わが孫娘、「おじいちゃんのお父さんの眉毛って、への字?」と
ひょんな時に聞いてきた。
「うん、そうだとおもう。あとで、写真みてみるか?」
「うん」
孫娘は、それだけのことだった。
あとを引いたのは、ぼくだった。
わが一族の眉毛のカタチをたずねはじめた。
まず、親父とじぶん。
4、5歳ごろ、親父と熱海に行ったこと覚えている。
への字親子と見える。
この写真を見つけたら、おふくろの珍しい写真を発見。
おふくろは、親父のガラス屋を手伝っていた記憶があるが、
背負い板のおふくろの姿、はじめて見た感じ。
鶴見の総持寺の境内みたい。
祖父の眉毛は、どうか?
たしかに、そう言う感じ。
祖母は?
これはこれは、記念すべき写真。戦時中の婦人会。
祖母は左端。旗を持っている。
への字眉だ・・・しかも、キリリとしている。
どこかで、への字眉はおっとりして、おとぼけの表情を
イメージしたきた。
試みに、への字眉の人相占いを見てみると、意志が強く、
どちらかというと、頑固っぽい、イメージ。そうなんか・・・
その当時の祖母は、どんな気持ちだったんだろう?
親父は、その父母の息子であり、ぼくらは、その人を父として、
母から生まれた子どもたちだ。
ぼくが、中1のときの、家族写真。
この写真は、どうみても”へのへのもへじ”一家みたい。
この次男坊が自分。
27歳で結婚して、男の子と女の子をもうけた。
真ん中が、娘とぼく。
右は再婚した妻小浪。
よくみると、三人とも、への字眉。
息子の写真があまりない。
いきなり、息子30余歳、ぼくのおふくろの納骨のときの
写真。2003年。
後列、左から妹・兄・息子・ぼく。
前列左から、兄嫁・妻。なんとなく、への字一家。
長男が、2008年ごろ、なにを思ったのか、曽祖父の
墓を訪ねたい、といいだした。
お墓は、尾道の宝土寺にある。
先祖を訪ねる旅に、妻と息子と娘の4人で出かけた。
への字の継承者というほかない。
娘はへの字が大嫌い。高校生のころから、親からもらった
眉毛をカミソリで剃って、眉毛をかいている。
といっても、その痕跡までは消せない。
娘は女の子と男の子の二人の子がいる。
2年前、離婚して大阪からぼくらが暮らす鈴鹿にきた。
孫娘が幼児のころ、娘の幼年時代とそっくりで、ちょっと頭が
混乱した。
左が娘で、右が孫娘。どこか、への字。
最近の娘一家。
2012年11月末、心臓頻脈で死にかけたあと、九死一生を得て、
無事生き返った。
への字軍団が病院に見舞い。孫たちは布団ののなかに潜り込み、
ジジを励ましてくれているよう・・・
誰に見てもらうというより、時代や人の生きているとは
どういうことか、おもいを馳せながら、今をおもう。
そうしての今。
その積み重ねから見えてくるもの・・・・