3ヶ月の入院暮らしの中で、ちぎれちぎれに眠れぬ夜に
後から後から出てくる妄想に付き合うことになった。
我慢できずに、深夜起き上がり、電気をつけて、ノートに
出てくる思いを書き付けた。
そんな夜が何回かあった。
書いている最中にも、自分の中のことが、文字にすると白々しい
感じもした。
どんな気持ちが出ても、ともかく書いてみた。
その記録が、ぼくの手帳に残っている。
2017年1月2日は、家族や友人が見舞いに来てくれたあと、
不正脈が起こり、一応止めたものの、またいつ起こるかと
不安がぬぐえなかった。
1月23日は、1月19日に3回目のアブレーション手術をしたにも
かかわらず、夜不整脈が起こり、いろいろ手を尽くしたが止まらず、
強力な薬を点滴で注入することで、なんとか治まった、
そのあと、なかなか眠ることが出来なかった。
* * *
2017/1/2、いや1/3 0:30
このまま目覚めないこともあるか。
死にたくない。死ぬのは怖い。
小浪のことを思い、太郎や桃子のこと、風友・晴空、
譲、秀剛、悠海ちゃん、和、駿。
和は、昨日病室に来て、ジジに手をさしのべ、握ってくれた。
鈴鹿コミュニテイの一人ひとり。病院に居ても、身近に感じる。
そのメンバーの息吹きのなかにいると感じていた。
身はベットに横たわっていても。
小浪は賀状の返信のあて先を書いてくれた。
ぼくが寝ながら返信のことばをつぶやくと、小浪はとても
すんなり書いてくれた。
ひと仕事、2人でやりとげたと思った。
順ちゃんが写真集を届けてくれた。順ちゃんの顔いいなあ。
中井夫妻もきてくれた。中井さんは、地域包括ケアのこと、
誰もが安心して暮せる街づくり。
佳子さんは、ビジターズステーションのこと、話してくれた。
熱意が自然と伝わってきた。
しん子さん、気持ちありがとう。
省吾さん、奈々子、賢治、ホメオさん、恵吾・佳世、隆治・・。
この夜、死を身近に感じる。
ここから逃れることはできないだろう。
死の不安や怖れと向き合うことになるのか。
「世界中のみんなで幸せになろう」
まず、鈴鹿に本質的な社会を一つ。
そして、ブラジル・韓国・日本の各地へ、世界の各地へ。
「一つ」の人に出会えるように。
年の瀬に君が手のひら命綱
あらたまの見舞いの子らと海望む
脈乱れ手を尽くしてや年初め
差しのべし孫と結ぶ手出合い初め
つぶやきを君書き留めて年賀の辞
1/23 10:00~翌2:00
不正脈止みしかば深夜の闇にしばし眠らん
生きるには生きるに足りる条件がわが心臓の乱れ足らざるか
夜明け前彼方の淵を彷徨いて胸の高鳴り・・(次書いていない)
溢れ出る君が思いを受けかねていやよ胸に刻みし君が真情
明けざらむ彼岸の淵の旅ならむこの世の生を尽くしたきかな
何願うわれ去りしのち世の中のすべて人の幸せなるか
病室の窓から見ゆる青空は常に変わらず宇宙の涯に
1/24
来て欲しいその一言が言えなくてそこがそこそこライン打つ
病室の窓から見ゆる空・・・(書きなぐっている)
分かちがたき死の淵めぐる妄想を・・・・( 〃 )
君が背冬雲流るるを見ゆる・・・・・( 〃 )
言い訳か思わず気づきやな感じ他聴かぬ世界今どこに居る
1/27 深夜2:00
はからずも感染せしに君が今病のわが身何か言うらん
この夜に死しても悔いず天地の間際街の音聞く
* * *
この頃、寝ていてもムカつき、息苦しさがあり、辛かった。
医師からは、4回目の手術まで辛抱してほしいと告げられた。
このころは、自分の今の気持ちはどんなだろうと焦点を
当てて、それを和歌にしながら、苦しさを紛らわせていたようだ。
* * *