かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

もう一人の自分

2014-06-06 09:27:18 | わがうちなるつれづれの記

いつの頃からか、孫の誕生祝いには本を贈ると決めている。

本屋さんに妻と行って、なにやかやと選ぶのが楽しい。

 

今年1月小学校最後の、孫娘の誕生日には、これを贈ると

決めている本があった。

カニグズバーク「クーローデイアの秘密」

風友への手紙には「読みたいときに読んでね」と書いた。

 

4月、風友が中学生になる。

何か、節目になることをしてやりたいと思った。

結局、能がないけど、本を贈ることにした。

いろいろ考えて、カニグズバークの本にした。3冊贈った。

 

最近、その中の一冊「ぼくと<ジョージ>」という作品を

読了した。実は、自分が読んでいない本を贈っていた。

読んで、その余韻がいつまでも、続いている。

 

主人公のベンは<ジョージ>という「世界一変なやつ」が

自分のからだの中にに住んでいることは以前から知って

いた。ベンとジョージは仲良くって、ジョージもベンに

協力的だった。

小学6年になり、二人は何かギクシャクしはじめる。

 

 ーージョージは、人はただものを知るだけでなく、

   ものを知るまでの過程を楽しまなければいけないと

   信じていた。

   ところが科学の勉強で、がむしゃらに目標ばかり見て

   走っているベンの内側に乗っているジョージは、道の

   途中に咲く花の匂いをかぐことさえ許してもらえな

   かったのだ。

 ーーちかごろ、ベンはベンの特別な才能をジョージと

    いっしょに成長することに使わず、人の注目を

    集めたり友情を買ったりすることに使いはじめた。

 

こういうのって、思春期というのだろうか?

自分のその頃を思い出してみて・・・

電車のなかで偶然、同級生の女の子に出会って、ドキドキ

したり。

綿のヨレヨレのズボンを寝る前に布団の下に敷いて、”寝押し”

したり。

中学生のころ、そのときの<ぼく>の中に<ジョージ>が

いたんだろうか?

 

そうそう、ぼくの家は商店街のなかの廃業したガラス屋で

外から見ると、暗い店の中にガラクタが積まれている

ように映った。

「そんな家を女の子に見られるのは恥ずかしい」

そのとき、<ジョージ>は黙っていたのかなあ。

黙らせていたのかなあ。

 

お袋がいろいろ世話を焼いてくれるのが、鬱陶しいと

思う時期がつづいた。

「ほっといてくれ!」と言ったあとで、なにかイヤーな気持ち。

あれって、<ジョージ>の気持ちが何かを言おうとしていた

のかなあ。

 

孫娘の風友は、ソフトボールのクラブ活動をはじめた。

娘から聞くところ、毎日帰って来るのは夕方6時過ぎ

とか。

中間テストも集中してやっていた。友だちもいるらしい。

風友を見ていると、日に焼けて溌剌としている。

此間、娘のアパートに行ったとき、風友の部屋を見た。

贈った本は、風友の机の上に整然と立てかけられて

いた。

 

風友に贈った本で、ぼくが感動している。

67年の人生を振りかえり、今を考えるキッカケを

もらっている。

 

カニグズバークの本というけど、もう一つ思うのは

日本語への翻訳。

原文を読んだ訳ではないけど、松永ふみ子さんの

訳が何か心地いい。

読んでいるじぶんの心にしみじみと染みこんでくる

ようだった。

 

「ああ、60歳過ぎるまで、<ジョージ=もう一人の自分>

がいることは、ウスウス知っていた。でもなあ、聞く耳を

持たなかったのではないか」

 

カニグズバークさんの次の一節は響いてくる。

 ーーベンには一つの分野を深く知ってほしい。

    でも、知らないですますこともおしえてやらなくちゃ。

    ベンは頭をはっきりさせなくちゃいけないんだ。

    頭をはっきりさせて、すべてのことをかんがえなくちゃ。

    ことに自分自身のことを。

    それと同時に、知らないですますことをおしえてやらな

    くっちゃ。

    無知のめぐみを。

    無知の部分から、たいへんな真理がひょっと顔を出す

    ことだってある。

    時間と、場所を、無知のためのゆとりにとっておかなく

    ちゃいけない。

 

ここは、どんなことを言わんとしてるのだろう?

良い考え、自分が正しいとおもう考え、これで

突き進むことの危うさ・・・?

 

 ーーでもベンがほんものになるより、りこうになることばっかりを

   考えているいるうちは、そんなことできっこない。

 

「ほんものになるより、りこうになることばっかり考えている・・」

自分なりにハッとするところがある。

「ほんものになる」といったら、もっともっと調べることが

あるってこと、知っていくことがあるって、ことかな?

知れば知るほど、知らない世界が見えてくるような。

歳は関係ないのかな。

 

この本の最終章。

ベンと<ジョージ>は和解する。

 --どんなって、いつもぼくのいうことを注意してきくこと。

    ぼくを無視しないことさ、ベン。

    いま、とくにいま、きみの学科や、クラスの友だちが、

    ぼくの声を消そうとしている時に、ぼくを覚えていてくれ。

    いま危機だぞ、ベン。

    いつもぼくのいうことを聞いてくれ、ベン。

    きみがぼくを黙らせてしまわなければ、ぼくはきみの中で

    ゆたかになっていく。

    きみはいつでも、ぼくというたのもしい味方をもつわけだ。

 

60余年生きてきた”おっさん”がすぐさま、ガラリとホンモノに

変わるなんて、思えない。

日々の暮らしの一コマ一コマで、<利巧ぶる><頑固なもの>

が思わず出てしまうなんてことあるだろうな。

ほんとうを願う<もう一人の自分=ジョージ>、世界一変なやつ、

そいつの声に耳を傾けたい。

 

孫に願うこと、語りかけたいこと、贈りたいこと、それって、

自分の今を静かに観察することから出てくるのかな。