かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

和菓子

2013-07-11 15:12:08 | 家族あれやこれや

 いつまでつづくかな、と見ていた。

 もうかれこれ2年以上続いている。

 

 妻は羊羹や和菓子をつくることが、どうも好きらしい。

 鈴鹿に引っ越したのは、3年前の11月。

 いつのころかか、お土産というと、「羊羹」ということに

なってきた。

 片山弘子さんが鈴鹿カルチャーステーションで茶道教室を

始めた。なりゆきで、妻が練習用の和菓子をつくるように

なった。

 

 羊羹は10年ほど前、”羊羹名人”の友人から手ほどきを

うけた。

 ヨーロッパに行く時、友人に届けるのに、持っていったり

した。。

 鈴鹿にひっこして、餡の仕入れ先がかわった。

 そのころから、妻には妻の羊羹イメージができてきたらしい。

 

 ぼくは、甘いもの、とくに小豆のお菓子、ぜんざいが大好き

人間だ。ところが、そのころからそんなに目の色がかわるほど

でなくなった。

 加齢もあるのか。

 妻が「ねえねえ、羊羹食べてみて」ともってきて、日常茶飯に

食するようになったためか。

 最近は、「ねえねえ、食べてみて」と声がかかっても、はじめに

羊羹の甘味が胸にわいてきて、「よし」とならない。

 「どおう?」と聞かれるのも、ちょいと面倒。

 正直に答える。妻もそれが聞きたいとおもっているだろうに、

感じたままを言うと、どこかでケチをつけられたと受け取って

しまうのか、感想にたいして、自説を拝聴することになる。

 

 最近、妻の和菓子への熱の入れ方には、なにか、なんと

いえばいいか、「ただ好きだ」というより、「つくることが嬉しい」、

もっといえば「つくることで、なにか満たされている?」

傍らで見ていて感じる。

 

 茶道教室は月に何回かある。そのたび、「なににしようか」と

かんがえるようだ。俳句で、季語をかんがえるように、旬を

感じさせる和菓子のイメージづくりをしているらしい。

 「らしい」というのは、構想段階では、じぶんのなかに秘めて

いたいらしい。ここが、和菓子づくりの醍醐味とおもっているかも。

 

 和菓子づくりについては、どんなに忙しいときでも、なにかの

合間でも、ふと気がつくと、厨房で餡子を練っていたり、型で

花びらの形をつくっていたりする。

 

  わが家はデジカメが1台だ。

 カメラは、ぼくがお客さんが来訪したときなど、記録で撮ることが

多い。

 そのカメラで、妻はそのとき完成した和菓子作品を撮影する。

 パソコンの「ピクチャ」のメモリーには、ぼくの撮った写真の

間に和菓子の写真が点在している。

 おもいたって、今年の写真を「和菓子作品集」として新しい

ファイルにまとめた。

 

 やってみると、妻小浪がそのとき何をおもって、それを

なしたか、伝わってくるように感じた。

 その一端。

    1月 黄身しぐれ

     お正月のお祝い。なかの餡が赤い。

  2月  蕗のとう 

     春の芽吹き

  3月   菜の花 

       そぼろで表現。 

 

  4月   桜

   ピンクが桜の花。薄緑が若葉。        

  4月   桜の花びら  

        ひとひらを表現したかった。

  5月  藤の花 

         蔓や花をどうあらわすのか。

  5月   青かえで 

     青楓は、鈴鹿抹茶でつくった羊羹

  6月     そら豆茶巾絞り 

    昨年の11月そら豆を播種して、今年5月末に

               収穫。薄皮を剥き、裏ごししてと、できあがるまで

               手がかかっている。手塩にかけるというのかな。

   7月   紫陽花

  

      

 5月には柏餅をつくった。

 柏の香りがして、なかなかの出来だった。

 あちこちにおすそ分けしていた。

 三重県の健康生きがいづくりの会の東海道ウオークのイベントに

もサプライズでお届けしていた。

 その会では、句会を季節ごとに開いている。

 5月の句会で妻が投稿した句。

    孫たちに念いをくるんで柏餅

 

