風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

追悼・高倉健さん

2014-11-26 00:53:49 | スポーツ・芸能好き
 役者の高倉健さんが11月10日に亡くなっていたことが、一週間以上経ってから明らかになりました。享年83歳。
 それから更に一週間、私の中で、健さんの死を受け止めるのにちょっと時間がかかったのは、必ずしもファンを自任していたわけではなく、逆にファンでもないのに寂寥たる思いに囚われたからでした。この喪失感は何だろう・・・と。フランス映画のそこはかとなくアンニュイな産湯を使い、ハリウッド映画のエンターテインメント性を浴びて育った私には、正直なところ、日本の任侠映画で一世を風靡した大スターは遠い存在でした。ようやく身近に感じられるようになったのは、「幸福の黄色いハンカチ」をはじめとして、最近では「鉄道員」など、現実的な役柄の中で見せた「寡黙で、折り目正しく、ストイックで情に厚い…」(映画ジャーナリスト・田中宏子さん)男の生き様に触れるようになってからのことでした。ある記者はこう表現しました。「寡黙で、武骨で、不器用で-」。健さんの周囲にいる人たちが語るエピソードは、そんな健さんの人柄を偲ばせて静かな感動を呼ぶのですが、その中で、武田鉄矢さんの言葉には思わずドキリとしました。「健さんはスティーブ・マックイーンのように、セリフでセリフをいうんじゃなくて、存在でセリフを言うようなお芝居を夢を見ていたのだと思います」。私が大好きな映画俳優スティーブ・マックイーンの日本版だったんだ・・・と、日本版などと言うと失礼に聞こえますが、決して悪意はなく、ただ二人とも必ずしも二枚目ではないけれども、どちらも「渋い」という形容がぴったりで、良い面構えをしているところは共通しますし、セリフではなく沈黙の中にこそ存在感を見せるのもまた共通していることに、今さらのように気が付いたのです。
 最近、ある朝鮮半島研究者が、在ソウル日本大使館前の従軍慰安婦像の向かいで健さんの映画を流し続ければいいと冗談半分に話したことがありました。健さんは「昭和38年、東映任侠路線の出発点となる『人生劇場・飛車角』で鶴田浩二と共演、耐えに耐えた末、最後は自ら死地に赴くやくざ役でストイックなイメージを確立」(産経Web)したわけですが、韓国があちらこちらで歴史認識問題にからめて反日的な言動を繰り返すのが目に余り、片や日本はじっとガマンを重ねて大人しく引き下がったままだと思わせるのは癪で、いざとなったらドスを抜いて暴れるところを見せつけるべきだ、と(笑)。それほど健さんの任侠映画は、日本人の国民性の一面の真理(!)をきっちり描き切って日本人の心を捉えているとも言えるのでしょう。
 これ以上、私ごときが百万言費やしても、何の足しにもなりません。先ずはご本人にまつわるエピソードからご本人の発言を引きます。

 昨年秋、文化勲章を受章したとき、親授式の後で、「日本人に生まれて、本当によかったと、今日思いました」「今後も、この国に生まれて良かったと思える人物像を演じられるよう、人生を愛する心、感動する心を養い続けたいと思います」。

 映画「マディソン郡の橋」が日本でヒットする前から原作を絶賛する慧眼ぶりを見せ、檀ふみさんが「日本で映画にするなら健さんと吉永(小百合)さん」と言うと、すぐに「檀ふみって言えよ」。

 「幸福の黄色いハンカチ」の撮影の合い間に、武田鉄矢さんや桃井かおりさんがしょげたりしていると、健さんはそっと、「晩飯は、いっぱい食うなよ」と言って、晩飯の後、3人で出掛け、レストランを借り切って・・・健さんはワインを飲んでいた。あの夜のぜいたくな思い出は生涯忘れない(武田鉄矢談)。

 続いて、関係者の証言を引きます。

 脚本家・倉本聰氏 「あれだけ本気に映画に向かわれる方は、そうはいないと思います。1本の作品に向き合ったら、それ以外は何もしない。かけ持ちなんてしないで、何年かに1本ですからね」「最後のスターですよね。今はマスコミがみんな私生活を暴いてしまいますが、彼はそれは絶対に嫌だったから、私生活に関しては徹底して秘めていた。あそこまで秘めている方は、ほかには原節子さんくらいでしょう」。

 野球人・長嶋茂雄氏 「ファンの多くは映画の中の高倉さんを見て、日本人の男としてのあるべき姿を学んだのではないでしょうか」。

 美術家・横尾忠則氏 「とにかく、日本人の良心のような方だった。礼儀、礼節をいつも態度で示された。僕にとっては三島由紀夫さんがなくなられて以来のショック」「僕にとってアイドルなどというものを超えた存在だった。健さんの映画はすべて見ているが、最近では地でいってらっしゃるような登場人物を演じられていた」。

 元東映社長・高岩淡氏 「誠実で誰に対しても同じ目線に立って話をした。己を律する気持ちの強い人でしたから」「僕から見たら(俳優として)日本一よ。全て自分で試して苦悩してきた。俳優らしくない役者。地(本人自身)の迫力がある」。

 映画監督・中島貞夫氏 「演ずるというより、自分の存在を投入する。役と自分が一体化する希有な俳優だった」。

 歌手&俳優・佐川満男氏 「眠れなかったのはエルビス・プレスリー以来。高嶺の方でした」。

 その静かな死が、三島由紀夫の衝撃的な割腹自殺やエルビス・プレスリーの絶頂での若過ぎる衝撃的な死にも匹敵すると言わしめるのですから、以て瞑すべし、と言うべきでしょう。合掌。
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