かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

梅雨時つれづれ

2016-06-24 10:03:10 | わがうちなるつれづれの記

孫のわたるを二晩預かることになった。

夜、部屋のなかを闊歩しながら、ジジの机にやってきた。

手に触ってきた。

「ジジの手、冷たい!」と感嘆符。

今、2歳半。

たしかに、ここ数年、夏でも手足は冷えている。

いまの心臓の力では、末端まで血流が行き渡らないらしい。

わたるは、ただ感じたままをコトバにしただけんだよね。

 

翌朝、わたる、オシメ姿で現れる。

寝起き。「おはよう」と声かけても、どこか放心している。

わたる、ジジのそばの椅子に座って、テレビを見たり、

絵本を開いたり。

まだ、半分夢のなか、だんだん血のめぐりがもどりつつあるのか。

ババがズボンを履くように声かけても、「いや」と顔を横にふる。

今朝は梅雨曇。

シンとした朝。なんともいえない、言葉がないひととき。

 

二日目の朝。

わたるは、先に起きている。

やっと起きた布団の上で胡坐をかいて放心していた。

わたるは、ぼくをじっと見ていて、そのうちぼくの膝に座りに来た。

そのうち、また何処かに行ってしまった。

わたるに声をかけるわけではない。

ジジのペースで寝起きの儀式。

わたるがやってくるのを拒むわけでもない。

ジジがしてほしくないときは、そのように言う。

 

寝室でパソコンを見ていたら、わたるがやってきて、ぼくの椅子の

端に割り込んできた。

きついので、膝の上に抱っこしてやった。

動画を見ていたんだけど、最後まで、いっしょに見た。

 

http://www.dailymotion.com/video/x4h49ep

 

 

見終わった。ババの居るほうへいったらしい。

わたるは、わたるのペースでやっている。

ジジはジジのペースでやっている。

拒むものはない。

コトバのない、何気ない豊かな時間。


墓所下見

2016-06-24 09:23:29 | 家族あれやこれや

息子が、久しぶりに鈴鹿に顔出した。

娘宅で、夜、BBQを孫たちもいっしょに食べた。

そのとき、何の弾みか、墓の話になり、長男も親父が死んだら

どうするということを考えていたらしく、ぼくからいま考えていることを

伝えた。

横浜に宮地家の墓があるけど、鈴鹿から遠い。

兄貴が死んだら、その墓を見ていく人は居ないのが実際に

なりそう。

鈴鹿に共同墓所があるので、そこに骨はもっていってもらうのが

いいかなと思っている。

その墓所がある寺では、費用10万円で年2回供養を永代して

くれるという。

「伯父さんがどう思っているか、聞いてみて」長男はまじめに

考えているようだ。自分が、その墓を見てもいいという気持ちも

あるようだ。

その先、その先とイメージしていくと、その墓があるということの

意味はどうなるんだろう?

 

翌日、僕ら夫婦、長男、娘と孫の5人で、鈴鹿市長太にある

共同墓所”ニルヴァーナの森”宣隆寺に出かけた。

梅雨曇のなかだったけど、寝釈迦仏の前で、なんだかんだ

しゃべっていたら、すこし明るくなってきた。

「この寝釈迦仏は、ここの住職さんが彫ったんだ」ぼくは説明

した。

「この下にはいるんかあ?」と長男。

 

兄貴には、いつか墓のこと聞いてみたいとおもっている。


  梅雨晴れ間寝釈迦囲んで死後評定