竜宮城から帰った浦島太郎が開けてはいけないと言われた玉手箱を開けたとたん、白髪のおじいさんになるというお話はぼくでも知ってる。
このお話は1300年昔の「丹後風土記」から語り継がれてきた物語なのだそう。
謡のおけいこをしているお友だちから、是非来てね、と誘われて「能講演会~心と身体に響く日本文化・能の世界」という講演会におかあさんは今日、行ってきました。
まったく、そのような文化というものを知らないおかあさん、最初に、少しお能のお披露目があって、そのあたりは珍しくてしっかり見ていたのでしたが、先生のお話になると途端に眠くなってしまうのは、若いころと同じです。
ところどころ覚えているのは「浦島太郎」という昔話は日本に70冊以上も絵本があり、ドイツ語英語にも翻訳されているということ。
浦島が竜宮城にいた期間が3年だったり、300年だったり、700年だったり、それは国定教科書のせいだとか。
それからが、おかあさんにはちっともわからなかった。。
ユークリッド幾何学たら、アインシュタインの相対性理論たら。。。
その女先生は仙台の出身で去年の3月11日にたまたま地元にいて地震に遭われたのだった。
しかも、金春流宗家を仙台に招いていた。
女先生は30歳のときにヨーロッパに行って、ベートーヴェンやシェークスピアは知っているのに、日本文化のことを何も知らない、ということに気付き、それから能のお勉強をするようになった、ということでした。
地元、東北大学の原子力研究の先生方はいち早く山形方面に避難したとの噂が入ってき、通行可能な道路は渋滞、6日後にようやく新潟に出て大阪に向かったと。
その先生はすごく用心深い、車のガソリンタンクは3分の1くらい減ると補充していつも満タン状態にしていたと。(このような話になると、おかあさんは俄然、目が覚めてくるのです。ふうん、そうしておくといいかなぁ、)
大阪に戻って、ガソリンと水を調達して、また、新潟経由で仙台へ、その苦労話にも聞き入りました。
ガソリンタンクは時々蓋をあけて気化したものを発散させてやらないといけないのだとか、そんなことも知らなかった!
3月11日が近づくにつれ、テレビや新聞は「忘れてはいないよ」と繰り返すようになりました。
人間はもちろんお気の毒ですが、飼い主のいなくなった牛や犬や猫たちがかわいそうでなりません。
今日もらったレジメには
「ユークリッド空間を飛びだす 伝え続けられてきた浦島太郎に感謝して」
現代のわれわれは放射性元素をエネルギーをして使用しその後の使用済み放射性物質の廃棄に苦労している。使用済み物質を閉じ込め地中深く保存しようとしてその表示には今仕様されている地球上の全ての言語と絵、記号を用いて「この箱開けるべからす」と書き人類を遠ざけようとする。科学者の議論のなかにはその存在を忘れさせる方がよいという意見もある。たかだか3000年昔に滅亡した古代社会の文字の解読すら今のわれわれには完全に出来ていない。戦争や天災によって現代の社会が崩壊した後の人類がこの箱を見つけた時、箱を開けずにいられるだろうか。好奇心旺盛な未来の人類はその開けるなと言われた「玉手箱」を開けてしまうのではないか。その時、前回の浦島太郎は年をとって鶴になり、亀姫のもとで幸せな余生を送ったが、今度の「玉手箱」は開けてしまえば再び人類の滅亡が待っているのだ。 大阪女子短期大学教授 本屋禎子
厄介事を起こして他人のせいにしたりすのも人間、今頃原子力学のお偉い先生たちが、しきりに後出しジャンケンみたいな言い訳してるねぇ。
馬鹿らしいそんな事事故起きた時に我々には皆判ってるよ。
政治家も学者たちもほんの僅かな想像力が有れば、もう少しましな対応も出来たし事故だって起きなかったかもね?
・・・で関係ないけど↓のPhotoFriendの写真特に問題なく掲載できたよ↓
http://blog.goo.ne.jp/mischa315/e/452901296fc6e5a782943175527773bb
↑これも、もしかすると見えなくなるかも知れない、いずれにしてもMICの所の最新記事でのっています。
フト思いました 地球の中心はどうなっているの
自然に逆らう事は怖いことですね
私などの頭では何も解りませんが
お能はどうですか 篠山の春日能は素敵ですよ(*^_^*)
遊びにきました♪
あのね、Hままの 最後の日記3日分 コピペして そっと しまってあるの。
公開は してないんだけど もし ももママ←勝手に呼んでごめんなさい)が
持ってなくて 見たいなーて思ったら
知らせてください^^
会うと 泣けちゃうんだけど^^
だから、私はきっとおじいさんではなく「白髪のおばあさん」
になると思います(もう、なってるから良いか..(^-^))
いろんな知識人のお話を聴くのは
ためになりますね~
でも、眠気が..、というくだりで思わず「うん!」と
思いました。私もそうなると思います
震災以来、朝日新聞に「プロメテウスの罠」という連載記事があって、ときどきですが読んでいます。
後だしジャンケン、うまい、座布団さしあげたいわ(^_-)-☆
写真のことでは、いろいろとありがとうございます。
文句タラタラ言ってても、gooにいればgooに従わないと、ですね。
でも、核燃料の廃棄物をどうするか、わからないのにどんどんできてしまって、一体、何考えてるんだろ、って以前から思っていました。
お能もちっともわかりません。
でも、何度も経験するとなんとなくわかってくるものなのかしらね。
篠山の春日能、機会があれば是非行ってみたいです。
ふくちゃんにもお会いできるし♪
Caféの日記を目を皿にして探したんだけど行く先をみつけられなくて、、、
教えて、教えて
もう、きっと、ぼくも泣いちゃうでしょう。
かんすけちゃんが掲示板をお気に入りに、って書いてたから、それはあるのだけれど。
ありがとう、またお会いできてうれしいです。
人間って、そうなのでしょうよねぇ。
難しいお話になると、または心地よい音楽を聞くと、それに、プラネタリュームでも、絶対に眠くなってしまうのです。
普段、睡眠が足りていないせいかしら?
