かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

音がする・・・牛丸先生、宮沢賢治講座

2011-12-20 08:10:36 | アズワンコミュニテイ暮らし
その日、会場になっている鈴鹿カルチャーステーションの
セミナー室に着いたときは、スクリーンに映画が映っていた。
 イスは人で埋まっていた。
 暗い中で、空きスペースを見つけて、なんとか座った。

 宮沢賢治がテーマのドキュメントみたいだった。
 賢治が生まれた頃に、三陸大地震と津波があったという。
 どうも、このドキュメントは3・11以後に製作されたもの。
 「人間が微力だと・・・」ナレーション。
 「あまゆじゅとてちてけんじゃ」花巻弁。
  賢治は音と対話ができる。
  風・種山が原・イーハートーブ・小岩井農場・ぎんどろの木・
やまなしの木。
 宇宙、いきとしいけるものと会話できる・・
 「カプカプ笑う」

 手島葵。一青ようが賢治の作曲を歌う。
 冨田勲・佐藤泰平など音楽家が賢治から受けた衝撃・・

 この映画は、最近NHKで放映された「宮沢賢治の音楽会」という
ドキュメント。
 入院中の牛丸先生が番組表でこれを見つけ、録画をしてくれと
言ってきたと坂井さんから聞いた。

 この映画のスクリーンを見ながら、ときどき牛丸先生を見る。
 はじめ肘のないイスだった。途中、坂井さんが肘付きイズに
変えた。 
 そのうち床に下りて座りこんだ。女の人が座布団を差し入れた。

 セミナー室に照明がもどった。
 先生はやせて見えた。
 話はじめると、いつもの語り口、軽妙でこころに響いてくる。


 賢治の「永訣の朝」の詩のプリントと原稿用紙が全員に配られた。
 「さーて、みなさんには宮沢賢治になってもらいます。
 お配りした原稿用紙に、詩の内容は変えないで、平仮名にするか
漢字にするか、考えながら書き写してみてください」

        永訣の朝 
  
  けふのうちに 
  とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
  みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
     (あめゆじゆとてきてけんじゃ)

 
 ぼくらは原稿用紙にむかう。なつかしい。
 牛丸先生は白板に漢字に変えたものを書いた。
    
  今日のうちに
  遠くへ行ってしまうわたしの妹よ
  霙が降って表は変に明るいのだ

 「さあ、それぐらいにしましょうか。お遊びですから・・」とか
、言いながら「漢字にした時と、どういう感じになるかなあ・・?」
 と投げかけ。
 「”へん”を”変”にしたんだけど、平仮名のほうがやさしい」
など感想がいくつか出てきた。

 「そうなんですよね。賢治は漢字を知らなかったわけではない。
一字一句、どうするか考えたんだなあ。妹の死に際して、
賢治にとっては、漢字で書いたら生と死が別れてしまうことに
なったのでは・・おもしろいですね。こういうところ・・・
おおいに詩を書いてほしいなあ・・」 


 つぎに一枚のプリントと一枚の原稿用紙が配られた。
 原稿用紙は先生の詩が自筆で書かれたと紹介された。
 「ええ!全員のものを・・」と思った。


 プリントは、30年前、課題詩として、子どもを謳ったもの。

       帰り道
  つゆあけのお日さま
   ぎらぎら
  ふきを一本づつぬけ。

  虫食いの葉のあなから
  光の矢がさしこんで 
  鼻の頭がまぶしいぞ。

  ふきの日がさの行列
   でこぼこ 
    でこぼこ
   でこぼこ。

  入道雲をあおぎながら
  あぜ道をわたって帰る。

 「みなさんは、”あおぎながら”というところ、どんな漢字を
あてるかなあ」と問いかけるような、一人ごとのような・・・
 「木曽のほうのふきは傘になるほどに大きい。この”あおぐ”
というのは、うちわで入道雲を”あおぐ”という情景なんだなあ」
 読んで、一瞬”仰ぐ”とイメージしていたので、”扇ぐ”と
してみたら、子どもが詩のなかで躍動しはじめた。おもしろい。


 原稿用紙に万年筆で手書きしてある詩。


     音がする

  音がする 音がする
  北風通る 音がする
  音がする 音がする 
  柿の実の落ちる音がする
  冬の近づく音がする


 「いい詩(うた)なんだよ」とちょっと背筋伸ばし、顎を上に
あげたように見えた。

 それから、「あははあ」と笑った。まるで、やんちゃ坊主のように。

 「柿の実が落ちるなんて、当たりまえじゃんといったら、
それまでだけどね」

 それから真顔になって。「いまの時代、詩を書いてほしいなあ」と
言った。

 「感覚だけで書いたものはダメなんだよね。たましいがふとってくる
ようなものじゃないとね」
 語りかけているのか、述懐しているのか、どちらとも言えるような。

 「さあ、きょうはこれくらいにしようか。なにか。みなさんから
ありますか?」と先生。
 「”音がする”を歌ってみてください」と声があがる。
 一瞬、間があったように覚えているが、すぐ歌いはじめた。
 しやがれた声だったけど、”柿の実の落ちる”と言う節は
なにか響いてくるものがあった。
 「もう、枯れつきちゃうなあ・・」

 「もう、いいかな?」と先生。
  そしたら、会場の女の人から「いいですか」と声がかかった。
「先生、感想ですが聞きながら、いろいろあるじぶんでも、
たましいがふとるということがあるのを感じました。
ありがとうございました」


 先生はしばらくじっと空を見つめているようだった、
 あるいは、なにか内から湧いてくるコトバにならないものが
あったのか・・・
 間があって、「いやあ、じっさいは、みなさんが、わたしを、
ふとらせてくれたんだと・・・」とおっしゃった。
 会場には、深い沈黙の瞬間があったように感じた。

 「じゃあ、これぐらいで。次回の準備も、もうはじめているんですよ」
と先生。
  
 ”たましいが ふとる” 
 いまでもそのコトバの余韻が尾を引いている。

講演の録画が出来ました。
 下をクリックしてください。
http://www.ustream.tv/recorded/19252625