その時のことを思い出すと、どうもそんな感じだった。
黄昏近い頃、西側の、大きな窓のある部屋で来訪と人と
テーブルを挟んで、話していた。隣には、市川さんがいた。
話がそろそろ終わりかけるかなというとき、突然「ピカ!」と
稲妻のようなものが目に映り、「ドン!」という衝撃が身体に
走った。
「何が起きたのか?」一瞬、面食らった。
「もしかしたら、作動したのかもしれない」
誰に言うともなく、何か口走っていた。
来訪の人が、ぼくの右足からスリッパが落ちたのを机の下で
拾ってくれた。
すこし間があったけど、その人との話はその後、まもなく終わった。
市川さんに、「横で見ていて、どんなだった?」と聞いてみた。
「両手が一瞬、あがってたよ。スリッパも脱げていたしね」
そうか、どうも3年前に左鎖骨、心臓のところに植えこんだ
除細動器が作動したらしい。
来客の人と市川さんが出て行ったあと、そうだとしたら、この
ことは病院に連絡して、何か処置があるか、聞いてみること
かなと思い、かかりつけの三重大学付属病院に電話した。
三重大付属病院は、もう代表の受付は終わっていた。
夜間受付から、循環器内科の病棟に回されて、そこの看護師さん
から状況が当直の医師に伝わったらしく、「すぐ救急外来に
来るように」と言われた。
妻に車を運転してもらって、暗くなりかけた国道を病院に
向かった。
10月17日土曜日のこと。
数日前から風邪気味の症状がつづいていた。
2歳の孫がそのころ夜はわが家で食事をしていた。
孫が風邪気味だというのを聞いていた。
それがうつったらしい。
はじめ喉がいがらっぽくなり、そのうちハナミズがひっきりなし
に出るようになり、微熱があって、すこし咳き込むようになった。
熱も朝になると平熱にもどったりしたので、ふつうに暮らそう
としていた。
カラダがだるいとかいうのが確かにあった。
座って話をすることには支障はないかなと思っていた。
今から思うと、だるいというのがカラダのほうの声だったのだろう。
救急外来に行くと、若い男の医師がいて、状況を聴いてくれて、
血液検査やレントゲン撮影などした。
「除細動器がどのように作動したのか、チェックしてみます」と
別の若い医師なのか、技師なのか、その両方なのか、を
呼んで、ぼくの左鎖骨の上に受信器のようなものを置き、
技師はもってきた機械を見ながら、そこに計測されている数値を
診察してくれている医師に読み上げていく。
かなり長いことそんなやり取りがあった。
医師は「除細動器は正常に作動したということですね。
心室に頻脈が起きたということです。そのとき、意識がなくなる
ということはなかったんですね。こういうことがあると、何度も
そういうことが起きる人もいます。
医学としては、除細動器は万が一のときのためのもので、
心臓に異常事態が起こらないようにように目指してるんですが
・・」
実は、除細動器で、「またいのち拾いしてよかった」と内心
「よかった」とおもっていた。
カラダにほうから見たら、そういう事態になるにはなるなりの
経過や原因があるんだろう。
そのときは、まだそっちには気持ちは向いていなかったかな。
若い医師は、心室の頻脈を抑える薬と血液をさらさらさらにする
薬を、今処方されて、飲んでいる薬にプラスして、飲むようにと
処方してくれた。
どうも、それは3年前、倒れたときの後の処方と同じようだった。
そのあと、救急外来のその後の状態を月曜日に若い医師に
診てもらい、昨日23日、3年前から診てもらっている医師の
診察に行ってきた。
薬は、若い医師が処方してくれたように、しばらくやって
みましょうとなった。
「車の運転は今はしないでいきましょうかね。いつ、また
起こるかわからないし、そのときは大きな事故になりかね
ないですからね」
カラダの声というの、今おもっている。
カラダは何かを発していた。そして、声を上げた。
声が上がって、ぼくは気がついた。
そんなこと、くりかえしているなあ。
ついこの間、こんな詩を読んでいた。
そうだよなあと思い、いまも余韻がある。
小詩集1 北村太郎
部屋に入って 少したって
レモンがあるのに
気付く 痛みがあって
やがて傷を見つける それは
おそろしいことだ 時間は
どの部分も遅れている
この詩を紹介してくれた吉野弘さん(今は故人)は
「人の痛みがなければ、傷や病に気付かないものでしょうか?」
と問いかけていました。
いま、具体的なところでこんな風にしてみようとかいうのがある。
それはそれとして、何がこの場合の焦点かをみていきたいなあとも
感じている。