大きな苦しみの
中で、捨てられた石のような気持ちで、だから必ず「隅の親石」
となるよう生きたいと思われたそうです。
それが、岩木山の噴火から生まれたイスキアの石なのです。
イスキアの石は、あまりに大きいので先ず子供がよじ登りたく
なります。それを見ていて大人もまたよじ登りたくなるのです。
登った人はあったかいからと、なかなか降りてこない…
私の書いた「石」は、小さなぬくぬく石でした。
いつか、イスキアのぬくぬくとした「隅の親石」を書いて
みたいと思いました。
初女先生という「隅の親石」にどれくらいの人達が乗って
いることでしょう…