なぜか、夏休みの鈴鹿カルチャーステイションに、高崎広、片山弘子、ぼくの三人が
寄りあった。
鈴鹿市西部、中野4川流域にある徳居(とくすい)町の里山で、向こう1年余、どんな活動を
するか、必要があって、描きあった。楽しかった!
高崎さんは、山と言えばいいか、里といえばいいか、もりといえばいいか、はやしといえばいいか、
どうもそこに居るのが好きらしい。
彼は、横浜の郊外綱島に生まれている。ぼくは、その鶴見に生まれている。二人とも、まがりなりにも
シテーボーイなのである。
二人とも、出身を聞かれて、「ヨコハマ」と答えて、「そうですか」と受けてもらったことが
一度もない。だいたい「まさか・・」と不思議がられる。
これは、関係ない。里山のことである。
高崎さんは、10年ほど前から、山仕事を実際にやってきたし、勉強もしてきた。
「森林の風」というNPO団体で、活動も続けている。
今年、3月ごろから、徳居町の里山に一部を借りて、ササダケの下刈からはじまった。
子どもたちの里山体験の受け入れ、ナラの木を伐ってシイタケの植菌、穴を掘って炭焼き、玉ねぎ干しやゴーヤの棚用に竹の伐採など、いろいろやってきた。
今日は、はやしのなかに、ブランコつくったと言っていた。
そうそう、描きあったこと。
10月は、ドングリ拾い。竹のポットでドングリの苗づくり。
11月は、来年のゴーヤの棚用の竹を伐っておく。来夏、鈴鹿の街に、ゴーヤのカーテンプロジェクトを
展開したい。(伊与田さん、聞いているかい?)その準備。
12月は、落ち葉集めやろう。街のはたけ公園で、落ち葉堆肥をつくりたいね。
そこは、ダンボールコンポストで出来た堆肥を寝かしておく場にもしたい。
ベジコミ・クラブの畑の土づくり。
1月、どうする、シイタケや炭焼きの原木を伐りだすのはどうか。
でも、いまの里山には、それほどナラやクヌギはないね。
里山で一番やりたいこと、子どもたちに里山と暮らしを感じてほしいことやないか。
それなら、シイタケや炭焼きは、そういうところを考えて、年々の仕事にしたいね。
それには、今、借りている里山に、掘立小屋でもいいけど、作業小屋兼拠り所みたいのを
つくりたい。
「炭焼きは、一晩中、火の番をする。休むとこがあったら、最高だな」
高崎さんは、もう火の番をしている感じである。
その小屋は、子どもたちの学びの場にもなるね。今度は、高崎さんは、もりやはやしの
恵みを語る講師さんである。
2月は、3月は、4月、5月と描いていった。
すべて、三人のあたまのなかのこと、でも愉快。
高崎さんとは、30余年のつきあい。
30代は、彼と一緒に、津にある屠冊畜場に行って、豚や牛の解体をしていたことがある。
彼は、豚や牛の腸をコツコツと開いて、えんえんと洗っていた。
やり続けている姿がぼくの目に焼きついている。いくらやっても、へこたれそうにない、
なにか一途なものが彼のなかにあるのを感じた。
その彼と、60歳を越えて、里山で出会った。
まあ、ぼちぼち、好きなこと、やらせてもらうかな。
寄りあった。
鈴鹿市西部、中野4川流域にある徳居(とくすい)町の里山で、向こう1年余、どんな活動を
するか、必要があって、描きあった。楽しかった!
高崎さんは、山と言えばいいか、里といえばいいか、もりといえばいいか、はやしといえばいいか、
どうもそこに居るのが好きらしい。
彼は、横浜の郊外綱島に生まれている。ぼくは、その鶴見に生まれている。二人とも、まがりなりにも
シテーボーイなのである。
二人とも、出身を聞かれて、「ヨコハマ」と答えて、「そうですか」と受けてもらったことが
一度もない。だいたい「まさか・・」と不思議がられる。
これは、関係ない。里山のことである。
高崎さんは、10年ほど前から、山仕事を実際にやってきたし、勉強もしてきた。
「森林の風」というNPO団体で、活動も続けている。
今年、3月ごろから、徳居町の里山に一部を借りて、ササダケの下刈からはじまった。
子どもたちの里山体験の受け入れ、ナラの木を伐ってシイタケの植菌、穴を掘って炭焼き、玉ねぎ干しやゴーヤの棚用に竹の伐採など、いろいろやってきた。
今日は、はやしのなかに、ブランコつくったと言っていた。
そうそう、描きあったこと。
10月は、ドングリ拾い。竹のポットでドングリの苗づくり。
11月は、来年のゴーヤの棚用の竹を伐っておく。来夏、鈴鹿の街に、ゴーヤのカーテンプロジェクトを
展開したい。(伊与田さん、聞いているかい?)その準備。
12月は、落ち葉集めやろう。街のはたけ公園で、落ち葉堆肥をつくりたいね。
そこは、ダンボールコンポストで出来た堆肥を寝かしておく場にもしたい。
ベジコミ・クラブの畑の土づくり。
1月、どうする、シイタケや炭焼きの原木を伐りだすのはどうか。
でも、いまの里山には、それほどナラやクヌギはないね。
里山で一番やりたいこと、子どもたちに里山と暮らしを感じてほしいことやないか。
それなら、シイタケや炭焼きは、そういうところを考えて、年々の仕事にしたいね。
それには、今、借りている里山に、掘立小屋でもいいけど、作業小屋兼拠り所みたいのを
つくりたい。
「炭焼きは、一晩中、火の番をする。休むとこがあったら、最高だな」
高崎さんは、もう火の番をしている感じである。
その小屋は、子どもたちの学びの場にもなるね。今度は、高崎さんは、もりやはやしの
恵みを語る講師さんである。
2月は、3月は、4月、5月と描いていった。
すべて、三人のあたまのなかのこと、でも愉快。
高崎さんとは、30余年のつきあい。
30代は、彼と一緒に、津にある屠冊畜場に行って、豚や牛の解体をしていたことがある。
彼は、豚や牛の腸をコツコツと開いて、えんえんと洗っていた。
やり続けている姿がぼくの目に焼きついている。いくらやっても、へこたれそうにない、
なにか一途なものが彼のなかにあるのを感じた。
その彼と、60歳を越えて、里山で出会った。
まあ、ぼちぼち、好きなこと、やらせてもらうかな。