いつまでつづくかな、と見ていた。
もうかれこれ2年以上続いている。
妻は羊羹や和菓子をつくることが、どうも好きらしい。
鈴鹿に引っ越したのは、3年前の11月。
いつのころかか、お土産というと、「羊羹」ということに
なってきた。
片山弘子さんが鈴鹿カルチャーステーションで茶道教室を
始めた。なりゆきで、妻が練習用の和菓子をつくるように
なった。
羊羹は10年ほど前、”羊羹名人”の友人から手ほどきを
うけた。
ヨーロッパに行く時、友人に届けるのに、持っていったり
した。。
鈴鹿にひっこして、餡の仕入れ先がかわった。
そのころから、妻には妻の羊羹イメージができてきたらしい。
ぼくは、甘いもの、とくに小豆のお菓子、ぜんざいが大好き
人間だ。ところが、そのころからそんなに目の色がかわるほど
でなくなった。
加齢もあるのか。
妻が「ねえねえ、羊羹食べてみて」ともってきて、日常茶飯に
食するようになったためか。
最近は、「ねえねえ、食べてみて」と声がかかっても、はじめに
羊羹の甘味が胸にわいてきて、「よし」とならない。
「どおう?」と聞かれるのも、ちょいと面倒。
正直に答える。妻もそれが聞きたいとおもっているだろうに、
感じたままを言うと、どこかでケチをつけられたと受け取って
しまうのか、感想にたいして、自説を拝聴することになる。
最近、妻の和菓子への熱の入れ方には、なにか、なんと
いえばいいか、「ただ好きだ」というより、「つくることが嬉しい」、
もっといえば「つくることで、なにか満たされている?」
傍らで見ていて感じる。
茶道教室は月に何回かある。そのたび、「なににしようか」と
かんがえるようだ。俳句で、季語をかんがえるように、旬を
感じさせる和菓子のイメージづくりをしているらしい。
「らしい」というのは、構想段階では、じぶんのなかに秘めて
いたいらしい。ここが、和菓子づくりの醍醐味とおもっているかも。
和菓子づくりについては、どんなに忙しいときでも、なにかの
合間でも、ふと気がつくと、厨房で餡子を練っていたり、型で
花びらの形をつくっていたりする。
わが家はデジカメが1台だ。
カメラは、ぼくがお客さんが来訪したときなど、記録で撮ることが
多い。
そのカメラで、妻はそのとき完成した和菓子作品を撮影する。
パソコンの「ピクチャ」のメモリーには、ぼくの撮った写真の
間に和菓子の写真が点在している。
おもいたって、今年の写真を「和菓子作品集」として新しい
ファイルにまとめた。
やってみると、妻小浪がそのとき何をおもって、それを
なしたか、伝わってくるように感じた。
その一端。
1月 黄身しぐれ
2月 蕗のとう
3月 菜の花
4月 桜
4月 桜の花びら
5月 藤の花
5月 青かえで
6月 そら豆茶巾絞り
収穫。薄皮を剥き、裏ごししてと、できあがるまで
手がかかっている。手塩にかけるというのかな。
7月 紫陽花
5月には柏餅をつくった。
柏の香りがして、なかなかの出来だった。
あちこちにおすそ分けしていた。
三重県の健康生きがいづくりの会の東海道ウオークのイベントに
もサプライズでお届けしていた。
その会では、句会を季節ごとに開いている。
5月の句会で妻が投稿した句。
孫たちに念いをくるんで柏餅
歌人の故河野裕子さんは晩年「歌とつくることが自分で自分を治して
くれるものであることに気づくまでにこんなに長い時間がかかった」と
述懐している。
「表現手段を持っているということは、何にも替え難たく強ものだ」
とも言っている。
妻のかたわらにいながら、人はささいなことであっても、やり続けて、
願い続けていたら、その人にとって、かけがえの無い、こころを満たすこと
ができる源泉を探し当てることができるのかも。
妻の和菓子が、そうかどうか別として、それを通して・・・