 歌人の故河野裕子さんは晩年「歌とつくることが自分で自分を治して

くれるものであることに気づくまでにこんなに長い時間がかかった」と

述懐している。

 「表現手段を持っているということは、何にも替え難たく強ものだ」

とも言っている。

 

 妻のかたわらにいながら、人はささいなことであっても、やり続けて、

願い続けていたら、その人にとって、かけがえの無い、こころを満たすこと

ができる源泉を探し当てることができるのかも。

 妻の和菓子が、そうかどうか別として、それを通して・・・

 

  

                             


もうろうたる日

2013-07-06 08:15:13 | わがうちなるつれづれの記

 きのうの夕方、わが家にいて、気がついたら、Tシャツが

ぐっしょり汗ばんでいた。

 ジトジト落ち着かない。

 「お茶でも飲みにいこうか?」と妻を誘う。

 一軒目が休みで、「じゃあ」と、家の近くの炭焼珈琲の

店に行く。この辺に暮らして2年。はじめてでかける。

 ブレンドコーヒー、けっこういける。

 しばらくいると、汗が引いてきた。

 周囲を落ち着いて、眺められる気分になってきた。

 

 そのうち、二人して、手帳を出して、「この日はこれがある」

とか、「ウリさんは、この日食事にくるかな」とか、日程の付け

合わせがはじまった。

 最近、ちょっと気になっていることがある。

 その日や明日やあさって、どんな予定があるか、頭が真っ白に

なった感じで、さっぱり分からなくなる、もろうたる感じのときが

しばしばある。

 20年以上前から、予定は覚えられないとして、手帳を使って

いる。

 最近は、携帯に入力している同年代もいるけど、そっちに

いかない。文字で、一覧できないと、安心できないのかな。

 今年から、手帳を、ズボンのポケットに入るサイズから

単行本の大きさぐらいのに変えた。欄が大きくなり、予定が

ゆったり書ける、とおもった。

 

 手帳にけっこう、こまめに予定を書く。何ヶ月先のもの

まで、律儀に書く。

 夜、寝る前には、「明日はなにがあったけ」と手帳を

みることは見る。

 その日になって、ついさっきまで、そうしようとしていたのが、

なにかのことに夢中になって、予定のところに行くのを忘れている。

 電話がかかってきて、われに返る。


 人と話していて、きょうが何月何日の何曜日かというのが、

突然、砂漠のまんなかにほうり出されたような感覚で、分からない

という感じに見舞われる。

 「えーと、えーと」とかいいながら、手帳を開き、「ああ、ここ、ここ、

これがある」と、もうろうたる世界から今に立ち返る?


 以前から予定をダブルブッキングする常習者で、「まあ、そんな

こともあるさ」と他に迷惑をかけ、、じぶんも消耗するのに、反省

なしでやってきて、そのツケがまわってきている、ともいえるの

かな。

 いまからでも、なんとかなるか?


 毎晩、なにやることがないと、9時か10時ごろ、目を開けていられ

なくなる。そのまま、寝てしまうのはいいが、ときに2時ごろ、目が

覚める。

 その後、眠れないときがある。

 ああ、きのうがそうだった。


 眠られないままに、歌人河野裕子さんのエッセイと歌を

読んだ。

 河野裕子さんは1946年生まれ。育った場や環境は違えど、

同時代を生きたという、近しさがある。

 2000年に癌が発見され、その後10年の闘病生活。

 夜とはいえ、熱帯のムンムンした部屋で、気がついてみると、

もうろうと、河野裕子さんのエッセイや歌のなかにいた。

 

 癌の告知を受けたのち、夫と病院の路上で出会う。

 そのときの歌。

    何という顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢゃない


  エッセイや歌を読んでいると、それを書いた同じころ、ぼくが

どんなことを思い、どんなことしていたか、思いだされた。

 そのころ、河野裕子さんは、死と隣り合わせになりながら、

とってもあたりまえに、じぶんの心の深いところと向き合っていた。

響いてくるものがあった。しんしんと静寂の余韻のなかにいた。

 

