ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
よろしければ
ご感想をお聞かせください。

江畑謙介さん: 軍事評論は資料、妻あり、努力家

2009年11月22日 08時29分51秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「惜別 軍事評論家 江畑謙介さん 資料の虫、国民と兵士の視点で」という記事がありました。

ユニークなヘアスタイルの軍事評論家、江畑謙介さんは、資料に基づく意見、奥様がいらっしゃって、努力家の方だったそうです。

大学院では理工学研究過程を終了し、造船の仕事に就こうと考えられたこともありましたが、
学生時代に始めた軍事雑誌への執筆が、本業になりました。

イギリスの専門誌「ジョーンズ・ディフェンス・ウィークリー」の日本特派員を20年近く勤めました。

著書は、訳書を含め50冊以上になります。
海外の文献を多数読み、自分の発想で分析しました。

裕美子夫人によると、
「人一倍の努力家で、寝ている姿を見ないほど、四六時中、資料を読みふけっていました」

1991年の湾岸戦争で、テレビでの解説で一躍有名になりました。
世界で軍事摩擦や衝突が起きるたびに、軍隊や兵器の豊富な知識をもとに戦況解説などを行ってきました。

実は人前に出るのが苦手で、講演やテレビ出演は極力避けていたのだそうです。

請われて引き受けた防衛省の諮問委員は、調査の徹底ぶりと注文の細かさが定評でしたが、役人トップが関与した2007年の汚職事件にショックを受け、辞退しました。

60歳を区切りに、執筆業に専念しようと、好きな船が見える千葉県の内房に引っ越したばかりでした。

5年ほど前に見つかった肺の病気が悪化し、10月10日に呼吸不全で60歳で亡くなりました。

「本人は、自分が死ぬと思っていなかったはずです。どんなに無念だったでしょう」と裕美子夫人は話されます。

並木書房社長の奈須田若仁さんは、
「あれだけの知識が失われたのは、日本の損失です。喪失感でいっぱいです」と悔やまれたということです。
-----------------

湾岸戦争でテレビに出られたときは、「あれは誰?」と話題になりました。

奥様がいらして、徹底的に資料にあたる努力家の方だったのですね。

記事には、
視点はいつも一般国民と兵士の2つにおかれた。

専門知識に疎い国民が誤った選択をしないよう的確な判断材料を示す一方で、兵士の立場を念頭に、兵器の効率性や安全性をめぐり装備品の開発などに厳しい注文をつけた、とありました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