かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

コタツムリ

2013-02-10 07:45:59 | アズワンコミュニテイ暮らし

 NPO法人サイエンズスクール鈴鹿では、毎月2回、マイライフ

ミーティングを鈴鹿カルチャーステーションで開催している。

 2月の一回目の会が9日(土)の夜にあった。

 千葉・静岡・石川、それに埼玉から初参加のご夫婦も居た。

 自己紹介がてら、近況報告を一人ひとりした。


 

 鈴鹿在住の大内けい子さんは、最近白内障の手術をして、

職場を休んで、お部屋で療養をしている。

 「コタツムリしています」と言ったので、「えっ」と反応する人が

けっこういた。

 「つむり」は頭のことだけど、語感は「籠もる」とも「隠る」とも

とれる。

 「コタツコモリ」より、「コタツムリ」のほうが、断然おもしろい。

 ブログで「かたつむり」を使っている。おおいに、反応している。

 

 ここ数カ月、じぶんも「コタツムリ」している。外にあまり出ない。

 寒いと、億劫。カラダは、なんとなく縮こまっている。

 だれかが、冬籠りのカラダになっている、と言っていた。

 

 隠るのも、悪くない、とおもっている。

 昔読んだことのある本を引っ張り出し、2回目、3回目と読む。

 目新しい関心も大いにあるけど、もうそろそろ後仕舞いも

意識している。

 

 これまで、何回も読んでいるのに、なにか頭ぐらいで、受け取る

ぐらいだったものが、身に滲みて伝わってくるコトバがある。

 

 プエブロインディアンの詩。

 

   今日は死ぬのにとてもよい日だ。

   あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている。

   あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。

   すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。

   すべての悪い考えは私から出ていってしまった。

   今日は死ぬのにとてもいい日だ。

   私の土地は平穏で私をとり巻いている。

   私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。

   わが家は笑い声で満ちている。

   子どもたちが帰ってきた。

   うん、今日は死ぬのにとてもよい日だ。

 

 ここのところ、死ということが身近かというか、生きることと

切り離せない感じがしている。

 「あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。

  すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。」

  この節で、「私の内で」「私の目の中で」ここが、ぐっと入ってくる。

 そこでしか、うけとめられないもの。

 そこでしか、生きられないもの。

 その世界。

 「子どもたちが帰ってきた」

 どういう世界。

 聞こえなかったものが聞こえてくる。

 見えなかったものが、見えてくる。

 

 と、じぶんはけっこういい気持ちだ。

 

 こころはどうなっているのか。

 この間、仲間の動きについて行けず、”仲間はずれ”に

なっている、嫌な夢を見た。

 

 「コタツムリ」

 暖かくなるまでは、こんな感じがつづくのかな。