以前にも触れた事があったのですが、かつては「HY戦争」って時代があって「ホンダ VS ヤマハ」と言う「世界2強」って構図があり、この2社によって熾烈な
販売合戦が行われてた時代ってのがありました。そう大体、1980年代から1990年代に掛けてのお話です。そもそもこの頃のヤマハは多くの車両を保有しており、
現在の様な状況ではありませんでした。また1981年に登場した名車「RZ250/350」で一躍ホンダに追いつく快挙を見せ、その後も「2スト」マシンを中心に人気
モデルを多く排出する事になります。あらためて順を追って見て行きますと「RZ250/350」の次に、YPVSと言う排気デバイスを搭載した「RZ250R/RR」となり
更に本格的なレーサースタイルをした初代「TZR250」が登場し、更にレーサーモデル「TZ250」からのフィードバックで登場した後方排気システムの「TZR250
(3MA型)」となり、1990年代に入るとV型2気筒のエンジンを搭載した「TZR250R」へ、また、それと並行して並列2気筒エンジンの「R1Z」も登場させてい
ます。またその途中には大型500ccモデルとなる2スト4気筒エンジン搭載の「RZV500R」を登場させていました。もちろん4ストマシンに関しても「FZ」シリーズ
として多くのモデルを登場させており、ボク自身も「FZ400R」や「FZR400」「FZR400RR」などに乗っていました。いやぁ、懐かしいです(笑)。そもそも
ヤマハと言う会社のオートバイは1960年代から2ストをベースとした車両を得意としており、4ストのホンダ、2ストのヤマハと言う感じに思われてたらしいです。
また最初に登場した「RZ250/350」に関しても「突然現れた?」ってことではなく、それ以前に「RD」ってシリーズで2ストエンジンを搭載した「RZ」に近しい
オートバイを開発していました。更に当時「初期の排気ガス規制」が世界で言われ始めた時代となっていた為、実はヤマハとしては「最後の2ストマシン」と考えて
「RZ250/350」を開発し登場させたと言われていました。しかし、これが想像以上に人気モデルとなった事で、国内でのオートバイ事態は一変し、その後の「2スト・
レーサーレプリカブーム」へと繋がって行く事になるんですよね。結局、1999年の新しい排気ガス規制によって各メーカーの全てが「廃盤化」となって行くのです
が、それまで国産モデルとして2ストマシンは売られていました。また、その後に関しては、2008年の更に新しい排気ガス規制(これはかなり厳しいものだった…)
があった事で、国産中型モデルから4気筒エンジンを搭載したモデルが「CB400SF」を除いて全て生産終了となってしまいます。その原因は機械式キャブレターだと
既に新しい排気ガス規制をクリアする事が不可能となってしまい、出来るだけ「フューエルインジェクション化する必要に迫られた」のですが、その「開発費」が
捻出出来なかった事が大きな要因となっていました。またこの頃からヤマハの勢いは衰えていく傾向となり「MT」や「YZF」シリーズを出してはいたものの、ホンダ
とは大きく販売で引き離され、逆にこの頃から勢いを増し始めたカワサキに追い付かれると言った状況になってしまいます。思い返してみれば、そもそも2ストマシン
が存在しなくなった時点でヤマハとして若干、後退した感があり「YZF-R1」を除いてイマイチ、パッとしたモデルが登場していません。これはボクの勝手なイメージ
ですが、この厳しい時代にあってホンダはそれまでの車両を何とか規制の範囲に納め継続販売した状況で、カワサキは新しく規制に対応した新モデルを登場させたって
感じがします。逆にヤマハはその「どちらも中途半端」で終わらせてしまい、現在に至るって感じがするんですよね(笑)。そう考えると、かつての1980年代から
1990年代にかけて、ホンダと販売競争で争っていた時代が「ヤマハ最高潮の時代」とも考えられ、その時にヤマハを救ってたのが「2ストマシン」だったとも思われる
訳です(笑)。さて、今日はボクの勝手なイメージで「ヤマハの状況」を語って見ましたが、いかがだったでしょう!(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます