その日の昼から小浪が一週間お出かけをすると
いう朝、思いついて近所の喫茶店にモーニングコヒーを
よばれに行った。
ネットで、朝7時から開いているところを探したら、「サガノ」と
いうのが見つかった。
「名前が、いいじゃん」
コーヒーはパプア・ニユーギニア産とある。
そんなところからくるんだあ、と身近になる。
そういえば、永野さんがきのうくれたのは、タンザニア産の
豆だった。
その前、韓国から来たセリが、ケニア産のだった。
小浪は、今日から土曜日まで「自分を知るためのコース」に
参加する。
そのためには、洗濯をして、シーツを洗って、羊羹をつくり、
あれして、これしてと、口にはださないけど、忙しそうだった。
「わたしのいない間は・・・・」といろいろ言ってくれたし、
「これやっておいて」「ああこれも」と用事をうけたまわった。
前の晩、小浪はぼくより早く床に入った。
「ああ、でかけるのに、やることやったという感じかな」と
ふとよぎった。
はっとするものがあった。
寝ている小浪に「あしたの朝、モーニングコーヒーに行こうぜ」
と声かけた。
ちょっと洒落たお店で、ぼくら二人ボックス席におさまった。
注文をしたあとは、なんとなくとりとめのないひととき。
最近、小浪が買ってきたくれたツバつきの帽子を被り、
市川さんからもらった(市川さんは貸したと言っている)
サングラスをかけたぼくの写真をスマホで撮ってくれた。
ふと思いついて、この間、たしか江口さんからもらった
新聞の切り抜きを思い出し、「こんなのあるよ」と
小浪に見せた。
小浪は「へえー、これどこの新聞から?」と聞いた。
「わからんなあ」新聞を読まないぼくは応えた。
小浪のスマホにある晴空と和(わたる)の写真を二人で見た。
いつも、おもう。
「小浪の写真はけっこう表情をとらえているよな」
それが言葉になるときは「いいじゃん、この写真」
送り出して、二日目。
朝、なにか一つ決まらない感じがする。
NHKの朝ドラのあと、「コーヒー飲む?」「うん」
その後、コーヒーミルをもってきて、「ひいて!」
そして、テレビを見ながらコーヒーを啜る。
この儀式がないからか?
蛇足
いつか、妻と暮らしている自分というので、どこかで気になって
いた吉野弘さんの詩。
この詩を探したら、題名が「或る朝の」だった。
或る朝の
或る朝の 妻のクシャミに
珍しく 投げやりな感情がまじった
「変なクシャミ!」と子どもは笑い
しかし どのように変なのか
深くは追えよう筈がなかった
あの朝 妻は
身の周りの誰をも非難していなかった
只 普段は微笑や忍耐であったものを
束の間 誰ともなく 叩きつけたのだ
そして 自らも遅れて気付いたようだ そのことに
真昼の銀座
光る車の洪水の中
大八車の老人が喚きながら車と競っていた
畜生 馬鹿野郎 畜生 馬鹿野郎ーーーと
あれは殆ど私だった 私の罵声だった
妻のクシャミだって本当は
家族を残し 大八車の老人のように
駆け出す筈のものだったろうに
私は思い描く
大八車でガラガラ駆ける
彼女の白い軽やかな脛を
放たれて飛び去っていく彼女を