かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

お見舞い

2014-06-17 15:53:30 | アズワンコミュニテイ暮らし

南伊勢町の東翁が鈴鹿の回生病院に入院していると

聞いた。

東(あずま)定也さん、確か80歳。


 

6月16日夕方、高崎広。美幸夫妻と3人で鈴鹿回生病院に

 見舞いに出かけた。

 右田翁からは「明日が手術」と聞いていたけど、病室に行って

 見ると、今日手術をしたところで、行ったときは、ちょうど、

 晩ごはんを食べ終えたところだった。

 奥さまが「どうぞ!」と病室に入れてくれた。

 東翁は半身ベットから起きていた。

 とはいうものの、右腕で右胸のところに大きな飯盒みたい

 なものを抱えるようにしている。

 

 顔の血色は良く、すこしふっくらした感じもあり、若々しく見えた。

 今日の手術は4時間余、かかったと奥さん。

 本人からは、そんな大変なことをしたという素振りが感じられない。

 そんな感想を言ったら、奥さんも「そうね、男前になったわよ」と

 まじめに、嬉しそうに、面白そうに、東翁を見ながら、笑っていた。

 

 東さんは、なんでも今年の冬、ミカン畑の斜面で草刈機で草を

 刈っていたら、木株に草刈機がぶつかって、その反動で転んで

 右の肩甲骨の辺りを打った。

 それから、ボチボチ作業は続けていたらしいが、動きが緩慢に

 なってきて、最近動かなくなって、病院でしらべたら、肩甲骨の

 ところにある3本のじん帯の内、2本が切れていることが分かった。

 「あれ、まあよくそこまで・・・」

 手術を終えたが、じん帯がくっつくまで、1ヶ月は右腕を飯盒の

 大きなものに固定しておく。

 そのあと、リハビリ。

 

 「わしゃ、よく怪我するんじゃ。そういうふうにできてるんじゃな」

 と、”反省”する様子がない。達観してるのか、そういう自分を

 観察して、「こりゃあ、死ななきゃなおらない」と面白そうに

 自分を語る。

 奥さん。「ホント、よく怪我するんですよ。怪我だけは、しないで

 ほしいんですがね。よく動くんですよ。ちっとも、じっとしていない。

 でも、今年になって、動きが鈍くなってきてね」

 

奥さんは深刻な感じはなく、むしろ言うことを聞かない子を

 慈しんでいるように・・・

 

 

 

「車を運転していて、電信柱にぶつかったことがあるんですよ」

 と奥さん。

 「ええ、いつ?」ぼく。

 「今年」

 「ええー」

 「そうじゃな、車に安全パックが着いていたんで、肋骨を

 折った程度で済んだ」と東翁。

 びっくり仰天。

 話が、あまりにも淡々としている。

 ぼくらがイメージしているものとちがうのかもしれないが、

 お見舞いにきて、このお二人に触れながら、何か

 生きていくということの、”今”について、考えさせられた。

 

 東翁のカラダは、ある意味ボロボロである。

 暮らしぶりも、無茶してるといえば無茶してる。

 にもかかわらず、健康正常なものを感じるのは、

 なんだろう?



追記

 

 東翁とは、おととし、南伊勢町泉の田畑由美さん宅で

はじめて出会った。

炭窯名人の右田翁といっしょだった。

東さんは、記憶では「泉楽農会の会長です」と紹介された。

楽農会が田畑由美さんと共に出来てきたプロセスや、地域の

子どもたちが田んぼや炭焼きの体験をしているという話を

お二人は楽しそうにしてくれた。


昨年春からアズワンコミュニテイの里山大好き連中が

その気になって、鈴鹿の里山で炭窯づくりが始まった。

右田翁が炭窯作りの技法を伝えることになった、

ここぞというときは、東さんも、右田さんと一緒に鈴鹿まで

駆けつけてくれていた。

8月窯が完成して、原木を入れて炭があ出来上がったのは

よかったが、9月豪雨の影響で雨水が窯の中に浸透して、

天井が崩れてしまった。

「わああー」

真夏の酷暑を越えて、やっとできた窯が崩れた。

正直、意気消沈した。

ずっとそれにかけてきた右田翁も、落ち込んでいた。

そのとき、東翁が「いちどやろうとして、やりかけたんだから、

最後までやろう」と軽く言ってくれた。

田畑由美さんたちも応援すると言ってくれた。

「よし、こんどこそは・・」と再チャレンジがはじまった。

右田翁は、その東翁の一言が大きかったという。

再チャレンジの窯は、この4月見事に完成した。


右田翁と東翁の内面のつながりを感じた。