小学生の3,4年のころだったかな?
親父とケンカして、家を飛び出した。
「こんな家に金輪際帰って来ない」と心に叫んでいたのを鮮やかに
覚えている。
と言って、行くところもない。
隣にある曹洞宗の本山総持寺の境内に寝転がって空を見上げていた。
空は高く、雲も流れていたかな。
ふと、「何でぼくは偶々、このおやじ・おふくろのところに生まれたんだろう。
なんで、この日本なんだろう。ブラジルやほかの国ということだって、あった
んじゃないか」
とっても、不思議な感じに見舞われた。
こういう感じは、何かのときに、ときどき湧いて来た。
皇太子と美智子さんの結婚式のテレビは、近所の散髪屋さんで、
見せてもらった。わざわざ、「見せて」と行ったと思う。
1959年4月10日だったから、ぼくは小学6年だった。
美智子さんは、子どもから見ても美しかった。
語り口は、ぼくらにはない品のよさを感じた。
子どもながらに、人として仲睦まじくあるお二人に好感がもてた。
今から、思うと、そのなかにも、これから皇室という仕組みや
伝統のなかで、苦労されるのかな、という見通しみたいなもの、
子どもとはいえ、あったかもしれない。
偶々、皇太子は、物こころがついたら、皇居にいた、ってなことか。
先日の明仁天皇のお言葉は、皇室で生まれて、育って、後継を
自分の意志とかかわりなく負って、82歳までお過ごしになってきた
なみなみならぬ、感慨がにじみでていた、とうけとった。
庶民感覚からいえば、親がどんな家柄であれ、職業であれ、それを
継ぐかどうかは、子どもの意志がベースになると思っている。
歌舞伎役者など、子どものころから、後継を託されて育てられている。
皇室もそれと同じといえば、同じかもしれないが、後継するものが、
憲法や法律で規定されているところが違う。
明仁天皇の今回のお言葉では、「象徴の天皇として、どのように行えば
いいかを考え、模索してきた」と述べられた。
これは、自分の意志にかかわりなく置かれた立場のなかで、ご自身の
意志として、主体的にやられてきたことだと思った。
皇室について、どこかで思っていることは、制度というより、そこで暮らして
いる人たちが、品格を感じさせる人たちだなあということ。
テレビでよく出てくる、政治を担う人たちとは、別の世界の人たちに
感じる。
今の日本で、こんな皇室があることが、現象面では、一つの救い
になっているかも。
それでも、一人の人の人生が、自分とはかかわりない、法律とか
決まりごとや、慣習で縛られているのは、これからの人類にとって、
すすんでいく方向ではないよう思う。
皇室の人たち自身が、思うところを自由に発言できて、それを
うけとる周囲の人たちとの、自由な話し合いによって、すぐにではなくとも、
いずれそれぞれが思うがままに暮らせる皇室、そのときは皇室という
ものがどうなっているか分からないけど、皇室が醸し出している
品格のようなものが、庶民にも受け入れられる社会に様変わりしていない
だろうか。
偶々、日本と言う土地に生まれた者の妄想です。