3ヶ月の入院期間に、ラジオを聞くということを思いつきました。
幼少期は、ラジオだけだったです。新聞の番組表をみて、落語のある
時間帯に赤鉛筆で印をして、その時間は外さないで聞きに帰ってきて
いたように記憶しています。
病院では、落語も聞きましたが、NHKの教養番組も、けっこう聞き
ました。
中村桂子さんの「まどみちおの詩で生命誌を読む」という番組が
興味深かったです。
退院して、それをアーカイブでもう一度聞いています。
第10回
「いることのすばらしさ 生きものの進化と<ぼくがここに>」
中村さんが話の最後らへんで、「今の世の中、障がい者なんていない
方がいい」という考えがある人がいるようですが、これはまどさんが
言っている「いることがすばらしい」というのと全く反対なんですね、
と語りました。
「ハッ」としました。
相模原の養護施設で起きた障がい者が殺害された事件をどんな風に
うけとめていたんだろう。
言葉にはしなかったけど、「ぼくは彼らとは違う健常者だ」という
無意識の意識があったんじゃないかな、気がつきました。
おどろきました。
3ヶ月の入院後、ぼくはまだ外を散歩することもままならない。
部屋の中にいて、食事や洗濯など、妻まかせ。
まだ、ちょっと動けば息切れ、不整脈が起きないだけで、妻なしには
今暮しは出来ないだろう。
「ぼくは、健常者じゃないんだ」
どうだったかな、このへんで障害者と健常者の違いって何だろう?」
わが身に迫ってきた感じがありました。
中村さんは、生きものの発生から、細胞内のDNAの複製の例を出して、
32億個のATGを間違いなく完璧に複製ができるなんて、ありえないと
語っていました。
むしろ、間違いがあるので、生きものがこのように進化してきていると
いうことでした。
そのようなDNAの実際の姿や働きを見たことはありませんが、
そうかもしれないなあ、と思います。
ぼくは、高校生のころ、心電図に乱れがあり、スポーツをやめました。
その後、50半ばを過ぎたころ「拡張型心筋症」という原因不明の心臓の
障害があると診断されました。どうも、遺伝によるらしい。
その後、心不全状態が慢性になり、今にいたっています。
中村さんは、言い切っていました。
「そういうDNAのレベルから観察すれば、健常者と障害者の違いは
ないと言えるでしょうね」
自分の考えとか感じ方、人間の考えや感じ方から観察するというので
はなく、生きものの成り立ちを知ることが、先ずあるのではないかと
思いました。
そういう実際、人間の考えで曲げられない理を知って、そこから
そういう一人ひとりが快適に暮せる社会の構造になっていくように
人間の知恵を出し合っていくことかなと。
まだまだ、自分のなかがこれまでの社会のなかで培われてきた観念に
気がつかない状態のものが多いかもしれません。
気がついた今が、はじまりだと思います。
うれしい感じです。
まど・みちおさんの詩を自分のためにも、ここに紹介します。
ぼくが ここに
まど・みちお
ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として