Good Frlend!(motovlog)

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時代と世情を軸とした、かつてのオートバイ「峠族」をお話します。(番外編vol.2983)

2021-05-28 09:47:17 | 日記

まず最初にお断りしておかなければならないのですが、一般道での「暴走行為は違反」です。

オートバイはあくまで移動手段であり個人の趣味であり、それはツーリングと言う健全なものでなければなりません。

なので、これからお話しする80〜90年代に社会現象になったオートバイでの「ローリング族」もしくは「峠族」の事は、

それ自体を助長したい訳ではなく、あくまで世情として当時「どうだったか」をお話しするだけの事であります。

それを踏まえて今日はブログを書こうと思います、よろしくお願いします。(笑)

ボクが最初に峠に通った頃ってまだ学生だった1984年からで、そこから社会人になり数年経つまで様々な峠に通っていました。

期間で言えば大体、合計すると7〜8年間ってところですね。

まず、1984年当時というのはまだ「初期の時代」であり、峠を攻める行為の始まりだったと思います。

それだけにオートバイは様々なモデルが集まってて、中には走りに不向きなカワサキ「FX400」などもいたりしました。

当時はまだ「限定解除の時代」だったので「メインは中型バイク」に集中していましたが、

中にはヤマハ「RZ125」などの様な125ccモデルも走ってるって感じでしたね。

またこの頃は基本、原付やスクーターがそこに属することは無かったです。

今から思い返せば、この初期の時代ってまだそこまで激しい激戦はなく、とんでもなくはヒートアップしてなかった気がします。

で、峠を走ると言っても長い距離を走る訳ではなく「決められた区間」を行ったり来たりするのが暗黙のルールです。

いわゆる美味しいコーナーがある「一部だけを走る」と言う感じですね。

そこから更に「80年代後半」に入るとオートバイの進化が目覚ましくなり、

進化したレーサーレプリカを中心により高性能で、ライダー自体の技量も上がりより鋭い走りが見られる様になっていきます。

それに伴い速度も上がり「限界走行も極限まで」になっていく事でどんどん「事故」も増え、中には命を落とすモノも現れます。

実際、ボクの周りでも対向車と正面衝突して、一緒に走ってた峠仲間が1人亡くなりましたからね。

多分ですがこの80年代後半ってブームとしては「最盛期」でどこの峠に行ってもオートバイの数が凄かったです。

ギャラリーで見てるだけの人もいましたが、道は上りも下りも芋の子を洗うような台数でしたからね。

またこの頃からオートバイに「一貫性」が見られる様になり、ほとんどが峠に適したマシンで構成される様になります。

特に人気が高かったのがホンダ「NSR250R」の86〜88年モデルで、何もかもが圧倒的でしたね。

排気量別に見ると、400cc4ストが30%、250cc2ストが60%、125cc2ストが10%って感じでしたかね。

それから90年代に入る頃になると劇的に年齢層が低くなり、原付やスクーターで峠に現れる高校生を目にする様になります。

彼らが乗ってたオートバイは、まだ発売されて間がなかったホンダ「NSR50」やヤマハ「ジョグ・スポーツ」など。

より多くの仲間と連んで「チームで行動してた」印象が強いです。

90年代初期の頃になるとボク自身が峠に足を運ぶ事が減って来る様になり、

それ以降に関してはバリバリマシンなどの雑誌で情報を知る様になります。

またこの頃から徐々に「衰退していく事」になってしまうのですが、走り続けてる人たちのレベルはボクがよく知る初期と比べ、

相当速い状況だった印象です。

当然の事ですが警察の取り締まりも厳しくなり「走れない峠」が増え、それも衰退の理由となった気がします。

もっと細かく書きたかったですが、ざっと以上です。(笑)

もう繰り返してはならない、我々世代がやらかした「オートバイの黒歴史」のお話でした。(笑)







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