水戸梅日記

水戸・いばらき

14歳の子を持つ親たちへ

2007-12-25 | 読んだ本
14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書) 14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書)
価格:¥ 714(税込)
発売日:2005-04-15

 

 「この時代に子どもを持つこと」について

 思春期の子ども達と毎日向き合う「精神科医」と

 成熟や学びについて考える「仏文学者」が語り合っています。

 

 「解決策」を示しているわけではないのですが、

 子どもなんてわからなくて当たり前!と、

 清々しく開き直れてしまうことが、この本の一番の効用です。

 

 覚えておきたいと思ったことをメモ。

 

●少子化には、「産んでも大丈夫」という保証が必要。

 (行政の「育児支援」は、「育児は苦役」ということが前提。)

 母親自身の身体的・知的ポテンシャルや

 社会的パフォーマンスが向上するから、

 「ぜったいお徳だよ」というように、

 積極的にインセンティブを示さないといけない。

 

●「コミュニケーション能力」とは、

 何を言っているのか、はっきりわからないことを受信する能力。

 子どもは色々なシグナルを発信しているのに

 母親がそれをほとんどシステマティックに無視し、

 「承認可能な部分」についてだけしか反応しない。 

 

●「やればできる」は、死語にしたい。

 「あ、できたね。」「へえーっ。」「え、何が?」といった

 大人が見せる驚きが、子どもには必要。 

 大人に敬意を払われた、大人に一目置かせたという経験が

 子どもの喜び。

 

●トラウマは、時間的な「居着き」のこと。

 トラウマの人は、時間が先に進まない。

 フロイトが本来、言ったのは、

 トラウマ的な話にしたほうが、「治療法」としては有効だということ。

 

●「人間は過去を前未来形で語る」が、ラカンの言葉。

 過去を物語るのは、語り終わった時に、聞き手が自分のことを

 どう思ってくれるかという語りの効果を狙っている。

 「嘘」とは言わないが、「お話」である。

 

●人間の攻撃性をドライブしているのは、「身体」ではなく「脳」。

 動物同士の闘いでは、「身体」がどこかで抑制している。

 インターネットの批評には、身体が担保する抑制が効かない。

 空爆も同じで、ボタンを押して人を殺すことに、リアリティがない。

 

●マッピングというか、「地図を持つこと」は、

 教養の基本みたいなものだが、同時に「暴力の解発装置」でもある。

 目で見え、手で触れるものに対するマナーと、

 そうでないものに対するマナーは違う。

 

●「叱る」は、親にしてみたら、敗北である。

 子どもにメッセージを伝えようとして、

 それが伝えきれなくなった時に、ついに破綻して、「叱る」。

 (子どもが理解できるのは、その破綻した「瞬間」だけ。)

 

●母性は内面にあるものではなく、外から持ってきて演じるもの。

 そして、それは「フィクションだからダメ」じゃなくて、

 「フィクションだからいい」。

 演技だから誰でもできる。みんなに開かれている。

 

●「しつけ」は、ルーティン。

 布に折り目をつけるには、毎日同じ所を折らないと。

 「折り目正しい」と言うけれど、折らなきゃダメ。

 

●土壌と樹木の関係もそうで、ルーティンは「土壌」。

 同じことを繰り返していくと練れてきて、初めて樹木が生える。

 「土壌」を作らないで、花は咲かない。

 

コメント
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