それと「開けちゃダメ」と書かれていたら、私は性格的に開けずにはいられない(苦笑)
そんなお土産だったら最初から手渡さないで欲しい。
岐阜県には浦島太郎が玉手箱を開けたと伝えられる「寝覚めの床」という場所があります。
海のない県なんですけどね(笑)
お付き合いあった方だけに こっそり こうやって お知らせしてます(笑
Hままの日記、掲示板とかに 貼ったら
『著作権』とかに ひっかかるんでしょうか?
時間決めて ももすけ掲示板に貼って すぐ
削除していただいたら 問題ないでしょうか?
うーん。どうしましょう?
浦島太郎だけじゃなく、パンドラも与ひょうも、だった。
でも、どう始末したらいいかもわからないものをどんどん作ってしまって、土に埋める、ですって、信じられません。
「寝覚めの床」知っていますが、玉手箱を開けたところだとは知りませんでした!
それから、ひでくんと、チュッチュ、チュッチュをずっと何度も何度もするんだ。
著作権って、著作権を持ってる人がダメだと言ってこない限り問題にはならないと思うけど、、
うん、ももすけ掲示板に貼ってくださったら、どこかに保存してから削除します。
ほんとは、このgooでもつながっていたいけど。
もう1年なんですね。
昨晩はまた揺れたし、あの日以降の揺れは、あの日以前の揺れと「まったく」ちがうものになりましたよね。
まだ揺れているのですね!
あのときは大阪でもかなりの揺れを感じました。
続いているんだ、と思いました。
飼い主も断腸の思いだったろうと思いますが、
すっかり人間不信になったのもいるとか。
3000年後の人間が今の時代の字を読むことができるのでしょうか。
白い煙どころではない物が漂って、人間滅亡にならないとは限りませんのに。
お能は女学校の友人の息子さんが笛方(藤田六郎兵衛)だったり、別の友人が謡をやっているのでお付き合いで数回見ましたが、今ではどちらも交流がなくお能には縁なしです。
浦島太郎、ドイツ語英語にも翻訳されているということ。>そうなんですか。
私もHPに中国語訳載せていますが、丹後風土記なんですね。
今あらためてHP見ましたら私は万葉集、日本書紀~なんて注釈つけていました。恥ずかしい!
物言わぬ動物がかわいそうでなりません。。
人類はいつまで生存していられるのでしょうね?
たまたま、今の時代に私たちは生きている、ということを改めて思っています。
↑ふくちゃんが篠山の春日能のことを書いていらっしゃいます。
行きたいなぁ、と。
お能ではなく、行くことに楽しみがあるのですけれど。
すごいですね、中国語でお伽噺の翻訳されていたのですね!
歓声の少ない野球は味気ないものです。
Cafe時代は、時には野次があったりして盛り上がっていたように思います。
残念ながらブログには縦横の意思疎通手段がいまひとつ足りないような気がします。
ももママさんのところ、お人柄でしょうか、どこに移っても人気がありますね。(パチパチ)
姉に白と赤のクローバーで頭飾り、首飾りを編んでもらったものです。ふと、もも君ちのブログを見て思い出しました。(#^.^#)
迷惑とは思いますがまた来ます。<(_ _)>
Caféからgooに引っ越ししましたが、以前からのお友だちばかりです。
お友だちのところに行っても、やはり、見覚えのある方ばかりのような気がします。
クローバーの頭飾りや首飾り、ぼくんちに来て思い出されたの…
もしかして、、、間違っていたらごめんなさい、
かんすけちゃん?みもざおばさん?
(行き先がわからない)
迷惑だなんてとんでもありません、また、遊びに来てくださいね。
ガンバって!ガンバって! 絆、絆、の言葉が溢れた1年。ママは「言えない」って、言い続けています。言われて頑張れる人や、言われれなくても頑張って来られた人には、大きなエールだったでしょうが、ママは、そうではない人にはどうだったのだろう、そう思ってしまうそうです。
ママと一緒に、福島で置き去りにされたワンちゃんとネコちゃん達を避難区域指定開始前に保護して預かっている非営利団体の記録を見ました。ワンちゃんやネコちゃんに会いに来る飼い主さんが居て、砂浜でダイアモンドを見つけた思いになりました。
「あのとき、津波に飲みこまれて死んだ方がよかった」「世の中の役に立たなくなったんだから、生きていても仕方ない」
一方では、商店街を復興しようと頑張っている人たちのこと。
原発事故の影響は先が見えません。
ぼくのおかあさんも、実は「絆」と言う言葉に違和感を感じています。
絆はことばにして言うことばではないような気がするのです。
今、去年の震災当日、ほとんどがキャンセルになった東京で開かれた音楽会「3月11日のマーラー」をテレビで見たところです。
心がふわ~としました。
1800人収容できるホールの105人。
93人の演奏者。
それぞれの思い。
その後のマイスターの言葉「人間が作り出した偉大な創造物の中で、恐らく音楽はそうした苦しみの大きさや背景を理解することの助けになります」