いつの頃からか、孫の誕生祝いには本を贈ると決めている。
本屋さんに妻と行って、なにやかやと選ぶのが楽しい。
今年1月小学校最後の、孫娘の誕生日には、これを贈ると
決めている本があった。
カニグズバーク「クーローデイアの秘密」
風友への手紙には「読みたいときに読んでね」と書いた。
4月、風友が中学生になる。
何か、節目になることをしてやりたいと思った。
結局、能がないけど、本を贈ることにした。
いろいろ考えて、カニグズバークの本にした。3冊贈った。
最近、その中の一冊「ぼくと<ジョージ>」という作品を
読了した。実は、自分が読んでいない本を贈っていた。
読んで、その余韻がいつまでも、続いている。
主人公のベンは<ジョージ>という「世界一変なやつ」が
自分のからだの中にに住んでいることは以前から知って
いた。ベンとジョージは仲良くって、ジョージもベンに
協力的だった。
小学6年になり、二人は何かギクシャクしはじめる。
ーージョージは、人はただものを知るだけでなく、
ものを知るまでの過程を楽しまなければいけないと
信じていた。
ところが科学の勉強で、がむしゃらに目標ばかり見て
走っているベンの内側に乗っているジョージは、道の
途中に咲く花の匂いをかぐことさえ許してもらえな
かったのだ。
ーーちかごろ、ベンはベンの特別な才能をジョージと
いっしょに成長することに使わず、人の注目を
集めたり友情を買ったりすることに使いはじめた。
こういうのって、思春期というのだろうか?
自分のその頃を思い出してみて・・・
電車のなかで偶然、同級生の女の子に出会って、ドキドキ
したり。
綿のヨレヨレのズボンを寝る前に布団の下に敷いて、”寝押し”
したり。
中学生のころ、そのときの<ぼく>の中に<ジョージ>が
いたんだろうか?
そうそう、ぼくの家は商店街のなかの廃業したガラス屋で
外から見ると、暗い店の中にガラクタが積まれている
ように映った。
「そんな家を女の子に見られるのは恥ずかしい」
そのとき、<ジョージ>は黙っていたのかなあ。
黙らせていたのかなあ。
お袋がいろいろ世話を焼いてくれるのが、鬱陶しいと
思う時期がつづいた。
「ほっといてくれ!」と言ったあとで、なにかイヤーな気持ち。
あれって、<ジョージ>の気持ちが何かを言おうとしていた
のかなあ。
孫娘の風友は、ソフトボールのクラブ活動をはじめた。
娘から聞くところ、毎日帰って来るのは夕方6時過ぎ
とか。
中間テストも集中してやっていた。友だちもいるらしい。
風友を見ていると、日に焼けて溌剌としている。
此間、娘のアパートに行ったとき、風友の部屋を見た。
贈った本は、風友の机の上に整然と立てかけられて
いた。
風友に贈った本で、ぼくが感動している。
67年の人生を振りかえり、今を考えるキッカケを
もらっている。
カニグズバークの本というけど、もう一つ思うのは
日本語への翻訳。
原文を読んだ訳ではないけど、松永ふみ子さんの
訳が何か心地いい。
読んでいるじぶんの心にしみじみと染みこんでくる
ようだった。
「ああ、60歳過ぎるまで、<ジョージ=もう一人の自分>
がいることは、ウスウス知っていた。でもなあ、聞く耳を
持たなかったのではないか」
カニグズバークさんの次の一節は響いてくる。
ーーベンには一つの分野を深く知ってほしい。
でも、知らないですますこともおしえてやらなくちゃ。
ベンは頭をはっきりさせなくちゃいけないんだ。
頭をはっきりさせて、すべてのことをかんがえなくちゃ。
ことに自分自身のことを。
それと同時に、知らないですますことをおしえてやらな
くっちゃ。
無知のめぐみを。
無知の部分から、たいへんな真理がひょっと顔を出す
ことだってある。
時間と、場所を、無知のためのゆとりにとっておかなく
ちゃいけない。
ここは、どんなことを言わんとしてるのだろう?
良い考え、自分が正しいとおもう考え、これで
突き進むことの危うさ・・・?
ーーでもベンがほんものになるより、りこうになることばっかりを
考えているいるうちは、そんなことできっこない。
「ほんものになるより、りこうになることばっかり考えている・・」
自分なりにハッとするところがある。
「ほんものになる」といったら、もっともっと調べることが
あるってこと、知っていくことがあるって、ことかな?
知れば知るほど、知らない世界が見えてくるような。
歳は関係ないのかな。
この本の最終章。
ベンと<ジョージ>は和解する。
--どんなって、いつもぼくのいうことを注意してきくこと。
ぼくを無視しないことさ、ベン。
いま、とくにいま、きみの学科や、クラスの友だちが、
ぼくの声を消そうとしている時に、ぼくを覚えていてくれ。
いま危機だぞ、ベン。
いつもぼくのいうことを聞いてくれ、ベン。
きみがぼくを黙らせてしまわなければ、ぼくはきみの中で
ゆたかになっていく。
きみはいつでも、ぼくというたのもしい味方をもつわけだ。
60余年生きてきた”おっさん”がすぐさま、ガラリとホンモノに
変わるなんて、思えない。
日々の暮らしの一コマ一コマで、<利巧ぶる><頑固なもの>
が思わず出てしまうなんてことあるだろうな。
ほんとうを願う<もう一人の自分=ジョージ>、世界一変なやつ、
そいつの声に耳を傾けたい。
孫に願うこと、語りかけたいこと、贈りたいこと、それって、
自分の今を静かに観察することから出てくるのかな。