 河野裕子さんが亡くなったのは、2010年8月。

 夫君永田和宏さんが、亡くなる直前に近いときの、河野裕子さんの

言葉を紹介してくれている。

  ーーひとつ思うのは、体を病んでいても、歌は健やか歌をつくり

     たい。健やかであること。

     それが、どんな場合にも大切で、ことに、病気をしていても、

     健やかであり続けることは、大きな広い場につづく道がある

     ことを約束している予感が、しきりにする。


 河野裕子さん、最後の歌は永田和宏さんが聞き書きしたそうである。

    手をのべてあなたとあなたに触れたとき息が足りないこの世の息が


 

 これで眠れるか。床に戻る。

 妻は寝息を書いている。

 しばらく目をつぶっていたが、またゴソゴソ起きだして。

 中井久夫さんの「樹をみつめて」をひっぱりだす。

 

 沖縄には、フクギという木があるそうな。

 なんの役にも立たないという。そんなに美しくもなく、実も

落ちると悪臭を放つとか。

 そんな木を「福」の木と読んでいる。

 

 人の目を中心に据えたら、人の役に立たない、醜い木に

なんの意味があるというのか、ということになるのだろう。

 ふりかえってみると、やることばかりに関心がいって、

人の気持ちに関心がいっていないというのは、人を

なにかの役に立つ、役に立たないというところで評価している、

とっても幅った姿なんじゃないか。

 中井久夫さんは言う。

 「おそらく無用に見えるものの存在を肯定すること自体が

福をもたらすのであろう」

 これが、「沖縄の心ばえ」と言っている。

 

 もう、ほんとうに朦朧としてきている。

 何時だろう、4時になろうとしている。

 少し、明け方の涼しさにかわってきていた。

 毛布をかぶっていたら、いつのまにか、ウトウトしていた。

 

 


 

 

 

 

 


 

 

 


もうじきおやすみ

2013-07-03 06:51:36 | アズワンコミュニテイ暮らし

 ここのところ、涼しい。

 夜風が部屋にふきこんでくる。

 孫娘風友(ふゆ)が、我が家にふきこんできた。

 ババ「お風呂かい?きょうは、沸かしてないよ」

 風友「うーん」

 つづいて、娘と孫の晴空(はるく)があらわれた。

 ババ「沸かしてないよ。沸かしてもいいよ」

 娘「うーん」


 ジジは巨人ー阪神戦のテレビ、ソファに寝転びながら

観戦していた。

 晴空、ぼくのところにカラダをくっつけて、チャンネルを

かえはじめる。

 ジジ「いま見てるんだから、かえないで・・・」

 晴空、かえって面白がってかえる。

 ジジ「抱きしめちゃうぞ」

 やめないので、ついにジジは抱きしめる。

 逃げようとすると、ちょっときつく、締めてやる。


 ママは、晴空のもっていたチャンネルをあとで

ジジにわたしてくれた。


 風友がアイスクリームがたべたい、という。

 ババ「シャワーあびてきたら、あげる」

 ジジ「その、~したら、あげる、ってやつ、わが家ではやめたいな」


 きょうは、娘一家、シャワーですますらしい。

 いつの間にか風友がシャワーを浴びにいっていた。

 ババ「プリンもあるよ。食べる」と風友に。

 風友、プリン食べたら「おいしい」

 「これって、晴空の分もある?」

 ババ「あるよ。なんで? なかったら、風友のプリンあげる?」

 風友「いや!」

 ババ「じゃあ、なんで聞いたの?」

 風友「なかったら、晴空が泣くから」


 晴空もいつのまにかシャワーを浴びに。

 あっという間に出てきて、オチンチン丸出しで、

しばらくママにまとわりついて、プリンにありつく。

 晴空「うまい」・・・なんかおねえちゃんの口真似みたいだけど。

 

 晴空は、いろいろな動物のモデルを組み合わすおもちゃに

熱中。

 風友は、ババと宿題をやっている。

 ジジは、巨人がやっと同点に追いついたとよろこんでいる。

 ママはいつの間にか、シャワーに行った。

 

 ママ「さあ、帰るよ」

 晴空「まだ、おわってない!・・・これ、もって帰る」

 ジジ「風友、宿題できたかい」

 風友「宿題をする雰囲気じゃない・・・」

 「あれっ」

 

 娘一家は風のように通りすぎていった。


 あとで、ちらっとおもった。

 お風呂がないとか、シャワーでいいとか、そういうことだけで

暮らしは、なりたっているわけじゃないのかも。