毎日、心臓の薬を飲んでいる。もう、10年近い。
今朝も、飲んだ。飲むときは、冷蔵庫にある2リットル入りのペットボトルに入っている
水で飲む。この水は、無くなると奥さまが補充してくれる。
そういうものだとして、無造作に飲んでいたけど、今朝はふとこの水について、
奥さまに確かめたくなった。
「この水って、ハンスさんから届けてもらった水を薄めているものか?」
「そうよ。毎日コップ一杯しか飲まないから、まだあるわ」
2007年2月、スイスにある実顕地に小浪と滞在したことがある。ぼくは体調が思わしくなかった。
実顕地の敷地の坂をのぼるにも、息切れがしていた。食事も、小浪は「おいしい、おいしい」と
食べていたが、ぼくは馴染めなかった。
ハンスさんは、牛を飼っていた。その牛たちに、ある特別な水を飲ませていた。その水をつくる機械を牛舎の脇に据え付けていた。病気の牛にその水を飲ませたら、回復したという。
ハンスさん自身も、食堂にその水を持ってきて、飲んでいた。
「調子、いいよ」
60歳をこえて、見事に肥って、頸がない、巨漢である。赤ら顔をほころばせながら、
「ミヤチ、あなたも飲め」とすすめてくれた。
試しに飲んだ。「生臭い」という感触だった。
それはそれなりに、効能があるのかもしれないけど。
「ぼくはちょっと・・」と曖昧な受け答えをしていた。
帰国する際、ハンスさんはその水を容器に入れて、持たせてくれた。
「ミヤチ、きっとこの水はミヤチの身体にはいい、飲んでみろ」
そのハンスさんの気持ちがうれしかった。
マジ、ぼくの身体を気遣ってくれている。
旅行カバンはズッシリ重かったと記憶している。
ハンスさんからの水、薬を飲む時に、薄めて飲むことにした。
水の効用のことを思えば、そのまま飲むのがいいのだろう。
でも、そしたら、その水はすぐ無くなる。じぶんで、つくる気はないしなあ、・・
ハンスさんの気持ちは、有難い。
ハンスさんの奥さま文枝さんが、その年、広島にいる母の見舞いのため来日した。
その時も、「ハンスさんからだよ」と特別な水が届いた。
その水を、妻小浪がずっと、薄めてペットボトルに補充し続けたきた。
ときどき、「この水はハンスさんからの水が入っているんだよな」と心によぎっていた。
そのハンスさんから、昨日スカイプがあった。
彼はうれしそうだった。
人って、うれしいことがあったとき、だれかに聞いてほしいと思ったりするよね。
なんとなく、とりとめもない話しで終わったけど、ぼくの心にも温かいものが残った。
ハンスさんは、頑固で、「こうだ」と言い出したら後に引かない、やりぬいて行く機関車みたいな男。
ズータイはでっかいし、人を威圧するほどの貫録と自信のかたまりのような男。でも、妙に人の心をみぬいたように、親身な心の人間になったりする。
と、ぼくは評してきた。親しみも、籠めて・・
でも、そういうぼくの見ているハンスさんと、ハンスさんその人は、同じだろうか?
遠く離れているし、生き方も、考えもちがうことだらけだろうが、ハンスさんに湧いてくる、
ぼくのなかの親しみの気持ちは、どこから出て来るのだろう。
今朝も、飲んだ。飲むときは、冷蔵庫にある2リットル入りのペットボトルに入っている
水で飲む。この水は、無くなると奥さまが補充してくれる。
そういうものだとして、無造作に飲んでいたけど、今朝はふとこの水について、
奥さまに確かめたくなった。
「この水って、ハンスさんから届けてもらった水を薄めているものか?」
「そうよ。毎日コップ一杯しか飲まないから、まだあるわ」
2007年2月、スイスにある実顕地に小浪と滞在したことがある。ぼくは体調が思わしくなかった。
実顕地の敷地の坂をのぼるにも、息切れがしていた。食事も、小浪は「おいしい、おいしい」と
食べていたが、ぼくは馴染めなかった。
ハンスさんは、牛を飼っていた。その牛たちに、ある特別な水を飲ませていた。その水をつくる機械を牛舎の脇に据え付けていた。病気の牛にその水を飲ませたら、回復したという。
ハンスさん自身も、食堂にその水を持ってきて、飲んでいた。
「調子、いいよ」
60歳をこえて、見事に肥って、頸がない、巨漢である。赤ら顔をほころばせながら、
「ミヤチ、あなたも飲め」とすすめてくれた。
試しに飲んだ。「生臭い」という感触だった。
それはそれなりに、効能があるのかもしれないけど。
「ぼくはちょっと・・」と曖昧な受け答えをしていた。
帰国する際、ハンスさんはその水を容器に入れて、持たせてくれた。
「ミヤチ、きっとこの水はミヤチの身体にはいい、飲んでみろ」
そのハンスさんの気持ちがうれしかった。
マジ、ぼくの身体を気遣ってくれている。
旅行カバンはズッシリ重かったと記憶している。
ハンスさんからの水、薬を飲む時に、薄めて飲むことにした。
水の効用のことを思えば、そのまま飲むのがいいのだろう。
でも、そしたら、その水はすぐ無くなる。じぶんで、つくる気はないしなあ、・・
ハンスさんの気持ちは、有難い。
ハンスさんの奥さま文枝さんが、その年、広島にいる母の見舞いのため来日した。
その時も、「ハンスさんからだよ」と特別な水が届いた。
その水を、妻小浪がずっと、薄めてペットボトルに補充し続けたきた。
ときどき、「この水はハンスさんからの水が入っているんだよな」と心によぎっていた。
そのハンスさんから、昨日スカイプがあった。
彼はうれしそうだった。
人って、うれしいことがあったとき、だれかに聞いてほしいと思ったりするよね。
なんとなく、とりとめもない話しで終わったけど、ぼくの心にも温かいものが残った。
ハンスさんは、頑固で、「こうだ」と言い出したら後に引かない、やりぬいて行く機関車みたいな男。
ズータイはでっかいし、人を威圧するほどの貫録と自信のかたまりのような男。でも、妙に人の心をみぬいたように、親身な心の人間になったりする。
と、ぼくは評してきた。親しみも、籠めて・・
でも、そういうぼくの見ているハンスさんと、ハンスさんその人は、同じだろうか?
遠く離れているし、生き方も、考えもちがうことだらけだろうが、ハンスさんに湧いてくる、
ぼくのなかの親しみの気持ちは、どこから出て来るのだろう。