週のうち、何回かはパソコンに向き合える日がある。
テレビは連日、どの局もオリンピックの映像を流している。
その雰囲気に巻き込まれているかなあ。
サイエンズスクールのブログにアズワン留学生のジンスンさんが
<アズワンセミナのスタッフをやってみてのメモ>を書いていて、
それが何か印象に残った。
それはこんなメモだった。
<セミナーのスタッフをやってみてのメモ>
1.探究を通して(知ることで)、自分の心からの願いや本心が
見えてくる。
何かを感じて感動したり、暮らしの中での実感によって「みんなと
幸せになりたい」と思うようになるかもしれないが、それはこの場で
やろうとすることとはちょっと違うなと思った。
あくまでも「探究する」「実際にあるものを見る」そして「知る」
ことで、自分の中から湧いてくるものが自ずと見えてくることなのだな。
その場が「探究の場になるには」という辺をもうちょっと鮮明にしていきたい。
2.その人の実際はどうだろう。
人のどこを見ているのか。自分が見て思ったことの向こうにある
「その人の実際」を、常に知ろうとしているか、どうか。
3.今、一つが実現しているか、どうか。
今、自分の中に隔てはないのか。
今、自分は何でも出し合える状態なのか。
今、ここに居る人で、目的に向かって協力し合っているのか。
4.もっとやれるようになりたい。
沢山の人からずっと支えられて、全てを受けてきて、その場に立つこと
になった。 だからか、「自分がやる」との意識や負担感はあまり
なかった。
ただ、現状の自分の力量を切に感ずる機会になったように思う。
もっとやれるように成長していきたい。もっともっと人間を社会を知って、
人間らしく生きられる社会を早めていきたいなと、改めてしみじみと
思ったな。
アズワン留学生。
サイエンズスクールのコース、入門コース・アドバンストコースに
参加したことのある人の中から、限られたコースで理解したという
だけでなく、実際の暮らしのなかで「サイエンズを使えるように
なりたい」という人が現れた。2009年ころから。
研修ということではじまったが、研修を希望する目的、期間、費用など
検討しながら、留学制度を試み、留学生のための生活施設も2018年
3月完成しようとしている。
そこを、<サイエンズアカデミー>として、日本国ないだけでなく、
世界に門戸を開くことになた。
詳しくは、<サイエンズアカデミー>のHPを見てください。
http://as-one.main.jp/zaidan/HP/academy.html
岩田さんが、メンバーを写真で紹介してくれた。
留学生の一人、韓国から来ているパク・ジンスン(30代、女性)が
サイエンズスクールで開催している「アズワンセミナー」にスタッフ
参加した。
留学の後半は、スクールのスタッフも経験して、自分で育んできたもの
が、実際の人と人の話し合いに使えるのかどうか、検証する試みだ。
メモについてのぼくの感想。
セミナーの目指すもの。
「何かを感じて感動したり、暮らしの中での実感によって「みんなと
幸せになりたい」と思うようになるかもしれないが、それはこの場で
やろうとすることとはちょっと違うなと思った。あくまでも「探究する」
「実際にあるものを見る」そして「知る」ことで、自分の中から湧いて
くるものが自ずと見えてくることなのだな。その場が「探究の場になる
には」という辺をもうちょっと鮮明にしていきたい」
そうなんだよなあ。何人かで話し合い、自分の気持ちも気兼ねなく
出せるようになって、各自人と人の間が近くなり、「みんなと幸せ
になりたい」という空気が漲ってくる場合がある。
ジンスンさんにも、こんな場面がそのときあったのかもしれない。
ジンスンさんは、そこでちょっと立ち止まっている。
「あくまで「探究する」」
「実際にあるものを見る」
そして「知る」
ぼくらは、往々して、広々と明るい気持ちになったりすると、
「これだ!」と分かった気になる。自分も、つい10年前ころまで、
そんな感覚だったと思う。「探究する」というのは、いろいろな意見が
出てきてにぎやかに話し合うということでは、まだたりないらしい。
目標は、そういうことのなかから、「実際にあるものを見る」
ふだんは、見たり、聞いたり、考えているときは、実際にあるもの
見ていると捉えていることが普通かもしれない
でも、ここでは見たり、聞いたり、考えていることは、各自の
頭の中で捉えていることで、「事実実際」そのものは、別にあるんじゃ
なかろうか?
ここから、ポイントのような気がする。
だって、見えていること、聞いていることって、あまりにもありありと
実際にあるものととらえていると実感するんだから。
この解明のことを、ジンスンさんは言いたかったのかな。
そこが、はっきりしたら、どの人の意見も考えも「良い悪い」
「正しい正しくない」にとらわれず、いったんゼロになって、
「実際はどんなものだろう?」と究明できそうに思う。
この解明が進まないと、いま世界や暮らしのなかで起きている人と
人、国と国との争いなどの問題が解消に向かわないだろう。
ここが大事だということかな。
ことあと、事実実際そのものはどんなものだろう、という関心が
湧いてくるのかな。「知る」という核心かもしれない。
ジンスンさんは、もう3年ほど、いろいろありながら、留学生活
を続けている。
メモの最後、
「現状の自分の力量を切に感ずる機会になったように思う。
もっとやれるように成長していきたい。もっともっと人間を
社会を知って、人間らしく生きられる社会を早めていきたいなと、
改めてしみじみと思った」という一節は伝わってくるものが
あった。
「春よ来い。早く来い
歩きはじめたみよちゃんが
赤い鼻緒のじょじょはいて、
おんもに出たいと待っている」
こいうことに関心がもてる若い人はいるかなあ?