14歳の子を持つ親たちへ (新潮新書) 価格:¥ 714(税込) 発売日:2005-04-15 |
「この時代に子どもを持つこと」について
思春期の子ども達と毎日向き合う「精神科医」と
成熟や学びについて考える「仏文学者」が語り合っています。
「解決策」を示しているわけではないのですが、
子どもなんてわからなくて当たり前!と、
清々しく開き直れてしまうことが、この本の一番の効用です。
覚えておきたいと思ったことをメモ。
●少子化には、「産んでも大丈夫」という保証が必要。
(行政の「育児支援」は、「育児は苦役」ということが前提。)
母親自身の身体的・知的ポテンシャルや
社会的パフォーマンスが向上するから、
「ぜったいお徳だよ」というように、
積極的にインセンティブを示さないといけない。
●「コミュニケーション能力」とは、
何を言っているのか、はっきりわからないことを受信する能力。
子どもは色々なシグナルを発信しているのに
母親がそれをほとんどシステマティックに無視し、
「承認可能な部分」についてだけしか反応しない。
●「やればできる」は、死語にしたい。
「あ、できたね。」「へえーっ。」「え、何が?」といった
大人が見せる驚きが、子どもには必要。
大人に敬意を払われた、大人に一目置かせたという経験が
子どもの喜び。
●トラウマは、時間的な「居着き」のこと。
トラウマの人は、時間が先に進まない。
フロイトが本来、言ったのは、
トラウマ的な話にしたほうが、「治療法」としては有効だということ。
●「人間は過去を前未来形で語る」が、ラカンの言葉。
過去を物語るのは、語り終わった時に、聞き手が自分のことを
どう思ってくれるかという語りの効果を狙っている。
「嘘」とは言わないが、「お話」である。
●人間の攻撃性をドライブしているのは、「身体」ではなく「脳」。
動物同士の闘いでは、「身体」がどこかで抑制している。
インターネットの批評には、身体が担保する抑制が効かない。
空爆も同じで、ボタンを押して人を殺すことに、リアリティがない。
●マッピングというか、「地図を持つこと」は、
教養の基本みたいなものだが、同時に「暴力の解発装置」でもある。
目で見え、手で触れるものに対するマナーと、
そうでないものに対するマナーは違う。
●「叱る」は、親にしてみたら、敗北である。
子どもにメッセージを伝えようとして、
それが伝えきれなくなった時に、ついに破綻して、「叱る」。
(子どもが理解できるのは、その破綻した「瞬間」だけ。)
●母性は内面にあるものではなく、外から持ってきて演じるもの。
そして、それは「フィクションだからダメ」じゃなくて、
「フィクションだからいい」。
演技だから誰でもできる。みんなに開かれている。
●「しつけ」は、ルーティン。
布に折り目をつけるには、毎日同じ所を折らないと。
「折り目正しい」と言うけれど、折らなきゃダメ。
●土壌と樹木の関係もそうで、ルーティンは「土壌」。
同じことを繰り返していくと練れてきて、初めて樹木が生える。
「土壌」を作らないで、花は咲かない。