息をするように本を読む

初めて読んだ本も、読み返した本も、
ジャンルも著者もおかまいなしの私的読書記録
と、なんだかだらだら日常のことなども

朱夏

2011-04-05 11:26:57 | 宮尾登美子
宮尾登美子 著

著者の自伝的小説。
春燈につづく、戦争末期を描いた作品。

18歳の主人公・綾子は、生後間もない娘を連れ、土佐の満州開拓団で子弟の教育にあたる夫に伴い、海を渡る。
そこは、父の商売がらみで耳にしていた満州往来の華やかさとは全く違う、水にすら不自由するような
砂埃と風の地だった。

お嬢様育ちで何もかも思い通りに暮らしてきた無邪気な少女が、教員の妻として、
貧困から逃れて入植してきた開拓民の中で暮らす、戸惑いと違和感。
やがて敗戦を迎えると、今度はどん底の難民生活へと転がり落ちていく。
ぎりぎりの生活の中で、3人が無事に帰国できたことは奇跡に近かったのだ。

なけなしの金で娘に絵本を与える場面は、綾子なりに考えていたであろう子育てを、
徹底的に戦争に打ち砕かれた、という事実が垣間見えて切なかった。

なによりも驚愕なのが、これがわずかに2年間たらずの物語であることだ。
代用教員に採用され、おさげ頭で手続きに来た少女が、同じ窓口に引き揚げ者の手続きに来る。
ボロボロの服をまとい、やせこけた乳飲み子を抱いて。
自分でもそれを同じ人と思う人はいなかっただろうと書いているが、
いくら女性の運命が結婚で左右される時代であっても、これほどの激動の運命を課したのは、
戦争があったからにほかならない。
たくさんの綾子が同じように運命に翻弄され、そして、たくさんの綾子が国へは帰れなかったのだ。

ここでは、あくまでも戦争の大局は語られない。
ものを見ているのは綾子の目であり、理解しているのも綾子である。
その局地的な視点だからこそ、リアルに心を打つような気がする。

いろいろな人が戦争を語る。数多くの体験がある。
もうすぐ語る人がいなくなる前に、たくさんの体験をしっかりと心の底に据えておかなければ、と思う。
とても面白い小説であるということに加え、そんな役割も果たしてくれる物語である。