高松宮喜久子 著
震災のあと、皇族方が各地を慰問されている。
いろいろな意見はあるだろうが、訪問先でぱっと明るい表情になるお年寄りや
涙を浮かべる人は少なくない。
慰問ではないが、知人が何かのおりに美智子さまをお見上げしたとき、
なぜだか涙が出てきた、と話していた。
日本人と皇室というのがきっとそんなものなのだろう。
本書は喜久子さまがお書きになったもの、語られたことをまとめたもので、
物議をかもした「高松宮日記」出版に至るいきさつも書かれている。
この方は徳川慶喜家に生まれ育ち、母は有栖川宮家最後の人というだけあって
天性のお姫様だ。“育ちがいい人は強い、いろんな意味で”というのは
私の勝手な持論であるが、その最たる存在が喜久子さまである。
おそらく日本人の誰も経験したことも、することもないのではないかと思われる
ゴージャスなヨーロッパへの外遊は昭和5年。喜久子さま18歳、新婚のときだ。
5歳のエリザベス女王の見事なご挨拶のエピソードには感心させられる。
そして、高松宮殿下にしたがって佐世保や呉で暮らした新婚時代。
皇太子誕生の提灯行列を“皇室の出店”とばかりに迎えた、とあるが、
お子様がおできにならなかった複雑な寂しさもあったのではないだろうか。
そして、第二次大戦における複雑な思いや、戦後の苦しみ。
象徴としての皇族がどうあるべきか、手探りながらも要職を次々とつとめ、
経済界の大物までも登場させてしまうあざやかな仕事ぶり。
最愛の母を若くして亡くした悲しみは「高松宮妃癌研究基金」という形に昇華している。
スピード違反で宮内庁から厳重注意をされたり、ヘリコプターの窓を開けさせ
出迎えの人々にハンカチをふったり、お転婆なお姫様時代そのままの
おおらかさがほほえましい。
妹さんの著書に出てくる外遊時の絵葉書やお土産のお人形の話がつながり、温かい気持ちになる。
震災のあと、皇族方が各地を慰問されている。
いろいろな意見はあるだろうが、訪問先でぱっと明るい表情になるお年寄りや
涙を浮かべる人は少なくない。
慰問ではないが、知人が何かのおりに美智子さまをお見上げしたとき、
なぜだか涙が出てきた、と話していた。
日本人と皇室というのがきっとそんなものなのだろう。
本書は喜久子さまがお書きになったもの、語られたことをまとめたもので、
物議をかもした「高松宮日記」出版に至るいきさつも書かれている。
この方は徳川慶喜家に生まれ育ち、母は有栖川宮家最後の人というだけあって
天性のお姫様だ。“育ちがいい人は強い、いろんな意味で”というのは
私の勝手な持論であるが、その最たる存在が喜久子さまである。
おそらく日本人の誰も経験したことも、することもないのではないかと思われる
ゴージャスなヨーロッパへの外遊は昭和5年。喜久子さま18歳、新婚のときだ。
5歳のエリザベス女王の見事なご挨拶のエピソードには感心させられる。
そして、高松宮殿下にしたがって佐世保や呉で暮らした新婚時代。
皇太子誕生の提灯行列を“皇室の出店”とばかりに迎えた、とあるが、
お子様がおできにならなかった複雑な寂しさもあったのではないだろうか。
そして、第二次大戦における複雑な思いや、戦後の苦しみ。
象徴としての皇族がどうあるべきか、手探りながらも要職を次々とつとめ、
経済界の大物までも登場させてしまうあざやかな仕事ぶり。
最愛の母を若くして亡くした悲しみは「高松宮妃癌研究基金」という形に昇華している。
スピード違反で宮内庁から厳重注意をされたり、ヘリコプターの窓を開けさせ
出迎えの人々にハンカチをふったり、お転婆なお姫様時代そのままの
おおらかさがほほえましい。
妹さんの著書に出てくる外遊時の絵葉書やお土産のお人形の話がつながり、温かい気持ちになる。