かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

病院暮らしつれづれ  (つづき)

2012-12-27 06:36:50 | アズワンコミュニテイ暮らし

 きのうの夕方。三重大病院で精神科の医師をしている

松本龍介くんが白衣姿で、病室を覗いてくれた。

 入院中、手術の前とかあととか、ちょくちょく来てくれる。

 龍介くんとは、高校のころから知っていて、20歳すぎて

韓国で暮らすようになり、帰国したときいろいろ話をする

付き合いがはじまった。

 「医師になる」といって、取り組みはじめたのが8年前。

 そのときは、結婚してたんじゃなかったかなあ。

 父上が医師で、龍介くんがそっちにすすむ、と聞いて

なにができるわけでもないけど、応援したいとおもった。

 もう、医師として仕事をしているという。

 

 人との出会いについておもった。

 彼には、持病がある。彼を見ていてくれる教授が、「その

持病もふくめて、オレが見てやるから、安心しろ」といった

ような声かけをしてくれたと、奥さんの智子さんから聞いた。

 龍介くんは、にっこりうなずいていた。

 奥さんの智子さんも、小3の娘をつれて、見舞いにきてくれた。

 過去のぼくの振る舞いをよく覚えていて、そのときの感想を

ありのままに話してくれるので大笑いだった。

 

 25日の朝、妻からメール。

 知人の辻屋哲男さんが24日夜、三重大病院の集中治療室に

運ばれた。脳内出血したらしい。

 集中治療室は、同じ病棟の2階なので、奥さんの康子さんに

様子を聞きに行く。

 「病院としては、だれがいるとかは言うことはできません」という

返事だった。

 妻に様子をきくと、治療はおわっていて、麻酔が切れたとき、

意識が回復するかどうか、ということだった。

 26日午後、麻酔が切れて、本人の意識がもどったと聞く。

 きのうの夕方、ちょうど見舞いに来ていたブラジルの箕輪省吾・

奈々子夫妻、高崎夫妻と小浪で、付き添っている康子さんの

いる集中治療室に行く。

 「本人は、呑気なのよ。ここはどこ?なにがおきたのか?と

いっているわ」と康子さん。

 「そのセリフ、どこかで聞いたことがあるなあ」

 集中治療室のまえの廊下で、ほっとした康子さんや辻屋さんの

娘・息子、それにぼくら、顔がゆるんで、それぞれおもいの丈を

出し合った。どうも、ついこのあいだ、同じような体験をしている

ので、「よかったな」とを湧いてくるじぶんは、いったいなんだろうと

不思議な感じがした。

 

 テレビを見ないとすると、病室では読書しか能がなかった。

 きのうの夜、石牟礼道子さんの「苦海浄土」をはじめて読了した。

 水俣病は、昭和28年から表面にあらわれてきた。

 昭和22年生まれのぼくにとったら、水俣病はぼくの人生とともに

経過してきたことになる。いまでは、政府は「今後の申請は打ち切り」と

いっているが、実際はまだまだつづいている。

 

 なんで、いままでこの本をよまなかったのか?

 なんで、いまになって、読みたいとおもい、読んだのか?

 

 じぶんにとっては、興味深いけど、いつかゆっくり向き合うことが

あるかもしれない。

 

 いまは、読後感。

 この本の巻末、同じ熊本の渡辺京二さんが、「石牟礼道子の世界」

という文を書いている。

 渡辺さんは、この作品を「水俣病という肉体的な”加虐”に苦しみ

ながら、なおかつ人間としての尊厳と美しさを失わない被害者の

物語であるというような読み方」について、「そうだろうか?」と

投げかけてくれている。

 どちらかというと、正直、そういう感想で治めかけてはいた。

 それでも、それでは治めきれないものもが、残った。

 

 渡辺さんがいうような読み方、じぶんの読み方は、どこまで

いっても、”自分から見て”という世界から離れられない。

 どこまでいっても、理屈はそうでしかありえないとおもうが、

なにかそういう”自分なりの世界”に籠っていては、というより

籠っているらしいじぶんが、揺すぶられている、根底から・・・

「そんなんで、分かり合う」とか「人を理解する」とか、おもっていても

なにか足りない。根本的に欠けているものがありそう・・・

 

 5歳で水俣病を発症した少女ゆりちゃん。この少女は、熊本大の臨床

報告では「全精神機能と運動機能が高度に、不可分に障害されて

いる」と診断されている。

 

 その母の叫び。

 「あんた、じゅんじゅん(しみじみ)と考えてみてみはいよ。

 草よりも木よりもゆりが魂はきつかばい。

 草や木とおなじ性になったものならば、なして、ゆりはあげんした

 ふうな声でなくとじゃろ。

 どのように生まれたての赤子でも、この世に生まれたという顔して

 生まれ出る。

 あくびのなんのして、この世に生まれればもう、眠っとる間も

 ひょいと悲しかったり、おかしさに笑うてみたりするもんじゃ。

 赤子は、ゆりがあげんふうに泣きよるのはやっぱり魂が泣き

よるにちがいなか」

 

 母は、娘がおかれた世界から語っている。それを、この作品の

作者石牟礼道子さんも、その母が憑依したかのように、語って

いる。そんなに感じる。

 

 娘は人間として生まれてきながら、人でもない草木でもない

あわいに生きている。その世界を”外”からみるのでなく、その

世界を身のうちのものにする、その世界の一人になる、

「苦海浄土」の表題の意味がじぶんのなかで浮かびあがってきた、

 

 ふだんの暮らしでは、このようなことは、どんなことになるんだろう?

 人と人が通じるとはどんなことか?

 

 昨夜はめずらしく、10時ごろに、眠りに落ちた。

 目が覚めたら、もう朝だった。

 夜勤の看護婦さんが、血圧を計りにきた。

 病室の窓から、遠く伊勢湾のむこうの水平線が赤く燃えてきて

いた、まだ顔を出さない日の出で影になった雲が横にたなびいている。

 「わあ、ほら朝焼けが・・・・」としばし眺める。

 看護婦さんも、「あら、わあ、ほんと・・・」

 「いつもこんなですか?」と看護婦さん。

 そりゃ、「朝焼けきれい」などとうっとりしていては、仕事に

ならないかも。

 

 こんなひとときは、天からの恵みだろうか?