金曜日、春休みの「書」の体験のお手伝いに行きました。
子ども達が、畳1畳ぐらいの紙に大きな筆で「書」を書くのです。
墨を含んだ筆の重さは、半端なものではありません。
5歳の漢字をを知らない、幼稚園生も参加していました。
子どもの凄さは、ひるまないことです。
大人は、大きな紙を前にして重たい筆を持った途端、怖気づくのに
子どもは、「重てえ~」なんて言いながら、へっちゃらなんです。
名前と書く字を言ってから書きだすのですが、元気のいい男の子が
「鈴木の鈴の字を書きます」と言って、勢いよく一画目に筆を
置いたら、まるで水溜まりに飛び込んだように墨が飛び散り
見ている人から「きゃー」と声が出るほどでしたが、本人は
平気で、画数の多い「鈴」を書き切ったのです。
全く子どものエネルギーには感服します。
その子の勢いが伝播して、みんなの字が堂々と元気いっぱいに
なって行きました。
赤ちゃんの弟がいる女の子は、最初に「弟」を書き、2回目は
「姉」と書きました。
真っ黒になった「姉」の字を見て、「線が見えない」と落胆
していましたが、私は「この子は、ちゃんと線を見ようと
していたんだ」と、逆に感動してしまいました。
やっぱり、子供はどの子もきらめくものをもっている!
大人がいくら頑張っての太刀打ちできないなーと、やる度に
子どもに感動と刺激をもらいます。
先生が「他の人の作品も見て下さい」と言われ、皆で
見て廻った時、一人にお母さんが漢字の読み方を一つひとつ
教えているのです。
私は「あ~親って余計なことするな~」と、がっかりして
しまいました。
「感じること」が大切なのに…
子ども達のきらめきを、大人がいつの間にか曇らせて
しまっているんですね。
子ども達の筆との最初の出会いが、「お習字」というのも
すごく残念です。
内なるエネルギーの躍動を書く「書」に出会ってもらえたら!
と、心から思います。
お習字の時間が大嫌いだった私としては、子供の頃に「書」に
出会っていれば…なんてこの歳になって思うのです。
いつか、子供たちの迫力に負けない「創」を書きたい!です。
子ども達が、畳1畳ぐらいの紙に大きな筆で「書」を書くのです。
墨を含んだ筆の重さは、半端なものではありません。
5歳の漢字をを知らない、幼稚園生も参加していました。
子どもの凄さは、ひるまないことです。
大人は、大きな紙を前にして重たい筆を持った途端、怖気づくのに
子どもは、「重てえ~」なんて言いながら、へっちゃらなんです。
名前と書く字を言ってから書きだすのですが、元気のいい男の子が
「鈴木の鈴の字を書きます」と言って、勢いよく一画目に筆を
置いたら、まるで水溜まりに飛び込んだように墨が飛び散り
見ている人から「きゃー」と声が出るほどでしたが、本人は
平気で、画数の多い「鈴」を書き切ったのです。
全く子どものエネルギーには感服します。
その子の勢いが伝播して、みんなの字が堂々と元気いっぱいに
なって行きました。
赤ちゃんの弟がいる女の子は、最初に「弟」を書き、2回目は
「姉」と書きました。
真っ黒になった「姉」の字を見て、「線が見えない」と落胆
していましたが、私は「この子は、ちゃんと線を見ようと
していたんだ」と、逆に感動してしまいました。
やっぱり、子供はどの子もきらめくものをもっている!
大人がいくら頑張っての太刀打ちできないなーと、やる度に
子どもに感動と刺激をもらいます。
先生が「他の人の作品も見て下さい」と言われ、皆で
見て廻った時、一人にお母さんが漢字の読み方を一つひとつ
教えているのです。
私は「あ~親って余計なことするな~」と、がっかりして
しまいました。
「感じること」が大切なのに…
子ども達のきらめきを、大人がいつの間にか曇らせて
しまっているんですね。
子ども達の筆との最初の出会いが、「お習字」というのも
すごく残念です。
内なるエネルギーの躍動を書く「書」に出会ってもらえたら!
と、心から思います。
お習字の時間が大嫌いだった私としては、子供の頃に「書」に
出会っていれば…なんてこの歳になって思うのです。
いつか、子供たちの迫力に負けない「創」を書きたい!です。